閑話 策謀と渇望 2
「ハァァァァァ」
魔王城の一室にて、一人の魔族がわざとらしいため息を吐いた。
魔王軍最高幹部の一角にして、幼き英雄の心の闇につけ込んで今回の事件を引き起こした主犯。
『水』の四天王は、優雅に椅子に腰掛けて足を組みながら、呆れと落胆を隠そうともせずに独り言を垂れ流す。
「せっかく、わざわざ殺さずにおいてやって楔を打ち込み、それを隠す為の労力を惜しまず、最後にはこの私が手ずから手綱を握って最高のお膳立てをしてあげたというのに……。結局、勇者達を削る事はおろか街の一つすら満足に潰し切れずに終わるとは。なんという無能。なんという役立たず。やはり使い捨ての混血などに肉壁以上の役割を期待するなという事でしょうね」
彼が使い捨ての哀れな人形に期待していた最低ラインの戦果は、最前線近くの街一つ潰して、人類の補給線に大打撃を与える事だ。
予想ではもう少し頑張り、街を複数潰して人類を大混乱に陥れるか、もしくは勇者パーティーの一人でも削ってくれると思っていたのだが。
なんにせよ、自我を完全に奪って暴れさせるだけの従来の支配では、例え魔族の力を得た加護持ちと言えども、それ程の戦果は成し遂げられない。
街に侵入する前、保護された時点で、最前線の聖戦士と加護持ち達に囲まれて制圧されるのが落ちだ。
故に、今回は手間をかけて特別な操り人形を用意した。
あえて心の闇を増幅させる形での不完全な精神支配を使う事で、人としての思考も自我も残し、通常の人間に偽装して街へと侵入できる特別な手駒。
それでいて、従来の眷属よりも大量の力を注ぎ込み、寿命を著しく削る事と引き換えに、聖戦士にすら勝る力を与えてやった。
あのまま戦い続けていれば、どうせ数ヶ月と持たずに使い物にならなくなっていただろうが、それでも、それまでの間に街の一つや二つは潰せていた筈だ。
今回はたまたま勇者達の進行ルートと操り人形を暴れさせる予定の街が被ったので、複数の街を潰すよりも、勇者パーティーを一人でも潰した方が戦果として大きいと判断して戦わせてみたが……結果はご覧のあり様だ。
まさか、死人の一人すらロクに出せないとはさすがに思わなかった。
今回の戦いで死んだのは、あの獣人族の聖戦士が勝手に殺してくれた分だけで、それ以外は本当に一人の死者も出なかったのだ。
せっかく最高のタイミングで仕掛け、戦況的にも最高に近い状態で戦いを始められたというのに。
ふざけた話である。
それもこれも、混血の操り人形の分際で支配に抗おうとした馬鹿が悪い。
あれがなければ少なくとも街は壊滅し、分散した勇者パーティーの一人くらいは狩れていた筈だ。
「まあ、嘆いても仕方ありません。所詮、彼は役立たずのゴミだった。それだけの話なのですから」
それに、本命の作戦は大失敗でも、予想外のところで得たものはある。
使い魔で打ち込める量では彼を支配するには少なすぎ、もっともっと時間をかけて少しずつ支配しなければならないと思っていた存在。
今のところは勇者達へのマーキングに使えれば充分だと思っていた男。
そんな彼の心が、あの戦いの後、急激にヒビ割れている。
そう遠くない内につけ込む隙が出来ると確信する程に。
この調子であれば、来るべき時には間に合うだろう。
「なんにせよ、前哨戦は終わりです。こちらの準備も整った。勇者達の次の目的地も特定した。都合のいい事に他の大きな戦力とは離れた場所『天界山脈』。そこが決戦の地となる。そして……」
水の四天王は歪に口角を吊り上げる。
整った顔立ちが、醜悪な笑みで歪む。
「そこから私の栄光が始まるのだ! 勇者をこの手で、この知略で打ち倒し、誰も並ぶ事のできない功績を手に入れる! さすれば、この私こそが四天王の頂点! もうあのような雑種に下に見られる事はない! 我が一族の尊き純血を受け継ぐ私にこそ、四天王筆頭の地位は相応しい! そう証明してみせる!」
笑う。
嗤う。
奇しくも彼が操り人形として選んだ少年と同じ感情。
少年と違って抑えるつもりなど微塵もなく、結果、少年の何倍にも何十倍にも膨れ上がった『嫉妬』の感情と、その矛先となった者を見返してやれる事への歓喜で、水の四天王は狂気に満ちた笑みを浮かべる。
しかし、その狂笑が不意に陰った。
「……私だけでも充分だとは思いますが、それでも相手は歴代魔王を討ってきた『勇者』という存在。侮っていい相手ではない。警戒する事は大切です。思慮深さを得る事こそが魔物にない魔族の特権。私はそれをわかっていない愚物どもとは違う。確実を期すのなら、やはりあともう一押しが欲しい」
ブツブツと、まるで言い訳をするかのような言葉を小声で呟いてから、彼は不機嫌極まりないと言わんばかりの顔で、ある事を決断した。
「手柄を分けてやるのは心の底から不本意ですが……致し方ありません。奴を使いましょう」
そうして、水の四天王は椅子から立ち上がり、魔王から与えられた豪華な部屋を出て、魔王城内のある場所を目指す。
その場所に居るであろう、目的の人物の姿を脳裏に思い浮かべながら。
「まあ、奴は一言で言えば『何も考えていない馬鹿』です。勇者を殺す知略を張り巡らせた私と、そんな私にただ使われただけの馬鹿。どちらにより大きな功績があるかわからない程、魔王も愚かではないでしょう」
そんな言葉を吐きながら彼が辿り着いたのは、魔王城地下。
元々はこの城に存在しなかった区画。
そもそも、同族同士で協力するという概念に乏しく、過酷な環境の魔界で生存競争のみに明け暮れていた魔族に、建築技術などというものはない。
故に、この魔王城は魔族が造った城ではなく、今代で魔界の門が開いた場所にあった不運な国『ムルジム王国』の王城を奪って使っているだけだ。
とはいえ、元の王城そのままという訳でもなく、かなりの改造が加えられている。
建築技術ではなく、魔法によって。
魔王城全体は、魔王の使った闇の魔法によってコーティングされ、漆黒の外見と尋常ならざる堅牢さを備えるようになった。
その他の変化として最も特徴的なのが、この魔王城地下の存在だ。
まるで迷宮のように入り組んでおり、魔界から連れて来た千を越える魔族全員が一度に戦闘を行える程に広大な空間。
魔王の指示によって、暇を持て余したとある魔族が半ば趣味で造り上げた場所。
その製作者本人は、『土に囲まれた場所に居ると落ち着くから』という理由で、常にこの地下の最奥に引きこもっている。
水の四天王がやって来た、この場に。
魔王城地下最奥『大地の間』。
そこに置かれた大扉を開け、水の四天王はその中に足を踏み入れる。
「失礼しますよ」
剥き出しの土壁に囲まれたその部屋は、言ってしまえばゴチャゴチャしていた。
部屋の至る所に物が転がっている。
なんの価値があるのかわからないただの石ころに、採掘したばかりのような磨かれていない何かの原石、古びた量産品の武器や鎧。
そんなガラクタに混じって、ルビーやサファイアなどの宝石、ミスリル、オリハルコンなどの希少鉱石、業物と呼ばれる部類の武具、果ては魔剣の類いまでもが無造作に散乱している。
割合としてはゴミ9.7、宝0.3といったところだろうか。
まさに玉石混交。
宝はともかく、ゴミを好んで集める趣味が相変わらず理解できない。
しかし、これだけわかっていれば問題ない。
この部屋にある物には、ゴミ、宝を問わず一つの共通点がある。
その全てが石や金属といった大地に縁のある物であり、部屋の主はそういう物を好んで集める習性があるという事を。
「なんの用?」
魔王軍最高幹部である水の四天王に対して、振り返りもせずに背中を向けたまま、敬意の欠片も感じられない声で要件を尋ねる部屋の主。
その不敬な態度には腹が立つが、魔界で品位を持っているのは自分達の一族だけ。
それ以外の野蛮な魔族に、品性など求めても無駄だという事はわかっている。
故に、水の四天王は無礼を咎める事もなく、単刀直入に要件を告げた。
「アースガルド、あなた勇者の聖剣に興味はありませんか?」
その言葉に部屋の主、アースガルドと呼ばれた魔族はピクリと反応して、ゆっくりと水の四天王の方に振り向いた。
それを見て、水の四天王は確信する。
この魔族の勧誘と、作戦の成功を。
◆◆◆
「ハァ……ハァ……!」
「……そろそろ、やめといたら?」
「まだまだぁ!」
咆哮を上げながら満身創痍の体を動かし、『剣聖』ブレイド・バルキリアスは神樹製の大剣を振り上げて突撃する。
向かった先に居るのは『勇者』ステラだ。
盛大に息を切らすブレイドと違って、ステラは僅かに汗をかいている程度で、呼吸が乱れる様子すらない。
それが二人の実力差を如実に表していた。
「るぅぅぅあぁぁぁ!」
雄叫びを上げて大剣を振り回すも、ステラには一撃として当たらない。
全ての攻撃が受け流されて不発に終わる。
避ける事も、受け止める事も、反撃する事もなく、ただただ受け流しに徹するステラ。
その様は、まるであらゆる暴風を悠然と受け流す大樹の如し。
風に舞う木葉のように捕らえられないアランの剣とは違う。
幼少期から共にあった受け流しの絶技を手本としつつも、決して模倣で終わる事なく、彼女自身の技術として昇華したステラの剣。
弱くも強い
ブレイドが手本とすべき守りの剣だ。
「……じゃあ、次はこっちから行くわよ」
心底気乗りしなさそうな声と共に、ステラの動きが一転。
受け流しをやめ、反撃に打って出る。
そこから始まるは怒涛の攻め。
強く、速く、鋭い、斬撃の嵐がブレイドを襲う。
ステラの剣は威力重視のブレイドの大剣と違い、この世界で最も普及している通常サイズの剣。
大剣よりリーチが短く軽い分取り回しがよく、剣を振るう速度はブレイドの比ではない。
それでいて、一撃一撃の威力ですらブレイドを超えているのだから恐ろしい。
『勇者の加護』は全ての加護の上位互換だ。
剣を手にすれば『剣聖』より強く、魔法を使えば『賢者』の上を行く。
無論、それはしっかりと鍛練を積めばの話だ。
ステラは鍛練の比率を剣術方面に多く割いているので、魔法全般に置いては『賢者の加護』を持つエルネスタに劣り、治癒や結界の魔法に関しては『聖者の加護』を持つリンにも劣る。
しかし、それは技術的な問題であって、魔法を扱う為に必要な魔力量など素質的な面では、ステラは二人を優に超えていた。
では、しっかりと努力してきた剣術に関してはどうか?
言うまでもない。
この戦いの内容が答えそのものだ。
鍛え上げられた肉体は、聖戦士の中でも一際凄まじい怪力を誇るブレイドをも超え。
技術の鬼の背中を追い続けて磨いてきた技に至っては、少し前まで慢心して努力を怠ってきた剣聖など足下にも及ばない。
「ぐっ!?」
そんなステラの放つ嵐のような攻撃。
本気ではないとはいえ、満身創痍の体ではとてもではないが対処できない。
自分より力が強いからロクに受け止める事もできず、堪らずにブレイドは大剣の腹を使った防御に徹し始めた。
「何やってんだ、ブレイド! それじゃ意味ないだろうが!」
傍で見ていたアランが声を上げる。
彼の言う通りだった。
この戦いは、ブレイドの守りの技術を向上させる為の修行。
アランの剣よりもブレイドのスタイルに合うだろうステラの受け流しを身をもって体感し、その後、受け止める事の難しい格上からの攻撃を、体感したばかりの動きを思い出しながら受け流す事を試みる。
そうやって打ち合う中で、受け流しの技術を高めようというのがこの修行の目的だ。
なのに、大剣を盾にしたガードに徹しているのでは意味がない。
今までのブレイドの戦闘スタイルは、その恵まれた体格と怪力、剣才に任せたゴリ押しだった。
敵の攻撃は真っ向から受け止めて防ぎ、大剣による強烈な攻撃をガンガンぶつけていくスタイル。
しかし、これではドラグバーンや魔族化レスト、それに今戦っているステラのような、自分よりも強くて速くて受け止め切れない攻撃を繰り出してくる相手には通用しない。
格下相手には滅法強いが、格上相手にはどうにもならない。
それがブレイドという男だった。
まさに、レストに言われた通り。
ルベルトが慢心するなと口を酸っぱくして言っていたのも当然だろう。
それを何とかする為の、この修行だ。
今までゴリ押しでどうにでもなってしまったが故に疎かにされていた守りの技術。
取り分け、自分よりも強い力への対処法として最も有効な受け流しの技を鍛える為の修行。
それなのに、今まで頼りきってしまっていたガードに手を出すようでは意味がない。
一応弁明するが、ブレイドとて疲れ切る前は普通に受け流しを試みていたのだ。
この修行自体はエルフの里の戦いの後、ドラグバーンに殺されかけた直後から始めており、ブレイドの剣才もあって、最近はそれなりに形になってきていた……筈だった。
しかし、ここに来て、それが崩れた。
原因は言うまでもなく、精神的なものだろう。
あの時、レストが死んだ時。
実はブレイドはギリギリ意識を保っていた。
気絶寸前で朦朧としていたとはいえ、しっかりと弟の死に様を目に焼き付けてしまったのだ。
その時の無念が、悲しみが、不甲斐なさが、無力感が、彼の精神を追い詰めて冷静さを奪った。
剣鬼の忠告も、聖女の献身も、祖父の心配も届かぬ程に。
『力を求めろ。強さを求めろ』
(うるせぇ! わかってんだよ!)
「おぉおおおおお!」
「あっ……」
「ぐはぁ!?」
頭の中で響く声に急かされるようにして反撃を試みたブレイドは、突然ガードが空いた事で思わずその隙に打ち込んでしまったステラの攻撃が頭に当たり、あえなくノックダウンした。
疲労と頭を打った衝撃によって意識が薄れていく中……
「ブレイド様!?」
自分を慕う聖女の心配そうな声が聞こえた気がした。
しかし、それを塗り潰すように、
『力を求めろ。強さを求めろ』
(わかってる。わかってるから……)
頭の中の声がより一層大きく聞こえ、ボヤけていくブレイドの思考を、強さへの渇望で埋め尽くしてしまう。
聖女の声は、若き剣聖に届かなかった。
『力を求めろ。強さを求めろ。━━そう、例えどんな手段を使ってでも』
(強く……強ク……ツヨク……)
ツヨクナラナケレバ。
その一念に支配されながら、剣聖の意識は闇に包まれていった。
自分の体を癒してくれる聖女の力に気づく事なく。
強く、強く、強く。
ただその思いのみに囚われていく。
薄汚い蝙蝠の力は、ゆっくりと、ゆっくりと、彼の心を強さへの渇望で塗り潰していった。
自分が何の為に強くならなければならないのかという一番大切な想いすらも、塗り潰して忘れさせようとする。
手段と目的を逆転させる為に。
いつの日か、そう遠くない未来に、彼が目的を忘れ、強さのみを求めて魔族の力に手を伸ばすように仕向ける為に。
弟を殺した魔族の毒は、ゆっくりと兄の全身に巡っていった。
その因果の結末が訪れる日は、近い。
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