後編

 斯くして、取材の件はあっさりと承諾された。


 翌日、僕と獅子尾先生は非常に気が進まないが二人きりで旧校舎にて作業をしていた。

 ちなみに真珠は新曲に取り掛かっている。何でも自販機巡り中に降臨したそうで……教師

のドヤ顔を見た時はここ最近で一番苛立ちが湧いた、のは余談。


「無自覚って、怖いよな」


「……何の話ですか」


 前後の話を捨て、自前のノートパソコンをかちかちと音を鳴らしながら沈黙を切り裂く。口だけではなく、手までもちゃんと動いているところがとても憎たらしい。


「や、ほら。雨夜って、早乙女のことになると異常なくらい盲目になるだろ?」

「そうですね。……それが、何か」


 話の全容が見えない。一体、何を言いたいのだろう。こちとら未だに不慣れな絵描きで苦戦しているというのに、この教師と来たら余裕と言わんばかりに無駄口を……これで、シンからリテイクを要求されたらどうしてくれるつもりか。


 真珠関連になると僕は周囲が見えなくなるのは今に始まったことではない。


 クセのような感覚、もはや喜怒哀楽と同様なくらい必要不可欠な要素、当たり前にある感情とさほど変わらない。そう、これは僕にとって――。


「なんかさ、ふと思ったんだが……それって、恋みたいじゃないか」




「…………は?」


 恋、だって?

 時が停止する。いや、正確には僕の思考が止まってしまったのだろう。獅子尾さとみの唐突かつ突飛な発言に。


 恋に愛、慕情、特別な想い……それは、共通して特定の誰かに対して抱くもの。幼馴染や家族としては違う、はずなのに。頬が熱を帯びてくるのを自覚する。


 有り得ない、僕は真珠のことをそういう類いで好きだなんて。


「おーっす!みなの衆、元気でやってかぁ……って、うおっ。何だよ、この空気」


 年季のある、ガタついた扉が開く。


 間が本当に悪い、こんな感情知ってしまった教師を一発殴ろうとしたのに……心ときめく張本人が来てしまうとは。


「あ……真珠。その、お疲れさま……」


「お、おう。ムギも、あー……」


 真珠からは見えない、正面でニヤついている教師よりも自身の蕪雑な態度に説教を申し入れたい。


 漠然と、何処となく甘い空気が流れる。


 普段は楽観的かつ、ポジティブな性格だがこういう時に限って何かあったと察しが――いや、さすがにおかしい。いくら幼馴染で兄弟同

然とはいえ、あまりにも状況把握に優れ過ぎは……っ、まさか。


「さーて、あとはお盛んな生徒らに任せて先生殿は退散でもしますかね」


 たぶん、おそらく……ほぼ確実にこの状況を作り出した張本人がノートパソコンを折り

畳み、手に持っては何食わぬ顔で立ち上がる。


 この甘ったるい空気だけを置いて去ろうとさせるわけには……。


「ムギ、話がある」

「っ、え」


 不良教師を呼び止める暇なく、いつにも増して真面目な顔をした真珠がこちらへと歩み寄っていた。


 心なしか、頬を少しばかり赤く染めて。


「シ、シン……その、どうしたの」


 明らかな様子の違いに戸惑う。

 新曲の調子はどう、何か悩み事でもあるの。この後に続く言葉が頭では浮かんでいるのに上手く口に乗せられない。


 ……わからない。無自覚だったのか、それとも気付くことに対して事前に蓋をしてしま

っていたのか。しかし、同時に情けないとも思う。


「オレ、遠回しに言うの苦手だから……率直に言うな。――好きだ。ムギのこと、ずっと

前から」


「それって、どういう……」


 意味合いで。


 本当はわかってる。そこまで僕自身が鈍感ではないことも。その問いに真珠を困らせては、最終奥義を繰り出させてしまうことも。


 彼が恥ずかしそうに柄の無い、真っ白の見慣れた一枚のディスクを差し出す。中央部分のシールに『スピカに溺れて』と記載されたものを。


「えっと、これは?」

「曲。オレがムギのことどれだけ本気で好きかっていうのを曲にした。まあ、とりあえず一回聞いてくれ」


「う、うん…… 」


 困惑を挟みながらも頷く。

 ディスクを再生する機器を普段から持ち歩いているのが幸か、不幸か。真珠の気迫に圧倒され、イヤホンを装着後すぐさま再生ボタンを押す。


 真珠らしい爽やかな導入後、バラード調の音楽。

 心が洗われる彼の歌……誰かに向けた、恋愛ラブソング。優しい歌唱と禁断の想いが込められた世界にひとつだけの……そして曲が終わりを迎える頃、僕はすっかりこの曲のファンになっていた。


 耳からイヤホンを離す。

 感想を早く彼に、制作者に伝えたい。渡された披歴を、告白の返答を。


「……伝わったか、オレの気持ち」

「うん。凄く、よかった……。その、僕も真珠のことが好き」


「っ、ふ。ははっ」


 気が抜けたのか、頬を緩ませては力んでいたものが一気に解けていくように見えた。


 何でも真珠もまた、あの教師による一言が焚き付けの大きなキッカケになったらしい。確実に得意げな表情をされること間違いなしだが、それでも構わない。



 だって僕は、既にスピカ――真珠に溺れているのだから。



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