誰がための英雄譚

月夜葵

誰がための英雄譚

 私たちの住むこの国に、『誰がための英雄譚』と言われる英雄譚があります。


老若男女、知らない人の方が珍しいほどの、非常に有名な英雄譚です。今や、この国を代表するほどの。



 そんな、この国を代表する英雄譚。

それを、今から皆さんにお話します。



 かつてこの国にいた勇者と魔王、二人の悲しい物語を──。



 ♯♯♯



 今から十年前、この国の城に『魔王』と呼ばれる青年、ジンが住んでいました。


 父親の先代魔王が病気で死んでしまい、成り行きで巨大な城と財産を相続しただけの、ごく普通の青年でした。



 しかし、魔王のなかでもトップクラスの実力を持っていた父の血をひいていたため、先代魔王に匹敵するほどの、途方もない魔力を持って生まれてしまったのです。



 先先代から魔王の座を受け継いでいた先代魔王は口下手で、国民にはその穏やかな気質と反し、その見た目から『魔王の中の魔王』とまで言われていました。

 その血をひくジンも国民から畏れられ、『次代魔王』と呼ばれていました。



 それでも、そんなジンには、心の支えになる存在がいました。



 それが、先代魔王が引き取った孤児で、ちょうどジンと同じ年齢の幼馴染として育てられたリリです。



 リリはジンと兄妹のように育てられ、先代魔王の優しさを知っている、数少ない少女でした。

 しかしながら国民には、そのティアラのように黄金に輝く髪と空色の瞳、そして天使のように可憐な顔立ちから『魔王が拐ってきた王女』と誤解されていました。


 そんなリリは、城で一人閉じ籠っているジンといつも一緒にいました。



「ジン。大丈夫?」

「……俺と一緒にいたら、リリも嫌われるぞ」

「いいの。ジンを放っておけないんだもん」



 その理由は極めて単純です。


 リリはジンに恋をしていました。

 たとえ国民に嫌われてもいいと、それよりもジンの隣にいたいと、そう思っていたのです。


 リリのお陰でジンは、『魔王』と呼ばれながらも、明るい性格を取り戻しました。

 リリと変装をして町へ出歩き、人々の悩みを聞き、国をより良い方向へと変えようとしたのです。


 その噂は広がり、国民のほとんどには、『次代魔王は悪い人じゃない』と理解されるようになりました。


 ジンはその様子を目の当たりにして、真っ先にリリへと感謝を述べました。



「ありがとう、リリ」

「ううん。私はジンの役に立ちたかっただけだから」



 リリは首を振って笑いました。

 リリはただ、ジンに前を向いて欲しかっただけ。ジンの優しさを知って欲しかっただけ。

 だからリリは、そう答えたのです。



 それからほどなくして、ジンは徐々にリリに対して特別な感情を持つようになりました。



 リリと一緒にいたい。

 リリとずっと一緒に歩みたい。



 いつしか、ジンはそう思うようになりました。



 そしてジンが十八歳になった時。



「リリ。俺と結婚してください」

「はい。勿論」



 ジンはリリに告白し、結婚しました。


 それと同時に、ジンは今まで呼ばれていた通り名ではなく、正式に、先代と同じく、魔王の座を受け継いだのです。



 リリを幸せにするために。よりよい町を作るために。そして、より良い統治で人々を導くために。



 実際、ジンの統治はかなり優れたものでした。

 水が乏しかった国に水道を引き農業を広めたり、新たな土地を開拓し、鉱石などで収入を得たり。


 ジンのお陰で、国は次第に発展し、人々からも厚く支持されていきました。



 しかし。

 そんな国に、ある勇者が攻めてきたのです。



 白銀の鎧に身を包み、手には黄金に輝く聖剣を持った青年。

 しかしその瞳には、強い憎悪を滾らせていました。



 その勇者──レイは町に入ると突然、何も言わずに建物を破壊し始めました。

 剣や魔法、様々な攻撃を用いて、たちまち建物を瓦礫へと変貌させました。


 そこで住んでいた大勢の人が瓦礫の下敷きとなり、亡くなりました。




 慌ててそれを聞いたジンが駆けつけると、そこには信じがたい光景が広がっていました。



 赤い血で鎧を汚したレイの足元に、血を流したリリが倒れていたのです。



 リリはちょうど買い物に出ていました。

 そして偶然レイと鉢合わせし、問答無用で斬り殺されたためでした。



 ジンはレイに向かって、怒りを隠そうともせずに訊ねました。



「何故、リリを殺した!」



 レイは、憎悪を目に宿らせ、至極平然と答えました。



「魔王の嫁だからだ。それ以外、何がある」




 レイは、とある国の王族に生まれました。

 幼い頃から政治を学び、また武術の才もあったため、『勇者』として育てられました。


 そんなレイがこの国に派遣されたのは、一言で言えば、「多くの人を救うため」でした。


 当時、レイの国では雨が降らず、ひどい日照りで作物が育ちませんでした。

 結果、人口の半数にも上る人たちが死に絶えてしまいました。



 そこで、『魔王』のうちの一人、つまりジンの治めていると言う土地を略奪しようと考え付いたのです。



 その国は昔、先代魔王とは別の魔王に襲われました。そのため、魔王という存在は、悪の象徴であり、特に王族はその過去から幼い頃より、「いかに魔王という存在が残虐なのか」を教わってきました。


 だからこそ極悪非道といわれる魔王を討ち、国を解放するついでに、食料を獲得しようとレイは考えたのです。




 しかし、ジンにとっては、リリを突然殺されたと言う事実があるだけで、ジンは、激昂しました。



「お前たちは、人を平気で殺すのか!!」

「身近な人の方が、顔も知らない人よりも大事だ」



 レイははっきりと、そう答えました。

 すると、それを聞いた魔王は目を瞬かせ、黙りこみました。

 そしてレイの目を真っ直ぐ見据え、こう頼んだのです。



「……なら、せめてリリだけでも返してくれ」

「いいだろう」



 どうせ殺すのだし、最後の頼みだけは聞いてやろうとレイは思い、頷きました。



 ジンはレイの許可を得ると、血塗れになったリリを抱き抱え、嗚咽を漏らしました。



「ごめんな、リリ…………っ!」



 何度も何度も、大粒の涙を拭おうともせず、汚れた血もそのままに、ジンはリリに謝りました。



 レイは呆然としました。

 極悪非道と言われていた魔王が、一人の少女のために涙を流していたからです。

 それを見て、レイは疑問に思いました。




 これが本当に、俺たちが憎んでいた、極悪非道な魔王なのか、と。

 もしかしたら自分は、とんでもない過ちを犯したのではないか、と。




 その事に気付いたとき、ジンがリリを床にそっと置き、ジンに向き直りました。

 そして覚悟を決めた瞳で、穏やかに告げたのです。



「リリによろしく伝えてくれ」

「…………どういうことだ?」



 虚を突かれたレイが訊ねると、ジンは真剣な眼差しで答えました。



「俺の体は、生まれつき膨大な魔力をためている。俺が死ねばその魔力は大気に散り、恵みの雨が降る。それだけじゃない。俺が放出する魔力で、リリの怪我も治るはずだ」



 レイは愕然としました。

 そして先程の疑問が、完全に確信へと変わりました。




 やはりこの魔王は、幼い頃から教わってきた、極悪非道な魔王ではないのだと。




「お前は、どうしてそこまで……」



 レイが声を絞り出して訊ねると、ジンは小さく笑いました。



「リリのためなら俺の命なんて、惜しくもない。それだけだ」



 直後、ジンは自らの胸に剣を突き刺しました。

 そして胸に刺さった短剣を引き抜くと、赤黒い血が吹き出すと同時に、途方もない魔力が、空に散りました。



 それが終わるとジンは地面に倒れました。

 そして静かに目を閉じ、穏やかな表情で命を終えました。



 レイはそれを、呆然と見ていました。



 ただ、自分が犯した罪の深さを懺悔することしかできず、その場にずっと立ち尽すことしか出来ませんでした。



 ♯♯♯



 レイは住んでいた国へ戻り、『優しい魔王』の話を広めようとしました。

 しかし人々には受け入られず、それどころか『謙虚な勇者』として崇められてしまいました。



 そのことを嫌がったレイは、とうとう国を捨て、魔王が治めていた国へと戻りました。


 今度は、魔王を討伐するのではなく、国のために働くことを望んで。



 そのためにレイは、かつて憎んでいた『魔王』の座を、自ら受け継ぎました。



 かつてレイが教わっていた、極悪非道な『魔王』ではなく、ジンのように、優しく、民のことを思う『魔王』に。



『魔王』となったレイは、国民に向かい、自分の罪を全て白状しました。

 自らの罪を人々に広め、それを背負ったのです。



 もちろん人々は、レイを糾弾しました。



 しかしそれでもレイが『魔王』として認められたのは──リリの存在です。




 ジンの魔力をすぐ近くで浴びたリリが、目を覚ましていたのです。



 リリは人々の前で、魔王となったレイに、『魔王の嫁』として、こう告げました。




「あなたを一生許さない。ジンを殺したのはあなただから。だから、この国を守りなさい」




 その言葉があり、人々はジンを魔王として認めたのです。





 ……以上が、この国にあった物語です。




 この英雄譚がもっとも知られているのは、ほかの英雄譚とは大きく異なる、その悲劇からでしょう。




 いつしか人々は、この英雄譚を『がための英雄譚』と名付けました。



 ジンは、一人の少女を救うために命を捧げました。

 しかし救われた少女は、二度と彼と会えないことを知り、嘆き悲しみました。


 レイは、大勢の人を救うために魔王を倒しました。

 しかしそのせいで、結果、何の罪もなかった魔王の命を奪い、永遠にその罪を背負うことになりました。




 誰にも理解されなかった、二人の悲劇。

 それが、『誰がための英雄譚』なのです。





 私はとある人を愛し、その人を殺されました。

 そしてその罪を背負った勇者を、ずっと見てきました。



 だからこそ私は、この物語を語り継いでいます。




 せめて、ジンの死が無駄にならず、多くの人の記憶に残るように、と。


 そして、ジンとレイのような、「誰のためにもならなかった英雄譚」が二度と起こらないように、と。





『誰がための英雄譚』を、私──リリは、今日も語り継いでいるのです。

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