第26話
「私は兄さんの妹だから、覚悟はしている。でもラネは、こんなことに巻き込まれなくてもよかったのに。兄さんが声をかけてしまったせいで、ごめんなさい」
「そんなこと……」
俯くリィネの肩に手を添えて、ラネは首を横に振る。
「アレクさんに助けてもらわなかったら、わたしはもっと路地裏の奥に逃げ込んでいたかもしれない。そのあとにパートナーとして誘ってくれたことだって、きっとわたしがあまりにも思い詰めて、今にも死にそうな顔をしていたから、引き留めて話を聞いてくれたのよ」
あのとき、ラネはどん底にいた。
村を出たのは自分の意思だ。けれど両親から離れてひとりきりになったことで、自分など、もうどうなってもいいのではないかとさえ考えていた。
アレクはそんなラネの話を聞いて、自分にも関わりのあることだと、エイダ―と会えるように連れて行ってくれた。結局彼に罵倒されて終わってしまったが、あまりにも自分勝手なエイダ―に、むしろ未練も過去の傷も綺麗さっぱり消え去ってしまった。
今となっては、かえってよかったと思うくらいだ。
「アレクさんに話を聞いてもらえて、リィネと出会って。わたしは生きる気力を取り戻したの。だから、ふたりに出会えてしあわせよ」
そう言って、そのままリィネを抱きしめる。
「このしあわせのためなら、王城での夜会も頑張って乗り越えるわ。それに、本当は綺麗なドレスも好きなの。完成が楽しみだわ」
自分にはふさわしくないからと遠慮していたが、昔から綺麗なものは好きだった。
気持ちを素直に伝えると、勝気そうなリィネの顔が泣き出しそうに歪む。
彼女もまた、勇者の妹としての苦労したのだろう。しかも彼は、魔王を倒した唯一の勇者だ。その唯一の身内として、邪魔にならないように、利用されないように、慎重に生きてきたのだろう。
その苦労は、ラネにも少しだけ理解できる。
直接謝罪に来てくれたクラレンスとノアも、ラネがただの村娘だったらあそこまでしなかったに違いない。
「……ありがとう。私も、ラネと出会えてしあわせ。連れてきてくれた兄さんに感謝しなきゃ」
リィネはそう言って笑った。
それから大急ぎで着替えをして、サリーにおいしい紅茶を淹れてもらい、護衛の女魔導師も一緒にチョコレートケーキを堪能した。濃厚な甘さとちょうど良いほろ苦さに、緊張感が溶けていく。
アレクと知り合ったことで、ラネの運命はこれから大きく変わっていくかもしれない。
それでも、出会ったことを後悔することはないだろう。
ラネはそう確信している。
それからアレクが戻ってくるまでの数日間は、平穏な日々が続いた。
ラネはリィネと、毎日刺繍に励んでいた。彼女は上達も早く、とても教えがいのある生徒だった。
そして頼まれたハンカチが仕上がると、リィネと護衛の女魔導師と一緒にあの大型手芸用品店の店主メアリーのところに行って、刺繍したハンカチを納品する。
「素晴らしい出来だわ」
ハンカチを広げ、刺繍を確認したメアリーは、そう言って褒めてくれた。
「これほどの出来なら、高値で買い取らせてもらうわ。納期も短かったわね。次も期待しているからね」
彼女は上機嫌で、予想を遥かに超えた金額で買い取りをしてもらうことができた。
「あの、この間注文したドレスのことなんですが」
急ぎではないが、近々必要になるかもしれないことを告げると、メアリーはそれも快く請け負ってくれた。
「ええ、わかったわ。最優先で、でも素晴らしいものを作ってみせるから」
夜会の日程がわかったらすぐに伝えることにして、屋敷に戻る。
すると、魔物退治に出ていたアレクが帰還していた。
「兄さん!」
リィネは兄の姿を見るとすぐに駆け寄り、抱きついて帰還を喜ぶ。アレクも妹をしっかりと受け止めた。
「おかえりなさい」
少し遠慮しながらラネもそう声を掛けると、アレクは嬉しそうに、ただいまと言ってくれた。
「兄さん、もちろん怪我はないよね」
「ああ、大丈夫だ。魔物も数は多かったが、それほど強いものではなかった。こっちは、変わりはなかったか?」
アレクの言葉に、リィネとラネは顔を見合わせる。
「実は……」
クラレンスとノアが謝罪に訪れ、夜会に招待されたことを告げると、彼は顔を顰める。
「そんなことがあったのか」
「うん。でもクラレンス様が謝罪したと知ったら、他の貴族たちも次々に来るかもしれない。だから……」
「一度参加すればそれで済む、というわけか」
アレクは深く溜息をつくと、すまなそうにラネを見る。
「巻き込んでしまったな」
「いいえ。むしろわたしが、エイダ―との揉め事に巻き込んでしまって」
彼が旅立ってから、ずっと考えていた。
いくら強くない魔物が相手とはいえ、ラネと知り合う前ならば、きっとパーティで討伐に向かったはずだ。聖女の浄化と癒しの魔法があれば、もっと早く終わったに違いない。
「ごめんなさい。わたしのせいで」
「いや、そんなことは」
「はい、そこまで!」
互いに謝罪するふたりの間に、リィネが入り込んできた。
「私もラネを巻き込んでしまったと悔やんだけど、ラネは出会えてしあわせだと言ってくれたの。私もしあわせよ。兄さんは?」
まさかアレクにそれを告げられてしまうと思わず、ラネは真っ赤になって俯く。
「俺も、ラネと出会えてよかったと思っている」
そんなラネの耳に、アレクの声が優しく響く。
「みんな後悔していないのなら、もうお互いに謝るのはやめましょう? それより、これからのことを考えないと。兄さんがラネにドレスを贈っていなかったら、クラレンス様がラネに贈るところだったのよ」
「そんなことにならなくてよかった」
リィネが笑いながらそう言うと、アレクは安堵したような顔をして、そう答える。
そんな彼を見て、なぜか胸がどきりとした。
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