未知なる二度寝を夢に求めて

不二本キヨナリ

未知なる二度寝を夢に求めて

 あるところに、三度の飯より二度寝が好きで、しばしば三度の飯が二度や一度、ことと次第によっては零になる男がおりました。

 氏名は仮に、二度寝太郎ふたたびねたろうといたします。


 二度寝とは不思議なもので、二度、三度と寝直しても二度寝と申します。

 その日も寝太郎は、スマートフォンのアラームを止めると、カーテンの隙間を縫って差し込む日の光からのがれるように寝返りを打ち、一度、二度、三度と二度寝していました。

 迎えた目覚めは、はや四回目。

 まだまだ寝たりぬ、と思って四度目の二度寝と洒落込もうとしたところ、寝太郎は違和感を覚えました。布団のなかで寝ている自分を俯瞰ふかんしていることに気づいたのです。

 寝太郎はその睡眠と同じくらい、睡眠という生理現象に造詣ぞうけいが深いものですから、すぐに自分が夢を――目を覚ましたという夢を見ていることに気づきました。

 そこで寝太郎、夢のなかでむさぼる二度寝はどんなものか、ひとつ試してみようと思い、あらためて二度寝することにしました。

 どれくらい時間が経ったのか、目覚めた寝太郎は、確かな満足を覚えていました。夢のなかで貪る二度寝も悪くはなかったからです。

 では、もう一度夢のなかで二度寝をしたらどうかと思ったとき、寝太郎は違和感を覚えました。布団のなかで二度寝すべく寝返りを打っている自分を俯瞰していることに気づいたのです。

 どうやら、夢のなかで寝ている自分が、また夢を見ているようでした。

 寝太郎は面白くなって、また二度寝に興じました。

 ややあって、目が覚めたかと思きや、また夢のなかの夢のなかで寝ている自分を俯瞰しています。

 また二度寝をしてみれば、目が覚めたときにはやっぱり、夢のなかの夢のなかの夢のなかで寝ている自分を俯瞰しています。

 さらに二度寝をしてみれば、目が覚めたときにはまたもや、夢のなかの夢のなかの夢のなかの夢のなかで寝ている自分を俯瞰して――

 こんなことを何度も何度も繰り返して、夢のような時間というより、まさに夢そのものと言うべき時間を過ごしていた寝太郎でしたが、さすがにいつまでも起きないわけにはいきません。

 もう何層目かもわからない夢の奥で目覚めた――正確には、目を覚ましたという夢を見ている寝太郎は、しかたなく、眼下で眠っている自分に声をかけました。


「おい、おれよ。起きてくれ。そろそろ、目を覚ますべきときだ」


 眼下で眠っている寝太郎は、呼びかけに応えて目をあけ、


「おお、もうそんな時間か」


 と呟くと、


「そんな時間にする二度寝こそ、趣深おもむきぶかい」


 と言って、寝返りを打ち、二度寝をはじめました。

 その瞬間、寝太郎は恐怖しました。


 果たして、おれはふたたび、現実で二度寝することができるのか?

 あの真実の微睡まどろみを、もう一度味わうことができるのか?

 面白がって夢のなかで二度寝を繰り返しているうちに、随分遠いところまで来てしまったような気がする。夢を地下一階として、夢のなかの夢を地下二階としたら、いまのおれはブラジルにまで達しているのではなかろうか?

 しかし、おれが戦慄せんりつしているのはその深みにではない。どんなに深かろうとも、のぼりつづけていれば、いずれは地上に戻ることができるのだから……眼下のおれを起こし、そのおれが眼下のおれを起こし、そのおれが眼下のおれを起こせば……それを繰り返せば、いつかは現実に戻ることができるのだから。

 おれが戦慄しているのは!

 

 眼下のおれは、おれに起こされたらまた二度寝するだろう! もう一度起こされても、また二度寝するだろう!

 このままでは、おれは永遠に現実に戻れない!

 よもや、階段と見えたこの快楽が、落とし穴であったとは!? さらに悪いことには、この落とし穴は天国だから、蜘蛛の糸も垂れてこない! どうしたものか!


 寝太郎は悩みに悩み、考えに考えました。

 そして、眼下の寝太郎が二度寝に満足して起きるのを待って、話しかけました。


「おい、おれよ。大変なことに気がついた」

「おお、おれよ。おはよう。大変なこととはなんだ」

「このままじゃあ、おれは二度と現実で二度寝を楽しむことができない」

「なるほど、そりゃ確かに大変だ」


 眼下の寝太郎も寝太郎ですから、多くを語る必要はありません。問題が一瞬で共有されたので、寝太郎は眼下の寝太郎に提案します。


「現実に戻るには、おれたちが目を覚ましつづけるしかないが、おれたちときたら、目を覚ましたらすぐに二度寝したがって、どうしようもない」

「だが、そんなおれたちでも、二度寝したくないときがある」

「それよ。悪夢から覚めたときばかりは、百年の恋も覚め、二度寝なんてするものかと思われる」

「二度寝したら、悪夢の続きを見かねないからな」

「そういうわけだから、おれよ、悪夢を探すのだ」

「なるほど、ここは夢の世界。どこかに悪夢もあるにちがいない」

「そのとおり。おまえが悪夢を見て目を覚ましたら、おまえの下で二度寝をしているおれが二度寝に満足して起きるのを待て。起きたらそのおれに、同じように悪夢を探すように言ってくれ……」


 言い終わらぬうちに、寝太郎は宇宙遊泳みたいに眼下の寝太郎に引き寄せられてゆき、やがて重なってひとつになりました。寝太郎が夢から覚めたからです。もっとも、夢から覚めた寝太郎もまた、夢の世界にいるのですが。

 目を覚ました寝太郎は、大儀そうに布団を蹴っ飛ばすと、悠久の時を超えて起き上がりました。そして、猫背でだらだらと歩き出しました。彼の目を覚まし、二度寝を諦めさせつづけてくれる悪夢を探すためです。

 寝太郎は何度となく悪夢を見ました。

 吊り天井が落ちてくる悪夢。

 大学の単位が足りず卒業できない悪夢。

 昔観た映画に登場する殺し屋が無表情のまま家族を皆殺しにする悪夢。

 名状し難いあの虫が無音で這い回る一方、死にかけのセミが鳴きわめきながらのたうち回る悪夢。

 名状し難いあの虫が米櫃こめびつに湧く悪夢。

 殺人鬼に襲われて逃げ惑う悪夢。

 ナイアルラトホテップを撃退する呪文を忘れ、追い回される悪夢。

 原稿を入稿してから、挿絵の位置や余白がおかしいことが発覚する悪夢。

 エトセトラ、エトセトラ……

 そのたびに寝太郎は目覚め、深き眠りの階段を一段、また一段と引き返していきました。

 しかし!


「こ、これは……! ! !」


 やがて、想定外のことが起きました。

 

 よく考えずとも、当たりまえのことでした。

 同じ悪夢を何度も見ていれば、そのうち、悪夢を見たくないばかりに、本能的に悪夢に対処してしまうのは道理でした。

 寝太郎は吊り天井をやり過ごし、大学四年生までに単位を取り終え、殺し屋を先に殺し、名状し難いあの虫をブラックキャップで根絶やしにし、殺人鬼を返り討ちにし、ナイアルラトホテップを撃退する呪文を思い出し、原稿を入稿してから修正しました。

 エトセトラ、エトセトラ……

 そうして悪夢を打倒しつづけた結果、いま夢の世界を旅している寝太郎は、めったなことでは起きられなくなってしまったのでした。

 仕方がないので、寝太郎は夢の世界の旅を続けました。その旅のなかで、恐るべき悪夢に遭って目覚めることもありましたが、何度か遭ううちに、悪夢を乗り越えてしまうことが常となりました。

 そして、夢の世界の時は流れ……


「寝太郎さま、ウルタールを猫アレルギーの夢見人が訪れたそうです。いかがいたしましょうか?」

「放っておけばいいんじゃない? 猫アレルギーなら、近づかないだろうし……」

「寝太郎さま、セレファイスのクラネス王からお茶会のお誘いです」

「行く、行くよ。行かないとうるさいから……」

「寝太郎さま、ピックマンさまがあなたさまの肖像画を描きたがっていらっしゃいます」

「描けばいいんじゃない? あの手で往時のように描けるのかわからないけれど……」


 悪夢という悪夢を超越した寝太郎は、いつしか夢の世界の王のひとりとしてたてまつられるようになっていました。部下たちがわんこそばみたいに、代わる代わる、尽きることなく懸案事項を奏上します。


「寝太郎さま、レン高原から商人がやってきました」

「ああ、いつものように相手をしてやってくれ」

「ノーデンスがナイアルラトホテップを撃退する呪文を知りたがっています」

「いくらでも教えるよ……そんなことより、今日こそ二度寝したいんだけれど」

「なにを仰っているんですか、寝太郎さま。二度寝なんてしている暇はありませんよ。あなたさまはお忙しい身なんですから。つぎの訴えはダイラス=リーンからで――」


 哀れ、寝太郎は二度と二度寝をたしなめない境遇におちいってしまいました。彼はただ、二度寝したかっただけなのに。


 寝太郎はその後も支配を続け、その治世はいつまでも幸福に続くでしょうが、老朽化した安アパートの一室では、布団のうえで孤独死を迎えた男の死体を蠅が嘲るごとくに弄び、さんざ愚弄したあげく、隣人の通報を受けて踏み入った警察に、名残惜しくも引き渡したのでした。

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