スフィア

@foyer

1−1ー1. 決意

受験に落ちた。

まあ、今じゃそんなに気にしてもないんだけど。

いや嘘だ。何日も川沿いで黄昏れるくらいにはへこんでたし、昨日も布団の中で少し泣けてきた。

とはいえ、今日は入学する学校の入寮日なんだ。いつまでも引きずっていられない。

「ふっ」

勢いを声に出して、布団から飛び出る。温かいとも、なんとも言えない4月の気温。

それでも布団とお別れをしたので、気持ち寒い。

「あ、今のでこの布団ともお別れなのか」

冷静になり、別れに気づいて寂しくなった。もう一度、床に戻ろうとして、

「もう20分じゃん」

8時に美咲が来る約束になっている。

待たせて怒られるような関係では無いし、美咲は気にもしないだろうが、完璧超人な美咲とまた同級生になるのだから、僕もしっかりしないと…

「顔洗いに行こ」

布団には申し訳ないけれど、一緒に眠るのはまたの日にしよう。


「あら拓海。随分のんびりした目覚めね」

「なんで美咲は僕より先に、僕の家のリビングにいるの?」

リビングに行くと、唯一の中学・高校の同級生になる小川美咲がソファに座っていた。

少し肩にかかる黒髪、168cmの僕と変わらない身長の上、ジーンズが包む両足は僕よりも長い。その両足を組んで、僕でさえ読んだことない新聞を読んでソファを陣取っている。

「相変わらず、自分の家みたいに過ごすね」

「何言ってるの、自分の家より翼を広げてるわよ」

「広げるのは新聞だけにしなよ…」

「いいじゃない、お母さんも拓海も読まないんだから」

「たくみ~、何のんびり寝てるの!ごめんね美咲ちゃん、こんなのんびりな子で」

キッチンでご飯を作っていた母が声を掛けてくる。

「いえ、私が好きで待っているだけですから」

「ありがとうね~、受験に落ちた時はどうなることか、と思ったけど美咲ちゃんが一緒なら安心だわ」

「息子さんの身は、私にお預けください」

「あら~、それは期待しちゃおうかしらね」

美咲のツッコミづらい言い回しには、母は基本ノータッチである。

「拓海、さっさと動きなさい!」

「は〜い」


洗面所で顔を洗い、トーストとサラダが用意された席に着く。

リビングのソファで新聞を読む美咲越しに、テレビのニュースを見る。

「そういえば、父さんは?」

「結局、帰って来なかったわね~。息子の旅立ちだって言うのに…ごめんね」

「いや、うん。忙しいもんね父さんは」

父さんは霞が関で働くいわゆる官僚だ。同級生のお母さんや学校の先生から、いつも父さんのことを褒められたけれど、僕にとっては偉い人、忙しい人、くらいの印象しかない。

母さんは僕が生まれる前に比べれば帰ってくるようになった、というが僕にとっては日曜日以外に父さんの姿を見ることはほとんど無かった。

それでも父さんが誇らしく、見合う人間になりたくて、偏差値60以上の、僕にとっては高いレベルの高校を受験したのだけれど…、いや受験に落ちたことは頭の隅に追いやろう。

『次のニュースです。国は今日、宇宙航空研究開発機構の組織改革を発表しました。』

アナウンサーが淡白に世情を流している。会見の様子が流され、スーツを着た大人が10人くらい並び、中央のいかにも偉そうな人が話している。

国、ということは父さんと同じ人達。父さんを褒めていた大人達には、僕の父さんがこんなふうに見えて…

「っていうか、あれ父さんでは?」

「え、パパ?」

『では次のニュースです』

アナウンサーは僕らの様子など気にもとめず次の話題に進む。

「え、気のせいかな…」

あまり会っていないとはいえ、自分の父親。簡単には見間違えないはず、と思っていると、

「気のせいじゃないと思うわよ」

そう言って、テーブルに近づいてきた美咲はバサッと新聞紙をテーブルに置く。

ただ、普段新聞を読まない僕にはどこに目を通せばいいのかさえ分からない。見出しは『宇宙航空研究開発機構 大幅組織改革』で…、

「ここよ」

僕の様子を見かねてなのか、見る場所を指し示してくれる。その宇宙なんちゃらの組織図が書いてあって、美咲が指し示すメンバーのところに、

『松本拓也』

父の名前がある。

「ほんとだ、母さん!父さんの名前が新聞に載ってるよ〜」

「なに~?」

母さんが牛乳を汲んでテーブルに持ってきてくれる。

「ありがと」

「あら本当じゃない〜。忙しくなるってこれのことだったのかしら」

そう言いながら新聞を持って、キッチンへ戻る。

僕が受験に落ちたことを知ったとき、父さんは僕を責めなかった。それどころか、『大変な時期に一緒に過ごせなくて悪かったな』と僕に頭を下げた。父さんは、僕に良い学校に行ってほしい、と期待はしてなかっただろう。時々しか会ってなくてもそれくらいは分かる。

滑り止めか、二次募集かと悩んでいる時期に、父さんは、

『しばらく忙しくなる。ゴールデンウィーク過ぎまでは帰れないと思う』

僕と母さんにそう言い残して以来、一度も家に帰って来ていない。

「あの人も頑張ってるのね~、落ち着いたら電話くらいはくれるかしら」

「うん」

新しい学校に行ったら、さらに会えなくなる。けれど、父さんも頑張ってるんだ。

自分の望んだ環境じゃなかったけど、僕も頑張ろう。

そう決意して、トーストを牛乳で流し込んだ。

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