第37話 寂しげな堕天使と嬉々としたギルド受付嬢
「あ、ちょっと俺ギルドまで行ってくるよ」
朝食を終えて、ブラウニーと家の周囲を散歩した後、エルディはティアにそう伝えた。
「お仕事ですか? それでしたら、私も仕度を」
「いや、今日はいいよ。請けれる仕事があるかどうか探しにいくだけだし。あとは、暮らしてみて色々足りない生活用品とかもわかったから、それの買い出しとか、あとは武器を新調しにいくだけ」
いい加減、ヨハンから渡された安物の剣だけでは不安だ。昨日だってまだ戦える敵だったからよかったものの、
というより、そういった生活用品や武具の調達は〝マッドレンダース〟時代にひとりで行っていたというのもあって、単独で動いた方がやりやすいという本音もあった。いつ隣で羽根をばっさばっさされるかわからないという思うと、武器を精査できそうにない。財布に余裕があるわけでもないし、予算の範囲内で買える武器を慎重に選びたかった。
「ティアも引っ越しやら諸々で疲れてるだろうと思ってさ。なんだかんだ知り合ってから完全な休みってなかった気もするし」
「でも……一緒にいないと、エルディ様を幸せにできません」
ティアがどこか不服そうな、寂しそうな表情で言った。
昨夜は半分寝ぼけているのかと思ったが、エルディを幸せにする云々はどうやら本気らしい。
「美味いものを作ってもらえるだけでも十分幸せだよ。なんだかんだ疲れてると思うし、今日は家でゆっくりしながらブラウニーと遊んでてくれよ」
「……わかりました。お留守番してますね」
「誰か来ても、居留守使うなりしてくれ。こんな辺鄙なところなんて誰も来ないと思うけど、一応な」
「はい。いってらっしゃいませ」
ティアは律儀にも玄関までエルディを見送ってくれた。ただ、その表情はどこか寂しそうで、残念そうでもあった。
(うーん……一応気を遣ったつもりだったんだけど、逆効果だったかな)
エルディは若干申し訳ない気持ちに苛まれながらも、街を目指したのだった。
*
「そんで、どうだったのよ? 嬉し恥ずかしの同棲初夜は!」
ギルド受付嬢アリアは、エルディが受付に来るや否や、瞳をキラキラ輝かせて開口一番にそう訊いてきた。
仕事の依頼を請けにきたはずなのに、業務なぞそっちのけである。
「一線越えた? 天使と人間ってやっぱ違う? ねえねえ、どうだったのよ⁉ こんな経験できる人間なんてあなた以外いないんだからね⁉ 感想を聞かせなさいよ!」
「越えてねーわ! 余計な事ばっか吹き込みやがって!」
「え……? 嘘でしょ? まさか、シてないの?」
「するか! つーか、一緒に暮らすのに知識も何もない相手にンな事できるわけないだろ!」
そこまで言うと、アリアはこれ以上ないという程に大袈裟な溜め息を吐いた。
「はぁ……まさか、そこまでだったとはね。これだからヘタレは……」
「誰がヘタレだ! つーか吹き込むなら吹き込むでちゃんとした知識も教えろよ。仲の良い男女は一緒に風呂に入るだの寝るだの抽象的な言い方ばっかりしやがって」
「あら。別に間違ってないでしょ?」
「間違ってないけど!」
確かに、アリアは間違った事は言っていない。だが、情報の伏せ方に悪意しかなかった。
肝心な事だけは言わず、何もわかっていないティアを扇動し、エルディが困るのを見越して楽しんでいるだけなのだ。一番質が悪い。
「ティアもティアで、アリアさんが余計な事言うもんだから、恥ずかしいのに無理して一緒に風呂に入るだの寝るだの言っててさ。あんなの可哀想だろ」
「ほう……?」
お風呂、というワードにぴくりとアリアが反応する。
「それで、一緒にお風呂入ったの?」
「いや、まあ……入ったけど」
「あらあらあらあらー! 文句ばっか言ってたくせに、ちゃっかり楽しんでるじゃないのー!」
視線を逸らしてそう言うと、アリアの瞳は先程よりも更に強く輝いた。口元にもにやにやといやらしい笑みが浮かび上がっていた。
完全に娯楽にされている。これだから独女は。
「あのなぁッ……楽しむとかどうとかって状態じゃなかったわ! むしろ困りまくってたし、ただただ断れなかっただけだ!」
「やーねぇ、強がっちゃって! で、洗いっことかしたの? 手取り足取り身体の隅々まで洗ってあげたりとか、それともティアちゃんに隅々まで洗わせたりとか? ココは上下に擦るようにして洗うんだぜ、とか教えたの? このスケベ! 鬼畜!」
「アホか! どっちがスケベだ! そんな事するわけねーだろ! 向こうが洗ってる最中俺はずっと目ぇ瞑ってたわ!」
昨日の事を思い出すと恥ずかしくなってきた。ゆっくりと風呂に入る予定だったのに全然目的が変わってしまったのだ。
そこまで言うと、アリアは再び大袈裟に溜め息を吐いて、額に手を当てた。
「はあ……これだからヘタレ剣士は。冒険者なんだから冒険しなさいよ」
「いちいちうるせーよ! 冒険の意味ちげーから!」
こんな口論が、暫く続いた。
エルディが依頼を紹介してもらうのは、これからもう少し先の事であった。
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