第30話:あたしのヒーロー②
「ごめーん光笠さん。今日は用事があるから後は全部頼むねー」
「……え?」
中学時代のとある放課後。
委員会の仕事をしていた同級生達が、とても軽いノリで教室から出て行こうとする。彼女達が座っていた机の上には未処理の書類が無造作に散らばっていた。
それ、あたしの分じゃないのに……。
反射的に伸びたあたしの手が、しかしすぐに力を失ったように垂れ下がる。仲の良い友達ならまだしも、他クラスの――それもほとんど知らない人達を引きとめる勇気は当時のあたしには無かった。
押しつけられて発生するこの後の作業量よりも、頼めば抵抗せずに従順なあたしの苗字だけを覚えている彼女らが理不尽にキレるかもしれない不安。
そんな起きるかもわからない予測が万が一にも起きる方が、嫌だったから。
「光笠さん? 聞こえてる??」
「……うん、わかった」
だから、あたしはどろっとした本心を丸呑みして、同級生達のお願いに頷いていた。
◇◇◇
「……終わらない」
涙目のまま、つい愚痴ってしまう。
窓の外はすっかり夕方で、夕陽に照らされた教室内もノスタルジックな茜色。
一人分の仕事ならとっくのとうに終わっている。けれど、押しつけられた分も合わせたら全部で四人分。終わるわけがない。
作業合間にトイレへ行った時、手洗い場の鏡に映っていた自分はひどい顔をしていた。元気がない、困っている、誰かに助けて欲しいのに言えないでいる……そんな顔。
人と目を合わせるのが苦手なせいで前髪は目元を隠すように垂れて、表情がわかりづらい。長く伸びている髪は左右で三つ編みにしていて、芋っぽさをググッと上げていた。
肌は荒れ気味だし、顔の輪郭はふっくらしてるし……顔とは関係なく脇腹のお肉も増えてきて、身体の凹凸もなくて。
つまり何が言いたいかというと、あの頃のあたしは決して誰かから持て囃されたり人が集まってくるようなタイプの女の子じゃなかった。どちらかと言えば、地味で、クラスカースト上位に都合よく使われるような……引っ込み思案な子だった。
「はぁ…………」
意気消沈しながら教室へ戻って、また書類整理を始める。
けれどその手は重く、ペースは悪くなる一方。もう自分の分は終わってるんだから先生に報告して下校すればいいと何度も思ったけれど……たとえ押しつけられたものだとしても投げ出せない。あとを考えると怖いから。
「はぁ~……」
長い溜息が漏れる。
やっぱり全部投げ出そうか。でも、いや、しかし。
そんなウダウダを繰り返しながらうずくまっていると、
「――大丈夫?」
声が、聞こえた。
顔を上げてみると、すぐ傍に日本人離れしたプラチナブロンドの男の子がいて、あたしは「ひゃわ!?」と声をあげる程にビックリした。クラスは違うけど、とても目立つその容姿は見覚えがあった。
時銘 空也くん。
あたしが後に『クーちん』と呼ぶようになった人。
「どこか痛いの? お腹? それとも気分が悪い?」
「あ、え、と……」
純粋に心配していると伝わる彼の態度と声に戸惑い、どもるあたし。
なんて返せばいいのか上手く伝えられなくて、それでもなんとかひねり出した答えは、
「その、書類整理が終わらなくて……」
彼の問いにまったく関係ない答えだった。
どこか痛いかと聞いてる相手に仕事が終わらないとか、コミュニケーションが取れていないにも程がある。あたしは不思議そうにしている彼の視線に耐えかねて、恥ずかしさでいっぱいになりながら俯いてしまった。
きっと彼は呆れてしまったに違いない。それで教室を出て行くのだ。あたしに仕事を押しつけた彼女達のように。
……そんな一方的な予想は大きく外れた。
「こんな時間まで、そんなになるまで頑張ったんだ」
えらいね。そう小さく呟きながら、空也くんはあたしの前の席に腰かけた。
「この書類を順番に並べて、パッチンで穴をあければいいの?」
「そ、そうだけど……」
「なら、僕でも手伝えるね」
「え?」
テキパキと書類整理を進めていく空也くんの動きは、あたしの何倍も速かった。
訳が分からないまま作業を進めていき、数十分足らずで仕事は終了。もちろんその大半は彼のおかげだ。
「ふ~、お疲れ様 光笠さん!」
「お、お疲れ様、です……」
「それにしても先生は光笠さんに頼りすぎじゃないかな。これ、一人でやるような量じゃないよ」
「あ、その、先生が頼んだのは四人いたんだけど……他の子はみんな用事があって帰っちゃって」
「そうなの?」
「うん……」
怪訝そうな顔をしつつも、空也くんは「そっか……大変だったね」とだけ呟いてそれ以上追及はしなかった。無自覚か故意かはわからないけれど。
「作業も終わったし、提出して早く帰った方がいいよ。暗くなっちゃうからね」
「あ、ありがと」
「どういたしまして!」
にこやかにそう告げて去ろうとする時銘くん。
その背中に、一度だけ尋ねた。
「……どうして手伝ってくれたの?」
「ん~……困ってそうだったから、かな」
「それだけ……?」
「明らかに困ってる人を手伝うのに、それだけって事はないよ」
名前を知ってる人なら尚更ね。
最後にそう付け加えて、空也くんは今度こそ教室を出て行ってしまった。
「……そういうもの、なのかな」
この時のあたしはクーちんの言葉をいまいち呑みこめていなかったけれど、
それでも、胸の内は少なからず温かい物に包まれていた。
クーちんと接する機会が、ここから何故か増えていく事も知らずに。
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