3-1

〝堕天使〟ことティア=ファーレルは、落ち着きがない様子でキョロキョロと周囲を見ながら、街中をうろついていた。その表情は緊張で強張っており、まるで初めておつかいに出た子供のようである。

 だが、そうなってしまうのも無理はない。エルディなしで街に出るのは初めてで、ティアにとってはまさしく今日が初めてのおつかいに他ならないのだ。

 今日もエルディは剣術指南の仕事で忙しく、夕方まで家に戻らない。本来剣術指南の依頼がある日はティアもカフェ〝ユイマール〟でアルバイトすることになっているのだが、本日〝ユイマール〟は定休日。仕事がないのだ。そこで、ティアはふと用事を思いつき、ブラウニーに留守番を頼んで街へと出た。

 ちなみに、街での生活もある程度慣れてきたので、エルディからも自由に外出しても良いと言われている。もちろん、知らない人には付いて行かない、という条件付きではあるが。

 彼に余計な心配を掛けたくないので基本的には無用な外出は控えるつもりであるが、今日の用事──買い物──はできればひとりで行きたかった。


(でも、どうしましょう……? ひとりで買い物なんてしたことがありませんし、お店に入って変に思われないでしょうか? えっと、お買い物をする時は商品を持って店員さんにお金を支払って……で良いんですよね?)


 市場の入り口に着いたあたりで立ち止まり、ティアはひとり思い悩む。

 買い物をする際、いつもエルディが隣にいた。その工程を横で見ていたので、間違えていないはずであるが、いざ本番となると緊張してしまう。自分が困るだけなら飛んで逃げてしまえば良いのだが、ティアはもうリントリムの民としての地位がある。当然、ティアがやらかしてしまえば、迷惑を被るのはエルディである。彼を困らせたくはなかった。


「あら、ティアちゃん?」


 そうして市場の入り口でうんうん唸ること数分、ふと後ろから声を掛けられた。振り向くと、そこには赤髪の巻き髪が特徴的なギルド受付嬢・アリア=ガーネットの姿。制服姿なところを見ると、今はお昼休みだろうか。


「アリアさん。こんにちは」


 ティアは丁寧にお辞儀をすると、にっこりと親しみを込めた笑みを浮かべた。

 ティアたちがリントリムで何の不自由もなく暮らせているのは、ほとんどアリアの御蔭と言っても過言ではない。仕事を優先的に回してくれるし──エルディはいつも文句ばかり言っているが──家を買うための融資のためにギルドマスターに掛け合ってくれた。また、ティアが人としての戸籍を手に入れられるようにニンベン師も紹介してくれたのである。ティアにとっては、アリアはエルディの次に信用できる人間であると言っても過言ではない。


「こんにちは、ティアちゃん。今日はひとりなの?」

「はい。エルディ様は剣術指南のお仕事で、〝ユイマール〟もお休みなので」

「あー、そうだったわね。コンフォール伯爵からの依頼はエルディくんご指名だから、もう継続依頼にしようかと思ってるのよね。彼は嫌がりそうだけど」


 アリアは悪戯っぽく笑うと、ティアもそれに釣られて笑った。

 エルディは大体どんな依頼でも文句を言っているイメージだが、その中でもコンフォール伯爵からの剣術指南の依頼は特に文句が多い。というか、本当に嫌なのだろう。教える相手が伯爵の息子だと、変に気を遣わないといけない側面が多く、また子供も平民を少々下に見ている節もあるので、ふとした言動に苛立ちを感じることがあるらしい。依頼人の手前𠮟りつけることもできず、イライラを募らせているそうだ。それでも依頼を断らないところが彼らしいと言えば、彼らしいのだけれど。


「それで、こんなとことでどうしたの? 入口でうろうろしてたら目立つわよ? ただでさえ目立つ髪色してるんだから」

「えっ? あっ……」


 そこでふと周囲を見回し、周りにいた人々の視線を集めていたことに気付く。

 そうだった。エルディ曰く、この地域で銀髪は大変珍しいらしいのだ。


(やってしまいました……)


 ティアは赤面する顔を隠すように、俯いた。

 市場でちゃんと買い物ができるかどうか悩んでいただけだったのだが、周囲から見れば変わった髪色の女がうろうろしているだけだ。変に思われて当然だったかもしれない。


(あっ。アリアさんなら相談に乗ってくれるかも……?)


 そこで、ふとその思考に思い至る。エルディにはちょっと相談しにくい事柄なのであるが、アリアならば相談できる。むしろ、相談に乗ってほしいくらいだった。ティアは勇気を出して、訊いた。


「あの、アリアさん。今ってお時間ありますか?」

「時間? ええ、お昼休みだから、あと一時間くらいなら平気よ」

「よかったです。少し相談したいことがありまして……」

「あたしに? あら、何かしら? まさか、ティアちゃんから相談されるなんて思わなかったから、嬉しいわ」


 アリアは本当に嬉しいのか、意外そうな顔をした後にすぐにその表情を綻ばせた。


「せっかくのお昼休みにすみません。ちょっと、エルディ様には相談しにくくて……」

「全然いいわよ! 気にしないで。じゃあどうせだし、これから一緒にランチに行きましょうよ。あそこのランチメニュー、安くて美味しいのよ」


 彼女は親指で後ろのレストランを指差して、片目を瞑って見せた。まるで友人を誘うかのような振舞いに、ティアは心がぽわっと暖かくなるのを感じた。

 ちゃんと人として振舞えているだろうか。物質界に馴染めているだろうか。そう不安を感じる時もあるのだけれど、アリアはそんな不安を取り沿いてくれる。 

 ティアは元気いっぱいの笑顔を浮かべ、もちろんこう答えた。


「はい、ぜひ!」

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