アルコール&アンコール

倉石ティア

谷汲名草

名草

 谷汲名草の休日は、飲酒から始まる。

 スーパーで買ってきた沢山のお酒をテーブルに並べれば、そこにはカラフルな祭壇が出来上がる。めまいがするほど自堕落な光景だが、谷汲はご満悦の表情を浮かべていた。黒縁のメガネをくいと持ち上げて、彼女は今日の獲物を見定める。

 ショートカットが良く似合う、傍目には利発そうな女性だ。そんな彼女の趣味が連日連夜の飲酒行為などとは、同僚の誰もが知らない秘密に違いない。

「よし、決めた!」

 まず、谷汲はビールを手に取った。銀色に輝くボディが美しい、あの有名なビールである。唇の端を舐めて、うっとりとアルミ缶を眺める。パコッ、と小気味良い音を立ててプルタブをあけた。

「最初の一杯はこれでしょ」

 小口から覗く琥珀色の液体に、彼女はうっとりとした視線を向ける。谷汲はビールをぐいーっと一気に傾けて、喉をごきゅごきゅと鳴らした。半分ほどを流し込んだところで口を離し、堪らないとばかりに息を吐いた。無表情な彼女には珍しく、目元が緩んでいる。

「最高」

 短く感想をのべると、彼女はつまみに用意したツナキューブに手を伸ばす。金色の包み紙を開いたところで、ぱちん、と同居人に手を叩かれた。

 日和紀保である。

 小柄な、ともすれば中学生にも見える同居人は今も谷汲を睨み付けている。谷汲と同い年だが、童顔の少女だ。かわいい顔をしていることもあってか、彼女の怒り顔は全然怖くなかった。

「何するの、日和」

「こっちの台詞だけど。朝からお酒飲むなんて信じられない!」

「休日の朝ぐらいいいじゃん……ほら、見てよ。美味しそうでしょ」

「ダメです」

 谷汲が差し出したツナキューブは、抵抗する間もなく取り上げられた。どうやら、日和の琴線には触れなかったようだ。彼女は大きくため息をつくと、冷蔵庫へと歩いていく。中から取り出してきたのは牛乳パックだった。

 日和は牛乳パックを、ゴン、と叩きつけるようにテーブルへ置く。随分とお怒りのようで、谷汲も肩をすくませる。日和は、とぽとぽとコップに牛乳を注いで、また牛乳パックをテーブルへと置く。彼女は谷汲をぐいっと睨みつけた。

「朝ご飯、作ってあげるって言ったよね?」

「……言ってたね」

「じゃあ、なんで飲み始めてんの」

「……そこにお酒があったから?」

「この酒クズめ……はぁ……」

 日和は再び大きなため息をついた。そして、谷汲の手にある缶を奪い取ると中身に口をつけようとした。慌てて日和から奪い返した谷汲は、初めて表情を変える。と言っても、僅かに眉根を寄せただけだが。

 取り上げたビールの缶を高く掲げて、谷汲は日和を見下ろした。ふたりの間には、座ったままでも身長差がある。そのせいで見上げる形になった日和は不機嫌そうな顔をしていた。

 ふむ、と谷汲は考える仕草をする。そして、悪戯っぽい笑みを浮かべると、ビールを口につけた。そのまま傾ける。彼女の喉が小さく動くのを見て、日和は更に頬を膨らませた。

「なっちゃんばっかずるい」

「ダメだよ。日和はまだ未成年でしょ」

「正論だけどムカつくなぁ……」

 頬を膨らませた日和が、不機嫌を隠さないまま谷汲へと文句をぶつける。同級生ながらも、誕生日の前後によってふたりには確かに年齢差がある。そして、それは今みたいな壁を作ることもあるのだった。

 ぷくっと頬を膨らませたまま、日和は仕方なしに牛乳を飲む。そして、谷汲を睨みながら言った。

「もう、ご飯作ってあげないから」

「……それは困る」

「じゃ、どうすべきだと思う?」

「……分かった。一本で我慢する」

「いや飲むんかい」

 すぱこーん、と日和の手の甲が谷汲の肩を叩く。

 谷汲は素直に謝ると、ほぼ空っぽになった缶をテーブルに置いた。すすす、と日和の隣に移動して、そのまま彼女に抱き着いた。突然の行動に驚いたのか、日和はびくりと体を震わせる。しかし、すぐに諦めたような表情を浮かべて、谷汲の頭を撫で始めた。満足するまで彼女が動かないことを察しているのだ。しばらくすると、谷汲は日和を解放してカーペットの上へと寝転んだ。

 たいして広くないアパートの一室だ。両手足を広げて横になれば、すぐに手狭になってしまう。それでも彼女は楽しそうだ。酒に含まれるアルコールと、幼馴染が内包する優しさに、充分癒されたようだった。

「満足した」

「……仕事、そんなに大変なの?」

「別に。普通」

「……そっか。ならよし」

 立ち上がった日和が台所へ向かって、谷汲もそれについて行った。

 日和は慣れた手つきでフライパンに油を引いていく。彼女がベーコンを乗せると、じゅわっという音と共に、香ばしい匂いが漂ってくる。谷汲はじっとその様子を見つめていた。やがて耐えきれなくなったのか、日和に背後から抱き着く。その口元からは、微かにアルコールの匂いがした。

「お腹減った」

「はいはーい。もう出来るからね」

「……ビールって、お腹すくんだね」

「それは勘違いだと思うけどな」

 平和なうちに、日和は料理を済ませる。

 ようやく準備を終えた朝ご飯のテーブルについて、日和は祭壇になっていたお酒たちを片付けていく。名残惜しそうにそれを眺めていた谷汲が、そっと彼女の肩を突いて尋ねる。

「ねぇ、朝ご飯の後なら飲んでもいい?」

「ダメです。今日は部屋を片付けるって約束でしょ」

「うぅ、日和のケチ……約束魔……」

「そーでもしないと、なっちゃんは何もしないでしょ?」

 意地悪に微笑んだ日和に、ほとんど表情を変えないままに谷汲が不満を漏らす。それでも一緒にいて、離れることなど考えないふたりだった。


 これは平々凡々な女性達の、酒と愛にまつわる日常の話である。

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