第73話 壊れてもなお

戦車が一台竜巻に襲われかけた所で、カエムワセトは反対の渦を巻く竜巻を作ってぶつけ、相殺させた。 掌で渦を巻く風の反発力を感じ、押したり引く様な形で竜巻の進行方向を調整していたが、どうにも扱い辛い。


「微調整が利きにくいな」


 呟くと、ダプールからリビアへ飛んだ時と同じように、解答がふと浮かんだ。


――道具を作れ


 なるほど、とカエムワセトは納得した。この風の流れを誘導できるような道具を砂で作るという方法があった。

 カエムワセトは風と砂を操作する最も適した道具を求めて大地に手を触れた。何故か、子供の頃に棒きれで砂に絵を掻いた思い出が蘇った。カエムワセトの手の下で砂が持ち上がり、やがて一つの道具に形を収めた。


「結局、これか」


 砂が形作ったのは、カエムワセトの肩ほどまでの高さの棍棒だった。

 ネベンカルとの模擬戦に、シャルマとの一騎打ち。やはり自分には棒が性に合っていると言う事か。

 しかしそれは、ただの棒ではなかった。よく見ると、棒を構成している砂の一粒一粒がまるで意志を持っているように棒の形の中で動き回っていた。

 試しに振ってみると、杖先の動きに合わせて目の前の砂が巻き上がった。

 敵軍の竜巻が襲って来たので、それを斬り上げるイメージで棒を振り上げた。竜巻は斜め上下真っ二つに切られ、砂を撒き散らせ消え失せた。


「まるで神の御技だな」


 兵士の一人がカエムワセトの隣で茫然と言った。


 巨大な竜巻が戦場を荒らし、それを鋭い横風が粉砕する。自然現象では起こり得ない目の前の光景に、リビア兵もエジプト兵もただ圧倒されていた。

 兵士の言葉を聞いたカエムワセトは、自分の魔力の強大さに少なからずの恐怖を覚えた。

 魔術は人が神から与えられた恩恵だというが、これからも人であり続けたいと思うのなら、こんな人間離れも甚だしい術は、易々と使う物ではないだろう。

 出来得るならばこれっきりにしたい、と思った。

 ただ今だけは、この化け物の様な力に感謝すべきである。


 カエムワセトは棍棒術の様に砂の棒を操り、風を起こし砂を持ち上げ、敵を退け、リビア軍最深部への到達を図った。

 リラを抑えれば、この闘いは終わるはずだ。リラさえ取り戻せば。


 その時、ふと視界の隅ををリビアの軍旗がかすめた。カエムワセトはその朱の旗に視線を引かれた。旗の下には男がいた。豊かな口髭をたくわえ、一際目立つ銀の兜を被り、屈強な従者を従えている。その男も戦場の最後部に陣取っていた。ラクダの上から戦場を睥睨している。人が動き回りごったがえす戦場の中、微動だにしないその男は目立っていた。


 敵将か。


 その男の口元が常に動いている事に、カエムワセトは気付かなかった。故に、敵将と目が合い、彼が目を大きく見開き一際大きく口を開けて命じた言葉にも反応が遅れた。


「リラ!そやつを殺せ!」


 声は聞こえなかった。だが、唇は読めた。次の瞬間、何か大きな塊が背中にぶつかった気がした。身体が反り返り、とてつもない痛みが背骨から胸に突きぬけた。青空が見えた。

 カエムワセトの身体は弾き飛ばされ、宙に浮いていた。



 ライラはリラの右頬を強く打った。衝撃で、リラの身体が敷物の上に倒れた。左頬には、既に一度打たれた跡があった。


「リラ正気に戻りなさい!」


 ライラは傷ついた痩身に馬乗りになり、肩をゆすった。

 リラの独り言から、ライラはリラが敵将の声を聞き、敵将の見たものを共有している事に気付いていた。正気に戻そうと声をかけ、肩をゆすり、頬までひっぱたいた。それでもリラはぼんやりと宙を見続け、ぶつぶつと呟くばかりだった。


「りらそやつをころせ」


 突如、リラがはっきりと口にした。

 背筋に稲妻が走った様な感覚を覚え、ライラの髪が逆立った。慌てて天幕の外を覗くと、戦場のど真ん中から大蛇が現れ、一人のエジプト兵をその尾で弾き飛ばした。

 宙に浮いた兵の顔は確認出来なかったが、全体のシルエットから、ライラは自分が探し求めていた主だと判別できた。

 混戦の中に突っ込んだカエムワセトを追うように、大蛇は砂の体をくねらせた。


「駄目!」


 思わず大声で叫んだ。すぐさま天幕内に身を引いたが、手遅れだった。

「誰かいるのか!?」という兵士の声が聞こえ、警戒している足音が近づいてきた。ライラは矢筒から矢を一本抜いて、出入り口の端に寄った。

 気配は一つ。すぐ傍まで来ている。足音が止まった。天幕の外に居る。


「魔術師どの。どうされた」


 そっと伺うように、兵士が幕を横にずらして顔を中に入れた。

 ライラは素早く兵士の首に右腕を巻きつけて口を塞ぎ天幕内に引きずり込むと、左手に掴んでいた矢尻で頸動脈を斬った。兵士の体を床に抑えつけながら、兵士が息絶えるのをじっと待った。右掌に感じる兵士の呼吸徐々にが弱々しくなり、敷物が真っ赤に染まってゆく。やがて口を塞ぐライラの腕を掴んでいた兵士の手が、床に落ちた。

 兵士が息絶えた事を確認すると、ライラは兵士の剣を奪って天幕の外を覗き見た。近くに待機していた兵士は一人だけだったようで、誰かが来る気配は無い。


 ライラは戦場にカエムワセトの姿を探したが、見つからなかった。砂の大蛇は消えていた。戦場は相変わらず混乱している。リラが作りだした竜巻は、縦横無尽に戦場を動き回っている。


「りらあいつをさがせ。まじゅつしをさがしだせ……」


 横たわるリラの唇から微かな呟きが聞こえた。カエムワセトはどこかに身を隠したのだと推測できた。少なくともまだ生きている事が分り、ライラは安堵し、天幕を閉じた。


 ライラは兵士の遺体のすぐ傍で横たわるリラを悲痛な面持ちで見下ろした。決断を迫られていた。リラが正気であれば、まだ二人で逃げ切れる望みはあった。しかし、今や選択枝は無い。リラを手にかける。それのみである。


 ライラは剣を一旦下に置くと、横たわり呟きを洩らしているだけの抜け殻を仰向けにした。せめて死に様は綺麗にしてやらねばと思い、腹の上で指を組ませ、乱れた髪や衣服を整えてやった。血痕だらけのワンピース。切創が残る腕と脚。おそらく、同じような傷が体幹にもあるに違いない。

 リラの寝姿を整えるライラの両目から熱いものが零れ落ちた。

 滅多な事では動じず、薄い笑みを崩さない強靭な少女の心をここまで壊した相手が憎かった。正気を取り戻させる為に、ライラは自分が出来得る事は全てやった。カエムワセトの命を救うには、リラの命を犠牲にする他に手立てはない。


「ごめんねリラ。自由になったら、あんたをこんな風にした奴をこてんぱんにしてやりなさい。私の事も許せなかったら、私の命も取りにおいで」


 リビア兵から奪った剣を拾い上げ、剣先をリラの左胸に当てた。心臓を一突きするつもりだった。


 こんな薄っぺらい身体、自分が全体重をかけて貫けば、簡単に背中まで貫けるだろう。肋骨の間に刃を入れれば容易い。ライラは経験から分っていた。


 腹を決め、腰を浮かして剣先に体重をかける準備をした。柄を握る両手に力を込めた。両目を閉じた。

 その時。


「ワセト」


 リラの声が確かにカエムワセトの名を呼んだ。

 驚いたライラはリラを見た。


 リラの目尻から、涙が伝っていた。

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