オバケ
ぼくには霊感がありません。
もちろんオバケを見たこともありません。
じつは、一度でいいから見てみたいとずっと思っているのですが、どうもオバケというものは期待しているところには現れたくないようです。
とはいえ、ぼくにも「もしかしてオバケ?」と思った体験はいくつかあります。
これはそのうちの一つで、仲間内では有名なエピソードです。
▽
ぼくは20歳のころフランスに留学していました。
学校へは通いではなく、宿舎で生活していました。
そしてぼくの住んでいたのは、いわゆる
なんでしょうか、この妖しく美しい響きは。
でも当時のぼくとしては、どちらかというと「暗い」「怖い」「不便」といったイメージの方が強かったように思います。
寄木張りの床や壁のレリーフ、螺旋階段、歴史ある扉や窓の金具などはなかなか見応えがあって良かったのですが、生活しづらいことこの上ない環境でもありました。
地下にあったシャワー室なんて、それこそ異世界ファンタジーに出てくる地下牢みたいな場所でした。
その
毎年決まって、生徒たちが同じオバケを見るのです。
申し合わせたように「出た!」と騒ぎになって、あとから「毎年同じオバケを見る人が出てくるんだよ」と先生に教わるわけです。
そんなのもう存在証明じゃないですか。
とくに女性陣は、古城に住むオバケが怖くて仕方なかったようです。
いえ、もしかしたら男性陣も怖かったのかもしれません。
でも女性たちの手前、平気な顔をしていただけの可能性も十分にあり得ます。
▽
そんな中、意味もなく自分を貫きながら、仲間内でめっちゃ浮いていたカイエ青年は、いつになったらオバケに出会えるのだろうと楽しみにしていました。
オバケが出たら、ゆっくり話してみたいと思っていました。
フランス語だったら会話通じないかもな、自分、発音が悪いしなぁなどとシミュレーションしていました。
ですが、オバケは一向に現れません。
あまりに現れないので、ぼくはだんだん「もういい」と拗ね始めていました。
▽
そんなぼくがオバケと出会ったのは、バカンスの終わりあたりでした。
フランスでは大人にも子供と同じくらい夏休みがあります。
その時間を利用して、ぼくはヨーロッパ中を旅して回りました。
途中までは友人と一緒だったのですが、途中で路銀が尽きたぼくはドイツで友人と別れ、ほとんどヒッチハイクみたいな方法でシャトーに帰ってきました。
シャトーには誰もいませんでした。
昼には管理人がいましたが、夕方4時くらいには帰ってしまいます。
古城に一人。
なにそれめっちゃおいしい。
青年カイエはそう思うものの、貧乏旅行の後遺症で体がヘロヘロで、ほとんどの時間を寝て過ごしました。
あの時カクヨムがあったら……と思わずにはいられません。
そして消灯時間がやってきます。
部屋の電気は深夜には切られてしまう仕組みになっています。
電気をつけて寝るという選択肢はありませんでした。
▽
ぼくが住んでいたのは東の塔の最上階の一室だったのですが、深夜、ぼんやりと人影が現れました。
期待通りでした。
(来た!!)
一瞬喜びそうになりましたが、人間というのは案外まともに出来ているようで、ぼくはオバケを見た瞬間に恐怖で体が痺れて動けなくなりました。
自分でもびっくりするほどビビりました。
シャレになりません。
マジで怖いです。
余裕なんて1ミリもありません。
体がすくんでブルブル震えました。
怖いと膝が笑うとか言いますけど、あれは嘘です。
実際は体全体が震えます。
しかも、幽霊が出るという噂も名高い古城の塔の天辺で、さらには一人きりというシチュエーション。
こんなにおいしい状況の中、ぼくは怖くて我慢できなくなり、ずっと毛布をかぶって震えていました。
最後には気絶するように眠ってしまいました。
なんてもったいない。
▽
翌朝、あれは現実だったのか、あるいは夢だったのか、ぼくは確証が持てませんでした。
ご存じのとおり、ぼくは空想癖を患っておりますので、妙な空想と夢がごっちゃになっているんじゃないかと疑いました。
とりあえずオートミール(長らく絶食に近い貧乏旅行をしていたので、胃が食べ物を受け付けなくなっていたのです)を食べながら一日じゅう本を読んで過ごし、そして夕方には管理人が帰り、とシャトーにはまたぼく一人きりになります。
消灯時間になり、真っ暗になると、昨日と同じ場所に白い影が現れました。
(!!!!!!!!!)
オバケと会ったら話をしてみたいなんて言っていましたが、絶対無理です。
怖くて恐ろしくて震えることしかできません。
なんで「喋ってみたい」などと思ったのか、まったく意味がわかりません。
でも、丸一日少しも運動をせずに過ごしたので、全く眠くありませんでした。
毛布を被りながらブルブルしながら、ぼくはそのうちに腹が立ってきました。
いったい何やねん、と。
用があるならはっきり言えと。
怖がらせるだけのために出てきてんちゃうぞ、とそう思いました。
でも、オバケに逆らうと呪われたりするかもしれません。
結局その日も、ぼくは必死に目を瞑って長い夜を過ごしました。
▽
翌日。
あと数日したら学友たちが帰ってくることだけを頼りに、またも夜を迎えます。
消灯時間になります。
真っ暗になると、やはりそこにはぼんやりと人影がありました。
(こんちくしょう)
ますます腹が立ってきて、いっそ思いっきり観察してやろう、と決めました。
毛布に隠れるのをやめて、顔を出して凝視してやりました。
じっと見ていると、人影はローブを被った老人のように見えました。
たまに左右に揺れながら、じっとこっちを向いています。
ぼくは決して気の短いほうではないのですが、このときばかりはきっと冷静ではありませんでした。
じっとこちらを見ている、出て行く気がなさそうなその老人に対し、ぼくは本気で怒っていました。
(よし、殴ろう)
なんでそんな結論が出たのか自分でもよくわかりませんが、とにかくぼくはそのオバケをぶん殴ることに決めました。
というか、震えて眠るのはもう限界だったのです。
ぼくは勢いよく起き上がって、オバケに向かって行きました。
すると、オバケが慌てたように体をよけたように見えました。
いける、と思いました。
こいつ、生身の人間にビビってやがる。
考えてみれば、相手は霊体(魂)です。
対して、こちらは霊体(魂)に加え
圧倒的有利です。
負けるわけがありません。
近づいて行きますと、老人の一部が欠けて見えました。
「……?」
手を挙げると、手の形に老人に穴が開く。
体を近づけると、老人がほとんど見えなくなりました。
▽
まぁオチはわかると思いますが、遥か遠い街明かりと月明かりにより、マロニエの樹の影が複雑に絡み合い、かなりリアルな人間が姿を壁に映し出されていたのでした。
シャトーは丘のほぼ頂上にありますので、月明かりが差し込むとかなり明るいです。
土地の高低差もあってマロニエの影が部屋に映り込みます。
そこに町明かり(リヨンの近くのリエルグ村という町です)からの光が重なると複数方向からの光により、妙な形の影ができるのです。
偶然にしてもあまりによく出来ていると思い、ぼくはしばらくその老人を観察していました。
でも、よくよく見るとあんまり人間ぽくない気がしてきました。
というか、分かった上で見ると、全然人間には見えませんでした。
つまらん、とぼくは思いました。
次第にアホらしくなって、ぼくはフテ寝してしまいました。
▽
そういうわけで、残念ながらオバケとの邂逅はできませんでした。
オバケが出ると評判の古城で一人きりでいてすら、ぼくはオバケを見ることはありませんでした。
どうやらぼくには本気で霊感に類するものがなかったようです。
▽
しかし、身近にはオバケとよく遭遇する連中がいますので、そのうちにまたお話しさせてもらうかもしれません。
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