第16話 チュスの予感
姫様への待遇は見違えるように良くなり、陛下との食事も、かなり距離を置いているとはいえ、朝、晩と共に取るようになっていた。
セレドニオ様の下で働く事で姫様は見事に汚職を炙り出し、その背後にいる人物にまで辿り着くことが出来た為、宰相は捕縛され、暗躍していたといわれる前王の弟は服毒自殺をしたという。
今までと違う展開だと姫様は言うけれど、姫様の表情は優れない。
いつでもアデルベルト国王は他の女性を愛し、お飾りとはいえ、れっきとした王妃である姫様は邪魔となる。正統なる王妃を排除するためには、冤罪であろうとなかろうと、罪を着せるのが一番簡単なやり方なのだと姫様は言う。
きっと、姫様は夫である陛下を信用しきれないのだろう。
「あああ・・もういや・・いや・・・」
夜の闇の中で、護衛として控える私の耳に、姫の呻くような声が聞こえてくる。
姫が陛下とリリアナ嬢の逢瀬をその目に映した時に、セレドニオ様に報告し、しばらくの間、姫を休ませてはくれないかと訴えた。
姫は陛下との離縁を望んでいる、そうして陛下の早期の再婚を望んでいる。
バレアレス王国の王妃の座を退いたとしても、今の姫様であれば行く場所はいくらでもある。亡命中である聖王陛下も姫様が戻ってくるのを待っている。
「殺すくらいなら解放してくれても何の罰も当たらないかと思うのです。最初にも言いました通り、姫様を死んだという事にして解放するのも一つの手である事を、どうぞ、お忘れなきようお願い申し上げます」
セレドニオ様は困り果てたような表情を浮かべていらしたが、姫様が仕事から離れられるように陛下に申し上げると言ってくださった。
ただ、簡単な手伝いだけを姫様は続ける事になったのだった。
「ドウラン様・・・チュス・ドウラン様・・・」
姫様が与えられた部屋は続き間となっており、応接間の隣が寝室となっている。その寝室の扉の前で私は控えていたのだが、奥の扉の方からランプを片手に入って来た侍女頭のマリアーナ様が、小さな声で私の名前を呼んだのだ。
思考の渦の底から浮上した私が顔を上げると、マリアーナ様の後に居る人物を目の当たりにして思わず絶句をしてしまった。
侍女頭の後に立つのはアデルベルト・バレアレス、この国の王であり、姫様の伴侶となる人物という事になる。
「陛下がセレスティーな様の元へ参られました」
「はっ?」
二人が夫婦である事は間違いなく事実であり、二人が夜を共にするとしても何の問題もないのは良くわかる。
だがしかし、婚姻の儀が行われた後、姫様は陛下に触られた事で泡を吹いて倒れ、全身に蕁麻疹が出るような発作を起こされたのだ。
その発作を引き起こす元凶が突然現れたとして、はいどうぞと言って姫様の元へ招き入れる事など出来るわけがない。
「王国の太陽、アデルベルト国王陛下に挨拶申し上げます」
小声ではあるが恭しく辞儀をしながら、
「姫様はなにぶん、ご気分が優れず、今もうなされているような状況でございまして・・」
本日のお渡りは難しいのではないかと御注進するこちらの言葉など待たずに、陛下はそっと扉を開け、滑り込むように部屋の中へと入っていく。
「殺さないで・・いや・・・死にたくない・・・死にたくない・・・」
扉を開けた事で、姫の悲痛な声がこちらの元へと届いてくる。姫様の元へと無遠慮に近づいていく王を止めようと、足を踏み入れようとした瞬間、侍女頭が強い力で私の腕を掴んできた。
そうしてこちらを一瞥もせずに耳を澄ますようにして中の様子を見ていると、
「セリ、大丈夫だよ、大丈夫、俺がここに居るから大丈夫だよ」
褥に入った様子の陛下の囁くような声が聞こえてくる。
「大丈夫、セリ、大丈夫だから」
眠りながら泣いていた姫の声が小さくなっていく。
夜の闇の中に沈む部屋の中で、陛下が姫に無体な事を行う様子はなく、ただ、頭を撫でながら大丈夫、大丈夫と言っている間に、姫のうめき声はなくなり、そのうちに寝息がこちらの方まで聞こえてきた。
静かに扉を閉めたマリアーナ様は、ホッと小さなため息を吐き出すと、
「ドウラン様、貴女はこちらに来てからというもの、まともに寝ていないという事は知っています」
と言って、澄んだ眼差しで私を見上げてきた。
私は以前の侍女頭という人は遠目でしか見た事がないのだが、新しくこの職分に就いたこの人が信用に値する人であるという事は十分に理解をしていた。
本来なら、陛下が部屋に入ってからすぐに扉を閉めるべきであったのに、しばらくの間、中の様子を私自身に見せてくれたのだ。
「今日こそ、貴女に与えられた寝室を使ってください。朝まで私がこちらに控えておりますし、外には護衛の兵士もおりますので、セレスティーナ様の安全は私が保証致します」
「・・はい」
扉の向こう側からは何の音も聞こえない、これほど姫様が落ち着いた状態で眠れたのはいつぶりの事になるだろうか?
「セレスティーナ様はもちろんの事、貴女にも、休息は必要なのです」
「そうですね・・」
「ではドウラン様、明朝にまたお会い致しましょう」
侍女頭様に見送られる形で部屋を出た私は大きなあくびを一つした。
本来なら危機感を抱くべきなのだろうが、部屋に滑り込む陛下の姿を見た私は、何か違った形で姫様が語る物語が進み出しているような予感を感じたのだった。
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