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翌朝私は、しばらくベッドの中で惰眠を貪った。眠っては中途半端に覚醒し、また眠る。夢と現実をいったりきたりしながら、確実に、体が辛いことには気付いていた。体が泥状になって、ベッドにへばりついているようだ。体と頭が重くて、動きたくない。頭が痛い。喉が渇いている。胃がむかむかする。これは、かなり昔に体験したことがある。二日酔いだ。
喉の渇きがひどいから、なんとか重い体をベッドから引きはがし、とりあえず起き上がって、冷蔵庫を開けると幸い紙パックのリンゴジュースが入っていた。コップに二杯、続けて飲む。喉を冷たい果汁が勢いよく通って胃に落ちていく。小さなゲップが出た。酒臭い。
昨日は何時までヤサの家にいたのだろう。帰った時間も曖昧なほど、酔っぱらってしまったことを思い出し、「ああああ」と小さく声をあげながら天井を仰ぐ。アルコールはそもそもダウナー物質だ。飲んでいるときは楽しいくせに、飲み終わると途端に気分を落ち込ませる。何か失態はなかったか。失礼なことは言っていないか。恥ずかしいことはしていないか。考えても思い出せない。職場で田丸さんに確認するまで、コンビニには行かないでおこうと決めた。
覚えていることもある。浜田さんの奥さんと話したことだ。奥さんが、息子さんは「心臓が悪かった」と言っていた。コップをシンクに置いて、ベッドに戻りずるずると潜り込んだ布団に丸まりながら思う。病名は聞かなかったけれど、心室中隔欠損症だろうか。小児の先天性心疾患だったら、それが一番多い。
患者の数が多いからそう思ったのか、それとも忘れられない患者がいるからそう思ったのか、自分でも判断はつかない。ずきずきと響く頭痛に顔をしかめながら、二日酔いも相まってダウナー状態である私は、泥状の体で抗えない過去に引きずり込まれていく。
看護学生の頃だった。学生時代は、座学と学校で行う演習のほかに、実際に病院に出向いて行う臨床実習がある。看護師として仕事を始めれば、配属された科によってやることは大きく異なるが、学生の実習は、全部の科を学ばなければならない。それで初めて国家試験への受験資格が取得できる。実際に病院に出向いて、患者を担当させていただき、学ばせていただく。決められた期間で全ての科を網羅するために、一つの科で実習する期間は、長くても四週間、短いと二週間程度。しかも土日は休みで、病棟案内の日などもあるから、実質八日間程度しか担当できない患者もいる。それでも、その患者に一番必要なことは何か、実際の現場に出て、看護師と一緒に考えさせてもらえる貴重な現場実習である。
小児科の実習のときだった。私が担当したのは、四歳の男児。先天性心疾患で、心室中隔欠損症だった。心臓は大きく四つの部屋に分かれていて、それぞれの部屋が、全身を巡って来た血液を肺へ送る役割と、肺から戻って酸素が豊富になった血液を全身に送る役割とを、担っている。心室中隔欠損症は、その心臓の部屋の壁に穴が開いてしまった状態で、穴が小さければ経過観察で埋まる場合もある。しかし、穴が大きいと、酸素の少ない血液と酸素の豊富な血液が心臓内で混ざってしまって、結局体に酸素を巡らせることができない状態に陥る。そうなると生命の危険があるため、手術をして、心臓の穴を埋めなければならない。私が担当した男児の心臓の穴は大きく、自然には埋まっていなかった。そして、酸素の投与をしていないとSpo2(血液中の酸素量の目安)が低くなってしまい、自宅での生活が困難になっていた。男児は入院し、常に鼻に酸素カニュレを付けて、滑車のついたカートに酸素ボンベを乗せて移動していた。指にはいつも、Spo2モニターを張りつけていた。
四歳にしては、物分かりの良い大人しい子であった。看護学生であった私にも笑顔で接してくれて、心からかわいいと思った。私は、四歳の男児の発達課題に沿った生活が、心疾患を持ちながらも送れるような看護計画を立てていたつもりだった。
実習が始まって数日した頃、小児病棟のプレイルームで男児と遊んでいた。男児は、布でできた柔らかい大きな積み木型クッションを運び、いくつも重ねて遊んでいた。それが楽しかったのだろう。少しはしゃぎながら、いくつも積み木クッションを運んでいるうちに、Spo2モニターのアラームが鳴った。血液中の酸素飽和度が低下しているアラームだ。
アラームが鳴ったら少し休んで、お鼻から深呼吸。
それは、男児と看護師との約束事であった。私も、それを真似て伝える。
「アラーム鳴っちゃってるから、ちょっと休憩しようか」
「うん」
男児は、仕方ないといった様子でプレイルームの床に座り、大きく鼻から呼吸をした。鼻についているカニュレから伸びているチューブが、男児が動き回ったせいでねじれている。私はそれを直しながら「休憩できてえらいね」と褒めた。男児は「仕方ないじゃん」と言った。
アラームが止まると、男児はまたすぐに動き出す。積み木型クッションを運んでは積み上げる。楽しそうだ。
「ずいぶん、高く積めたね」
「うん、まだまだだよ」
男児の動きが早くなる。遊びに夢中で、息苦しさは感じないようだ。それでもモニターは正確だ。男児の動きが激しくなるのに合わせて、アラームが鳴る。
「アラーム鳴っちゃったから、休憩だよ」
私は男児に伝える。男児は、一度聞こえないふりをした。
「おーい。アラーム鳴ってるよ」
私は、なるべく優しい口調を心掛けた。男児は、振り向いて、渋々座った。クッションは抱えたままだ。
「えらいね」
私は褒めるが、男児は何も言わなかった。アラームが止まるとすぐに動き出す。すると、すぐにアラームが鳴る。体の中の酸素の量と、四歳という年齢の「遊びたい」という正常な欲求が、全然かみ合わない。アラームが聞こえているはずなのに遊びをやめない男児に、私はそれでも声をかけなければいけない。
「アラーム鳴ってるよ」
男児は私の言葉を無視した。アラームは鳴り続ける。私は、遊びをやめさせて、休憩させなければならない。子供が夢中になって楽しそうに遊んでいるのに、やめさせなければならない。男児の体のために必要なこととわかっていながら、私は遊びをやめさせることが苦痛で仕方なかった。でも、そのままでいいはずがない。
「ごめんね。一回休憩しよう」
男児は、ふてくされた顔で振り向いて、Spo2のモニターを自分の指から勢いよく引っ張って外した。
「遊びたいんだよ!」
実習に来てから初めて聞く男児の大きな声であった。
わかっている。わかっているよ。いつもいっぱい我慢しているのに、遊ぶことまで我慢しなきゃいけないなんて、つらいよね。ひどいよね。嫌だよね。なりたくて病気になったわけじゃない、小さい体が全身で抵抗していた。わかっているけれど、私にはわかってあげられない。男児の辛さを、私はわかってあげられていない。
男児はモニターをはずしてしまったし、アラームが鳴っているのに遊びをやめさせられなかった私は、結局病棟の看護師を呼んで、男児を説得してもらった。男児は、大人しく自分のベッドに戻った。私は何もできなかった。
四歳の男児は、遊びたい盛りである。小児科実習の前に行っていた幼稚園実習を思い出した。幼稚園に通っている子供たちは、走り回り、跳ねまわり、自由に遊びまわっていた。それを当たり前にしたい年齢なのだ。四歳なのに、病気を理解して我慢できることが「いい子」であると考えていた私は、何か考え違いをしていたのではないかと思った。何が正解だったのか、今でもわからない。
実習の最終日。部屋へ行くと男児はいなかった。担当の看護師が来て、大したことじゃないように言った。
「今朝から容態がすごく悪くなって、緊急手術になったから」
目の前が暗くなって、頭がゆらっとした。小さな体であんなに健気に頑張っていたのに、緊急手術って、何があったのだ。学生は、手術室までは行けない。行けたところで、手術が終わるのを待っている家族に、たった数日一緒にいただけの学生ができることなど何もない。私はその一日、課題などプリント類を書いて過ごした。全然はかどらなかった。私が実習にいる時間内に、男児は戻ってこなかった。
私は、男児がその後どうなったのか知らない。実習が終わってしまえば、私はただの他人になってしまう。患者の個人情報だから、男児がその後どうなったのか誰にも教えてもらえないし、私に知る権利はない。私は、病気と闘う健気さと、どうして我慢しなきゃいけないんだ、と理不尽さに抵抗する気持ちと、両方持ちながらなお頑張っていたのにも関わらず緊急手術になった男児を、この先ずっと見守ることは辛すぎると感じた。
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