1-2
「住民登録、ですか」
ギルドを出てティアと合流すると、おおよそ必要な事柄だけを彼女に伝えた。〝ニンベン師〟がどうの、というのは伏せてある。その職業を理解させるのにも、その必要性を説得するのにも時間が掛かりそうだったので、とりあえずその役割だけ教えた。
「そう。本来なら教会で戸籍を照合するだけで済む話なんだけど、天界で生まれたお前には戸籍がない。今のままだと住民登録ができないんだ」
「それができないと、どうなるんでしょう?」
「脱税で逮捕されて処罰される」
「逮捕!? 大変です! ど、どうしましょう!?」
逮捕という単語に、ティアが泣きそうになっておろおろする。とりあえず自分の身分が保証できないとまずい状況だというのだけは理解してもらえたらしい。
「大丈夫だよ。そのために、今からお前の身分を固めにいく」
「身分を固める……? そんなことができるんですか?」
「ああ。色々抜け道があるのさ」
エルディはにやりと笑みを浮かべてみせて、アリアから貰った紹介状を見せた。
「とりあえず、ティア=ファーレルとしての戸籍を手に入れよう。そしたら、あとはアリアさんが何とかしてくれるさ。簡単だよ」
会話をしながら、アリアから教わった場所へと向かっていく。
〝ニンベン師〟ボスコはもちろん大通りでどうどうと仕事をしているわけではない。アリアによると、リントリムの中心街から少し離れた貧困区画の薄汚れた裏通りにひっそりと店を構えているらしい。もちろん、店というのは〝ニンベン師〟ではなく、表向きに別の店舗を構えているのだ。
「何だか、薄暗い場所ですね……」
路地裏に入ったところで、ティアが怯えた様子で言った。
周囲の人間たちの様子からも、ここいらがあまり治安の良い場所ではないというのは何となく悟ったのだろう。リントリムのような大きな街では、華やかな一面もあれば、貧困層が住まう区域もある。この町の貧困区域はまだ治安が良い方だが、それでも他の場所とは雰囲気が全く異なる。
「あんまり表舞台に出て来れない連中だからな。こういう、陰気臭い場所を好むんだろうさ。おっと、この葉巻屋だな」
〝ニンベン師〟が表向きに営む店『ダビドフ』を発見して、立ち止まる。路地裏の隅っこにある、葉巻屋だ。誰が好き好んでこんな場所まで葉巻を買いに来るのかと思うが、葉巻の売り上げなどどうでも良いのだろう。
ドアノブを捻って葉巻屋に入るが、店頭には誰もいなかった。
「よお、
エルディはアリアに教わった名を言った。〝ニンベン師〟に案件を依頼する際は合言葉として、この名前で呼ばないといけないのだ。
すると、店の奥からのそっと大柄な男が出てきた。葉巻屋の店主に相応しく、太い葉巻を加えている。
「うるせえな。俺をその名前で呼ぶってことぁ、誰かの
店の奥から現れたのは、白髪で頭のてっぺんだけ剥げている厳つい男だった。
書類の偽造を行っているのでひょろい男がやっているのだろうと思っていたが、そういうわけでもなさそうだ。身のこなしだけでも、彼も相当な実力者であることがわかる。
「ああ。あんたの大口客からの紹介だよ」
エルディは言ってから、アリアから貰った紹介状を彼に渡した。
「……へえ。ギルドが一介の冒険者に俺を紹介したのか。あんた、信頼されてるんだな」
ボスコは感心した様子で紹介状に目を通した。
「そうなのか?」
「ああ。一応ギルドは公的組織だからな。俺みたいな連中との関わりは、基本的に隠すもんなのさ。依頼でどうしても書類が必要な時も、職員自らこそこそとここに来る。それだけ秘密の関係なんだよ。俺たちは」
〝ニンベン師〟は葉巻に火を点けるついでに、そのマッチの炎で紹介状を燃やした。
お互いのために証拠は残しておきたくない、ということだろう。口の堅さというのが、彼らと仕事をするのに最も重要なことなのかもしれない。
「で? 一体何を作ればいい?」
「こいつの戸籍を頼むよ」
エルディは後ろで大人しくしていたティアの背中をとんと押して、自分の横に並ばせた。
「こいつはティア=ファーレル。ちょっと
「なんだ、新参か? わざわざ戸籍を作るなんて面倒なことを。冒険者やってるなら、そんなもん要らないだろう」
〝ニンベン師〟がもっともな反論をした。間違いない、先程アリアと話していて、エルディも思ったところだった。
「まあ、その……家を買っちまってな。住民登録が必要なんだよ」
「冒険者が家を買うときたか。そいつは変わり者だ。家なんてあったら冒険なんてできねえだろうに」
ボスコが呆れたように言う。これまた反論のしようがない意見だった。
「御蔭で、冒険者らしくない割に面倒な依頼ばっかり振られてるよ。昨日も文句を言ったところさ」
「そういう地道な奴が信用されるってもんさ。ぎゃっはっはっは」
ボスコは呵々として笑うと、いくつかの書類を取り出してティアと見比べた。
「それにしても、戸籍か。どこの戸籍がほしい? というか、この子どこの出身だ? その髪色はあんまりこのあたりじゃ見当たらないぞ」
「あ、えっと……とっても遠くです!」
ティアは少し緊張した面持ちで言った。
これはエルディからの指示だった。街でどこから来たと訊かれれば、こう答えろと教えてあったのだ。彼女のことだから、放っておけば天然ボケをぶちかまして天界だとか天使だとか言ってしまうに違いない。
「おん? ああ、なるほど……それも言えねえってことか」
ボスコはティアの反応を別の意図として受け取ったようで、勝手に納得してくれた。深読みしてくれるようなタイプで助かった。
「そういうこと。ってなわけで、ちょっと遠めにある村で頼む。出自がこのあたりだとバレる可能性があるからな」
「遠めの村か……だったら、ドンディフの村なんかどうだ? クソ田舎で詐称がバレ難い上に、ちょうどひとつ
「よりによってドンディフかよ」
エルディは内心で舌打ちをした。
確かにティアと出会ったのはドンディフ近郊だが、ここでまさかその地名が出てくるとは思ってもいなかった。ただ、エルディとしては聞いていて心地の良い地名ではない。どちらかというと嫌な思い出の方が先行してしまう。
「うん? 何か問題あるのか?」
「……いや、何でもない。
「あいよ。お嬢さん、名前の綴りをここに書いてくれ」
「は、はい」
ティアは相変わらず緊張した面持ちのまま、差し出された紙に自らの名前を書き綴っていく。そういえば彼女が文字を書いているところは初めてみたが、線の細い彼女らしい文字だった。
「他にも何か戸籍に紐付けておくかい?」
ボスコは他の書類もどさっと出して重ねて訊いた。
基本的に、公的な身分証は戸籍に紐づけられることになっている。教会の神父や商人ギルドに認定された商人、そして冒険者資格もそのうちのひとつだ。冒険者になればギルド側で戸籍を自由にいじれる、とアリアが言っていたのは、このあたりの事情があるのだろう。
「そうだな。じゃあ、せっかくなら教会の治癒師としての身分証なんかも付与しておいてくれよ。あいつらは数が多いし、バレにくい。それに、教会の中に忍び込む依頼の時なんかにも使えるしな」
エルディはふと思いついたことを言ってみた。実際にティアは聖女級の〈
「おいおい、教会モノは高くつくぜ? 中に入っても
「先行投資ってやつさ。分割払いで頼むよ」
「分割払いだと? ったく、ギルドの紹介じゃなきゃ店から追い返してるぜ」
ボスコは呆れを隠さず大きな溜め息を吐くと、「……いや、待てよ?」と葉巻の灰を落とす手が止まる。
「そういやあんたら、冒険者か。だったら、ちょっと
「闇依頼かよ」
エルディは舌打ちをして、店主を睨んだ。
闇依頼とは、冒険者ギルドに正式な届け出をせずに行う依頼行為のことをいう。ギルドを通さず冒険者に直接依頼を出すのはギルド規則に反しており、基本的に受け付けない冒険者は多い。ただ、ギルドから中抜きをされたくなかったり、即金がほしい冒険者がたまに引き受けたりする。発覚すれば、もちろんギルドからの信用を失うことになるだろう。
本来であれば、断る案件だ。しかし、相手は何かと世話になる可能性のある〝ニンベン師〟。恩を売っておくのも悪くないかもしれない。
「断る。と、言いたいとこだけど……あんたらの立場ならおおっぴろげギルドには依頼は出せないか」
「そういうこった。受けてくれるなら、教会モノに関しては
「なるほどな。そいつは悪くない。乗ったよ」
その言葉とともにボスコと握手を交わす。契約成立だ。
治癒師の身分証を紐づけるのは、おそらくかなり金が掛かる。おそらくB級パーティーの依頼をクリアしないと、一括で支払うのは難しい。それもツケてくれるというのだから、こちらの取り分もそれ相当だ。
ボスコから依頼の概要を聞いてから、ティアを連れ立って外に出ると……どうにも、彼女の顔が浮かない。というか、葉巻屋に入って以降、彼女はほとんど口を開いていなかった。
「あの、エルディ様……もしかして、悪いことしてませんか?」
大通りに出たところで、ティアはおずおずといった様子で言った。
如何に彼女が世間知らずと雖も、先程のやり取りが真っ当なものではないことには気付いたらしい。
「まあ……ちょっとだけ、な」
エルディは観念して、〝ニンベン師〟の仕事について話すことにした。隠し通そうとすると、逆に彼女は不満に思ってしまうだろう。それならば、ちゃんと彼らの仕事について話して理解を得た方が早い。
ボスコたちが行う仕事は確かに
そこでま話すと、ティアも理解は示してくれたが、相変わらず難しい顔をしていた。
「そういうことだったんですね。でも……ちょっぴり複雑です」
「ティアの言いたいことはわかるよ。でも、他にお前を住民登録させる方法がないんだ。アリアさんも奥の手を使うしかないってことで、今回ボスコを紹介してくれた。嫌か?」
「……いえ。複雑ではありますけど、嫌じゃありません」
意外にも、ティアははっきりとそう言った。てっきり彼女のことだから、何かと正論を言いそうなものだと思っていたのだけれど。
「理由、訊いていいか?」
少し気になって、訊いてみた。すると、彼女はこう言ったのだった。
「だって……私はもう、天使ではありませんから」
そこには、泣いているような、どこか諦めたような笑顔。でも同時に、どこか吹っ切れた様子もあって、新たな人生を生きていこうとする前向きさも感じられた。
「それが言えたら、上出来だよ」
エルディはティアの頭にぽんと手を置くと、彼女は嬉しそうに微笑み、小首を傾げたのだった。
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