熊魔獣と勇者

「何か方法は……くっ!」


 またしても猛スピード突進。

一瞬よろけそうになったが、間一髪で避ける事に成功。

 まだこの熊魔獣が突進しかしてこないことが救いだ。

新しい攻撃がくる前に、今のうちに次の手を考えないと……。


(剣以外で今の握力で使えそうなもの、何かないか?)

地面に転がったかばんまで走る。


「中に、何かあってくれ!」 


 そう思って口に出してはいるが、先ほど出発前に中身をチェックしたばかりだ。こんな化け物を相手どれるような物は入れていないと、心の奥底では理解していた。


「痛っ!」


 鞄を持ち上げるだけで、手に痛みが走る。ここまで重症かよ!

中を確認する前に、熊魔獣が次の突進を開始する。


「考える隙くらいくれよっ!」


 同じように横に回避する。

熊魔獣が横切った瞬間、次の突進までの間に急いで思考をフル回転させ、かばんの中身を確認する。


「グオァ!」

「嘘だろ!?」


 熊魔獣は、学習していた。

俺の横で急ブレーキをかけ突進を止め、俺が気づいた時には鋭い爪をもった右腕を振りかぶっていた。こんなタイミングで成長しやがった!

まともに食らえば確実に、死ぬ。


「うあああっ!」


 この瞬間、俺が咄嗟とっさにとった行動は回避でも、硬直でも、防御でもない。だった。人間元来の生存本能なのかもしれない。

そこそこの重さであるかばんのぶら下げる部分を全力で握り、熊魔獣の攻撃が当たるよりも先にぶん回した。


「グガァ!?」


 ぶん回しの勢いに握力がついていかず、鞄はすっぽ抜け飛んでいったのだが、運がいいことにかばんの角が熊魔獣の左目に直撃した。

急に視界が歪んだことにより、敵の攻撃威力は弱まる。

が、途中まで振り下ろしていた右腕が止まったというわけでもないので、俺に直撃し、軽く空を飛び、木に当たって止まる。


「がはっ……!」


 背中から木に当たった衝撃で数秒呼吸がまともにできず、過呼吸気味になる。

熊魔獣は目の痛みに悶え、咆えているみたいなので攻撃するなら絶好のチャンスなのだが、生憎それどころじゃない。

 強く握った両手が痛い。腕の装備の上から受けたのに骨がきしむように痛い。呼吸一つで背中が痛い。痛い痛い痛い痛い痛い。


……ダメだ、立ち上がれない。


 人間というのはここまで一気に負傷すると、希望の持ち方を忘れるのか。

脚に力が入らない、力の入れ方が分からない。例え立てたとして、それが何になる?


(少女一人助けたと思えば、まだ救われるかな? でもこの後、熊魔獣がシレクス村に行ったらきっと全滅だ。どうか、強い人がいてくれ。俺みたいな偽物じゃない、本物の勇者が!)


 「仕方ないんだ」「できるだけは頑張った」そう自分に言い聞かせ続けながら、俺の意識は暗闇の中へと引きずり込まれ始める。


「グオオオオオオオォォォォォ!!!」


熊魔獣が怒りの咆哮をあげる。どうやら復活したみたいだ。咆哮が終わると同時にこちらに視線を移した。


「終わりか……」


 視界を閉じ、ただ終わる時を待つ。

せめて痛みすらわからない程一瞬で、なんて我儘を熊魔獣は聞いてくれないだろう。


 俺は受け入れた。命の終わり、「死」を。

実に短い旅路だった、人生だった。

距離で言っても長めの散歩だ。

ここまで何もできないなんて、さすがは平凡の極みな農民だ。悔いと呼べるものすら残せないような旅の記録、次の勇者はせめて……。


「兵士とかから選べよな、国王くそじじい


 捨て台詞のように吐き、痛みを堪えながらも笑って見せる。側から見たら区別はつかないだろうが気持ちの問題だ。


 こうしてあっけなく、誰の記憶にも、なんの記録にも残ることが無い一人の勇者農夫の戦いに幕が降りた。

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