第34話 ロール・オーバー・バレンタイン

 ひなのさんとのツーショット着物写真のいくつか――あまり密着度の高くないもの――は、お互いのSNSアカウントにてアップロードした。


 私の開店休業状態で数ヶ月に1回くらいしか更新しないアカウントでも、友達らはしっかりとチェックしているようで、地元の友人らはメッセージアプリで『澄浦が京都に染まっちゃった……』みたいな冗談を飛ばしてきたし、今の学園の友達も休み明けや寮で会ったときに話に出してくれた。もっとも染まったのは、京都にではなくひなのさんに対してなのだけど。



 そして2月に入ってから、ひなのさんの部屋を訪ねた際にレイアウトが色々変わっていて、1つは見せるタイプの収納棚のとこに、その和服ツーショットの写真がスマートフォンで撮ったはずなのに現像されて、白磁を模したデコレーションプレートに収められていた、ということ。しかも、一般公開できない頬が急接近しているやつではないものの、SNS上では投稿しなかったやつ。


 更に顕著な違いが1つ。備え付け家具であった座卓と、いつもはアルバイトのプリント類が積まれていたローテーブルの位置が交換されていて、部屋の隅に座卓、中央にローテーブルとなっていた。これだけでもおそらく大分印象が変わっていると予想されるが、そのローテーブルにこそ大きな変化があって――。


「……こたつ?」


「そうっ! 実はこのテーブルは、実家でも自分の部屋で使っていたこたつ変化型のテーブルだったんだよっ! これでもう部屋じゃ寒くない!」


 ひなのさんが青森の実家に居たときから使っていたものらしく、冬場に自分の部屋にもこたつが欲しい! となって、何年か前に親からクリスマスプレゼントで貰ったらしい。そこまで大きなローテーブルでもないので、ちょっと広めの1人用、ないしはギリ2人用と呼べるか、というサイズ感である。

 でもサイズ感よりも気になったことを指摘する。


「……もう2月だよ? もっと早く作っても良かったんじゃない?」


「あはは……。実は、入学するときに荷物が多くてさ。こたつ布団は後から郵送してもらえばいいや、って思ってたら私も両親も、最近までどっちも忘れてたんだよね」


「ちなみに気付いたのは?」


「お母さん」


 それで今になってこたつが出てきたというわけなのね。こたつ布団みたいなそんなに重くないけど嵩張るものを後回しにする気持ちは分かるし、そしてそのまま忘却の彼方へと飛んでいってしまうのも普段使わないものなら理解できる。特にひなのさんは、京都の冬の寒さにやや鈍感っぽい感じだったし。今の時期に外に出るときはコートとかマフラーはしているんだけど、12月まではずっと秋の終わりみたいな恰好していたからなあ。


「……で。ひなのさん。どうして私と同じ場所からこたつに入ろうとしているの?」


 ローテーブルは長方形だが、そこまで大きいものじゃない。だから長い辺の部分から2人こたつに入るのは明らかに狭い。


「だって、これ1人用で買ったから、明菜の反対側から入ると足が絡まるし、横だと邪魔になるよ?」


「お互い、脚を伸ばさなきゃ大丈夫なんじゃない?」


「それじゃあ、こたつの意味ないじゃん! ……ほーら、明菜、横もっと詰めて……んっ」


 六孫王神社で手を繋ぐことを話した際に『上から高圧的に』ってお願いしたことで、時にはひなのさんにリードされたいって気持ちはもうバレていると思っていい。

 だから今も、有無を言わせない感じで私に密着しようとしてきている……と同時に、後は単純にひなのさんの欲望って面もありそう。


 真隣でひなのさんに肩から脚まで密着する。2人とも座布団なので椅子には背もたれがないので、ベッドを背もたれ替わりとして使っている。

 時折彼女は足の指を使ってこたつの中で私の足先に攻撃してくるので、私もやり返す。

 そんな小学生みたいな不毛な争いをしていたけれども、ふと『これ何の生産性も無いな……』と空しくなってきたので、先ほど見つけた写真の話題を振ってみる。


「そう言えばさ、着物の写真は飾ったんだね」


 ちょうど私たちの視線の先に、件の収納棚はあった。


「あ、うん。明菜が……こ、恋人だってのは抜きにしてもさ、着物レンタルまでして写真を部屋に残さないのは、私のイメージ的にそれはそれで変だから」


「イメージ戦略で写真飾るんだ……」


 しかもよくよく考えてみれば、ひなのさんの部屋は主に私がこうやって定期的に訪ねる割には、他の人と遭遇した経験が無いので、あんまり友達とかを入れていないようにも思える。でも私については初手から招かれたことを鑑みれば、今はともかく昔は部屋に誰を招くかなんてこだわりはそんなに無かったのだろうね。


 それで。写真に触れたので、ついでに棚のレイアウトで気になった部分も言ってみる。


「――で。その横にあるのが、クリスマスのときの『現代音楽のCD』なのは何故?」


 友だち延長戦をしていた頃のほぼほぼ最後の思い出である闇のプレゼント交換会。ご丁寧にCDは、薄いビニールが周りに巻かれていて未開封のままだ。一度も聞いてないのがありありと分かる。

 私関連グッズなら他にもあったと思うのに、どうして。それこそモノクルのケースとかね。


「いや、なんかこれが一番悪友っぽさあるなーと思って」


「うーん……。これは……私が全面的に悪いかな。

 2人の間の関係だったらネタで済むけども、他の人に見せるとなると……。

 ちょっと『現代音楽』について悪く思われるのはあんまり本意じゃないし……」


 私が、ひなのさんの趣味を理解していないCDを贈った、という部分は正直エピソードとして面白いから良いのだけれども……。一応、これまでクラシックを齧ってきた身として『現代音楽』そのものまで飛び火するのは看破できない。


「……あー、それはちょっと不味いかもね。

 明菜はこのCDの曲を『前衛的』って言ってたけど具体的にどんな感じなの?」


「聞くのが手っ取り早い……けど、流石に2時間近くはキツいか。

 冒頭数分とかでも多分分かるんだけど、あんまり耳馴染みしない音だと認識すると思う。既存のルールに囚われない音楽理論の下で作られているものだと、どうしても、ね?」


 『現代音楽』の全てがそういう難解な楽曲では必ずしもないが……って、その前に。『現代音楽』という呼び方でよく勘違いされるが、これは音楽の分類であって別に『現代』の『音楽』のことを必ずしも指すわけじゃない。

 恐らく現代音楽で最も有名であろう演奏者が音を出さない楽曲である『4分33秒』――これは1952年の作曲である。……ついでに言えば、ただ全部無音という曲ならばそれよりも更に50年以上昔に描かれた作品もあるし。


「あ、何も流れない無音の曲ね! なんか動画サイトで見たことあるかも?」


「『4分33秒』については、厳密には『無音』じゃなくて演奏者や聴衆を含めた『意図しない音』を聴くための曲ではあるのだけれども……。

 そんな感じで既存の――とは言っても100年以上昔のクラシックに比べたら、っていうチャレンジ精神に溢れるものが多いから、知らずに聴くとびっくりするものが多いと思う」


「……例えば、どんな感じ?」


 『現代音楽』で、素人目にも分かりやすい事例となると……あれかも。


「一番パッと分かるのは――『内部奏法』とかかなあ……」


「どんなの?」


「――ピアノの蓋を開いた中にある弦を、ギターとか琴みたいにはじいて演奏するってやつ」



「……? っ!

 え、蓋の中って、あそこだよね! なんか機械っぽいとこ! あれって触って良い場所なの!?」


 ひなのさんのリアクションがワンテンポ遅れた。それだけでしめしめといった感じである。


「……まあ、良いか悪いかで言ったら、私は『間違いなく悪い』って言っちゃうけどね。

 そういう部分を利用した音楽ってのもあるの、『現代音楽』にはね」


 『内部奏法』自体は、最古の楽曲は1910年代には出来ていたと言われているので、もう100年近い歴史がある技術だ。それでも『現代』の名を冠するところはちょっとヘンかもだけど。

 だから、一見この『異端』の演奏方法は実のところかなり技術的に確立しており、海外を始めとして『内部奏法』を前提としたメンテナンス技術というのも進歩している。


 でもそうは言っても、普通の人が普通のピアノの弦を触るのはかなり論外だ。体温で弦の音色が変わるし、手の油がサビの原因になるし、部分的な弦の交換は劣化にも繋がりやすい。

 そして、そもそもピアノの弦は高価である。


 特に日本では、こういう特殊奏法への忌避意識が未だに強いこともあり、ピアノコンサートなどに行かない一般層の知名度は低い。

 とはいえ、たまにSNSや動画サイトなどでバズることもあるが。


 折角なので『内部奏法』楽曲の中でも数分のものを動画サイトから見繕ってきて、ひなのさんに音を聴かせてみたら『琴みたい!』と言っていた。


「……だから、うん。友達とかに、このCDについて聞かれたときには、そういうものだってこともちゃんと説明してあげてね?」


「おっけー! 何というかこういう型破りな音楽はクラシックってよりも、どちらかと言えば『ロック』の領域だとずっと思ってたよ」


 まあ、その気持ちは分からないでもない。なんというか漠然としたイメージが先行して『高尚な音楽』として語られがちだしね、クラシックって。もっとも『現代音楽』を『クラシック』の枠組みに区分するかは狭義においてはちょっと微妙で、これまた意見が分かれるところであろうが。


「……ベートーヴェンは『ウェリントンの勝利』という管弦楽曲で、演奏楽器として本物の『大砲』と『銃』を指定してるしね」


「『ロック』じゃん、それ!」


 『ウェリントンの勝利』の武器パートは『大砲』ならバスドラム、みたいに代用しても良いのだけれども。それでも、然るべき場所ではちゃんと武器を本当に使って演奏したりもしている。

 『ロック』の世界ではベートーヴェンはぶっ飛ばすRoll Over相手らしいのは、うっすらと知っているが。

 しかし『クラシック』側から見ると、皮肉なことに彼は『ロック』に限りなく近い存在なのである。




 *


 こたつでまったり……というには、密着度が高すぎるせいでぽかぽかだけれどもあまりまったりしている感は無いのだけれども。

 そんな字義通り真隣にいるひなのさんから囁かれた。


「……明菜。恋人で2月と言ったら……分かるよね?」


「……バレンタイン、だよねえ」


 まだちょっと先ではあるけれども、既にスーパーとかだと品揃えがバレンタイン向けに切り替わってきている。


「チョコ……どーする明菜?」


「えー、買えばよくない?」


「情緒っ!! 折角なんだし、作ろうよー。

 やだやだー、明菜のチョコ食べたいもん!」


 駄々っ子と化したひなのさんをあやしつつも、1つ気になったことを尋ねる。


「というか、まず。料理とかお菓子作りの経験はある、ひなのさん?」


「まー、無くはないけど。

 でも、そんなに頻繁にやるものじゃなくない?」


 それはそうだ。

 特に、今は学生寮でご飯もデザートもしっかりと出ているのだから、本当に趣味とかじゃない限りは料理ってしないし、お母さんのお手伝いとかも消失したので何なら実家に居た頃よりも、触れる機会は減っている。


「……私、ひなのさんの部屋で『やかん』以外の調理器具を見たこと無いけど。

 そもそもあるの?」


「失礼な! 引っ越しのときに鍋とかフライパンとか包丁とか、一通り最低限は持ってきているって! ……使ってないけど」


「じゃあまずは、使う道具を全部洗うところからだね」


「めんどくさー」


 ひなのさんは露骨に面倒がっているが、問題はこれだけに留まらない。


「……あと、私以外の友達の分も作る予定?」


「うーん、そっちは別に買うんで良いんじゃない?」


「さっき、ひなのさんは情緒を突っ込んでおいてそれなんだ……」


「いや、変に手作り貰うよりも、既製品のが美味しいじゃん」


「それはそう」


 友チョコで貰ったものの味が微妙だったときって結構リアクションに困るのよね。あと、友チョコは友達の人数にもよるが大量生産前提なため、結構アイデアが似通るというか……。沢山貰えば貰うほどにレシピ重複が増える。

 更に碧霞台女学園がお嬢様学園であることなど諸々を勘案すると正直、買った方が丸いというか安全策な面は確実にある。


「――だからと言って、恋人である私の分まで既製品は認めないからねっ、明菜!」


「……それは断られたからもうしないって。でも、ひなのさん分かってる?

 普段料理もお菓子作りもしないから常備食品はほぼ無し。作るのは私の分だけ……つまり1人前。

 ……材料に物凄いロスが出るんじゃない、それ」


「うわっ!? そうじゃん、ヤバ!!」



 ……というわけで。フードロス削減も踏まえて、私たちのチョコづくりはお互いに渡すにも関わらず共用できる材料は一緒に使うために、一緒に作ることになった。

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