第15話・あらためて原子って

15・あらためて原子って


地球のような原子核の周りを、月のような電子がぐるぐる・・・という古典的な原子モデルは捨て去るときがきたようだ。


最新の知見による原子の実像は、構造も、構成の比率も、イメージをはるかに超えるものだ。


まず原子核からして、実体を持つ物質という概念とはかけ離れた、「エネルギーの震えが集中してる空っぽのエリア」にすぎないんだった。


だけど、そのエリアが持つ+電荷に引かれて、−電荷エネルギーの固まりである電子がやってくる。


そして周囲に展開するわけだけど、その相対比スケールときたら。


例えば、水素原子核である陽子を東京ドームのマウンド上に置かれたパチンコ玉とすると、「その周囲を回る」とされる電子は、なんとはるかドーム屋根ほどもの距離をかすみのようにさまよう希ガス、という構成になる。


原子核がパチンコ玉の大きさだとしたら、原子全体は水道橋のこの区画一帯ほどもの直径を持つ※1、なんて驚くべきオーダーだよ。


しかも電子は、ぐるぐる回ってるわけじゃなく、無数に分身して散開する「たまに位置を持つ波」なので、原子の姿は量子力学ではたびたび「雲」と表現される。


この広大な軌道上を、電子は実体で飛び回ってるわけじゃなく、例の「あそこにもここにもそこにも同時にいて」「そこには確率の波があるきりで」「観測されて姿を現すまでは位置を持たない」という波動関数で存在してるにすぎない。


そしてそれは、原子核の中のクォークも同様だ。


素粒子がそうした茫洋とした存在である以上、原子には姿かたちなんてどこにもない!という当然の結実が待つ。


原子の中身が、これほどまでにスッカスカ・・・というか、まるきり空っぽだったとは!


これをはたして「物質の最小単位のつぶ」と言っていいものなのかどうか?


というよりも、いったい「物質」ってなんなんだろう?


この世界に「在る」とされるものの、確たる手応え、硬く感じる感触の、その中身って・・・?


つづく


※1 原子の大きさは、電子の周回径で表される。

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