第11話 きらめきの5割

 ――宿題が多い。


 どうして普段の学校生活のときよりも夏休みに入った後の方が、勉強面について憂鬱を覚えることが多いのかと私自身も甚だ疑問に思っているが、しかしてこの夏休みに課された宿題の量は、私にとって異常の一言であった。


 中学までの夏休みの宿題は、正直に言って7月中にポスターとか日記系の『大物』を除けば余裕で終わっていた。何というか真面目に予定を立てる必要すら無かったのだが、ぱっと見では『これ本当に終わるのか……?』という量の課題が出されている。


 問題集が50ページだか60ページだか、そのくらいの数こなす必要があるのは序の口で、80枚程度あるらしい先生自作のプリントの群生とか、ノートへの書き取りやら、細かいものなら文系・理系の選択について書かれている指定された電子書籍を読んで感想提出とかもあった。


 助かった点はあらゆる科目で出された課題を1枚のプリントにまとめて担任の先生から貰っていたこと。これが無ければ、最初に宿題を整理するだけで1日使うレベルの話だった。

 そして『◯◯を暗記してくる』みたいなゴールの見えない不毛な課題は存在せず、暗記系であっても、単語帳の指定されたページにある全単語をn回ずつノートに書き取りみたいな、単調作業であってもしっかりと終わりが見えるものであったのは大きい。


 何かを覚えてくる系のふんわり課題は、提出する代物が存在しないので最悪何もやらなくても良いという点は利点だが、しかしまず間違いなく夏休み明けに確認テストが待ち受けているという見えている地雷だ。

 しかもこれの本当に悪いところは、ちゃんと勉強したとしても先生視点で見える成果はその確認テストだけでしかなく、一生懸命頑張った過程が仮に存在しても本番のテストでやらかせば、夏休み中の一連の努力はすべて水泡に帰すし、その恐怖はこの暗記に時間をかければかける程に増幅する……という割と勉強した人間ほど得よりも心理的な負荷が多いものなのだ。



 そういう課題が存在しなかったという点が喜ぶべきところだが、しかし喜べないことに我々碧霞台女学園1年生は既に夏休み開始から既に1週間が経過しているのだ。つまり、あの夏季セミナーは私たちにとって地獄であったのみならず、宿題をやれる時間を減らしにくる遅効性の毒でもあったのである。


 この私史上前代未聞の難題に対して、私が導き出した解決策は、全ての課題を目安30分で終わりそうな量に分割し、それを1コマとして合計数を割り出して、毎週1日の完全オフの日&夏休み最後の1週間くらいを予定通りに進まなかったとき用に予備日として開ける余裕を持った課題割り振りを行った。

 その結果、勉強する日の1日平均勉強時間は4時間程度と見積もりが出たので、モチベーションの高い直近の週に10コマ程度入れて、徐々に終盤に行くにつれて課題量が減っていく夏休み課題予定編成を行った。なおこの作業だけで1日消費したのはご愛敬である。


 またこの立てた計画は、端から完璧にスケジュール通りに完遂することを考えておらず、別の予定が入ったなら速やかにその日やる予定だったものを別日に移動する前提に立っている。だから完全オフとか後ろに余裕があったりするのだ。



 ちなみにこの出来た予定表を自信満々にひなのさんに見せに行ったら、彼女は既にこの時点で数Ⅰの問題集を20ページくらい終わらせていた。


「……明菜と違って、私は計画立てるくらいなら手を動かす方が性にあってるし」


「だからと言って、1日ずっと同じ科目の問題集だけを延々と解き続けるのは辛くない?」


「それは……うーん、どうなんだろ。もう完全に『作業』って認識しているから、別に何も感じないんだよね」


 全く楽しくなさそうな表情で淡々と問題集を解き進めるひなのさんの動きは、確かに『作業』だった。趣味を作業にすることを嫌う自論を有する彼女だけれども、一度作業だと規定したものについては機械的にルーチンワークでこなせる面もある。こういうところが多分、私よりも成績が良い点に現れているのだろう。


 同じ科目の問題集を何時間も機械的にやるのは私にはちょっと無理だ。同じ時間だけ勉強することはできるかもしれないが、別の科目の課題も織り交ぜた方が私は多分効率的には良くなると思う。こういうところには彼女との違いがあるよね、うん。

 また、ひなのさんがこの作業を黙々と進められる理由の1つに、彼女が通信講座の答案採点アルバイトをしている、って部分もあるのだろう。

 特に採点ペースが異常に早いのだ。それでいて間違えたところに赤ペンで注釈を淹れる作業もこなれている。正答を見ながら正誤判断に要する時間の少なさと、間違った際のどこで間違ったのかの把握能力の高さ……この辺もひなのさんの学力を形成する副次的要因なのだろう。こればかりは、一朝一夕で真似できるものではなさそうだ。



 そんな様子を眺めていたら、完全作業モードであったひなのさんの表情が急に色彩を帯びる。


「それより、それよりー!

 明菜って、中学時代は吹奏楽部で指揮者やってたんだって? 全然、知らなかったんだけど! 言ってよ、もー」


「……ひなのさん、それどこで知ったの?」


 一応、4月のときの最初のクラスでの自己紹介で言った気がするが、クラスメイトにもあんまり深掘りはされていなかったやつだ。それが今になってひなのさんの耳に入るとは思わなかった。


「あのね、夏季セミナーで体調崩して布団で寝てて暇だったときに、スマホで明菜の名前を何となく入れたら出てきたの!

 びっくりしたよー、まさか中学で新聞デビュー果たしているなんて、ねえ」


「……名古屋のローカルの新聞だったけどね、確か。それに、ちっちゃいミニコラムみたいな記事だったでしょ?」


「でも、新聞にインタビュー記事が載るなんてすごいよ! それに、明菜って指揮とピアノだけじゃなくて、色々な楽器が出来るんだね」



 ……あれは確か、中学3年のときの支部大会の後に受けた取材だったっけ。吹コンのときは違ったので分からないが、アンコンや演奏会などのときに当日に奏者が風邪になって急遽欠席となることは数えるくらいだけどあった。

 そうした際に、別の楽器に代理で入ったことが何回かある。メジャーな楽器はともかくとして、元々数える程度しか学校で所有していない楽器だと補欠要員すら確保できなかったり、出来てもまだまだ実力的に大会に出すには厳しい1年生だったりする。そういうときに、私がサポートに入ることはあったのだ……特に、アンコンは指揮者が要らないので、最初から補欠要員として呼ばれたりしていたのだけれども。


 ただでさえ学生指揮者で悪目立ちしている上に、奏者人口の少ない楽器のサポートをやっているせいで更に目立っていたと思う。演奏技量的には正規のレギュラーと比較するまでもないけれど、しかしそうは言ってもやっぱり目立っていたのだろう、そういう関係で新聞取材を受ける羽目になっていたのだ。



「……というか、ひなのさんも部活で何かそういう経験ありそうじゃない?」


 ちょっと話を逸らすととともに、思えばひなのさんの中学の部活動のことを聞いたことが無かったので聞いてみる。というか受賞とかインタビューみたいなことは、この謎に多彩で才能に溢れている銀髪少女の方が経験ありそうだし、と思って尋ねてみれば予想通りながらも予想外の返しがきた。


「……あー、うん。

 一応、全国硬筆コンクールで奨励賞を取ったことがあって、それ関連で地元ローカルのテレビニュースで授賞式の映像が流れたことはあるけど……。でも数秒だけだからね! そんな大したことじゃ……」


「……というか、そもそも『硬筆』って?」


「一瞬、書道部に入ってたことがあったんだけど、どうしても筆が苦手で……。それでボールペンで応募できるコンクールがあって、それが『硬筆』ってやつ」


「……? あれ、でもそう言えば『七夕』のときは筆ペンを使ってたよね?」


「筆ペンは大丈夫なんだけど、筆はどうしても苦手でねえ……」


 確かに前々から字が上手だとは思っていたけれども、まさかボールペンのコンクールで入賞歴があるレベルだとは思わなかった。相変わらず変なところで才能開花している少女だ。


「……あと、書道部に入っていたの『一瞬』ってひなのさん言ったけど、もしかして他の部活にも入ってたり?」


「結構、転々としていたよ!

 最初はバドミントンやろう! って思ったんだけど、3日で『なんか違う』って辞めてね――」


 彼女の部活遍歴はバドミントンからスタートして。

 次に女子サッカー部、それを辞めた際に文字の上手さから書道部にスカウトされて先のコンクールの話があり。

 その後は、水泳部、美術部と渡り鳥のように巡った後に、最終的には生徒会の副会長になったので部活は辞めたとのことであった。書道と美術以外は出来ないことはあるけれども、出来ることは並くらいらしい。

 というか美術部もボールペンの才能でゴリ押していたらしいので、絵の『筆』の才能もボロボロとのこと。……ムラっ気が凄い。



「……でも、生徒会は何かそれっぽい感じがするね、ひなのさん。……特に副会長ってところも」


「あはは、ちょっと失礼だよー明菜っ! ま、確かに会長とか大変そうで面倒くさそうだなー……って思ってはいたけど、さ。

 でも、どれも長続きしたわけじゃないけど……楽しかったよ、正直」


「真新しいもの好き、と言うか、珍しいもの好きって感じだよね」


「うーん、自分では『知らないこと好き』って感じだと思ってるけどねっ!」



 『知らないこと好き』か。確かに、言われてみればそんな感じもする。

 世間でのメジャー・マイナーに関係なく、ひなのさん自身が知らないことについて、彼女は興味を抱く傾向がある……のかな? やっぱり、掴みどころがないというか、ふわふわしている感じだ。



「――あ、そうでした。

 ひなのさんは、夏休み中に帰省するの? ……というか、実家ってどこだったっけ?」


「そう言えば、言ってなかったっけ。……私は青森だよ。だから、帰省するのもお盆くらい……かなあ。

 明菜は結構頻繁に実家に行ってるんだっけ?」


「まあ、名古屋だからやろうと思えば日帰りで行けますし」


「いいなー、羨ましいなー」



 実は大体、月に1回くらいのペースで実家には帰っている。直近だと期末テストの結果が出揃って1学期の修了式が行われるまでの間の週末に、成績を見せる意味もあり帰った……その時は、まだ通信簿は貰っていなかったので、それは今度の帰省までお預けということにしている。


 一応、帰ろうと思えば夏休み中はいつでも帰れそうではあるが、でもまだ最後に帰ってから2週間くらいしか経っていないので、結局ひなのさんと同じお盆のタイミングになると思う……あ、新幹線のチケットは早めに予約しとこ。



 それも大事だが、ひなのさんって青森出身だったんだ。なんか、そんなイメージあんまり無い。


「ひなのさんの出身地ってどんなところ?」


「いやー、めっちゃ田舎だと思うよ? 他に観光で推すものが無いから、無限に太宰治を推しているような場所だし。

 名古屋とかいう大都会出身の明菜にとってみれば、考えられない世界かも、ね?」


「あー……名古屋は名古屋で広いから……。ちょっと都会な場所と郊外の差が激しいし、広すぎるせいで観光地がバラバラだから、ひなのさんのところとは逆の意味で観光しづらいと思うよ?」


「――となると、京都ってやっぱり強いねえ……って、あれ? なんでこんな話になったんだっけ?」


 お互いの出身地を一通りネガティブキャンペーンしたところで、ひなのさんが話を戻そうとしたので私も乗る。


「私がひなのさんの予定を聞いたからだね」


「そう言えばそうだった! ……で、『それ』を聞いてくる、ということはそういうこと・・・・・・を期待しちゃっていいのかなっ?」



 彼女の発言は、夏季セミナーのときに『いっぱい遊ぶ』約束をしていたために、きっとその履行を求めてのことだろう。ひなのさんは銀髪を揺らしながら、私が今日完成させた夏休みの宿題の計画表を見ながら、直近の完全オフにした日を指差して『この日なら私もオッケーだよっ!』って伝えてくる。

 しかし、私はストレートには……返さない。


「……大体、ひなのさんの想像通りだとは思うけど、ちょっと気付いたことがあったんだよね」


「……?」


「今まで、割と私の行きたい場所にばかりひなのさんを連れていたから。

 ……次は、ひなのさんが私のことを案内してよ?」



 そこまで私が告げると、ひなのさんはワインレッドの瞳を2度開いては閉じる。そして、はっ、と口を開いて何かを思いついたような様子になったと思えば、すぐ満面の笑み……見ていて全く飽きないくらいにころころと表情を変える。

 こういう魅力は、彼女の素なのか計算なのか分からないのが怖いところだなあ、と思っていたら、ひなのさんは勢いよくこう答えた。


「それならっ! 私の行きたいところ5割くらいの場所で良いのが浮かんだから、一緒に行こー!

 あ、当日は絶対、絶対、制服でお願いねっ!?」


「制服で……? というか、5割、なんだね」


「私の色が10割だと、明菜が楽しめるのか分かんないし――」




 *


 そして宿題に追われる日々をこなした1週間後のとある平日。お互いに制服を身に包んで『目的地』にやってくる。

 私が半そでの白地に校章入りのYシャツに、真紅と白のストライプのネクタイと夏用の黒のボーダースカートといった夏服完全体なのに対して、ひなのさんはそれに学校指定のアイボリーのふんわりとしたセーターを身に着けていた。そう言えば、季節関係なくひなのさんは頑なにセーター着用勢ってこだわりがある。


「――ここは……?

 見た目は何というか、そう――『学校』ですよね?」


 クリーム色の外壁は、大学のキャンパスのような意匠であるが、しかし建物の形状はどこか『小学校』のようであった。けれども、入口すぐにかき氷やソフトクリームの看板が出ているショップのようなものが存在しているので学校ではないだろう。



「『京都国際マンガミュージアム』!!

 世にも珍しい、漫画の博物館だよっ!」

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