52Hzの星の歌

52Hzの星の歌①

 降り注ぐ柔らかな陽光。

 風に流される雲。

 空を泳ぐペガサスの群れ。

 虹色の煙を吹き出し走る銀河鉄道。


 ルイテンは、教室の窓からそれらをぼうっと眺めている。

 開け放たれた窓からは、ひんやりとした風が教室に入り込み、海の色をした髪を靡かせる。乱れたマッシュヘアを直すことなく、ルイテンは頬杖をついていた。

 女子の泣き声と囁き声が、ルイテンの耳に届いていた。囁いているとはいえ、声の主はルイテンに聞かせるためルイテンの近くで話しているに違いなかった。


「あんな奴のことなんか忘れちゃいなよ」

 

「何でソフィアのこと振ったんだろ?」


「振るにしても、言い方酷いよね。あれはナイわー」


 ルイテンの耳に棘が刺さってくるようだ。ルイテンはため息すらつけず、聞こえないフリをしながら青い空を眺めていた。


 先ほど、ソフィアという女子生徒から告白されたのだ。ソフィアはクラスメイトの中でも明るく人懐っこい性格をしており、交友関係が広いのだ。告白の際も数人の取り巻き女子とともにルイテンの元にやってきた。

 一方ルイテンは、内気で派手嫌いで、何でも後ろ向きに考えがち。ネガティブな性格であった。だからこそ最初は呼ばれた理由がわからなかったし、告白をされてもまともに受け取ることができなかった。


「あのね、私、ルイテンのことが好きなの」


 そう言われても、恋愛には興味がなかったし、告白されるというシチュエーションは、望んでさえいないことだ。暫くその場で考えた末、口にした返事は最低なものであった。


「あー……此方こなた、そういうのよくわからないし……」


 この返事は、ルイテン自身も最低なものだったと後々反省した。本人に謝罪もした。

 だが、出てしまった言葉は撤回などできない。ソフィアの取り巻き女子からは「最低男」のレッテルが貼られてしまった。


 今こうして女子から嫌味を言われてしまうのも、仕方のないことだと受け入れていた。


 だが、ルイテンにはどうしてもわからないのだ。彼女らが、恋だ愛だと騒ぐ理由が。

 同じクラスだというだけで、顔と名前しかわからない状況で、誰かに想いを寄せるということが。

 ルイテンは、黙ってボストンバッグを開き、荷物をまとめ始めた。時刻は既に十七時。帰宅時間が迫っている。


「ルイテン、帰るっすよー」


 間延びした声が聞こえてきた。ルイテンは声の主へと視線を向ける。

 友人であるドラスが、教室の外から声をかけてきたのだ。学生らしからぬ長身の彼は、背を丸めて、開けられたスライドドアをくぐり教室に入ってきた。

 女子たちはそれをじっと見つめる。ドラスという巨漢に驚いているのは明白だ。


 ルイテンは、女子グループには目を向けず、ドラスにだけ視線を送る。


「迎えに来なくてもいいのに」


「あんたがおせぇんすよ」


 ドラスは体に似合わずおっとりとした性格をしていた。元から細い目を更に細め、柔らかく笑う。

 

「あー……ごめんね」


 ルイテンはボストンバッグを肩にかける。ドラスと並んで教室を抜け、開けられたままのスライドドアを通り抜ける。


「つか、あいつらデキてんじゃね?」


 女子グループの内一人がぽつりと言った言葉は、ルイテンの耳にもしっかりと届いた。


「シェリー、しー」


「あ、うん、ごめん」


 ルイテンは苦笑する。ちらりと女子グループを振り返ると、黙ってゆるゆると首を振って否定した。

 ルイテンはドラスと共に教室を、学校を後にする。


 星の光を聖なるものとして崇める国、アステリオス。ここは漁業により発展した街、カッシーニ。

 ルイテン達が通うのは、その街にある公立の高等学校であった。平均の学力で、スポーツが強いということもない。なんの変哲もない、どこにでもあるような高等学校である。

 学校からの帰り道を、二人は黙って歩いていく。ルイテンは、ドラスとの友人関係をとても気に入っていた。二人とも積極的に話す質ではなく、話さなくても焦る必要がない関係性は気楽なものであった。

 ふと空を見上げる。虹色の煙を吐き出しながら空を走る銀河鉄道は、ルイテンを笑うかのように汽笛を鳴らす。ソフィアのすすり泣く声を思い出し、ルイテンはげんなりとしてため息を吐き出した。

 

「さっきの?」


「さっきの」


 ドラスに短く問われ、ルイテンは短く返答する。


此方こなたも最低な振り方したよ……それは反省してる」


 ルイテンは呟く。後悔しても遅いことは、ルイテン自身がわかっているのだ。


 ドラスはルイテンを見下ろす。

 ルイテンは中性的な顔をしていた。垂れた目は大きく、鼻筋が通って、やや童顔。女子が好みそうな顔であるというのが、友人であるドラスの率直な感想だった。決して美形とは言えないが、可愛らしい顔立ちではあるのだ。


「しっかし、勿体ないっすね。せっかく美人さんと付き合えたかもなのに」


 ドラスはおどけてそう言った。同学年の男子の中では、ソフィアが可愛いと評判であった。そんな彼女から告白を受けたのだから、付き合えばよかったのではないかと、ドラスはそう言っている。

 だが、ルイテンはそう思わなかった。


「勿体ないって、何が?」


 ルイテンは苛立ちを隠さず言った。

 ドラスはしまったとばかりに目を逸らし、口を閉ざす。


「ドラスは此方こなたのこと知ってるでしょ? 何でそんなこと言うかな……」


 ルイテンは、性別を意識させられることを嫌う気があった。恋愛、告白、交際……そのいずれも性別が関わってくることなのだと、ルイテンは認識している。ドラスはルイテンのことをよく知っているだけに、先ほどの発言がルイテンを苛立たせたのだと瞬時に理解した。


「あー、わりいっす」


「いや、うん……ごめん」


 二人はそれきり黙ってしまった。

 賑わう商店街を抜け、住宅街へと入る。住宅地は海に近いのだ。進むほどに潮の香りが強くなり、寄せる波の音は大きくなる。

 住宅地を暫く進むと視界が開け、海が見えてきた。夕刻の空は、青から橙、薄紫へと、幾層も色が重なり合い、グラデーションを成している。真っ平な地平線は、沈みゆく太陽に照らされ、眩しいほどに煌めいていた。

 すうっと、海から陸に潮風が流れ込んできた。ルイテンはその感触に顔を顰める。冬から春、季節の変わり目に吹く潮風は、冷たくて仕方がなかった。


「そういえば、今日来るんすか?」


 唐突にドラスは問う。ルイテンは何を問われているのか理解してうなずいた。


「うん。行こうと思ってる」


「わかったっす。じゃあ、いつも通り葡萄通りで」


 分かれ道に差し掛かり、二人は立ち止まる。ルイテンの家は住宅地の海側、ドラスの家は山側にある。そのため、いつもこの分かれ道で二人は別れるのだ。

 二人は互いに顔を見合わせる。頭一つ分の身長差だ。ドラスの顔を見上げると、ルイテンの目には橙の空が写り込んできた。


「時間は?」


 ルイテンは問いかける。


「二十時っすね。くれぐれも、お師匠さんには見つからないように」


「あはは。見つかったら殺されるよ」


 ルイテンはへらりと笑ってそう言った。


「じゃあまた」


「また」


 二人は互いに手を振って、それぞれの家へと向かう。

 ルイテンは自宅が苦手である。足取りは重かった。

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