事情
俺は扉を潜り、ラナのいる遺跡へと引き返した。
扉から現れた俺を見るなりラナが驚いたように声を上げる。
「レイ!? どうしたの!?」
ラナは慌てて駆け寄ろうとしてくれたが、巻きついた鎖がそれを許さなかった。
鎖が限界まで伸びて、耳障りな音がする。
ラナは焦燥に駆られながらも俺が辿り着くのを待ってくれた。
俺は数分かけてフラフラとした足取りでラナの元までたどり着いた。そこで足の力が抜け、地面にへたり込んだ。
「……なにが……あったの?」
震える声でラナが聞いてきた。動揺するぐらい俺の姿は壮絶だったのだろう。
なにせ全身血塗れだ。
血が付いていない箇所を探す方が難しい。
「……わからない。……わからないんだ。俺は……」
「レイ。落ち着いて。初めから話してくれる?」
ラナは血で汚れるのも構わずに血塗れの肩に手を置いた。そうして俺の目をしっかりと見た。
「キミのことを教えてくれる?」
「……わかった」
そうして俺はこの三年間で起きたことをラナに話した。ここは俺にとって夢の中だということ。夢の中、あの扉の向こうで眠りにつくたび殺され続けた事。
そしてある日、あの扉が現れたこと。扉を目指したが力及ばずに失敗した事。
全てを包み隠すに話した。
ラナは俺の話を一度も遮らずに聞いてくれた。時には相槌をうちながら。
そして話が終わった時、ラナは涙を流していた。
「……ラナ?」
「……ごめんなさい。私にはキミの苦しみは想像することしかできないけれど…………辛かったね」
ラナは俺の頭を撫でた。正直、気恥ずかしい思いはあったが、それ以上に心に沁み渡るモノがあった。
……ようやく解放されたのか。
いつの間にか俺の瞳からも涙がこぼれ落ちていた。
「……あれ?」
涙なんて既に枯れたと思っていた。
泣き叫んでも意味がないから。バケモノにとって涙は遊戯のスパイスでしかない。
しかし今は止めどなく溢れてくる。拭っても拭っても止まることはなかった。
「辛かったら……泣いていいんだよ」
「うん……ありがとう」
そうして二人して涙を流し続けた。
俺とラナは祭壇に腰掛けていた。
女の子の前であんなに涙を流した事は初めてだ。幼馴染にさえ見せたことはない。
落ち着いてくると非常に恥ずかしく思えてくる。
そーっとラナの横顔を盗み見ると彼女もこちらを向いていてバッチリと目が合った。
「落ち着いた?」
俺の目を覗き込みながらニコリと微笑む。
……その顔は反則だ。
ただでさえ可愛いのに、上目遣いは破壊力がとてつもない。
顔が熱を持つのを感じる。
「うん。大丈夫。ありがとう」
俺はお礼を言いながら恥ずかしくて目を背けた。
「じゃあそれ、綺麗にしようか」
ラナが俺の身体を指差した。
俺の身体は依然として血塗れのままだ。とても衛生的とは言えない。
しかし綺麗にすると言ってもここには水がない。だから諦めていた。
俺の不思議そうな顔に気付いたのか、ラナは悪戯を思いついた子供のように笑った。
「まあまかせて!」
ラナが手のひらを俺の方へと向けた。すると、言葉がわかるようになった時にも現れた奇怪な文字が浮かび上がり消えた。
そして――。
「えい」
「うお!!!」
ラナの手から大量の水が溢れ出した。何も知らされていなかった俺は頭から水を被った。冷水ではなくほのかに温かかったのはラナの気遣いだろう。
「どお? 綺麗になった?」
「……綺麗にはなったけど……一言説明が欲しかったかな」
俺がジト目で言うとラナは自分の手も洗いながらカラカラと笑った。
表情がよく変わる子だ。仕草がいちいち可愛らしい。きっと何をやられても俺は許してしまうのだろう。
愛嬌というものはおそろしい。
「それで、これはどうするんですか? ラナさん?」
水をかけられたのだから当然びしゃびしゃになる。いくら温水とはいえこのままでは風邪を引いてしまう。
夢の中で風邪を引くのかどうかは定かではないが。
「濡れたら乾かす! 当然でしょ?」
ラナがもう一度手を翳すと次は水ではなく暖かい風が吹いた。
アフターケアは万全らしい。
あまりの気持ちよさに目を細める。こんな感情を抱くのはいつ以来だろうか。
「……気持ちいい」
「ありがと」
ラナはニコリと微笑んだ。
「こちらこそ」
俺はしばらく心地のよい風に身を任せていた。
全身が乾き、清潔になった。
とはいえ今身につけているのは黒い布切れだけだ。一応ズボンも履いてはいるがビリビリに破けており、かろうじて大事な部分を隠せている程度。少し心許ない。
「なあラナ。服とかって出せたりしない?」
「流石にそれは無理かなぁ」
「じゃあまあ仕方ないか」
「レイがここに入ってきた時は黒い外套みたいなのを羽織ってたんだけど、やり方覚えてる?」
当然そんなことはわからない。なにせ記憶がないのだから。
それ以前に聞き捨てならない言葉があった。
「ちょっと待って。俺がここに入ってきた?」
「そうだよ。やっぱり覚えてないんだ」
「ごめん。その時のこと教えてくれる?」
「いいよ。って言ってもあの扉からレイが現れて戦ったぐらいだよ?」
ラナがさらりととんでもないことを言った。
「戦った? 俺が? ラナと?」
「うん。レイは正気を失ってたみたい。さっき話してくれた肉片を取り込んだのが原因かな?」
「全然、記憶にない。……怪我とかしなかった?」
「うん。大丈夫。この通りピンピンしてる」
ラナが立ち上がって全身を見せてくる。
言葉通り純白のドレスも白い肌には傷一つない。ラナはもう一度俺の隣に腰を下ろした。
だが、戦いになったという事は俺がラナを攻撃したという事だ。たとえ記憶がなかったとしても謝らなければならない。
だから俺は頭を下げた。
「ごめん。記憶になかったのは言い訳にならない」
「いいよいいよ。謝らないで。私はレイに会えて感謝してるし。それに正気にも戻ってくれたから」
「ちなみにどうやって正気に戻したの?」
「レイの胸に刻まれている刻印あるでしょ。それが封印。多分だけど肉片を取り込んだせいでレイの身体は汚染されたんだろうね」
俺は自分の胸を見る。黒い布切れしか纏っていないのでラナの言う刻印がよく見える。
胸の中心に氷の結晶のような刻印が刻まれている。
「……じゃあ俺はラナに救われたのか」
「私もレイに会えて救われたよ」
そう言ってラナは儚げな笑みを浮かべた。
「ねぇレイ?」
「なに?」
「レイにとってここは夢の中なんだよね?」
「そうなるね」
その時、ラナは諦めにも似た表情を見せた。
「……ってことは目が覚めたらいなくなっちゃうの?」
ラナは眉を寄せて不安そうな顔をする。
「………………たぶん」
それを見るともうしばらくはここにいたいと思ってしまう。
……俺がいなくなったらまた一人なんだもんな。
ラナを繋ぎ止めている鎖を見る。
俺とラナは同じだ。俺は夢に囚われ、ラナはこの場に囚われている。
俺はラナに救われた。精神的にも肉体的にも。こんなにも心が軽くなったのは何年ぶりだろうか。
ラナと出会うことが報酬だったのならあの地獄にも意味があったように思える。
ラナの心中は察して余りある。
助けて欲しいと、ここから救い出して欲しいと思っているに違いない。それは不安に揺れている瞳を見ればわかる。
……なら俺は……。
助けるなんて都合のいい事は言えない。無駄に希望を持たせるだけだ。けれど一緒に考える事はできる。
だから――。
「ラナ。言いたくなかったらいいんだけど。……ラナのことも教えてくれないかな?」
まずは知ることから始めよう。
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