第16話 京都水族館
思えば今年の夏は、『夏』っぽいことをあんまりしなかったような気がする。
夏と言えば海水浴! だけれども、京都市内からだとそもそも海が遠い。元名古屋民としては、知多半島の方に行かないと海水浴場が無くて地味に不便とか思っていたが、それよりも遥かに遠く。イカ漁をやってたひなのさんの実家のある青森の方では、ほぼ日常的に海を見ていたとのことで、お互いにここまで海に縁のない夏を送ったのは初めてのことと言えるかもしれない。
というか、もしかしたら京都市内から一番近い海水浴場ってまさか琵琶湖とかだったりする……? いや、それを
またそんな海に並び立つ大きな夏の風物詩として花火もあるが、これまたやらなかった。日本の夏! という情景を思い浮かべればまず間違いなく想像に容易い花火。そして、日本の情景を空想で描く際に恐らく最も頻出するであろう京都……2つの相性は一見すると抜群にみえる。
しかし、意外なことに京都市内では大きな花火大会がそもそもあまり開催されない。全く無い訳じゃないのだけれどもね。数千発とか上げるやつはお隣の亀岡が最寄りな上に、完全指定席で料金も結構値を張るため、学生の身では気軽に行きづらい。
昔は宇治川で大きな花火大会をやっていたらしいが、それも廃止になったらしいし。それに代わる新たな大規模な花火大会はあることはあるが、そちらは5月とか6月の開催で『夏』というにはちょっとずれた時期である。
ではコンビニや薬局、スーパーなどで売っている手持ち式の花火はどうかと言われれば、歴史ある街であるが故に条例が結構厳しい。公園などでは出来ないし、河川敷も学校近くのエリアは禁止区域で、やるならそこそこ離れた場所まで行かないといけないようだった。
学校内の敷地で出来ればベストではあるけれども、七夕のスカイランタンですらLEDでやった事実からも、火気の取扱いに関しては碧霞台女学園は厳しそうとしか言いようが無かった。
――と、そういう中でのひなのさんとの水族館へのお出かけ。
別に水族館自体は1年中いつに行っても良いとは思うけれども、さりとて夏という季節が似合っている場所ではある……まあ、水→冷涼→夏向き! という単純な連想ゲームによるものだと思うけども。
そんな話を、水族館へ行く前に昼食で寄ったカジュアルでありながらも明らかに学生向けではない京野菜専門のオープンダイニングのお店のボックス席でひなのさんに振る。中央にキッチンがあり、そこに色とりどりの野菜がディスプレイされているお店だ。
「確かに、私たち2人で夏っぽいことはこれまでしてこなかったねっ! ……あ、でも、明菜と関係ないとこだと、1組の地元の子の家が学校から1時間くらいのとこにあって、そこでスイカをご馳走してもらったり、プールに行ったりはしたよー」
……思ったよりも、ひなのさんは夏を満喫していたらしい。
2組で地元生まれの友達は、極端な人混み嫌い。私やその京都フレンズ含めたグループで行った場所って竹林とかだったからなあ。しかも有名な嵐山にある『竹林の
そんな竹林トークをすれば、
「それはそれで涼しそうじゃんー。夏だよ、夏!」
と、ひなのさんは語る。
そして、それとほぼ同時に料理が届く。
端的に言えば、京野菜の漬物のプレートだ。平皿に野菜の漬物とそれに合う食材のペアが小盛りでいくつも盛られている。けれども、漬物は見知った名前のものから果物やお酒などで漬けた凝ったものまでさまざまで、それに合わせる食材も肉から魚にチーズと、絶対美味しいかも! と思うものから味の想像すらできないものまで多種多様である。
これにスープと、釜めしみたいな土鍋入りの混ぜご飯がセット。
……まあ、うん。これだけ凝っているということで薄々察してもらえると思うけれど、ランチで食べる価格帯はちょっと超越している。学生ということを加味すれば余計に、だけれども……このお店を予約して選んだのは他ならぬひなのさんな訳で。
ぱしゃぱしゃと、SNSに上げる用の写真をスマートフォンで撮影しているひなのさんに対して私は尋ねる。
「……なんか、ひなのさんらしいというか、らしくないというか。
ともかくランチでこういうところ選ぶのは珍しいよね?」
このくらいぼかした言い回しでも、彼女は値段について問われていると理解をする。
「これまで明菜と行った場所ってそんなにお金がかからなかったじゃん? でも今日は水族館で入館料とかお土産とかで結構使うと思ったから、だったらお昼で贅沢してももうあんまり変わんないかな、って――」
まあ、気持ちは分からないでもない。
京都水族館のチケットは1800円。それでいて、やっぱり水族館ショップとかも回りたい。となれば、もう普段の日常生活では中々飛ばない金額のお金を使うことが確定しているのでお財布の紐が緩くなる……ということなのだろう。もっとも、今日のお昼はその水族館チケット代よりも高いのは内緒だ。
でも、やっぱりひなのさんは前々から思っていたけど割と散財に躊躇がない。そういうところは、彼女の家がイカ漁師であると知っているとはいえお嬢様感はちょっとある。まあ、テスト採点のバイト代を使っているだろうから、お小遣いで賄っている私とは比べるまでもなく偉いのは間違いないんだけどねえ。
……あ、でも。こないだ行ったエラールのピアノがあった和風アトリエ訪問による施工業者との縁繋ぎで、今月のお小遣い代くらいは充分に動いているかも。
それはともかく。ひなのさんに気になったことを漬物を食べながら聞く。
「そういえば、何で漬物なの?」
「あのねー、青森の実家に居たときってさ。ご飯、メインのおかずってあって後は、漬物! 漬物! 漬物! って感じで大皿に盛られた漬物が食卓に何品も並んでたんだよねー。特にお姉ちゃんたちがまだ実家に居たときはさ。
だから、京都の漬物ってのをちゃんと1回食べておこうってなったのと……。そうは言っても、やっぱ何だかんだ漬物目当てで行くのって私もちょっと恥ずかしいから、ちゃんとバズってて行きやすそうなところ選んだら……ここだった!」
まさかのひなのさん漬物ジャンキー説浮上である。というか漬物が食卓に並びすぎ……というか漬物って大皿に盛るものなの? ひなのさんの実家の食生活が一気に謎に包まれてしまった。
あ、漬物はそんな漬物ガチ勢? なひなのさんも私も、未知の美味しい味に遭遇できてとても良かったです。それと、混ぜご飯が優しめの味付けだったから漬物とのシナジーが高かった。
*
お昼ご飯を食べたお店から京都水族館までは歩いて15分くらいかかる道のりだったけれども、さりとてバスに乗っても2、3分程度しか変わらないみたいなので、わざわざバス停でじっと待つよりかは歩こう、ということになった。
「そいえば、ひなのさんも日傘買ったんだねー」
そう言えば、ひなのさんはパステルカラーの恐らく雨天兼用の日傘をくるくる回しながら私に跳ねるような口調で話しかけてくる。
「そうなの! 前に明菜に日傘を貸してもらったときにめっちゃ涼しかったから、これ必須アイテムだなあ、と思って買っておいたんだっ!」
「……もう8月末だから、夏も終わるよ?」
「どうせ9月に入ってもまだまだ暑いと思うから大丈夫じゃない? 学校始まっても、明菜は私と遊んでくれるでしょ?」
「……まあ、否定はしないけどね」
内心、今日の水族館行く前に買いに行っても良かった気がしないでもないがそれは黙っておく。というか、ひなのさんとただの買い物で出かけたことってあんまりないかも。女子高生2人組の『遊ぶ』カテゴライズにショッピングが入っていないのは、客観的に見れば中々に不可思議な関係性である。
そして日傘があるとはいえ外は暑いので、お互い若干早歩きで京都水族館へと向かう。内心これなら時間が変わらなくてもバスに乗るべきだったかと思ったが、水族館に隣接する梅小路公園との境にある遊歩道が思いのほか長かったので、多分バスで来ても最終的にはここで歩いてバスで涼む意味がほぼなくなっていただろうと、事なきを得たのであった。
*
「ふいー、涼しー」
「まずはチケット買わなきゃだね」
日傘をたたみつつ、入ってすぐのチケット売り場へ向かい、碧霞台女学園の学生証を見せつつチケットを購入する。8月の終わりということもあり、平日ではあるけれども家族連れで来ている人もちらほら居る。子どもの夏休みの思い出として来ている感じなのだろう。
で、入場ゲートをくぐって真っ先に居たのは――
「ねえねえ明菜! このシマシマってオオサンショウウオかなっ!?」
「私も詳しくは無いんだけど多分、そうなんじゃないかな。
あ、いや……でも……、なんか多くない?」
しま模様というか、どちらかと言えば斑点模様な気もするし、何なら模様が無いのも居るが、そんな大きな生き物が何故か水槽のガラス面の目の前に何匹も重なるようにして鎮座していた。水槽内にはスペースが結構あるのに何故か隅の方に固まっており、さながら満員電車のようである。
「――うわおっ!! って、これ木じゃなくて全部オオサンショウウオじゃん!?」
「……確かに動きが少ないから模様が無いと、確かに木にも見えるよね、ひなのさん」
ちなみに余談ではあるが、どうやらオオサンショウウオは夜行性らしく、昼間の今はほとんど動いていなかったり、動いていてもゆったりとした泳ぎだったりするみたい。
一応、京都水族館はこの時期は夜の8時くらいまでは営業しているから見ようと思えば夜のオオサンショウウオも観察できるらしいが、流石にその時間まで出歩くのは寮へ外出届とかの提出が必要になってくると思うから、まあ夜の彼らにお目にかかれる機会は多分無いかもしれない。
*
「オットセイ!」
「……なんか、夢の国のクリッター感のある岩場的な水槽だねこれ」
「アザラシだよ、ひなのさん」
「出た! チューブ型水槽!!
めっちゃ映えるやつ!」
「そして――ペンギン!」
「1階では泳いでいる姿が見られて、2階に行くと岩場で休憩している姿が見られるのは考えられてるかも」
ひなのさんと一緒に、海の生き物たちを見て一喜一憂する。その時間は、この銀髪少女との関わりの中では今までにないくらい平凡な時間で。
「……あ、風鈴だよ。ひなのさん」
「めっちゃ飾ってるあるねー! ……って、これクラゲの形しているじゃん!
くらげ風鈴!!」
通路に飾られた風鈴は、何も生き物が展示されていない場所ですらも様変わりさせている。
特にこの空間は壁半分が外になっていることから風通しが良くて、その風に合わせて風鈴の音が――
「すっごいチリンチリン鳴ってる! ホームセンターの風鈴売り場かい!」
……ひなのさんの謎突っ込みが入るほどには響き渡っていた。
「――うーん。その突っ込み、パッとすぐには情景が浮かばないからもっと微妙かも」
「……なんで明菜は冷静に私の突っ込みの切れ味を評価してんのさ」
*
「……クラゲワンダー? 明菜、なんだろこれ」
「どうやら、ここから風鈴じゃない本物のクラゲのゾーンっぽいね」
「クラゲって言ったらあれだよね? エモ展示が流行ってるやつ――」
入ってみると一気に内部は暗くなって、水槽がライトのように光っていた。
「……ここも、そのタイプのクラゲ展示だねえ」
ただ、最初の小さな水槽には何も入っていないものが置かれているだけのように見えた。しかし隣の水槽と進んでいくにつれて、物凄いミニマムなふわふわが見え、それが段々大きくなってクラゲになっていく成長過程が展示されていた。
「はへー……これって成長したら水槽の場所入れ替えたりしているのかな、大変そう……」
「心配するのそっちなんだ。
……ってか、ひなのさんの家ってイカ漁やっていたのですから、クラゲとか見なかったの?」
「そりゃ、まあ見たことはあるよ? ちょうど今の時期が一番見ると思う。
まーでもクラゲ被害は、イカ漁よりも定置網とかのが遥かにヤバいから、まだうちはマシだった方かなあ」
ひなのさんは『イカはクラゲを食べるしね!』とも言う。
「……えっと、水族館で見てもひなのさんは大丈夫?」
「あ、うん。私は平気だけど、これ駄目な人は絶対駄目だろうなあ。
網漁をやってる人間なら幻想的以前に無表情になりそうだし、というか私の知り合いとかでもクラゲに刺されたって同級生が居なかったわけじゃないし、そういう人だともしかしたら無理だろうね」
……なんというか、クラゲ=幻想的ってイメージは、海で住んでいたときの経験次第では通用しないものなのかも。
「あ、でも漁業被害とかの映像や写真で見せられるクラゲって基本大きくて超キモいから、逆にこういう水槽展示のは私は平気だよ。
海で見たときもこのくらいのサイズなら、私もきれいだなって思ってたし!」
「……なんというか、ひなのさんの感性がまだ私と近くて良かったよ。
じゃあ……ここ、入ってみる?」
そう言いつつ私が指差したのはクラゲ水槽の短いアーチ。その中に入った先はドーム状になっているらしく、360度光に照らされたクラゲが光る幻想的な光景が広がっているみたい。
「……全部クラゲの世界かー。よし、とりあえず行ってみよー!」
そして、通り抜けた先には。
七色に光るクラゲたちが360度に広がり、まるでクラゲと一体となってゆらゆらと海を泳いでいるような錯覚を感じるような光景が広がっていた。
私は……その光景を一種のファンタジー的な、非日常的でまるで魔法を使われたかのようなものだと感じていた――のだけれども。
そのとき、ひなのさんが私の服の裾をちょこんちょこんと摘まんで、私を呼び寄せる。クラゲの光源に照らされたひなのさんの顔は、想像以上に渋い顔をしていたので、周りのお客さんのことも考えて一旦パノラマ水槽の外に出た。
「……ひなのさん、どうしたの?」
「まだライトアップが七色だったから、辛うじて違うって認識できたからよかったけどさ。
イカ漁ってさ、夜の海を照らして自動釣り機でやるのね? ……うん。360度の暗闇にクラゲが浮かび上がっている光景って、多分イカ漁やっている人間には悪夢だから。漁できないもん、こんなの」
どうやら単体の水槽ならクラゲを普通に見れても、360度ライトアップになると、幻想さよりも漁の失敗の方が鮮明になるようであった。
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