第七話③『忠実な執事』



「お嬢様は平尾様とのご連絡で和泉様とご友人になられた事をお知りになられました。その際のお嬢様はとても嬉しそうで、大変喜んでおられたのです。わたくしはあの方に仕える従者として彼女の笑顔を守りたく思います」

 兜悟朗が嘘をついているとは思えない。彼の人柄もまだ信用し切るには時間が足りていなかったが、彼の形南に対する忠誠心だけは本物であると疑いようのない確信が既に生まれていた。それゆえ彼が敬愛してやまない形南の性格を、侮辱とも取れる偽りの言葉で他者へ口外するとは思えなかったのだ。

 嶺歌は形南の事を考えた。彼女がお人好しなお嬢様である事は分かっていたが、今回の話を聞くとそのお人好しな印象は更に増していた。お人好しというより、友人思いと言うべきだろうか。

 自分に出来るだろうか。例えば嶺歌には今心から好きな人がいたとして、その相手と自分の友人を仲良くさせる。それを想像するとその先に自身がどのような感情に苛まれるのかは、恋愛を経験していなくとも予想ができた。

(あれなも可能性がある事はわかってるんだ。それでも……)

 そうだとしても彼女が望むのならこれ以上悩む必要はないと、そう感じた。嶺歌は顔を上げて未だに柔らかな姿勢でこちらに向き合う兜悟朗に言葉を告げる。

「あれなの気持ちはよくわかりました。あの子がいいって言うなら……あたしも今後は気にするのを止めます」

 勿論平尾と意図的に接触を図ったり、気を持たせそうな言動をしないよう一層注意する腹積りだ。だが形南が友人として仲良くしてほしいと願うのなら、それで彼女が喜ぶのなら平尾との友人関係を肯定的に捉えたい。そう思うように考え方が変わり始めていた。

「有難う御座います。お嬢様も喜ばれます」

 兜悟朗は心から微笑んでいるのであろう穏やかな笑みを嶺歌に向け、突然立ち上がったかと思えば胸元に手を添え一礼した。嶺歌は彼の丁重な感謝の印に驚き戸惑いながらも、口を挟む事はせずそれを受け入れる。この感謝を否定することだけはしたくない。そう思ったのだ。



 兜悟朗との話が終わり、二人は喫茶店を後にする。宣言通りに嶺歌の分まで会計を持ってくれる兜悟朗に嶺歌は深く頭を下げて感謝の言葉を口にした。兜悟朗は「わたくしがお誘いした立場ですから当然の事で御座います。どうか、お気になさらず」と律儀な回答をしてくる。嶺歌はそんな彼の言動に温かな気持ちを抱きながら自宅に到着した。彼は最後まで丁重に嶺歌をマンションの前まで送ってくれていた。喫茶店からは一分とかからない距離であるためあのまま喫茶店で解散をしても良かったというのに、本当に律儀な方だ。そう思い、マンションの入口前で彼に身体を向けると改めてお礼の言葉を口に出す。

 そうしてそのまま扉に入ろうとした所で「先日、お嬢様が恋仲にと仰られていた件に関してですが」と背後から彼の声が降りかかってきた。嶺歌はその事を話題にされるとは思わず、咄嗟に振り返る。兜悟朗は嶺歌から少し離れた場所で言葉を放っていた。

「どうかお気になさらず願います。お嬢様は和泉様とわたくしを慮ったばかりにあのような話を口にされましたがあのお方に他意は御座いません。ですが和泉様には当然ながらお選びになる権利が御座います。ですからそちらの件に関してはご自分の意思を大事になさっていただければと思います」

 兜悟朗は形南の事を尊重した上で、彼女の言った事は気にせず嶺歌は嶺歌の好きな恋愛をしてほしいとそう言葉にしている。彼のその予想外の気遣いの言葉に嶺歌は気持ちが軽くなる思いを感じた。そしてその兜悟朗の心遣いが嬉しいと、無意識にそう思った。

「お気遣いありがとうございます。大丈夫です。あれなも強要してるわけじゃないって事は分かってますので」

 そう言って苦笑いを溢す。兜悟朗とはあの形南の言葉以来、顔を合わせる事を多少なり躊躇っていたのは事実だ。しかし形南も兜悟朗も誰にも非はない。それはよく理解していた。嶺歌は「だから執事さんも気にしないで下さい」と言葉を付け加えると彼は優しげに口角を上げて微笑み、お辞儀をしてきた。

「思慮深い御心、感謝申し上げます」

 兜悟朗はそう言うともうだけ丁寧に一礼してからマンションを後にする。今の今まで気づかなかったが、彼はいつものリムジンではなく徒歩でここまできたようだった。形南の家までどのくらいの距離なのかは分からないが彼が車を利用しなかった事に不思議だ。嶺歌はそのまま立ち去っていく彼の姿が見えなくなるまで目で追っていると数秒と経たない内に兜悟朗の姿は見えなくなっていった。




第七話③『忠実な執事』終


     next→第八話(3月31日更新予定です)

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