第40話 ①推し活

 久しく更新が途絶えていました。楽しみにされていた方――がいるのかは定かではありませんが――更新の再会です。ただ、直接的には聖徳太子や古代日本の話ではありません。ありませんが、深く関係する話になります。僕が古代日本をどのように見ているのかという構造的な話を展開したい。テーマはずばり「宗教」です。日本においては、縄文時代からアミニズム的な原始宗教が信じられていたと思います。その宗教が、大和王権で権力的な構造と結びつき原始神道を生み出したのでしょう。そうした神話的な世界に、突如黒船のように仏教が公伝されました。それらは宗教というジャンルではありますが、性質は全く違います。その分かるようで分からない宗教について、何回かに分けて考察していきます。


「推し活を知らないんですか?」


 僕が推し活を知らないと答えると、不思議そうに返されてしまいました。若い世代では普通に認知されているようなのですが、53歳になったばかりの僕はこの言葉がまたその現象が広く認知されていることを知りませんでした。そういえば、昨年に放映された人気アニメに「推しの子」がありましたが、「推し」という言葉が使われています。あの作品は、アイドルを推す主人公たちが転生する物語でした。とても面白かったのですが、アイドルを「推す」という心理状態については、「そういうもんなんだ~」と漠然と感じただけでした。ところがこの「推し活」について調べていくと「オタク」との共通項が多いことが分かりました。色々と興味深いので、「オタク」と「推し活」の違いや、「推し活」に関する考察を僕なりに深掘ってみたいと思います。


 戦後の第一次ベビーブームにより、日本はこれまでにない爆発的な人口増加を果たしました。その子供たちが、僕たち50歳代の世代になります。この世代が子供だった頃は1980年代になるのですが、この時期にある社会現象が注目されました。それが「オタク」になります。当時のオタクは、漫画やアニメの少女キャラクターやロボットに深い愛情を注ぎこむ人、特に男性を指した言葉だったと思います。


 当時の「オタク」は社会的にとてもイメージが悪く、女の子にモテない……というよりもそもそも3次元の女の子に興味を示さない変わった奴……みたいな認識がありました。また、80年代の後半に起きた宮崎勉の幼女誘拐事件は社会的な影響が特に大きく、「オタク=変質者」というレッテルまで貼られてしまい、全国的にオタクの社会的な地位は底辺まで低下していきます。


 代表的なオタクの一人に庵野秀明がいました。1995年に発表された彼の作品「新世紀エヴァンゲリオン」は、世界的に「オタク」を量産する切っ掛けになります。「碇シンジ」「綾波レイ」「アスカ・ラングレー」というキャラクターの登場は、アイドル(偶像)として愛情を注ぐ対象というだけでなく、当時の10代20代の子供たちの代弁者だったように思います。1990年代というのは、バブルが崩壊し就職氷河期が始まった時代でした。受験戦争に疲れ果てた子供たちは、学校を卒業してもなお就職先が見つからない。努力が結果に結びつかない時代でした。「新世紀エヴァンゲリオン」では、親であるゲンドウが非情にもシンジに戦うことを強要するシーンがあります。親に認められたい心と逃げ出したい気持ち、でも逃げてしまえば傷つき倒れている綾波レイが初号機に乗せられ戦場に向かわされます。シンジの心が揺れました。そうした鬱積した思いを碇シンジが代弁します。


「逃げちゃダメだ 逃げちゃダメだ 逃げちゃダメだ」


 「新世紀エヴァンゲリオン」では、エヴァを操縦する際に機体とのシンクロ率が重要な設定になっていました。これは、アイドルに精神的にも近づこうとする「オタク」の心理状態とも重なります。80年代の「オタク」と違い、90年代の「オタク」はアイドルとのシンクロ率が高いと考えます。


 そのような現象は、2000年代に入り秋元康が手掛けたAKB48でも見られました。それまでのテレビの中のアイドル、高根の花のアイドルではなくて、秋葉原で目の前で歌ってくれるアイドル、握手が出来るアイドルとして一世を風靡します。ここまでは主に男性目線で「オタク」の変遷を追いかけてきましたが、参考として女性の目線についても軽く参照してみたいと思います。題材はジャニーズです。


 1962年に創業したジャニーズ事務所は数多くのアイドルを生み出してきましたが、大きな転換期は1991年にデビューしたSMAPだと考えます。なぜならアイドルとしての質が変わったからです。それまでのジャーニーズ的なアイドルから、バラエティーやお笑い路線もこなしていくマルチタレントとして人気を博しました。SMAPが活躍した時代は「新世紀エヴァンゲリオン」と重なります。つまり、当時のファンはSMAPとのシンクロ率が高かったのではと推察します。美しいだけでなく一緒に笑い合えるアイドルは、女性のファン層の心を掴んだのではないでしょうか。


 この「オタク」が広義に発展していったものが「推し活」になると考えます。「オタク」に比べて「推し活」は愛する対象の分野がとても広い。ネットから拾ってきたソースですが、現在考えられている「推し活」の対象を以下に示します。


◇◇◇

 一般的な対象としては、3次元のアイドルグループ、音楽アーティスト、俳優、声優、スポーツ選手、歴史上の偉人、作家、YouTuber、2次元のアニメ・ゲーム・漫画のキャラクター、ゆるキャラ、Vtuberなどが挙げられます。人物やキャラクター以外では、鉄道や建造物、仏像、刀剣、動物、水生生物なども対象です。

◇◇◇


 つまり、好きであれば対象は何でもよいことになります。また「推し活」は男性に限定されていません。というか、現代においては女性の方が精力的に活動しているイメージがあります。「推し活」は対象であるアイドルを応援します。具体的な方法として、コンサートに足を運んだりオリジナルグッズを買い求めます。そうした活動のことを「推しごと」と言うそうです。先程引用したソースは広告的なサイトだったので、オリジナルなグッズを購入することを特徴的に紹介していましたが、それは「推し活」の本質ではないと考えます。


 「推し活」には段階があるようでして、始まりは「好き」になることです。コンサートに行ったりグッズを集める「推しごと」をします。同じアイドルが好きな仲間が集まると「コミュニティー」が誕生します。最終的には「推しを感じる」ことが至高とされ「推し」が存在していることに感謝するようになるそうです。この段階を指して、宗教に近いと表現されていました。実際に「推し活」はセラピー的な効果があるだけでなく、精神的な支えを持つことで生活のモチベーションが上がるそうです。ネットソースから「推し活」の効果に関して以下に示します。


 ・実生活で疲れた時や落ち込んだ時も、推しがいることで励まされ、癒される。

 ・舞台やライブのチケット代と休暇のために、仕事や勉強を頑張れるようになった。

 ・推しに見合う自分であろうと思うようになり、勉強や仕事、美容の意識が高まった。

 ・ファンのせいで推しのイメージが悪くならないよう、自分の言動にも気を付けるようになった。

 ・特に何か観に行く予定はないが、推しがいるだけで生活にハリが出て毎日楽しくなった。

 ・推し活をしていたら、趣味の合う良い友達ができた。


 社会的な現象としての「推し活」について、面白い考察がありました。ネットの東洋経済オンラインから、抜粋してご紹介します。


◇◇◇

 エンタメ社会学者の中山淳雄は、『推しエコノミー 「仮想一等地」が変えるエンタメの未来』(日経BP)で、もはや家族形成が幸せの道ではなくなり、その旧態依然とした物語から自由になる行動として「推し」の心理を捉えた。それは性愛・結婚・出産から分離された「恋愛に近い感覚」であり、「しがらみや自分の自我から解放されて、自分の代わりに頑張っている『推し』を応援する」と述べている。

◇◇◇


 古来から、家族というのは最小のコミュニティーであり最も結びつきの強いコミュニティーでした。世襲制という言葉がある様に、権力構造においても家族による権力の委譲が行われてきました。しかしそれは父親の絶対的な権力があったから成しえたことです。ところが近年では特に日本では、そうした父親の地位が低下しています。父親の地位が低下していった大きな分岐点は、1980年代後半に始まったバブルの崩壊が切っ掛けだったのではないかと考えます。


 バブルが崩壊した頃、僕は大学生でした。当時の若者の感覚では結婚適齢期は25歳でした。25歳を超えると行き遅れで、30歳を超えると結婚の目が無くなってしまう……そんな結婚を急かされるプレッシャーが若者にはありました。ところがその頃から若者の晩婚化が始まります。これは就職氷河期という経済的に自立できなくなったという物理的な側面が大きいでしょう。お金がなければ結婚が出来ませんから。


 この様な社会的背景の中、結婚をしたくても結婚が出来ない若者の選択肢として、「オタク」や「推し活」といった「疑似恋愛」が新しい価値として受け入れられていったのではないでしょうか。先程の東洋経済オンラインの考察では――性愛・結婚・出産から分離された「恋愛に近い感覚」――と述べられています。結婚というしがらみから逃れるだけでなく、セックスや出産からも解放されている。そんな自由さを感じました。


 「推し活」を考えるとき、もう一つ見逃せない動きがあります。「祭り」です。コンサート会場に集まること、コミケに参加すること、コスプレ会場に集うことで同じ価値観を持った仲間たちと出会うことが出来ます。家族という強い結びつきではないけれど、仲間たちと緩く繋がれる。しかも熱狂できて楽しい。1980年代の「オタク」は社会的な地位が低く、隠れるようにして楽しんでいました。ところが、同じようにアイドルを追いかけているのに「推し活」は「祭り」を通してコミュニティーを形成しているのです。僕は地域の自治会で役を担っていますが、近年ではそうした役を担う方が少ない。強い結びつきを嫌がるのです。対して、「推し活」のコミュニティーは、緩い結びつきでありながら拡大しています。同じコミュニティーでありながら、その性格の違いは理解する必要があると思いました。


 最後に、まとめとして「推し活」の自己肯定感について述べたいと思います。現代社会は過去に比べるとより複雑になっています。その象徴が、ネット社会です。僕が子供の頃の情報源といえば、テレビと週刊ジャンプと図書館の本くらいなものでした。ところが、現代は手元のスマホを操作すれば様々な情報にアクセスすることが出来ます。その使用頻度もけた違いに多い。溢れる情報の渦の中で、何が本物で何が偽物なのかも分からないまま、情報の濁流に飲まれながら生きているのが現代の若者だと思います。そうした環境では、どうしても自分を見失いがちです。そうした中、


「私は、〇〇が好き」


 と宣言するのは、濁流の中で抗う姿に等しいのではないでしょうか。「好き」という感情は、嘘偽りのない自分だけの感情だからです。また、人間は何かしらの対象に愛情を注ぐことで強くなれる生き物だと思います。愛情は、自分自身がこの世に存在している意味を高めます。癒しになります。そうした感情が、「推し活」を宗教的と言わせているのかもしれません。

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