フューチャーオーバーワーク

まめつぶいちご

フューチャーオーバーワーク(本編)


「それ日傘じゃねーか! 女子かよ!」

「ん?……何か、おかしいか?」

「今時の男子校生が白のフリフリ付き日傘って……」


 こいつは高橋雅夜。幼稚園の頃から親ぐるみで親交があり、高校生になった今でも日々の習慣というのか、こうして一緒に登校している。


 雅夜は、身長一七九センチ。前髪をぐっと上にあげた一昔前の不良みたいな髪型に、鋭い眼光をしている。


 小学生の頃から常に学年一位をキープし、あらゆる運動部から声がかかるほどの肉体美と、およそ全てを兼ね備えたパーフェクトな高校生なのだが……。


「おい、照久。神谷照久。聞いているのか?」


 俺は雅夜と違って、至って平凡だ。頭も顔も全部がそこそこ。平凡人生が目標のつまらない男だ。


「あ……ああ、聞いてる聞いてる」


「つまりだ。吾輩が考えるに日傘は、日光から身体を守るには最適解だと思うのだ! 日焼け止めはコスパが悪いしベタつく! 日傘なら必要な時にサッと広げるだけだ! 全人類が常に携帯すべき必須アイテムだと言っても過言ではない」


 ちょっと変人。それが高橋雅夜という男だ。


「日傘の性能に文句はないが、隣を歩いている身としてフリフリ付きはやめてくれ」


 こんな雅夜だが、この見た目のおかげで高校入学したての頃は女子に人気だった。


 しかし、女子に告白されても「ふむ。残念だが君の知能指数では会話のレベルが合わないだろう」と失礼な事を言い始めるので、ついには誰からも相手にされなくなってしまった。


 男子に対してもそんな態度なので当然友達はいなく、会話する相手が俺しかいないというわけだ。そして、そんな雅夜と一緒にいる俺も変人扱いされて友達がいないという負のスパイラル。


 雅夜は日傘を傾けると顔を覗かせ、いつもお決まりのセリフを投げかけてくる。


「ところで照久よ。そろそろ吾輩の夢を手伝う決心はいつたか?」


「手伝わねーって言ってんだろ」


 雅夜からの夢は『世界的にも有名な会社を作り、出来るだけ長く健康的に生きる』ことだ。


 友達と一緒に会社を作るなんて、どう考えたって最初は大赤字で苦労するのは目に見えている。こいつは何かデカい事をしそうな気はするが……。


 俺の本心としては、定時で帰れるホワイト企業に勤めて、結婚して子供を育てる。普通の人生で十分だと思っている。


 人よりも良い給料良い待遇を望めば、人よりも多くの時間を勉強に費やす必要がある。俺はプレイベートも大事にしたいのだ。


「ふ、わかっているぞ。そんな事を言って吾輩の考案した強化プログラムは、ちゃんと受けてくれているではないか」


 強化プログラムとは、大雑把に言うと運動しながら勉強するというものだが、雅夜の誘いを断る興味本位で一ヶ月間一緒にやってみた結果。


 これだけでなんと学年順位が八十位もあがった。ホワイト企業に入るにはある程度の学力は必要なため、嫌々なフリをして付き合っている。


「照久にそこまでやれとは言わんが、吾輩は強化プログラムに加え、経済学や法律など高校では教えてくれない項目も勉強しているぞ」


「それはそれは勤勉な事で」


 そんないつもの掛け合いをしていると、国道の交差点に差し掛かった。この国道は輸送のトラックがひっきりなしに往来し、毎年何度か交通事故が起きていた。


 現在は、市民が声により朝の時間帯のみ交差点各所に警察官が待機して、目を光らせている。免許停止が仕事に多大な影響を与えるため、無茶な運転をするトラックは見なくなった。


「照久ッ!!!」


 ふいに右肩に衝撃が加わる。

 突き飛ばされたと理解するのに数コンマ。

 時が圧縮された世界で確かに雅夜の声が聞こえた。


「あとは頼んだ」と。


 次の瞬間。猛スピードのトラックが歩道に乗り上げ雅夜を巻き込みながらビルの外壁へと衝突した。


 何が起こった。雅夜……そんな、うそだろ? さっきまでいつもにみたいに冗談を言ってたじゃないか。


 身体中の細胞が震えている。これは現実なのか? そこでぐちゃぐちゃの血まみれになっているのは、本当に雅夜なのか……? 


 地面には、さっきまで日傘を持っていた雅夜の右腕が落ちている。込み上げる喪失感と吐き気に襲われ、俺の視界はそこで反転し……気を失った。



 ――目が覚めると、知らない部屋に寝ていた。


 窓の外は暗く、内装からその部屋が病院に行ってだと気付く。気付いた共と雅夜の事を思い出し、悲しみに暮れるが現実だと受け入れられなくて、不思議と何の気持ちも湧かなかった。

 

 置かれているデジタル時計を見るに、どうやら半日近く眠っていたらしい。


 身体はどこも痛くない。


 デジタル時計が乗っているベットサイドのテーブルには

手紙が置いてあり、開いてみると事故発生から現在までのことが書かれていた。字を見る限り書いてくれたのは母のようだ。


 警察によると事故現場で気を失った俺は、検査のため病院へ運ばれたとの事。


 気を失ってある間にあちこち検査して、特に異常はなかったが意識が戻らない事には退院出来ないため、入院することになったようだ。相部屋ではなく個室なのは、母なりの気配りなんだと思う……。


 そして、雅夜の事について母は書いてくれていた。


 雅夜は、即死だったらしい。目を瞑ると、あとは頼んだと言ったあいつの最後の顔を思い出す……。


「雅夜……」


 ふいに実感してしまった。雅夜が死んだという事。そして、雅夜と過ごした思い出が脳を駆ける。子供の頃から一緒だった。兄弟と呼んでも過言ではないくらい一緒の時間を過ごした。失って初めて気付く。雅夜は親友以上の存在だった。


 俺は持っていた手紙を、ぐしゃりと握り潰した。


「俺に語ってくれた、お前の夢……あれもこれも、何もやってねぇじゃねぇか! なんにもだよ!」


 俺の瞳からは、ポタポタと悲しみの涙が流れ落ちた。もう止まりそうにない。最初に押し寄せた感情は、悲しさよりも悔しさだった。


 適当に平凡な人生でいいやと思っていた俺が生き残り、人生をフルスロットルで走ろうとしたあいつが死んだ。やるせなさ。悔しさ。


 次に生まれたのは憎しみの感情だった。こんな運命を用意した神への恨み、憎しみだ。


「有名企業を作るのも! 健康で長生きも! 何もやってねぇじゃねぇか……こんなことあっていいのかよ! ふざけんなよ!」


 まるで自分の体が切り刻まれたかのような感覚に陥った。自分たちが世界の中心だと思っていた。しかし、そうではなかったと、世界から不要だと見捨てられたような奇妙な感覚。


 運命だか神だか知らないが、俺の人生から雅夜を奪ったことは絶対に許さない。


「……るよ。……やってやるよ! 俺が雅夜の分も生きてやるよ。あいつのやりたかった事! 全部やってやるよ!」


 俺は、涙を流しながら魂に決意を刻み込むように叫んだ。



――それから五十年後


 俺がいま入っているのはハイパーループという巨大なドーナツ型の装置の中にセットされた小さなポッドだ。


 この装置は、雅夜の残したノートに記載されていた設計図から作った。実際には書き途中だったのだが、何とか俺が完成させた。


 様々な計器が設置されたポッド内のスピーカーからは、部下である霧島の声が聞こえてくる。


「社長……最後の確認です。本当にいいんですね」


「ああ、準備に取り掛かってくれ」


「かしこまりました……。神谷社長……露頭に迷っている時、社長に拾っていただき本当にありがとうございました。この幸運を、たくさんの人に分け与える人生を送りたいと思います」


「ふふ、そうしてくれるとありがたい」


「では、準備に取り掛かります。三十分ほどで完了致します。それまでご家族とお繋ぎ致します」


「ああ、頼む」


 ここは、我が社でも一部の者しか知らない秘密の地下実験場である。


 五十年前のあの事故以来、俺は雅夜のやりたかった夢を全て叶えるために、文字通り分単位のスケジュールをこなした。


 雅夜の残したノートには、雅夜が考案した新薬のレシピなどがびっしりと書いてあった。俺はそのレシピを使い、この神谷製薬を作った。


「あなた、よくやくここまで来ましたね」


スピーカーからは聴き慣れた妻、綾子の声が流れてきた。


「ああ、綾子。長かったよ。でも、あいつの残したノートの通りに俺はやっただけだ」

「いいえ、確かに目標や道を示してくれたのは雅夜さんですが、ここまで歩いてきたのは、間違いなくあなたの足ですよ」


 綾子は高校の同級生だ。あいつの残したノートには嫁候補まで書いてあった。


 ストーカーかよってくらいに細かく攻略法が書いてあり、その通りにアプローチしたら交際へ発展、一緒に東大に入学し一緒に会社作りと、とんとん拍子に進み、これまで苦楽を共にしてきた。


「もう、昨日あれだけ語り合ったんですもの。いまさら特に言うことはないわ。そうね……、もし生まれ変われるならまたご一緒させてください」


「ああ、もちろんだよ。それと……子供達に動画は残したが、君の口からもよろしく伝えてくれ」

「この場に子供達を呼ばなくてよかったんですか?」

「ああ、万が一失敗した時のことを思うとな」

「わかりました。私から伝えておきますね」

「愛しているよ」

「私もです。照久さん、素敵な人生をありがとう」


 ポッド内にはモニターは設置されていないが、スピーカー越しに聞こえる綾子の声を聞くと、いつも優しく微笑んでくれる彼女の姿が脳裏に浮かぶ。


「失礼します。……社長、準備が整いました」


 夫婦の会話に水を刺さないように待っていたのだろう。申し訳なさそうな霧島の声がスピーカーから聞こえてきた。


「始めてくれ」

「かしこまりました。御武運を」


 もうこの世に思い残したことはない。


 私が乗り込んでいるポッド内では、様々な計器が目まぐるしく稼働し点滅している。


 雅夜がやりたかった夢は全て叶えた。自分の人生を楽しむなんて余裕はなかった。ひたすら時間と体力の勝負だった。この五十年の激務を耐えるためには、あの強化プログラムは必須だった。あれがなければ、過労で何度死んでいたことか。


 ふわりと浮遊感がありポッドが浮いた事がわかった。ポッド内では、赤く点滅していたランプが次々に緑へと切り替わっていく。


 五十年前の事故は調査の結果。トラックの運転手は、運転中に脳梗塞を起こして意識を失っていたそうだ。


 人間の尺度から考えたら運が悪い事故でしたで、終わる話しだろう。責任を求めるなら運転手の健康管理を怠った雇い主の会社だと思うが、一ヶ月前に受けた健康診断は問題なかったそうだ。


 つまり状況証拠から、「運が悪かった。それが彼の運命だった」と新聞各社は報じ、すぐに事件はワイドショーからも消えた。五十年たった今でもあの国道に花を添えるのは俺くらいだ。


 俺はそれ以降、激務の間も頭の隅では、こんなエンディングを用意した神に……運命に逆らう方法を模索していた。むしろそれが糧となり燃料となっていたから、ここまでこれたのかもしれない。


 ポッド内の計器が全て緑に輝き、準備が完了したことを告げる。俺は青に輝くスタートと記載されたスイッチへと手を伸ばした。


 俺はずっと準備をしてきた。そして――準備は整った。このスイッチを押せば終わる。――いや始まる。俺の全人生をかけた復讐が!


――十年前

「社長……これ、本気ですか?」

「ああ、大真面目に言っている」


 俺の部下の霧島は、ポーカーフェイスで感情をあまり表に出したことはないが、この時だけは驚いているのがよくわかった。


「いや、しかし……これは……」

「いいんだ。君には何度も話したが、それが私の原動力であり、人生の終着点であり出発点なのだ」


 霧島は複雑な顔をしているが、俺の決心が本気であることを悟ると、苦い顔をしながら涙を流してくれた。


――――そして今


 ポット内では、ウィンウィンと機械が鳴動し、いつでも稼働出来るよう準備が整っていた。


「神よ! 聞いてるか?! 言いがかりかもしれないが! 俺は誰かを恨まずにはいられない! 運命なんてものがあるのなら! ちっぽけな存在の人間が! 限界まで抗ってやるよ!」


 いるかわからない誰かに向けてそう叫ぶと、青白く輝くポッドの中で唯一赤く輝くスイッチを、俺は押した。


カチッ


 瞬間――超磁力の力で浮いていた球体のポッドは射出された。俺の設計したこのハイパーループは、巨大なドーナツを横に倒した様な形状をしており、ポッドはドーナツの中で超高速移動を行う。


 ドーナツの中に複数設置された加速装置をポッドが通過するたびに、ポッドは加速を延々と繰り返す。


 ガタガタと揺れる船内では、遠心力により息も出来ないほどの重力が俺の身体にかかる。ミシミシと身体中から異音が聞こえてくる。耳や鼻からは血が垂れ、鼓膜は破れた。


 強烈な吐き気と、肺が潰されそうな痛みに耐えながら、ポッド内に唯一設置された簡易モニターを見ると、加速度を表す九桁の数字が急速に増え、同時に俺の身体にかかる負担も上がっていく。


 冷却装置などは設置してない船内は、空気との摩擦熱により、急激に気温が上昇し靴はドロドロに溶けて、俺の皮膚もただれ、一瞬で水分を奪っていく。


 ボキッ! 最初に指が、そして肋骨が数本、腕も折れた。加速していく重力に耐えきれなくなり、徐々に俺の身体が壊れていく。


 すでに顔面は血だらけだが、朦朧とする意識の中、なんとか加速度モニターの数字を確認する。


 あと少し……。


 ギュインギュインと、ドーナツの中で超高速移動を行うポッドは徐々に速度を増し、光速へと近づいていく。


 肺は潰れてもはや息をしていていない。脳の酸素が無くなるのが先か、高速を越えるのが先か、あとは精神と気力の勝負だった。


 く、もう……限界……だ。


――いいですか?社長


「この装置を起動させたら、あなたは死にます」


 ふふ。


「笑い事じゃありませんよ」


 霧島は呆れた顔をしながら、淡々と説明を続ける。


「このポッドには、搭乗者を命を守るような装置は一切ついていません。酸素ボンベも放熱シートも耐衝撃装置も何もかもです」


 超高速のために限界まで軽量化したからな。


「稼働させたら最後。超高速でチューブの中をポッドが移動し、ドームの中心部に小型のブラックホールが出現します。光速に近い速度のポッドと、小型ブラックホールの吸引力で社長の乗るポッドは一瞬だけ光速を超えるでしょう。そして――」


 そうだな。そして俺の身体はバラバラになるが俺の意識を過去に送れるはずだ。欠陥品すぎるよな。


「ええ、この装置は搭乗者を過去の世界に送れる代わりに、その過程で搭乗者は死に、送れるのはほんの少しの意識だけという、デメリットだらけでメリットが少なすぎる欠陥品ですね」


 でもな、俺にはこれで十分なんだ。


「送れるのは恐らく意識の断片くらいで、言葉の一文字すら送れないのですからね。おまけに、何度計算し直しても丁度五十年前にしかタイムスリップ出来ませんし、莫大な費用と人命をかけた割には費用対効果は何もありません」


 それでもいいんだ。雅夜が助かるかもしれないという未来が発生させられるなら、俺は残りの人生をただ浪費するよりも、可能世界の礎になれるなら喜んでスイッチを押すさ。


「本当に、社長にそこまで思っていただけるなんて雅夜様のことが羨ましいです」


ふふ、あいつは特別だからな――


 高熱と衝撃と重力により、もはや身体の感覚はなくなり首から下が付いているのかさえわからない、光になる間際の世界の中。


 その時が来たのだと確信して、俺は強く強く雅夜の事を考えた。走馬灯が脳を駆けようとするがそんなものは邪魔だった。


 俺が思うのは雅夜を救う事。強く強く……昔の俺よ、雅夜を救ってくれと、ただただ願うだけだった。


 光の奔流に飲み込まれながら俺の意識は消えていった。



――「照久、吾輩の人生の目標を覚えているか?」


「ああ、あれだけ毎日言われてたら暗記しちまったよ。”世界的にも有名な会社を作り、美人の妻と結婚して五人の子供を作り、出来るだけ長く健康的に生きる”だったよな?」


「うむ。その通りだ」


「良いか照久。何事にも成功する為には準備が必要だ。有名企業を作るために毎日六時間の勉強に加え、経済学や法律など高校では教えてくれない科目を毎日二時間」


「相変わらず勤勉なことで……うっ」


 突然、自分の身体に何かが引き寄せられて入ってくる感覚がした。同時に襲ってくる強烈な吐き気と頭痛。


 何千本もの映画を一瞬で見たかのように、並行世界で生きた五十年分の果てしない情報量が脳に書き込まれ、体験として魂に刻まれた。


「せっかく良い会社を作って大金を手に入れても、健康を疎かにして早死にしてしまっては意味がない! 人間の寿命は限られているが、百歳とはいかずとも最低でも九十歳くらいまではお金持ちの生を堪能したい!」


(これは……この後の展開は……!)


「吾輩は毎日勉強しながら筋トレ! これで効率的に知能と体力をつけて最強の自分になるのだ!」


「雅夜!!!」


 俺はとっさに雅夜を、突き飛ばした。

 未来の俺から受け取った情報を頼りに、トラックがこちらに突っ込んでくるのが見えたからだ。


 時が止まったかのような細い時間の中。雅夜と目が合った。


 やっと俺の夢を叶える事ができた……。これで雅夜を救える。俺は五十年、この瞬間のためだけに生きた。お前が生き残る未来が作れるならと……。本当によかった。


今度こそ生きてくれ――。


 涙で雅夜の顔が歪む中、ふいに雅夜を突き飛ばした手がグイッと引き寄せられた。


「照久ぁ!」


 俺が思いっきり突き飛ばしたはずの雅夜は、脅威の脚力でその場で踏ん張り、絶叫に近い咆哮を放ちながら、俺の手を力一杯引き寄せた。


 雅夜に引っ張られたせいで体の位置が変わり、雅夜が道路側に……! くそ! ここで雅夜に死なれたらなんのために俺は……!


「うおおおおおお!」


 俺はさらに雅夜を通路側へと強引に引っ張った。お互いがお互いを引っ張り合ったせいで俺たち二人はもつれあうように歩道へと倒れ込んだ。

 

 コンマ数秒後、雅夜と俺のいた場所をトラックが通過し、派手に横転した。


「馬鹿野郎!! なにやってんだよ! 俺はな! お前を救うために五十年……うっ」


 雅夜の胸ぐらを掴んで怒鳴りつけた瞬間。俺の中で何かが限界を迎えたらしく、だんだんと意識が薄まっていく……。


「照久! おい! しっかりしろ!」


 必死の形相で叫ぶ雅夜を見る限り、どうやら無事なようだ。それだけ確認できれば俺なんて死んでもいい。よかった……。


――目が覚めると俺は病院のベットに寝ていた。この天井は五十年前にも見た光景だ。カーテンの隙間から差し込む光が眩しい。


「痛っ……!」


 体を起こそうと力をいれたら、左足に激痛が走った。視線を向けると、左足が天井から吊るされており、包帯ぐるぐる巻きにされている。……思い出した。


 激痛の走る体を無理矢理起こし、備え付けのテーブルを漁った。五十年前と同じなら、母親が書き残したメモがあるはず!


 ない……。強烈に覚えているから間違えるはずがない。確かにここに……。いや待てよ。外が明るい。あの時は目を覚ましたら夜だったような……。


「一週間も昏睡するとは……身体の鍛え方が足りんな、照久」


 声のした方に視線を向けると、五十年前には死んだ雅夜が、いつもの勝ち誇った顔をして室内の簡易手洗い場から顔に覗かせた。


「無事……だったのか。よかった……」


 雅夜の姿を確認した安堵からか、俺は力なくベットへと倒れた。同時に、この五十年の苦労が涙となって流れ頬を濡らす。


「お前が生きてくれてて……本当によかった……ぐす」


「それは吾輩のセリフだぞ。照久」


 雅夜は椅子に座ったまま、足を組み直すとゆっくりと話し始めた。


「照久は気を失う前に言ったな。お前を救うために五十年と、そのキーワードだけである程度の予想が立った」


「吾輩もなのだ。あの事故で照久が死んだ後、吾輩はハイパーループという装置を作り、この五十年前へと飛んだのだ」


「雅夜も……だと」


「うむ。順を追って説明しよう。どちらが先かもはやわからないが、仮に先に死んだのが吾輩だとしよう。照久は吾輩の残したノートを頼りにハイパーループを作成し過去の吾輩を助ける」


「ふむ」


「吾輩は助かったが、照久は死んだ。そこで吾輩もハイパーループを作成して過去の照久を助け吾輩は死んだ」


 さらに、雅夜を助けるために俺が過去に戻り助けて死んだ。残された雅夜は俺を助けるために過去に戻り助けた。永遠とループする。


「それってつまり、矛盾してないか?」


「その通りだ。ここで世界に矛盾が発生した」


「このループにより吾輩か照久、どちらか片方が死ぬ運命が消えてしまった。ここでループを抜けるには、二人とも死ぬか、二人とも生き残るか」


それはつまり……。


「ここにこうして、俺たち二人が生きているという事は、運命の野郎は俺たち二人を生かす事にしたって事か?」


 雅夜は正解と言わんばかりにパチリと指を鳴らした。


「そうだ。それがこの世界。吾輩はそう考える」


 それが真実なら俺たちは運命とやらに勝ったことになる。はたして人間にそんな大それたことが可能なのだろか……一つの不安が脳裏を横切る。


「待てよ。これ映画で見たことあるぞ。ファイナルデッドなんたらっていう……死の運命からは逃げれないとかいうやつじゃないのか?」


「五十年もあったのだ。それなら片方が生き残った段階でとっくに運命に殺されているはずであろう」


「それもそうか……」


 終わったのか……? もう苦しい思いも辛い思いをするのも終わったでいいのか? 突然来た物語の休憩シーンに実感がなく。脳が身体が理解が追いついていないと告げる。


 雅夜は鞄から一冊のノートを取り出してパラパラと捲り始めた。それは俺の心の支えになった大事なあのノートだった。


「しかし照久。この書きかけのノートでよくハイパーループを完成させたな。重力制御装置については何も書いてなかったのに」


「書きかけ……? じゅ、重力制御装置……?」


「何?! まさか、制御装置無しで挑んだのか? 骨とか粉々にならなかったか?」


「……なったよ」


「うぇ、よく成功したな信じられん」


「そ、その制御装置があるとどうなるんだ?」


「どうもなにも、ただドーナツの中をぐるぐる回るだけで過去に戻れるってだけだ。身体への負担はないはずだ」


「まじかよ……」


 絶句する俺をよそに雅夜は、自分の理解を超えた存在だ、さすが照久だと笑い転げている。


 床に転がってひとしきり笑い終わると、雅夜は椅子に座り直して、俺の手を握ってきた。


「え、なにキモイんだけど」


「照久。吾輩を助けるために重力制御装置なしでハイパーループに挑んだ勇気と努力。照久が諦めなかったからこそ、この未来が産まれた。吾輩を救ってくれてありがとう」


 改めて言われると恥ずかしさが勝つが、ありがとう。この一言で全てが救われて、やっと心がこの世界に戻ってきた気がした。


「それは俺も一緒だ。俺のことを救ってくれてありがとうな」


 俺は雅夜の手を強く握り返した。


「この辛かった五十年間、これは生涯でも我々しか分かり合えん」


「ああ」


 手を離し二人で拳と拳をぶつけ合う。俺たちがいつも何か成功させた時に行うポーズだ。


 話しは終わったとばかりに雅夜はノートを鞄に戻すと、代わりにノートパソコンを取り出した。


「照久よ。今後のことを考えてはいるか?」


「今後? いやお前、いま九死に一生を得たばかりだぜ」


「ノープランというわけか。ならば残りの人生を吾輩の夢に付き合ってくれないか?」


「おいおい。五十年働いてきたばかりだぞ。また製薬会社を作るのか? 合計で百年働かせる気か? 完全にオーバーワークだろ」


 俺は雅夜をよく知っている。こいつは無駄が嫌いなのだ。同じことをやって満足する性格ではない。


 そして俺の読み通り、雅夜は人差し指を突き出して左右に振ると、突拍子もない事を言い出した。


「吾輩は、国を作る」


「は?」


「いやいやいや、お前、それは無理だろ! 痛って!」


 天地がひっくり返るほどの提案に驚いて身体を動かしたせいで足に激痛が走った。


「うむ。さすがの吾輩にも残りの人生だけで一から国を作るのは時間がない」


 びっくりした。紛争地に乗り込んで行ってここは俺の国だとテロリストまがいのことをするのかとヒヤヒヤした。


「何をやるにも下地は大切だ。いきなりトップにはなれない。かと言って、選挙に立候補して腐った政治家の仲間になって総理大臣を目指すなんてのも嫌だ」


「だよな。お前がそんなことを満足するとは思えないぜ」


 日本を乗っ取るにしろ、海外の空白地帯を占拠するにしろ。国をというからには国民が必要だ。紛争地帯や砂漠を買い取って旗を建てて満足するやつでもない。


「右に習えの精神でコントロールしやすい日本人は好きだ。なので、吾輩はまず街を作る」


「まず街っていうところが雅夜って感じするな」


「五十年の知識があるのだ。製薬会社の立ち上げも、株式取引で資金調達も簡単すぎる。その金を使って街を丸々買い上げて、ゼロから吾輩の理想とする街を作る」


 これまた壮大なストーリーだが、確かに五十年の知識を持つ俺たちなら資金調達は可能だろう。あとは仲間だな。


「誰もが住みやすい最高の街を作り、ルールを作り、人を集め支持率を上げ、政党を立ち上げ、この国を乗っ取るのだ!」


 はーはははは!と魔王のごとく笑い飛ばしている雅夜の顔は生き生きとしており、面白そうなことをする前の雅夜の顔に懐かしさを覚えた。


「それを俺に手伝えっていうんだな? やってやろーじゃねーか。俺の足を引っ張んなよ?」


「なぬ?! それは吾輩のセリフだぞ! 言っておくが! 吾輩が市長だからな!?」


 雅夜はプンプンしながらノートパソコンと周辺機器を差し出してきた。


「はいはい。んじゃ、俺は足が治るまでに製薬会社を作る準備しておくから、お前は街作りの計画を始めろよ。金はすぐに用意する」


「金なら照久が昏睡している一週間のうちに、闇金で金を借りてとりあえず十億ほどに増やしておいた。もちろん借りた金は返済済みだ」


 さすが雅夜。やる事が早いな。製薬会社を作るにはどうしても、設備が物を言うため、資金がなくては話にならない。


「さて、吾輩は忙しいのだ、もう行くぞ。今後のことについては追って連絡する」


 雅夜は立ち上がると鞄を持ち、病室の入り口へと歩き出した。


「あ、待ってくれ。会社名はどうする? 町の名前も候補があるなら同じにした方が何かと宣伝になるんだが」


 雅夜は忘れていたとばかりに手をポンと叩くと、こちらを振り向いた。その顔は自信満々の笑みで満ちていた。


「街の名前なら既に決まっている。神谷照久、高橋雅夜。始まりはお前で終わりが吾輩……神夜シティ」


 うわぁ、厨二病みたいな名前だな……。


「わ、わかった。いい名前だな。製薬会社は神夜製薬か」

「うむ。ここから我々の新しい未来が始まる」

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