ねーちゃん

 これまで何度か出てきた姉が、満を持して主役として登場です。


 ぼくには姉と妹がいます。

 男兄弟はいません。

 子供時代には近所の祖父母の家に従姉がいて、彼女ともよく連みました。

 祖父母の畑の隅に秘密基地を作ったこともあります。

 

 父親は子煩悩でしたが仕事の帰りが遅い人でした。

 祖父は一日中ご隠居然としたタイプの老人で、孫を猫可愛がりするタイプではありません。

 

 家がピアノ教室だったので母親はいつも家にいて、生徒の大半が女性です。

 さらには祖母と伯母もいたのですから、本格的に女性だらけです。


 友達は男女比が半々くらいでしたが、家では完全に女性に囲まれていました。

 たった一人の男子であるぼくにとっては、結構しんどい環境です。


 とはいえ当時のぼくにとってははそれが日常なわけで、それ自体に特に問題があったわけではありません。 


 問題は姉でした。


 誤解のないように言っておくと、ぼくと姉の間にはなんの確執もありません。

 いまでも仲良し姉弟です。

 大好きですし、尊敬できる人物です。


 ですが、子供の頃のぼくにとって、姉の存在は正真正銘のモンスターでした。


 今日は、そんな姉の話をしてみたいと思います。


 ▽


 姉はめちゃくちゃ頭がいい人です。

 この辺りでは一番頭の良い高校に通っていたし、幼稚園の頃からピアノを習っていたことで音楽のセンスも抜群です。

 漢詩を片手間に翻訳して賞を取っちゃうような文才もあります。

 哲学、宗教、心理学、芸術、歴史など、文化的・精神的なことであれば大体何にでも精通してます。

 見た目も悪くないので、やたらとよくモテました。

 できすぎていて、ちょっと不気味なくらいの人物です。


 対して、ぼくは頭が悪く、「やりたくないこと」をやるのが大嫌い。

 おかげで勉強はからっきしなタイプです。


 出来の悪い弟としては、頭の良い姉の存在は目の上のたんこぶででした。

 姉にしても、出来の良くないぼくの存在は目の上(下?)のたんこぶだったでしょう。


 だからぼくらはよく言い争いをしました。

 勝てたことは一度もありません。


 おかげで、ぼくは口喧嘩がめっぽう強くなりました。

 姉以外と口喧嘩になっても、自分の言い分が正しいという確信さえあれば、言い負かされた記憶はほぼありません。

 小学校時代には、ものすごく理不尽なことで大勢の先生に囲まれながら説教されて、頭にきて全員を論破したこともありました。

(おかげですごく仲の良い先生と、すごく仲の悪い先生に二分されました)


 今では、そもそも争いごと全般を徹底的に避けて生きているので、喧嘩になりそうになるとさっさと謝るなり逃げるなりしてスルーするスキルが身につきました。

 なのでもうだいぶ鈍っていると思いますが、当時を知る友人たちには「お前は将来、弁護士か詐欺師になるといい」とよく言われました。


 失礼な話です。

 ぼくは自分が正しいという確信があり、かつそれを証明すべきだと思わない限り、口喧嘩なんかしません。

 自分の方が悪いと思ったらさっさと謝るタイプですし、誤解されたままでいいやと思ったらわざわざ自分の正しさを主張したりしません。


 だって面倒臭いから。


 とはいえ、大人たちにしてみれば「なんとなく煙に巻く」ことができない子供でしたし、友人たちにしてみても大声によるゴリ押しが効かない相手だったはずです。


 友人たちには「よくこんなのと付き合ってくれたなぁ」と感謝の気持ちでいっぱいです。


 ですが、どんなに自分が正しいという事実と確信があろうと、どんなに理不尽なことであろうと、姉にだけは絶対に勝てませんでした。


 そんなこともあって当時、ぼくは姉が苦手でした。


 でも、苦手というのはつまり意識しているということでもあります。

 もし「あなたの人生に影響を与えた人物は?」と聞かれれば、まず間違いなく姉が上位に食い込んでくるでしょう。


 つまりぼくは、だったのです。


 ▽


 この姉、一見人格者ですが、わりとぶっ壊れた性格をしています。


 これはうちの母方の遺伝だと思います。

 祖父母も性格がやばかったし、親戚一同みんなやばい。


 とにかく意地の悪いことを、ポンと言うのです。

 えっ! 何でそんなこと言うの?! というようなことを、スパーンと言うのです。

 いきなり核をついてくるわけです。

 それがまたちゃんと筋が通っているところがなおタチが悪いです。

 こちらとしてはたまったもんじゃありません。


 というか、そもそもです。

 単純に「思ったことをそのまま口にした」結果、相手を驚かせるのです。


 発言にはびっくりするけれど、基本的にみな人格者です。

 世のため人のためを考えることのできる、いわゆる善人です。

 みんな頭がよくて異常に有能で、さらに人様のために一生懸命働くような人たちでもあります。


 そう、こんなぶっ壊れ一家なのに、なぜか人には好かれるのです。

 人が集まってくるのです。


 ……謎です。


 そんな中、一番やばかったのはやっぱり姉でした。

 一番頭が良かったのも姉だったと思います。


 だからやっぱり、ぼくは姉が苦手でしかたありませんでした。


 ▽


 こんなことがありました。


 友だちが、ぼくの買った CD だか何だかを聴きに家に遊びにきました。

 その時に集まったのは、いつも集まる幼馴染連中ではなく、普段あまり家には来ない連中でした。


 ぼくに対してほとんど興味を持たない姉ですが、ぼくは一応念のため「友だちが来てるから、応接室には来ないでくれ」と頼みました。


 それからしばらく CD を聞きながら友だちと遊んでいたのですが、


 こん、こん、こん


 とノックの音が聞こえました。

 なんじゃい、と思いながら扉を開けました。


 なぜかお菓子とお茶を置いたお盆を持った姉が立っていました。


 なんでねーちゃんが来るんだよ、来ないでって言ったじゃん! とぼくは思いましたが、わざわざ手ずから淹れたお茶を持った姉を追い返すわけにも行きません。


 姉が言いました。


「カイエくんのお友だち?」


 どこかのご令嬢みたいな口調でした。

 誰だお前は、と思いました。

 普段は絶対にそんな口調ではありません。

 どちらかと言うと敏腕弁護士みたいなチャキチャキの口調です。


 絶句しているぼくをよそに、姉は友だちにお茶を配り、


「弟と仲良くしてくれてありがとう。ゆっくりしていってね」


 と言って、にっこりと微笑みます。


 一瞬、絶句しているぼくと目が合いました。

 姉は目だけでニヤッと笑うと、そのままさっさと出て行きました。


 これだけ聞いたらすごくいい姉に見えると思います。


 違います。

 明らかに面白がっているだけです。

 友人を、ではなく、弟をからかって遊んでいるわけです。

 弟の友達にいい格好をしようとか、そう言うことを考える姉では、断じてありません。

「こっちに来るな、顔を見せるな」とぼくが言ったから、一番効果的な方法で顔を見せにきたのです。


 その時の友だち連中が揃って顔を真っ赤にしてポーッとなっているのを見て、ぼくはなんだか絶望的な気持ちになりました。


 その一件が噂になりまして、しばらく姉の顔をひとめ見たがる連中がうちに来るようになりましたが、からかうのに飽きた姉が顔を出すことは二度とありませんでした。


 ▽


 しかし考えてみれば、ぼくの人格の何割かはこの人に作られています。


 料理やらお菓子づくりやら、耽美主義やら、ビスクドールやら、シュルレアリスムに傾倒したのも姉の影響が強い気がします。


 音楽的な影響も強くて、子供のころは「姉が聞いている音楽=すなわち優れている」くらいの感覚でした。


 マンガなんかも「ドラゴンボール」や「北斗の拳」ではなく、「トーマの心臓」とか「パタリロ!」なんかが好きだったのですが、これも姉の影響でしょう。



 姉とは、哲学や宗教学、心理学の話もよくしました。

 最近では量子力学の話でバカみたいに盛り上がりました。

 これほど何をぶつけても返事が返ってくる人は、なかなかいません。

 取り扱いの難しいちょっと危ない人ですが、とても貴重な存在です。



 今では美的感覚は袂を分けまして、ぼくはぼくで独自路線をひた走っているわけですが、ルーツを辿ればだいたい半分くらいは姉に行き着きます。

 

 姉がぼくの美意識をかたちづくる、重要な一辺であることは間違いないでしょう。

 

 ▽

 

 そんな姉ですが、あるとき「今日から歳を取るのをやめる」と言い出しました。

 こいつとうとう頭おかしくなったな、と思いました。

 天才と何とかは薄紙一枚の差らしいし、わりと簡単に破けちゃうんだなぁと思いました。

 

 それから15年以上経ちますが、姉は見た目も、中身も、宣言した日から一切変わっていません。

 です。

 今ではだいぶ歳下のはずのぼくよりさらにずっと歳下に見えます。

 一体どういう仕組みなんだろう。

 

 

「歳をとるのをやめる宣言」と同じころ、姉は不治の病で余命10年を宣告されました。

 嘘だろ、病魔ごときがこのモンスターを殺せるのかよとも思いましたが、どうやらガチのようです。


 小さい頃にはいろいろ酷い目には遭わされましたが、それでも大好きな姉です。

 ぼくも必死に治療方法を探したりしましたが、どうやら文字通り不治の病であるようです。

 

 しかし、それから10年以上経ちますが、一切病状は悪化せず、姉の生活は何も変わっていません。

 ケルトやアイリッシュのコンサート(姉はハンマーダルシマー奏者なのです)やら何やら、精力的に活動しています。


 死んだ父親の介護のときも、母や妹と協力して軽々こなしながら「カイエくんは子供がいるんだから、お父さんのことは任せておきなさい」などと言い出す始末です。


 なんかぼくなんかよりよっぽど元気です。

 多分、姉は魔女かエルフか何かなのだと思います。

 子供のころ魔女一家と出会ったことのあるぼくですが、どうやら魔女はわりと身近にいる存在のようです。


 そんなわけで、ぼくは今でも姉が大好きで、ちょっとだけ苦手です。


 ▽


 そんな姉との会話で、面白かったもの、思うところがあったものはだいたいメモに残していました。


 ですが、先日話題に出した「200日分のデータ損失」の際にけっこうな数を失ってしまい、非常に残念な気持ちです。


 思い出しながら、いくらかはサルベージしました。

 今は、そのあたりをネタにした小説なんかを書いてみたら面白いかもな、と目論んでいるところです。

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