第61話 寝不足の朝
朝陽の光がカーテンの隙間から差し込み、その眩しさにゆっくりと瞳を開く。
(もう朝、か……)
エルディは眠気でぼんやりとした意識のままむくりと起き上がって、隣を見る。
少し大きめのセミダブルベッドには自分ひとりしかおらず、同衾していたであろう少女の姿はなかった。
(相変わらず朝が早いな、ティアは)
大きな欠伸をしてからカーテンと窓を開けると、朝の心地よい風と鳥たちの歌声が室内へと流れてくる。が、どうにも眠くて頭がシャキッとしない。
こうして眠気に襲われているのは、一応は恋人関係になった堕天使と遂に一線を越えて夜更けまで愛を深めていたから──というわけではもちろんなく、ただただ寝不足なだけであった。
気持ちを伝え合い、そして恋人関係になった者同士が同じベッドで寝たらどうなるのか……さすがにティアとはいきなりそうなるわけがないと思っていながらも、なかなか緊張して寝付けなかったのだ。
(これから毎晩どうすんだよ……)
ティアには人間の生殖行為についての知識はない。ただ、本能的に恋人同士になった男女が同衾する事に緊張を覚えたのか、彼女もベッドに入ってからはもじもじとしていた。いつもは寝心地が良いとかで抱き枕代わりに後ろから抱き着いてくるのだが、昨夜は彼女もずっと背中を向けたままだった。
正直、それには内心ほっとしていた。さすがに恋人同士になって何度もキスした後に後ろから抱き着かれたら、散々ヘタレと言われたエルディと雖も諸々を我慢できる自信はなかった。
背を向けて寝てくれるなら、とりあえず今日のところは寝れそうだ……と安心できたのも束の間。ティアがすよすよと寝息を立て始めたと思ったら、いつもと同じように彼女はエルディの背中に抱き着いてきたのだ。
きっと、もう癖になってしまっているのだろう。そんなに自分の背中が寝やすいとも思えないのだが、結局いつもと同じ体勢になってしまったのだ。
背中に感じる柔らかな二つの膨らみ、甘い香り、可愛らしい寝息……それらが常にエルディの理性を殺しに掛かってきて、そのまま悶々として明け方まで過ごす事になったのだ。
(もう恋人同士、なんだよな……)
昨夜のやり取りを思い出すと、それだけで胸がどきどきしてくる。
昨夜、エルディはティアに自らの気持ちを伝えた。まさかエドワードの来訪が告白に繋がるとは思ってもいなかったのだが、ずっと自分自身でも有耶無耶にしていた事だったので、はっきりさせるにはちょうど良い機会だと思う。
出会ってから昨日に至るまで、彼女は自らが堕天使である事に劣等感や負い目を感じていた。それは天界の刷り込み教育のせいでもあるのだが、エルディはそれを恥じて欲しくはなかった。
なぜなら、エルディにとってのティア=ファーレルとは、出会った時から堕天使で、エルディはそんな彼女を好きになってしまったからだ。
実際に、ただ翼が黒いだけで、性格も外見も天使そのもの。天然が入っているけれど、明かるくて、優しくて、でも全てに一生懸命で……そんな彼女を好きになるなという方が無理だ。
ティアも同じ気持ちでいてくれたようで、気持ちを通じ合ってからは、狂ったように彼女と唇を重ねた。押し倒さなかったのは、辛うじて残った理性と自らの倫理感の御蔭である。知識がない彼女に対してそれらの行為を求めるのは、ただ彼女を欲望のはけ口にしてしまっているだけではないかと思えて、辛うじて踏みとどまれたのだ。
その結果がただ自らの理性を鍛えるだけの修行へと化してしまったのだが、さすがに毎晩これではきつい。関係が変わってしまった分、余計にどうやって耐えれば良いのかわからなくなった。
(とは言え、俺から話すのもどうかと思うし……アリアさんから話してくれたら良いんだけど、あの人遊ぶからなぁ)
ギルド受付嬢のアリア。良い相談相手で面倒見も良い人なのだけれど、どうにも人を玩具にする癖がある。同じ理由でフラウも却下だ。間違った知識を植え付けかねない。
実際にアリアのせいでティアはお風呂や同衾について間違った知識を身に付けていた。フラウなんて、もっと変な知識を教えこみそうだ。
(となると、まともなのはイリーナしかいないんだけど……あいつ、きっとこういう話苦手だったよな。下ネタも嫌ってたし)
一番しっかりしているのはイリーナだ。彼女は真面目一貫であるし、悪ふざけもしないだろう。
ただ、やや潔癖なところもあって、恋だの愛だのといった話には疎かったように思う。実際にイリーナとそんな会話をした覚えは無いが、フラウの下ネタに嫌そうな顔をしていた記憶があった。自由奔放で真面目とは程遠いフラウと何故仲良くやれているのか、甚だ疑問である。
そうなるとイリーナに頼むわけにもいかないのだが、それではティアが人間族の生殖行為について知る機会がない。このままでは毎晩悶々としたまま理性と戦わねばならず、エルディは睡眠不足待ったナシである。
(俺が話すの? いや、さすがにそれは恥ずかしすぎないか……?)
天界の人達、人間を監視だったり導いたりするのが仕事ならどうしてティアに人間の生殖について教えておいてくれなかったのだろうか。
いや、もしかすると彼らからすると、案外人間の恋愛感情だとか生殖行為が理解できないのかもしれない。人間が昆虫の生殖行為を理解できないのと同じで。
(え。って事は、天使から見て俺らって虫とか動物扱い? つら……)
このままではあんまり考えたくない事を考えてしまいそうなので、とりあえずリビングに出る。どうやって伝えるかはまた皆に相談してみよう。
リビングでは、朝食の準備をしているのかと思っていたティアが、ソファーの上でブラウニーの両脇を抱えてじーっと見つめ合っていた。何やら、会話をしている。
「ブラウニーさん。私、どうすればいいでしょう?」
ブラウニーはティアの言葉に小首を傾げる。
「困りました……何も手につきません」
どうやら、何かに悩んでいるのだろうか。
声を掛けようと思ったタイミングでブラウニーがエルディに気付いて「わん!」とひと吠えすると、ティアもこちらを見て「あっ……」と声を漏らした。
(あれ? 何か、いつもと違うぞ?)
いつもなら、にこにこしながらおはようと言ってくれるのに、今日は少し気まずそうだ。
いつもと異なる朝に、早速エルディは一抹の不安を感じるのだった。
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