六話
遠くの空を染める夕焼けが、宿場町も赤く染めていた。建物も歩く人々も、燃えるような太陽の赤に染まり、地面に濃い影を作り出している。そんな夕暮れの人波の中をカインツ達一行は歩いていた。
「今日は暇だったな」
「ああ。何にもしなかった気がする」
「いいことじゃないか。聖地の平和が保たれてるってことだろう」
「それはそうだけど、平和すぎるってのも張り合いがないって言うか……」
「聞き捨てならないなあ。お前はもっと犯罪が起こればいいとでも思ってるのか?」
「そんなわけあるか。誰が犯罪を歓迎してるって言った」
「お前、よく見ると悪人顔だし、そっち側でもおかしくないかなって」
「おい、自分の顔を棚に上げて、よく言えるもんだな、え?」
「うわっ、やめろ!」
後ろでふざけ合う部下達の声を背中で聞きながら、カインツは宿場町の様子を眺めつつ歩いていた。夕刻になり、今日の任務はもう終わっていたが、日々巡回している癖なのか、天幕に着く最後まで辺りに異変はないかと目を光らせ続けていた。
人通りは昼間に比べれば、やや少なくなってはいるが、それでもまだ多くの人の姿があった。夜になると買い物客が減る分、飲みに出てくる人が多くなり、夕食時になればその客も加わって宿場町は再びにぎやかな時間を迎える。あちこちにある酒場には、カインツ達のように仕事を終えた騎士が早くも飲み始めている姿があったが、カインツ一行はそんな酒場を素通りしていく。皆、飲みたい気持ちはやまやまだったが、食費節約のため、今日は飲まないことに決めていたのだ。さっさと歩いていくカインツの後ろを、部下達は酒場に引き寄せられる気持ちを抑えて進んでいく。
「……そういえばクルトは、もう酒を飲めるようになったのか?」
「俺は、まだ……」
言葉少なに答えたクルトの、その表情はなぜか暗かった。
「クルト、体の調子でも悪いのか? 今日は朝からやけに静かだぞ」
これにクルトは視線を上げて、わずかに笑みを見せた。
「違うんです。少し、心配事があって……」
「心配事? 何だ、話してみろよ」
「はあ……実は、今朝、母親から手紙が届いて、叔父の……偽者が現れたと知らせがあったんです」
「ほお、そりゃ大変だな」
「俺の父親は早くに死んで、叔父はそれから父親代わりになってくれて、すごく世話になっているんです。偽者が現れたことで、周りから変な目で見られたり、誤解をされていなければいいんですけど……」
不安そうに眉根を寄せたクルトは、小さな溜息を吐いた。
「偽者が現れたくらいで、今時変な目で見るやつなんかいないだろう」
「そう、ですか?」
「そうだよ。隊長もそう思いますよね」
背中越しに聞かれ、カインツは歩きながらうなずいた。
「そんな心配は必要ない。偽者は捕まったのだろう?」
「はい。町の司祭様に判断してもらうと書いてありました」
「それなら大丈夫だ。叔父さんはすぐに元の生活に戻れるさ」
「クルトは心配性なのか? 平気だよ。そういうことは任務で何度も見てきてるだろう」
先輩に肩を叩かれたクルトは少し安心できたのか、ようやく笑顔を浮かべた。
「……偽者って言えば、こんな噂、知ってるか?」
ヘルベルトはおもむろに言った。
「この国のどこかに、偽者だけが住む村があるって話だ」
「聞いたことないぞ」
「俺もだ。何だよそれ」
「いかにも眉唾って感じだな……隊長は聞いたことありますか?」
「いや、ないな。どこで仕入れた噂だ?」
「どこというか、大分前に広まっていた噂ですよ」
「俺達は知らないぞ。広まってたって言っても、お前の近所だけらしいな」
「どうせ子供なんかの作り話だろう。考えてもみろ。そんなに偽者が集まってるのに、俺達騎士が見つけられないわけないだろう」
「だから、偽者だけが住む村なんだって。顔を比べる当人がいないから、その村に立ち寄っても、住人が偽者とは誰も気付かない。だから騎士も見つけられないってことだよ」
「ふーん……で、ヘルベルト、お前はそれを信じてるのか?」
「まあ、あり得なくはないと思うけど」
「本気で言ってるのか? しっかりしろよ」
同僚達は笑い出す。
「可能性はある話だぞ。隊長もそう思いますよね」
聞かれたカインツはしばし考えてから答えた。
「……私は、話半分に聞いておくべきだと思うがな」
「そんな……隊長ならあり得ると言ってくれるかと……」
がっかりするヘルベルトを、同僚達が笑いながら慰めていた時だった。
そろそろ自分達の天幕が見えてくるところで、その道の先がなぜか人で込み合っていた。しかも何人もの大声が響き、場は騒然となっている。通行人は皆顔をしかめ、いかにも迷惑そうに通り過ぎていく。何かが起こっているのは間違いなかった。
「……何でしょうか」
ヘルベルトは険しい表情に変わり、呟く。
「行ってみるぞ」
カインツの声に部下達は続く。夕焼けも闇に溶け始め、行き交う黒い人影を縫いながら騒がしい先へと進んでいくと、そこには大声を張り上げる男女の集団があった。
「偽者は悪魔じゃない!」
「私達の仲間を殺すな!」
「騎士団は人殺しの集まりだ!」
拳を振り上げ、揃って叫ぶ集団の視線は、山の頂上に悠然と建つ神殿へ向けられていた。
「異端者共か、まったく……」
騒がしさの原因を知り、カインツは思わず溜息を漏らした。
多くの人々は長い歴史の中で変わらず双神を崇拝し、その教えに従ってきたが、偽者という存在が現れると、修道会とは違う考えを持つ者も現れた。それが異端者だ。彼らの主張は、偽者は悪魔などではなく、自分達と同じ人間であり、それを排除と言って殺す騎士こそが悪だとしている。こういった活動は今に始まったことではなく、歴史をさかのぼった各時代に少数ながら必ずいて、それは現代でも続いていた。
聖地の警備任務に何度もついているカインツは、異端者集団のことはもちろん知っていたが、彼らは神出鬼没で、騎士の姿がない隙を狙っては、こうして示威行動を起こし、そしてすぐに散っていくというのがお決まりだった。その考えられた素早い動きから、騎士としては捕まえるのに苦労する相手だった。
「あれが異端者……初めて見ました」
クルトは声を上げる集団をまじまじと見ながら言った。
「神殿を正面に見据えて叫ぶとは、なかなかいい度胸じゃないか」
ヘルベルトはそう言いながら異端者達を睨み付けた。その間も集団は、偽者を殺すなと繰り返し叫び続けている。そんな光景に、カインツは先ほど聞いた噂についてふと思った。話半分に聞くべきだと思ったが、偽者を擁護する異端者なら、本気でそんな村を作るかも……いや、作っているかもしれない――男女が声の限りに叫ぶ姿を見て、何となくそう思うのだった。
「隊長、早く捕まえないんですか?」
急かすクルトにカインツは緩く首を横に振った。
「こちらの存在はまだ気付かれていない。やつらは騎士を見つけた時、蜘蛛の子を散らすように逃げる。それを考慮して今の内に――」
「騎士が来たぞ!」
突然の声に、えっ、と視線を戻した時には、異端者達は通行人や野次馬を退け、散り散りに逃げ始めていた。カインツは慌てて捕まえろと指示するが、逃げ足の速い異端者に触れることさえできず、結局全員を取り逃がしてしまった。
「くそ……目の前だったのに。何で急にこっちの存在がばれたんでしょうか」
「……いや、騎士はこちらのことではなかったのかもしれない」
悔しがるヘルベルトに、カインツは集団のいた向こう側を示した。そこには、腰の剣を揺らして駆け足でやってくる騎士達の姿があった。
「異端者はどこだ……知らせはここで合っているのか?」
すでに逃げられた場にやってきた隊長と思われる男は、辺りをきょろきょろ見回しながら部下に確認する。
「残念ですが、やつらはもう逃げてしまいましたよ」
そう言って近付いてきたカインツに、遅れてきた隊長はきょとんとした目を向けた。
「逃げた? ……あ、そう、なのか……」
広い額をぽりぽりかきながら、隊長は気まずそうに周囲を見回す。
「異端者共は騎士の姿に敏感ですから、身を隠しながら来るべきでしたね」
カインツの指摘に、隊長はじろりと視線を向けた。
「……失礼だが、そちらは?」
「申し遅れました。私はバロッサ南西地区隊長カインツと申します」
「バロッサか……。私はメルーゾン北地区隊長ロテックだ」
「ああ、メルーゾンの方でしたか。バロッサとは近い町ですね」
「そうだな……ところで、そちらはなぜ異端者を捕まえなかったのだ」
「それは、ですから騎士の姿を――」
「こちらが到着する前に、君達は来ていたのだろう? そこでなぜ捕まえなかったのだ!」
ロテックは部下や通行人の前にもかかわらず、必要以上に声を荒らげる。
「まったく、たるんだ仕事をされると、同じ騎士であるこちらも迷惑だ。こんなことは二度とないようにしてもらいたい」
カインツは呆気に取られ、言葉をなくしていた。異端者を逃がしたのが、まるでカインツ達のように言い換え、自分達の過失ではないことにしようとしている。これに、後ろで控えていたヘルベルトはたまらず口を開いた。
「待ってください。それは違い――」
だが、言葉はすぐにカインツの片手で制されてしまう。
「隊長……」
不服な表情を見せるヘルベルトを、カインツは冷静な眼差しでいちべつし、言った。
「確かに、こちらも至りませんでした。以後、気を付けたいと思います」
「本当に……頼むぞ」
ふんっと鼻を鳴らし、ロテックはカインツ達を勝ち誇ったように睨み回した。
「隊長、なぜ大人しく聞くんですか」
不満もあらわに、ヘルベルトが小声で聞いた。
「聖地で、しかも騎士同士で険悪になることに意味はない」
「だからって、我々が過失をかぶることは……」
「ずるい者は、いずれそれ相応の報いを受けるさ。そんな者といつまでも関わっていたいか?」
カインツはヘルベルトに口の端で笑いかけた。
「……隊長が、そう言うのであれば……」
納得はしていないようだったが、ヘルベルトは渋々引き下がっていった。
「それでは、我々はこれで――」
「あの、隊長……」
去ろうとしたカインツの声に重なって、ロテックの部下の一人が道の向こうから駆けてきた。
「ん? どうした」
「先ほど、このお手紙を渡し忘れてしまったもので……」
「手紙? わざわざ持って来るな。天幕に置いておけ」
「し、しかし、ご家族からのお手紙のようなので、すぐにお渡ししたほうがいいかと」
「何、見せろ」
差し出された手紙を奪い取ると、ロテックはすぐさま封を開け、読み始めた。そして、その表情を見る見る険しく変えていく。
「……どうかされたのですか?」
その様子を気にしたカインツが聞くと、ロテックは動揺を隠しながら言った。
「いや……ただの、偽者が現れたという知らせだ……」
強張った表情と口振りから、ただの偽者ではないことは誰にも明白だった。
「もしかして、ご家族の偽者が現れたわけでは……」
強い動揺を見て、近親者の偽者と思ったカインツだったが、何も言わないロテックの様子から、どうやら当たったのだとわかった。
「それ相応の報いってやつですかね」
後ろでヘルベルトがぼそりと呟いたのを、しっ、とカインツは黙らせた。
「お気持ち、お察しします。ご心配でしょうが……お互い、任務を果たしましょう。では、失礼します」
会釈し、カインツ一行はロテックの横を通り過ぎ、歩き去った。
「……あー、あいつがよその隊長でよかった」
「まったくだ。あんなやつにこき使われたくないな」
「隊長の言う通りでしたね。きっと悪魔は自分と同じ臭いを感じて現れたんだ」
「言えてるな。そうに違いない」
天幕へ向かいながら、部下達は気味よさそうに笑っていた。
「お前達、偽者はそういうものではないだろう。いつ、誰にも起こり得るものだ。行いの悪さで現れるものではない」
「わかってますけど……やっぱりあれは報いとしか思えませんよ」
「あんなの、神に仕える騎士として、風上にも置けないやつだ」
「神はご覧になっているんだなあ」
まるで神からの罰だと決めて話す部下達に、カインツは呆れた溜息を吐くしかなかった。相いれない神と悪魔なのに、神がその悪魔を使って人間に罰を与えるわけはないのだ。神に仕える身という自覚があるなら、もう少し勉強させる必要があるなと考えるカインツだった。
日はすっかり暮れて、明るい宿場町を抜けた先には、無数の天幕に明かりがともった、まるで地上の天の川のような景色が広がっている。だがその美しさの中では、剣をたずさえた男達が休み、眠っている。志を胸に、あるいは故郷の家族へ思いを馳せ……。自分の天幕を目指しながら、カインツは手紙を読んでいたロテックの姿を思い出していた。偽者は前触れもなく、誰の前にも現れ得る。もしもロテックの立場に自分がなったら、もしも家族の、カタリナの偽者が現れたとしたら、自分は一体どうするだろうか。任務として冷静に排除できるのか、それともロテックのように、動揺してしまうだろうか――そんな他愛ない想像は、カインツの心の片隅に、見えない小さな不安を残すのだった。
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