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作業場へいくと、まず朝礼がある。私と真帆がいる作業場は、ベルトコンベアで流れてくる部品に傷や汚れがついていないか、一つずつ確認する作業だ。アルバイトで働いているのが、私と真帆と
「みなさま、あけましておめでとうございます。年末年始は、ゆっくり過ごせたでしょうか。今年も安全第一で、どうぞよろしくお願いいたします」
背が高く、ひょろっとした体形の男性。顔は丸くて、目が小さくて鼻が丸くて、「親切」という言葉を擬人化したらこんな顔になるのだろう、と思うほど人当たりの良い表情をしている。性格も穏やかで、真帆に言わせると「お人好しが服を着て歩いているみたいな人」との評価だ。私も働いてみて、その意味を十分すぎるほど理解した。事実、田丸さんは工場内の争い事などをおさめるのがうまいらしい。
主任の板木さんは、田丸さんと全く違うタイプだ。姿勢の良いシャキッとした三十代くらいの女性で、外見だけでいうと、弁護士や会計士、銀行員といったイメージ。気が強くて仕事も厳しい。現場監督と主任は、ある意味、いいコンビなのだろう。飴とムチ。優しすぎる田丸さんと、ちょっと怖い板木さん。そんな上司を持って、私は働いている。
ベルトコンベアが動いている間は、部品にだけ集中していればいいから、仕事は難しくない。単純作業の長時間労働が苦手な人には苦痛かもしれないが、私にはちょうど良かった。右から流れてくる、小さな、携帯電話のどの部分に使われているのかわからない黒い板状の部品。それを眺めて、裏返して眺めて、傷や汚れを探す。なければそのままベルトコンベアで流し、傷があれば横のカゴに避ける。汚れがあれば、布で拭く。落ちない汚れがあれば、横のカゴに避ける。ただその繰り返しである。目が疲れるのと、肩は凝るけれど、室内で座ってする作業だし、集中しないといけないから私語をしている余裕はない。今の私には向いている。
昼食の時間になると、ぐいんっと音が鳴って、ベルトコンベアが止まる。
「では、みなさんお昼にしましょうね」
親切顔の田丸さんが優しく言うのを合図に、私たちは席を立つ。
工場内にある休憩室で昼食をとる。自分たちの作業場以外にも工場は広く、大勢の人たちが働いている。だから、休憩室は広い。私は、真帆と向かい合って椅子に座って、コンビニで買って来たおにぎりのビニールを剥く。今朝も浜田さんはコンビニにいた。浜田さんのレジに当たったから、今日は運の良い日と決める。浜田さんは週に何日入っているのだろうか。かなり頻繁に働いているように思える。
「よっこらしょ」という声とともに隣に椎名さんが座る。作業着より割烹着が似合いそうな、家庭的な雰囲気のご婦人だ。広い休憩室の中でも、自然と同じ作業場の人たちで集まって休憩するようになっている。でも、一人になりたい人は離れて食事をしていても何も言われない。その適度にドライな職場環境は、今の私にはとても心地良い。
「椎名さん、五平餅って食べます?」
「五平餅? ええ、食べるけど」
「帰省していたんですよ、これもらってくれませんか」
真空パックに入っている五平餅を二枚渡す。椎名さんは確か、ご主人と二人暮らしだ。
「えー! いいの? 嬉しいわ。私何もお返しできるものないけど、ごめんなさい」
噂好きでお節介の気のある椎名さんだが、悪い人ではない。真帆が夜の仕事をしているらしい、と私に教えてくれたのも椎名さんだけれど、それを私に言ったこと自体、もう本人は忘れているかもしれない。おしゃべりなご婦人によくあることだ。
そこへ田丸さんが来る。コンビニでサンドイッチを買ってきたようだ。
「実家でたくさんもらったので、よければ食べてくれませんか?」
私は田丸さんにも五平餅を渡す。
「これはこれは、ありがとうございます」
大袈裟なほど深くお辞儀をして、田丸さんは五平餅を受け取る。
「五平餅ですか。あれ、藤田さんのご実家は横浜市内じゃありませんでしたっけ?」
私は、田丸さんが私の実家の場所を知っていることに少し驚く。部下の情報は頭に入っているわけか。田丸さんは、ほわっとした印象だが、仕事までもほわっとしているわけではない。おっとりして見えて、いつの間にか人より早く仕事を終わらせているようなタイプの人だ。
「実家は横浜市内なので、近いんです。五平餅は、埼玉に行っていた姉が持ってきました」
「そうでしたか。お姉さんが。ありがとうございますと、お伝えください」
菩薩のように柔らかい笑顔の田丸さん。この人は、イライラすることなどないのだろうな、と思う。
自分のバッグをがさがさ漁っていた椎名さんが「こんなものしかないわ」と言って取り出したのは、ウイスキーボンボンのチョコレートだった。年配のご婦人のバッグというのは本当に意外なものが入っているものだ。
「いや、いいんですよ。五平餅はたくさんあるので、もらっていただいて私が助かるんです。あと、私お酒弱いので」
私はウイスキーボンボンチョコレートを丁重にお断りする。椎名さんは「そお?」といって、そのままチョコレートを真帆にあげた。
私は、ペットボトルのお茶を飲もうと、蓋を開ける。
「うちもね、お正月に娘家族が帰省してきたんだけど、孫が人見知りの時期なのか、すごい泣き虫でね」
椎名さんの言葉に、私はペットボトルを持ったまま「あ」と思った。過去に飛ばされる前兆によくある、一瞬の感情のゆらぎを感じたからだ。椎名さんの「泣き虫」という発言で、私は一瞬の間に、意識が過去へ飛ばされていく。まだ何か喋っている椎名さんの声が遠くなっていく。
あれは、看護師二年目のことだった。当時は血液内科の入院病棟で働いていて、とても忙しい日々だった。その日は日勤で、朝ロッカールームで白衣に着替えていると、同じ病棟の同僚がさっと近寄ってきて言ったのだ。
「503のMさん、ステったらしいよ」
ステった、とは、sterbenステルベンというドイツ語のことで、よく看護師同士で使われる医療用語だ。死亡した、という意味である。
「ケモやってたでしょ。アポったって」
ケモは化学療法のことで、アポったとは脳出血や脳梗塞を総称する呼称。
「血圧高かったもんね……」
Mさんは白血病であった。簡単に言ってしまえば、血液の癌だ。手術で悪いところを切除できる他の癌と違って、血液の癌は化学療法を中心とした治療になる。化学療法は、癌が異常な細胞分裂を繰り返して増殖することに着目した治療法であるから、当然、正常な血液の細胞分裂も阻害する。一番怖い副作用は、正常に作られなくなった血液の、正しい役割がなされないこと。つまり、赤血球が役割を果たさずに貧血になったり、白血球が役割を果たさずに感染症になったり、血小板が役割を果たさずに出血したり……そういった副作用は命に関わる。Mさんの場合、血圧が高く脳内出血を起こしたが、その出血を止める血小板の値が低く働きが弱かったため、死に至ったのだった。
私は、前日に会ったMさんを思い出す。Mさんは、化学療法中ではあったが、顔色は良かったし、前向きに治療に取り組めていた。看護学生も担当についていたのだ。私の勤めていた病棟では看護学生が実習に来ると、学生一人に対して患者一人を担当させ、看護計画を立てたり実施したりして、学ばせてもらう。学生が担当につくことを嫌がる患者もいるが、Mさんは快く担当させてくれた患者の一人だった。血圧が高めだったから、出血は要注意項目ではあった。
前日に「また明日」とにこやかに別れた患者が、今日はもういない。私は、そのことにいつになったら慣れるのだろうか。重い気持ちをどこにも吐き出せないまま、私は病棟へ向かう。途中、看護学生が会議などで使っている部屋の前を通ると中から大きな泣き声が聞こえた。Mさんを担当していた学生だろう。朝病院に来て、Mさんが亡くなったことを知らされたのだろう。
大声で泣いている学生が、私は羨ましかった。私は元来、泣き虫なのだ。看護師だって、患者が死ねば悲しいんだよ。でも、今の私に泣いている暇はない。ただ一人の患者を担当しているわけではないのだ。Mさんは亡くなった。でも、Mさんの死とは関係なく、頑張って闘病している患者はまだまだたくさんいるし、Mさんのいた部屋だってきっと今日にはもう新しい患者が入院してくる。その部屋に、死の残り香を放っていてはいけない。新鮮な空気を入れて、生きている患者を迎える。私に泣いている時間はない。悲しんでいる時間はない。
ナースステーションに入ると、同僚たちは表面上いつもと何も変わらぬ顔で働いていた。当たり前だ。患者が亡くなるたびに看護師が悲しんで落ち込んでいたら、他の患者に影響が出る。どんなに心で泣いていても、生きている患者にはにこやかに接しなければならない。私はカルテを見て、Mさんの最期を確認する。どうか苦しみが少しでも少なく済みましたように。そう思っていると、先輩に「引きずっていると、自分のほうがやられるよ」と言われた。わかっている。私は、心の涙をぐっと奥に隠して、何事もなかったかのような顔で朝のミーティングに参加した。
「藤田さん? お茶こぼれるわよ」
椎名さんに指摘されて、私はペットボトルのお茶を飲もうと傾けたまま、じっとしていたことに気付く。
「ああ、すいません。ぼーっとしちゃって」
看護師を辞めてから、こんな風に、突然記憶が過去に飛ばされて、あたかも過去を過ごしているかのような錯覚に陥る時間が頻繁にある。フラッシュバックというほど激しいものではない。単に、思い出す、という感覚なのだけれど、感情があまりにもリアルに蘇るから、誰とどこにいても一瞬ぼーっとしてしまう。
「冴綾ちゃん、考え事? 大丈夫?」
真帆が気にかけてくれる。
「大丈夫。ありがとう。正月ボケかね」
どうにか口角をあげて笑って見せる。泣き虫、という言葉に反応して蘇ったあの日の記憶。あの日の涙を、私はまだ流せていない。今こうして、全然関係ない職場で五平餅を配りながらおにぎりを食べているというのに、私の心にしまいこんだ涙は、瓶の底で冷えて固まった蜂蜜みたいに逆さにして振ってみても出てこないままだ。大泣きしていた看護学生のように、その場で悲しみを昇華できていれば少しは良かったのかもしれない。
看護師を辞めたときは、自分がどうしてあんなに看護師を辞めたかったのかよくわかっていなかったと思う。でも今考えてみれば、私は人が死んでいくことに関わることが辛くなっただけだったのだ。自分を苦痛から守るためだけに看護師を辞めたのだ。本当に身勝手な理由。
辞めたのは私の自分勝手だとわかっているけれど、それにしたってもう何年も前のことなのに突然こんなに鮮明に思い出す、という記憶の仕組みは心底どうにかしてほしい。どうしたらコントロールできるようになるのだろう。思い出したくないことを思い出さなくできる方法。世界中の誰しもが欲しい能力じゃないのか。どうして開発されないのだろう。「物忘れ外来」はあるのに「思い出し外来」はない。思い出したくないことを忘れさせてくれる方法、誰か見つけてくれないかな。忘れていくことはある意味健全ではないか。いつまでも忘れられないことのほうが、ずっと過酷だと思う。
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