第17話

「お、王太子殿下?」

 ラネは、震える声でそう呟く。

 王城で開かれた祝賀会に参加するのだから、遠目で見ることはあったかもしれない。けれどそれほど身分の高い人に、こんなところで会うとは思わなかった。

 言葉もなく必死に頭を下げるラネに、王太子は残念そうな顔をする。

「そんなに簡単にばらしてしまったら、彼女と打ち解ける機会がなくなってしまう」

 せっかく仲良くなろうと思ったのに。

 からかうようにそう言われて戸惑うラネの前に、アレクが立ちはだかった。

 彼の広い背に庇われて、どうしたらいいかわからずにいたラネはほっとする。

「ラネを、あまりからかわないでください。昨日出会ったばかりだというのに、必死に懇願してようやく連れてきたのですから」

「懇願……。アレクが?」

 ラネを庇うアレクの言葉に、王太子と銀髪の青年は衝撃を受けたようだ。ラネとアレクの顔を、何度も交互に見ている。

「てっきり、リィネの友人かと」

 彼らはラネを、アレクの妹の友人だと思っていたようだ。たしかに、急に見知らぬ女性を連れてきたのだ。妹が急遽欠席したので、その友人にパートナーを頼んだと思うのも、当然かもしれない。

「いや。出会った瞬間に彼女しかいないと思い、跪いて懇願した」

 それなのにアレクは、さらにそんな発言をする。

「アレクさん!」

 思わず彼の腕を引いて、声を上げる。

 たしかにまったくの嘘ではないが、そんなことを言えば、アレクがラネにひとめ惚れしたように聞こえてしまう。心配したように、からかうように笑っていた王太子が、ふと真顔になった。

「……そうか。ならば我々も、相応の礼を尽くさねば」

 彼はそう言うと、真摯な顔のままラネに向き直った。

「私はクラレンスという。殿下などと言わず、そう呼んでほしい」

「え」

 さすがに不敬だと思うが、本人からそう言われてしまえば、それを拒絶することもできない。

 狼狽えながらも、承知したと言うしかなかった。

「私はファウルズ公爵家のノアだ。私のことも、ノアと呼んでくれ」

 銀髪の青年もそう言う。

「かしこまりました。クラレンス様。ノア様」

 王太子殿下に、公爵家の嫡男。

 平民で、田舎の村娘であったラネにとっては、遠目で見ることさえ叶わなかったであろう人たちである。そんな彼らに名前で呼んでほしいと言われ、ラネはどうしたらいいかわからないくらい動揺していた。

「アレクさん……」

 頼りにできるのは彼しかいない。煌びやかな礼服の裾を掴み、懇願するように見上げて名前を呼ぶ。するとアレクは、困惑していたラネが安堵して泣き出しそうになるくらい、優しい顔でラネに微笑む。

「俺が傍にいる。だから、何も心配することはない」

 アレクは勇者であり、弱い者の味方だ。狼狽えているラネが哀れになって、守らなくてはと思ったのだろう。けれどその力強い言葉は、ラネの不安をすべて消してくれた。

「……ありがとうございます」

 差し出された手を握り、その温もりで心も落ち着いて、ようやく笑みを浮かべられるようになった。アレクはほっとしたようで、いつまでいるんだと言いたげな視線をクラレンスとノアに向ける。

「急に尋ねてきてすまなかった。けれど、君と知り合えてよかった」

その視線の意味を正確に受け取ったらしいクラレンスは、ノアと顔を見合わせてこういった。

「ラネ、きっと今夜はあなたが主役になるだろう。大変かもしれないが、楽しんでほしい」

 そう言うと、あっという間に立ち去っていく。

(主役? 今日の主役は、エイダ―と聖女様だと思う……)

 その言葉を不思議に思って首を傾げるラネに、アレクは気にするなと言って肩に手を置く。

「それよりも、そろそろ祝賀会が始まるだろう。エイダ―を殴る準備はできているか?」

「な、殴りませんよ?」

 ただ一言、伝えたい言葉があるだけだ。

 そもそも本日の主役を殴ったりしたら、祝賀会が台無しだ。さすがに、きっと何も知らないだろう聖女に申し訳ない。

「そうか。ならば代わりに俺が」

「駄目です!」

 勇者が聖女と結婚する剣聖を殴ったりしたら、それこそ大問題だ。

 慌てて彼の腕を引いて止める。

「ただ、エイダ―に言いたいことがあるだけです。それを言ったら、もう彼のことは忘れるつもりです」

 もう恋心も幼馴染の情もないけれど、最後のけじめだ。彼の妻となった聖女も、これくらいは許してほしい。

「わかった。俺はそれを見守っていよう」

「ありがとうございます」

 彼が傍にいてくれるのなら、これほど心強いことはない。

 

 こうして、祝賀会が始まった。

 見渡すほど広い会場に、着飾ったたくさんの人たちが集っている。

 皆、競い合うように派手な色のドレスや多くの装飾品を身につけていて、あれほど豪奢だと思っていたラネの装いが少し地味に思えるくらいだ。

 外はもう暗闇に包まれていたけれど、天井には大きなシャンデリアが煌めいていて、眩しいくらいだ。

 剣聖エイダ―と聖女アキの結婚式を祝うのはもちろんだが、魔王を討伐し、千年の平和が約束されたことも祝するパーティだったらしい。

 だから剣聖と聖女だけではなく、勇者であるアレクはもちろん、大魔導である魔導師も主役となる。

 つまりアレクのパートナーであるラネも、気が付けば彼の隣で大勢の人たちに囲まれていた。

(こ、こんなの聞いていない……)

 困惑してアレクにしがみつくと、初々しいだの、可憐だのと誉め言葉が飛んでくる。

 エイダ―と聖女も同じように囲まれているようで、会場に入ってからまともに姿も見ていなかった。これでは声を掛けるどころか、五年ぶりの幼馴染も、彼の妻となった聖女も見ることができないのではないか。

 そんなことを考えて焦っていると、ふいに目の前が開けた。

 顔を上げると、先ほど別れたクラレンスとノアが、ふたり揃ってこちらに向かって歩いてきた。

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