2-3

 エルディとアリアが席に案内してもらえたのは、それから暫く経ってからのことだった。ちょうど空いていたのか、ティアが手配してくれたのかはわからないが、一番奥の、少し広めの席に案内してもらえた。

 あれだけガラガラだったカフェが女給をひとり雇うだけでここまで集客できるとは思っていなかったのだろう。店主の婆が今にも零れ落ちそうな笑みを浮かべてシュークリームやらをせっせと作っている。

 ティアは店主婆の作ったシュークリームや淹れた茶をせっせとお客に運んでいく。


「いらっしゃいませ、エルディ様! ご注文は何になさいますか?」


 席まで案内するや否や、ティアがすぐにエルディたちのところにやってきた。

 ちなみに、今二~三人の呼び掛けを無視してエルディのところに来た。ティアからすれば無視した感覚すらなくエルディのところへ一直線に来ただけ、という感じなのだろうが、それはダメだろう。ほら、またハゲのおっさんがこっちを睨んでるし……。

 だが、エルディを見つけて一直線に来る様は飼い主のところに走ってくる犬っころのようで、思わず頬が緩みそうになる。


「あー……紅茶二つとシュークリーム十個」


 他の客の手前ここに拘束するわけにもいかないので、エルディはささっと注文する。

 エルディの注文にアリアが嫌そうな顔をしたのが見えた気がしたが、もちろん無視だ。奢りというのは既に同意を得ている。


「十個も食べるんですか? それではお夕飯が食べられなくなってしまいます」

「違う違う、そのうちのいくつかはお前の為に持ち帰るつもりなんだ。もともとそのつもりでここに寄ったからな」

「エルディ様……!」


 エルディの言葉にティアが一瞬嬉しそうに顔を輝かせたが、すぐさまにはっとして視線を落とす。


「あの……気持ちは嬉しいのですけど、私に貴重なお金を使うのは」


 もったいないです、とティアが申し訳なさそうに付け足した。

 やはり、彼女はお金というものでエルディにかなり遠慮してしまっているらしい。

 こうして遠慮をされたら、何のために貴族のガキの稽古などの依頼を引き受けているのかわからなくなる。


「安心しろ。今日の会計はアリアさん持ちだ」


 エルディは呵々として笑うと、アリアを親指で差してやる。

 物凄く嫌そうな顔をしているが、気付かないふりをしておいた。


「あ、そうなんですね! それなら良かったですっ。では、ご注文すぐにお持ち致しますね」


 ティアが本当に安堵した笑みを浮かべ──当然の如く嫌そうな顔をしているアリアには目もくれず──そのままぱたぱたと仕事に戻って行った。


「……私は全然安心じゃないんだけどね」

「何か言ったか?」

「何でもないわよ……」


 アリアは諦めた様子で首を横に振った。

 相談もなくパーティーメンバーを勝手に動員したのだ。これくらいはやってもらわなければ困る。

 ティアから茶とシュークリームが運ばれてきてからは、彼女の働きっぷりを眺めていた。

 初めてする接客業なのにも関わらず、彼女はその気配りの良さからしっかりと対応しており、浮世離れした容姿から放たれる天使の笑顔と明るく愛らしい声で客の心を掴んでいる。大したものだ。


「別に、ただ〝ベルベットキス〟に依頼を任せたくて言ったわけじゃないのよ?」


 アリアも同じくティアの仕事ぶりを見て言った。


「あの子って色々世間知らずでしょ? まあ、堕天使だからそれも当然なんだけど。ただ、過保護にしてたって人間社会に馴染めるわけじゃないもの。こうやって人と直に接する仕事にチャレンジしてみる方が、社会については学べるじゃない?」

「まあ、それはそうなんだけどさ……もしもってことがあるだろ、もしもってことが」

「あなたはあの子を信用しなさ過ぎよ。もうあなたと一緒に行動するようになって結構経つでしょ? やっていいことと悪いことの区別くらいわかってるでしょ」

「だといいけどな」


 せっせと品を運ぶティアを眺めつつ、小さく息を吐く。

 確かに、こうして見てみるとよく働いている。老若男女分け隔てなく接していて、しっかりと接客もできていた。おそらく、日常的にエルディと行動をともにすることで、人々の動きを見て彼女なりに学んでいたのだろう。

 知らないところで、随分と成長しているのかもしれない。


「それで? まだあの子とてないの?」

「……あのな。だから、そういう関係じゃないって言ってんだろう」

「あら、せっかく必殺技を伝授したのに。あの子、使わなかったの?」

「必殺技?」

「『お風呂にする? 食事にする? それとも、わ・た・し?』ってやつ。やらなかった?」


 やっぱりこれもアリアが犯人だったか。本当に余計なことばかり吹き込む。


「あのな、意味もわかってない奴に変なことばかり吹き込まないでくれ。しかも、間違えて『お風呂に入りながらお食事とか?』って言ってたぞ」

「何でそうなるのよ」

「知るかよ。『それとも、わ・た・し?』の意味がわからなかったからじゃないか?」

「そこかぁ~……」


 アリアが残念そうにくっと崩れた。こちらもあまりの残念な言い回しに崩れたので気持ちはわかる。

 ただ、ティアは男女の生殖行為に関する知識がおそらくない。それにも関わらず、誘惑の台詞だけを教えても意味がない。ただただエルディが困惑するだけである。アリア的には、それはそれで面白い、という感覚なのだろうが。


「ん~、なかなか上手くいかないものねぇ。どうすればヘタレのエルディくんが狼になるのか、色々私も考えてるんだけど」

「本人を前にしてヘタレって言うのやめろ」

「違うの?」

「違わないけど!」


 いちいち腹が立つ言い方だ。だから、本当にヘタレをやめさせたいなら男女の知識を教えてやってくれと言いたい。それを知ってからでないと、到底手を出す気持ちにはなれない。


「あのなぁ、アリアさん。俺たちは別に、すぐにそういう仲になりたいわけじゃないんだ。ティアの気持ちもわからないのに──」

「私? 私がどうかしましたか?」


 アリアに説教をくれてやろうと思ったら、タイミング悪くティアがシュークリームと紅茶を運んできた。アリアは腹を抱えてくっくと笑っている。いっぺん引っ叩いてやろうか、このアマ。


「い、いや……ティアがこんなに接客を上手くできるなんて知らなかったって話してただけだよ」

「ほんとですか!? 私、ちゃんとできてますか!?」

「お、おう」

「やったっ! 私、これからもお仕事頑張りますねっ」


 ティアはエルディの適当な言い訳に声を弾ませて頷くと、テーブルの上にシュークリームと紅茶を置いて、ルンルンと鼻歌を歌いながら業務へと戻っていった。


「幸せそうねー、ティアちゃん」

「そうか? あいつはいつもあんなんだぞ」

「それだけ、今の生活を楽しめてるってことよ。家を買った甲斐あったわね」

「……まあ、それなら良いんだけどな」


 少し恥ずかしくなって、アリアから視線を逸らす。喉の奥でくっくと笑う彼女が視界の片隅で見えた気がしたが、無視してやった。

 それから彼女の仕事が終わるまで、ぼんやりとカフェの隅っこで過ごさせてもらったのだった。


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https://kakuyomu.jp/users/kujyo_writer/news/16818093075672746320

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