第14話 関係者以外は

 お盆の翌週末に、早速紹介状を貰った展示用の和風アトリエ見学に赴くことにした。

 意外と学園から近く、バス停3個分くらいの場所だったので、バスを待つよりも歩いて行った方が早いということになり、私はひなのさんと2人で徒歩で目的地を目指すこととなる。ただ日差しが強かったので日傘を差しながら向かうことにしたが、ひなのさんは日傘を持っていなかったみたいなので、私の折り畳み式の日傘を貸すことにした。


 彼女が日傘を持っていないなら相合傘をすればいい? ……嫌だよ。何で日傘を差さなきゃやってられないレベルのこんな暑い日に、引っ付かなきゃいけないの。


 そんなひなのさんは、日傘を肩にかけながら両手には紹介状を持ち、それを軽く見ながら私に話しかけてくる。


「しっかし、紹介状なんてもの……私は初めて見たよー。

 ……でも、今更だけど明菜大丈夫? これを手に入れるために何か対価を支払ったりしてないよね。そうだとしたら、申し訳なさすぎるんだけど」


「あ、それなら問題ないよ。こうやって行くだけで縁繋ぎになるみたいだから――」


 それとともにひなのさんにも裏事情を説明する。

 これから行く和風アトリエは、茶室とか重要文化財とかの建築・修繕を担う施工業者が運営している『自社ブース』的な存在だ。もっと俗に言ってしまえば『和製モデルハウス』である。

 だから通常は非公開であれど、その業者に工事を依頼する場合などには特別に見学が許されたりもする。


 そんな業者と何故関わりがあるのかと言えば、どうにも昔、愛知で万博があったらしく、お爺様の話によればそのときに依頼した業者の1つ……という縁のようだ。


「……万博って『芸術は爆発』とか『月の石』とかで有名なやつ?」


「そうだけど、それは大阪万博の方だね」


「あれ? 大阪の万博ってもう終わっちゃったの? 何か、前にWebニュースでやるよ! って話は聞いたことあったけど」


「あー、これからやるのは2回目らしいよ。まあ、どっちの万博も私たちが生まれる前の話だし、ひなのさんが知らないのも当然な気がするけど」


 かくいう私も愛知県民でなければ、そこまで万博に詳しくなることは無かっただろう。小学校の社会科の授業とか総合の授業とかで地域の話をすると大体出てくるのだから、そりゃ覚える。


 で、私たちが生まれる前の大昔の出来事だからこそ、再び縁を結び直すという意味合いがあるようだ。……あと、モデルハウス的用途のほかにも、茶会や工芸品の展示会などの会場としても利用される文化施設であるみたい。


「……となると、その業者の人が説明役とかに付いて回る感じ?」


「あ、それは断っちゃった。流石に玄関の鍵を開けたりする管理の人は待機しているみたいで、行き帰りのときだけ立ち会うみたいだけどさ。

 仰々しい感じになっちゃったら、ひなのさん嫌でしょ?」


「あー……ありがとね、明菜」



 15分くらい歩いて、私たちは和風の塀に囲まれた重厚な一角を発見する。一見すると古い高級住宅っぽい佇まいであったが、表札を確認するとそこは民家ではなく確かに、お目当ての場所であることが判明した。お互いに日傘をたたみ、その入口に相対する。


「この門……本当に入って大丈夫なの明菜ー……」


「住所も建物名も合っているから、いけるいける」



 ――門を入ると、そこには細い和の庭園風の通路が広がっていた。石畳を挟んで塀側には低木を植えることで圧迫感を無くし、建物側には砂利を敷き松や灯籠を配することで作庭をして、狭い通路になりがちな奥まった場所にある玄関までのアプローチを見事に演出している。


 通り庭……かと一見したときは思ったが、どうやら建物に茶室が併設されているのがにじり口の存在から分かったので『露地』も兼ねたものなのだろう。


「わあっ、和風の建物なのに、2階の窓はステンドグラスなんだー。……って、んんっ?」


 庭を見ていた私と対比をするかのように建物の外観を眺めて顔を上げていたひなのさんに対して、私は軽く肘で彼女の身体をつつく。

 というのも、庭を抜けた先にある腰掛待合に1人の男性が座っているのが見えたからだ。恐らく、施錠の担当者なのだろう。


「……おっと」


 ひなのさんは、すぐに私の所作の意図に気付き、表情が引き締まる。私とのお出かけモードから、対外的な碧霞台女学園生徒としての立ち振る舞いに切り替えたようだった。

 それを私は横目で確認した後に、すぐさま声をかける。


「あの、すみません。

 碧霞台女学園1年の澄浦明菜です。本日は――」


 私が声をかければその40代くらいの男性は慌てたように腰掛から立ち上がって、私たちに一礼し、自己紹介を行う。


「あ、同じく碧霞台女学園の東園ひなのと言います」


「――ええ、ええ。お伺いしております。それでは、早速玄関の扉を開けさせていただきますね」



 そう言って、ひなのさんが持っていた紹介状を一応確認のために見た後に更に奥へと移動する。

 玄関はすぐ奥にあったようで、その男性は持っていた鍵を使って玄関戸を開け放つ。そして、いくつかの注意点を告げる。


「午後の5時までのご利用となっておりますので、それだけはご了承ください。それより早くお帰りになられる場合には、弊社の事務所で私が待機しておりますのでお電話頂ければ戸閉めに向かいます。事務所はこの建物から車で5分くらいの場所ですので……」


「ありがとうございます――」


 私が一声かけた後に一礼すれば、ひなのさんも続けて頭を下げる。それから一言二言やり取りをしたら、その男性は事務所へ戻るということだけを告げてここから去って行った。



 その男性が見えなくなったところで、ひなのさんが一気に脱力する。


「……ふいー、ちょっと緊張したー!」


「別に何かあるわけじゃないけれども、これだけ歳の差のある人に敬語使われると緊張しちゃうよねえ」


 私たちよりも親の世代に近い初対面の相手というのは中々慣れない、ということだろう。




 *


 「明菜、明菜! 広間の障子を開けたら、ガラス張りの渡り廊下みたいな場所があって、その外には庭園が広がっているんだけどっ!」


「枯山水の庭園ですね。……あ、でもツツジ系の植え込みを取り入れているのはちょっと珍しいかも。ちょっと現代的な雰囲気も混ぜているのかもね」



 2階の窓のステンドグラスもそうだが、建物の造りとしては和風だけれども、随所に洋風……というか現代風の仕掛けが施されている。部屋の中の灯りもガラスの装飾が施されていたりするし、中に居ると分からないが確か事前情報だと屋根には太陽光パネルを乗せているんだっけ。


 ここは、『和』の空間の再現、だけではない。

 和洋折衷のみでは済まされない。


 過去と現在を結びつける架け橋のような存在である。



 だからこそ――。


「ねえ、ひなのさん。

 ……ちょっと、土間に来てもらってもいい?」


「……? なーにー、明菜?」



 土間、とは言っても、確かに隣の六畳間の和室から見れば一段低くはなっているものの、板が敷かれていて土がむき出しになっているわけではなかった。


 そして、その空間の隅には。



「……ピアノ?」


「うん。1922年製の100年物のエラール。フランス王家にピアノを納めていた19世紀に時代を変えた老舗ピアノメーカーで……。

 今は、もうピアノを製造していないメーカーなの」



 ベートーヴェン、ショパン、ハイドン、リスト、ラヴェルといった歴史に名を残す音楽家が使用したとされるエラール。かつては『ヨーロッパ最高のピアノメーカー』とも謳われたエラールは、しかし20世紀に入ってからは徐々に経営が傾いていき、1960年に工場を閉鎖し、それから間もなく倒産・合併が重なり社名すらも消失した。


 とはいえ、20世紀末に一時期、プレイエルという別のフランスピアノメーカーの下でエラール・ブランドが復権したらしいが、これも長くない期間で生産が打ち切られ――というか現在はそのプレイエル自身も新規のピアノ生産は殆どやっていない状況だ――事実上、僅かに観測されるエラールのほぼすべてが60年以上昔のものというのが現状だ。


「……60年以上昔、ねえ」


「そ。ひなのさん……つまりエラールのピアノの大多数は既に一般的な寿命を超えているんだ。だから私も現物を目にしたのは初めてだよ――」


 ほぼ全てがアンティークピアノと化しているエラールピアノ。今、私たちの目の前にあるこのピアノも、オーバーホールまで行ったかは分からないものの、さりとて大掛かりな大手術を経た上で生き残っている。

 というかメーカー自体が存在しないから修理用の部品を揃えるだけでも大変だろう。


 それだけの希少品であるから、コンサートホールなどに置いてあることすら稀で、どちらかと言えば博物館などに所蔵されている、という話の方が聞くくらいのピアノである。


 エラールのピアノというだけで、演奏会が開かれることもある。

 その国内最大手が赤坂離宮――即ち、皇室所蔵の品が出てくるくらいと言えば多少なりともその希少性が伝わるだろうか。


 当然、巷で『幻のピアノ』と呼称されるメーカーの1つである。



 するとひなのさんが何かに気が付いたようだ。


「ねえねえ、明菜。なんでこのピアノは車輪のところに、ガラスのコップみたいなのを置いているの?」


「ああ、それはインシュレーターと言って、床に音が響かないようにするもの。

 ガラスってパターンはレアだけど……」


 後から聞いた話にはなるけれども、このガラスのインシュレーターは元々このグランドピアノに付属していたものらしいとのこと。そしてこの建物を管理している人たちは『ガラスの靴』って言っていた。


 パッと見て一番分かりやすい仕掛けは、その『ガラスの靴』であるが、他にも面白い機構が存在する。



「……この譜面台の両隣りにある板が、実は……」


「わっ!? 動く! 明菜、もしかして壊した?」


「いや、元々そういう構造なの! このエラールのピアノは100年前に出来たピアノだから。

 ……電気がまだまだ普及していないから、この板は燭台を上に置くためのもの、らしいよ」


「ひえー……時代が全然違う……」


 古いアップライトピアノなんかだともう燭台自体がピアノに付いているものもある。グランドピアノの場合は手元方向に可動式の台座を設置することが多く、これは譜面台に置いた楽譜を見るためのものだから譜面を照らせるように手前側に動くというわけだ。



 今目の前にあるピアノについて軽く触れた後に、私はこの木目調のエラールの側面を軽く撫でながら、銀髪少女にこう言い放つ。


「ひなのさん。

 ……弾いてみます?」




 *


 彼女の演奏スキルは、正直に言ってあまり向上していない。ただ弾ける楽曲数が少しずつ増えて拡充されているために、曲の難易度自体は入学時よりも難しい曲も弾いているように思える。まあ、全部ポップスなんだけど。


 ひなのさんの演奏の源流が、青森の実家に存在する貰い物の電子キーボードであることは既に知っている。また、指で弾いていることも知っていた。


 かの悪名高いハイフィンガー奏法……ですらない。そもそも指先の筋力がピアノ奏者程には発達していないように思えるので、ひなのさんの演奏には度々次の音が混ざる。指が上がり切っていないのだ。だからこそ、彼女の演奏は拙く聴こえる。



 しかし、私の手でそれを是正することは適わない。

 何故なら、ひなのさんがそれを望んでいないから。ピアノの演奏を『作業』にしたくないという彼女の意見を私は尊重しているからだ。



 でも、そんなひなのさんの演奏の突破口を私は1つ思いついた。

 そのきっかけは、トロッコ嵯峨駅でのジョン・ブロードウッド・アンド・サンズの85鍵アップライトピアノの演奏だ。


 あの時、音が混ざっていたのはダンパーペダルの効きによるところが大きかった。けれども、ひなのさん自身は第3音楽室のピアノよりも弾きやすいと言っていた。まあ、なんてことはない。彼女にとってキーボードの鍵盤の重さが普通なのだから、軽い鍵盤の方が弾きやすいというだけである。


 エラールのピアノのタッチ感は当時の水準だと重めの技術が使用されている一方で、現代の一般的なグランドピアノと比較すると基本的には鍵盤が軽やかと言われている。現代の鍵盤のアクション形式に通じるものが使われてはいれど、今の技術とは異なるからだ。

 ……が、ただどれも年代物なので正直、経年による癖の変わり方次第でもあるだろう。また整備の際に内部をいじったとしてもピアノ奏者の立場だと、弾き心地で体感は出来ても内部がどうなっているかまでは演奏しただけでは判断しかねる。


 だからこそ、ここにあるエラールの弾き心地がどうなっているのかは、正直運任せな部分も大きかった……が。



 しかし、ひなのさんの演奏でも分かることは。

 明らかに、音が違った。ペダルで音が濁りにくく、柔らかでありながらクリアでもある。



 ――ひなのさんの演奏が終わる。


「……ねえ、明菜。

 このピアノを私に弾かせるためだけに、今日の予定組んだでしょ?」


「……やっぱりバレるよね……」


「そりゃ、そうだよ。

 私でも第3音楽室のピアノと音色が違うって分かるもん、これ。

 ……ってことは、経験者の明菜からすれば相当でしょ?」


 ひなのさんは運指の問題上、音の強弱が極端だ。だからこそ、エラールに打鍵するにはちょっと不安になるくらい強く押し込むときもあれば、全然スッカスカなときもある。


「まあ、ね。

 で、弾きやすかった?」


「うん、多分今まで弾いたピアノの中では一番って言えるくらいには。

 でもピアノの音って種類があるんだね――」



 何度かピアノ個々によって音が変わることは伝えてきたつもりだったが、ここまで大きな変化を目の当たりにしたことで、ひなのさんの中でもそれが実感として抱けるようになったのだろう。


 これは、ここに存在する1922年製のエラールピアノだからこそで。

 しかし同時に、このピアノが『希少』で『価値』のあるピアノだからこそ気付けた……と言うのとはちょっと違う。


 そこにあるのは究極的には、奏者とアンティークピアノの相性。あるいは奏者自身がアンティークピアノに合わせられる技量があるか否か、ということ。そして、ひなのさんにとっては前者の相性が良かった、ただそれだけのことなのだ。


 そして相性の良し悪しは、決して値段やそのピアノの価値によって決まるものではない。



 ……そんな、お嬢様の世界が。

 ちょっとだけでも、ひなのさんに伝わっていたら良いな……なんて。




 *


「――明菜」


「……ひなのさん?」


 私としては、これでひとまず満足のいくものであった。けれどもひなのさんにとってはそうではないようで、彼女は複雑な表情を浮かべながら私に問いかける。


「このピアノは、明菜も初めて実物を目にしたって言っていたよね?」


「うん、そうだけど……」


「……それだけ貴重なピアノってことなら、さ。

 うん……明菜も弾きなよ」


「――っ!」



 ……いつか言われるとは思っていた。

 確かに私は今まで一度もひなのさんの目の前でピアノを弾いたことがない。だから、どこかのタイミングで私の演奏を聞きたいって話は出るのは当たり前だ。


 でも、それがまさか今になってとは思ってもみなかった。



 しかし。

 この銀髪少女の前で私が演奏をしないのには理由があった。



「……演奏を見せる、ということは。

 言葉で逐一指摘するよりも、時に雄弁に語るよ。……ひなのさんが『趣味』を『作業』にしたくない、と言うのなら。


 私は貴方の目の前でピアノを弾かないんじゃない。

 ――弾けないんだ」

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