第13話 旅芸人一座、タ・ウィ
その日の夕刻。
大広間で第二王子の為の宴会が行われた。
ラムセス二世の企みとは無縁の、正真正銘の歓迎会である。
敷物を敷きクッションを並べ、各々がそこに座り料理や会話を楽しむ家族だけの気楽でこじんまりとした宴ではあったが、そもそも王子王女正妃側室ともに数が多いので、身内だけとはいえ賑やかなものだった。
カエムワセトはいつもの神官の装いに戻り、宴に出席していた。怪我をした左腕は、ラメセスの言う通り、縫わずに包帯を巻いただけにしてある。
ネベンカルも負傷した右腕に包帯を巻いており、カエムワセトが最後に突いて負かした額には、布製の額飾りをしていた。額からも少し出血していたので、傷を隠すつもりの額飾りなのだろう、とカエムワセトは推測する。
ネベンカルは宴が始まってからずっと、カエムワセトに一瞥もよこさず、憮然とした表情で食事をしている。
ラムセス二世は終始ご機嫌であった。ただ、そのご機嫌顔は膝に座っている王女の頭でカエムワセトからはあまりよく見えない。
第一王女ビントアナトは宴が始まる前からラムセス二世の膝の上に陣取り、そこから下りようとせず、ずっとニコニコ顔で酒や料理を父王の口に運んでいる。これが幼子のする事なら可愛いらしいのだが、残念なことにビントアナトはラメセスよりも年上の成熟した女性である。しかも父王の側室の一人におさまり、度を過ぎた振る舞いを他の側室から白い目で見られようと、まったく意に介さないツワモノだった。
「相変わらずだなあいつは」
「いえ。むしろ日々増長しています」
カエムワセトは先日、ライラから、ビントアナトが振る舞いの悪さについてラムセス二世から叱責を受けたと聞いていた。だが、この実姉の傍若無人ぶりは、正されるどころか勢いが増す一方である。
実弟のラメセスとカエムワセトは、父王とネフェルタリも諦めたビントアナトの不躾ぶりを悲しい面持ちで眺めた。
「姉ははねっかえりの色ボケ。俺は男色。不甲斐ない姉兄ですまん」
ビールの入った杯を手にラメセスが俯き、変わり者呼ばわりされている兄姉を持ってしまった弟に謝罪する。
「いえ、その……お気になさらず」
珍しく気弱な発言をする兄に、カエムワセトは苦笑いを浮かべた。
多分、兄は酔っているのだろう。カエムワセトが覚えているだけで、ラメセスの杯の中身は、十回は変わっている。
「姉上も兄上も、御自分の人生を精いっぱい生きておられるだけです。兄上は私の誇りですよ」
優しい笑顔と声で、カエムワセトは兄を励ました。
事実、カエムワセトはラメセスを尊敬していた。幼い頃から武勲を立て、華々しい功績を残し、自身も卓越した武人としてエジプトの全兵を束ね、ファラオからも国民からも厚い信頼を得ている。それは、カエムワセトにはどんなに頑張っても成しえない偉業であった。
ラメセスは王族として子を残せない事を負い目に感じているようだが、カカルが言ったように皇太子は第一皇子であり、ラムセス二世の血を引く王子は他にも大勢いる。第二王子が妻を持てないからといって、揺らぐ血筋でもなかった。
そもそも父王自体が血筋に執着していないのだから、ラメセスが罪悪感を覚える必要は全くないのである。ラムセス二世が子を大勢残すのは、単に女好きである事と、信用できる手勢を増やしたいが故である。信用と能力に足る人間であれば、ラムセス二世には血筋など取るに足らない問題だった。
その証拠に、ラムセス二世は実子にとどまらず養子も多く儲け、枢要な官職に信頼できる身内や友人をどんどん置いていっている。長い目で見ると、このやり方は争いや不正の原因ともなりかねず、カエムワセトとしては、ラムセス二世のやり方は如何なものかと感じていたが、それは自分がまだ口出しできる領域ではないとも思っていた。今は、賢帝として名高い父王の思索を信じるのみである。
「そういえば、私に会いたがっている人物とは? 兄上のお知り合いなのですよね」
執務室で言っていた兄の言葉を思い出し、カエムワセトは少々悪酔いしている様子の兄に訊ねた。兄が言うような人物は、あれから一向に現れる気配がない。カエムワセトとしては兄が完全に酔い潰れてしまう前に明らかにしておきたい事柄であった。
「ああ、そうだったな」
ラメセスは若干酒で赤面した顔で弟の腕の傷を見ると、続けてラムセス二世に声をかける。
「父上。そろそろ呼んでよろしいですか」
「んん? ああ、ひいほ。ひいほ。ほおせ」
ラムセス二世が手を振って答える。
やはりビントアナトの頭で顔が隠れている上に、口にガチョウ肉を突っ込まれている最中だったので、何を言っているのかまるで分らなかった。
だが、その動作と語調から『可』と判断したラメセスは、その分厚い掌を二回叩き、誰かに合図を送る。
出入口で待機していたのであろう。すぐに華やかな装いをした者達が一斉に、宴会場に躍り出てきた。
彼らの姿を見て、今朝カエムワセトに子供達を預けて城下町にお忍びで出て行った乳母たちが、「きゃああ」と歓声を上げる。
どうやら彼らは乳母たちが目当てにしていた芸人の一座らしい。
座長と思われる若い男が、中央に進み出て、ラムセス二世に恭しくお辞儀した。中性的で、妙にしなのある美男である。
「我ら一座タ・ウィ。このたび、ファラオの御前にて興行の栄誉を賜り、恐悦至極に存じます」
カエムワセトはその座長の様子に眉をひそめた。
緊張している様子がまるで無いのだ。
いくら名の知れた旅芸人でも、王の前で芸事を披露するとなると、多少なりとも構えるものである。しかし、座長の表情や立ち居振る舞いにはそういった感情が全く見受けられなかった。場数をこなしているだけではない、何かが彼らにはあった。
ビントアナトの体を少し横にどけて顔を出したラムセス二世が、テーベからの足労を労い、これから披露される演技への期待を口にする。
「兄上。彼らは何者です?」
父王のファラオ然とした口上を聞きながら、カエムワセトは小声で兄に問いかけた。
「今、テーベで有名な芸人の一座だ。皆が喜ぶと思って連れて来た」
ラメセスはあえてしらばっくれた。
この場で答えるには不都合な職業、ということか。とカエムワセトは察する。
ふと、座長と目が合う。彼はカエムワセトに笑みを見せてきた。芸人らしい実に艶やかな笑顔だったが、その奥底に挨拶だけではない意図を感じたカエムワセトは、背中に軽い寒気を覚える。
「彼が、私に会いたがっている者ですか?」
再び兄に問うたが、やはりラメセスは言明しなかった。
だが、別の答えとして、座長ではなく一人の踊り子を顎で指し示す。
「カエムワセト。あの踊り子の踊りをよく見ておけ」
言われ、兄の目線を追った先にいる一人の踊り子をカエムワセトは見た。
座長の後ろで仲間と共に跪いて控えているその人は、深く黒い肌をした、ヌビア系であった。鮮やかな飾りが映える瑞々しい肢体に、華やかさの中にも優しさが見て取れる顔立ちをした二十歳前後の若者だ。今のところ、その様子は普通の踊り子と何ら変わりない。
「それでは、我ら自慢の演奏と共に、花形踊り子テティーシェリの舞を御覧下さい」
座長の言葉を合図に、太鼓やハープ、トランペットを持った演奏者達が後方脇に移動し、準備した。テティーシェリと呼ばれた踊り子と座長はそのまま中央に残る。
「まずは、我らが大国エジプトの讃歌を」
楽器が音を奏で、合わせて座長が高らかに歌い始めた。続けて踊り子が舞う。
座長の歌声は太く奥行きがある男性らしいものでありながら音域が広く、女性も発声が難しい高音も狂わず歌いあげていた。目や耳が肥えている乳母たちが、仕事を抜けて見物に行くだけの事はある、とカエムワセトは納得する。
だが、カエムワセトは続いて、踊り子の舞いに奇妙な感覚を味わった。
踊り子が腕を広げた瞬間、目に見えない花弁が波紋状に広がった気がした。続いて、回転させた体を中心に燃え盛る炎が。宙返りをうった拍子に押し寄せる水流が。
座長の歌に合わせてその踊り子が舞うたび、美しい肉体を中心として、そこに現れ出でるはずのない要素が、目には見えないが確かな気配となって、会場中に広がるような錯覚を受けた。
第六感に訴えかけてくるこの踊りは、娯楽というよりは、まるで呪術である。
左上腕に熱を感じたカエムワセトは、包帯を下げて傷口を確認した。そして、目を見開く。
じくじくとしていた切り口にかさぶたが張りだし、傷が急速に治りかけていたのである。それどころか下から徐々に肉が盛り上がり、切れている組織が繋がり始める。
カエムワセトは同じく傷を負っているはずのネベンカルを見た。彼も腕の傷を確認して驚いていた。ネベンカルは、おそるおそる額に巻いていた布を取る。
傷が綺麗に消えていることは、カエムワセトの目からも確認できた。
ネベンカルは額に指を這わせ傷が無いことを確認すると、自分の傷を癒した踊り子の舞を凝視した。
彼の頬が、紅く染まる。
どうやら第六王子ネベンカルは、一座の看板踊り子テティーシェリに心を奪われたらしかった。
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