第37話 ダーウィンの世界観

 ――進化という言葉を聞いて、どの様なイメージを持たれますか?


 唐突に質問から始まりました。進化論といえばダーウィンが有名ですね。今回は、ダーウィンの進化論について、少し語ってみたいと思います。現代において、人類が猿から進化したことに疑問を呈する方はほとんどいません。ところが、人類の進化が論じられはじめた18世紀のヨーロッパでは、多くの人々がこのことに懐疑的でした。なぜならキリスト教の概念が根強かったからです。「人間は神によって創造された」と信じていた人々にとって、進化論は神の存在を否定する考え方でした。それに、当時の人々にとって人間が下等な猿から進化したなんて認めることが出来なかったのです。とはいえ遺跡の発掘や研究によって猿から進化した事実が濃厚になってくると、そうした考え方を改める必要に迫られました。現実とすり合わせるために、人類の進化は神の意思であるかのように語られ始めます。


 中世から近代に移り変わるヨーロッパにおいて、神という存在の捉え方は最大のテーマでした。この世は神が創造した世界だと信じられてきた中世の世界に風穴を開けたのは、ルネッサンスに端を発する啓蒙思想になります。啓蒙思想とは、神ではなく人間の理性によってこの世の根本法則を認知しようとする考え方になります。この啓蒙思想の始まりに、デカルトとベーコンという偉大な哲学者がいました。


 「我思う、ゆえに我あり」と唱えたデカルトは、全ての事象に対して疑ってかかります。あらゆるものを疑っていった先に、疑っている自分を見つけました。この思考法のことを方法的懐疑と名付けます。デカルトは方法的懐疑によって神を認識しようとしたのですが、見つけたのは思考する自分の意識でした。啓蒙思想に向けての一歩が踏み出されます。


 ベーコンは、帰納法という認識方法を提案しました。帰納法は演繹法とセットで語られることが多い。演繹法は、まず結論があって、その結論を補完する形で説明が付け加えられていきます。当時の時代背景と照らし合わせると、神の存在から語られる認識方法が演繹法に該当します。対して帰納法は、多くのサンプルを並べて比較します。比較した差分を観察することで共通項を見つけ出し、一定の法則を類推する認識方法になります。イメージとしては、演繹法が川上から語られるのに対して、帰納法は川下から積み上げていきます。この帰納法の特徴は、神を始めとする偏見や先入観を一切排除して観察に徹するという冷徹な姿勢でした。現代の自然科学は、この帰納法的な研究により大きく発展していきます。「それでも地球は動いている」と語ったガリレオは、正に帰納法的なアプローチを体現した人でした。


 啓蒙思想は18世紀に入り、自由や平等それに人権や三権分立といった新しい思想的概念を生み出し、自然科学や産業革命それに芸術的な活動を後押ししていきます。人間の理性によって、文明が次々とアップデートしていきました。その成長速度があまりにも目覚ましく、進化論という言葉とリンクしていきます。人間は下等な猿から進化したかもしれないが、頂点に立つことが出来た。人間は特別な存在なんだ……と考えられるようになります。


 爆発的な成長エネルギーは自国だけに留まりません。列強国の植民地支配という具体的な行動に転嫁されていきました。啓蒙という言葉には、光で照らすという意味が含まれています。列強国にとって植民地支配は、未開の文明に光を照らす行為だと考えられ、その行為は正当化されました。そこから、啓蒙思想に上級と下級という差別意識が強く反映されるようになります。こうした背景から優生学という概念も生まれました。


 ――遺伝子には優性と劣性がある。


 この考え方は、西洋の白人社会の選民意識を説くばかりでなく、ナチスドイツによるユダヤ人虐殺という歴史をも生み出しました。しかし、これはナチスに限ったことではありません。奴隷貿易や女性差別は過去から行われてきました。そこに人種的な差別が加えられただけです。また現代においても、様々に形を変えてそうした差別意識は依然として残されています。


 進化論といえばダーウィンです。しかし、彼が唱えた進化論は、実は真逆のことを示していました。確かに、人間は猿から進化しました。それは疑いようのない事実です。しかし、この進化は神が意図的に行ったものでもなければ、遺伝子的にプログラムされたものでもない。「自然選択」だったと、ダーウィンは唱えているのです。どういうことなのでしょうか。


 先程ベーコンの帰納法をご紹介しました。ダーウィンは、実験と観察を繰り返しながら種の分岐を調べていきます。種の差分は、環境によるところが大きいことを発見しました。そこから「適者生存」の法則を提示します。例えばキリンの首が長いのは、木の上の葉っぱを食べるために長くなったのではなく、たまたま首の長い種が突然変異で誕生し、結果的に進化に繋がった。これが「自然選択」の考え方になります。この考え方に則れば、人間も神の意思ではなく自然選択で誕生したことになります。つまり、種の優劣を説いていない。そもそも優劣を決めるのは人間であって、それは先入観なのです。ここが、従来の進化論と大きく違いました。ところが、そうしたダーウィンの真意は伝わらずに、優性遺伝子による進化論はその後も人々の意識に根付いていくのですが……。


 ダーウィンの功績について考えるとき、それまでの神を中心とするヒエラルキー的な構造に影響されることなく、変化を真っすぐに見つめた点が大きい。人間が誕生するまで、地球の歴史は絶滅と進化を繰り返してきました。進化が自然選択によって行われるということは、私たち人類の存在も変化の一つに過ぎないということです。そこには優性も劣性もありません。


 ――先入観に囚われずに変化を見つめる。


 この姿勢は、何もダーウィンだけではありません。ソクラテスが唱えた「無知の知」も、釈迦さんが唱えた「諸行無常」も、目指すベクトルは一緒だと考えます。


 人間という生き物は、変化を繰り返す社会の中で様々な文明を作り上げてきました。宗教的な神、農耕文化、封建的社会、貨幣経済、科学文明、医療の発展、IT文明の目覚ましい発展。それらはどれも、変化を押しとどめようとする行為です。子供が砂場で山を作るように、新しい価値を生み出してきました。しかし、創造された新しい価値は、どこかで崩壊する時を迎えます。


 ――この世に、変化に抗うことが出来る絶対的なものはない。


 これは一つの真理だと思います。建設と破壊は表裏一体で、常に繰り返されてきました。演繹法的な僕のカンですが、間違いはないと思います。色々と実例をあげることは出来ますが、ここではそれに触れません。


 飛鳥時代に活躍した聖徳太子の物語を小説として書き上げたいと、僕はこれまでにも宣言してきました。あの時代は、ダーウィンが生きていた時代とよく似ていると思うのです。近代ヨーロッパと飛鳥時代の日本とでは、時代も地域性も全く違いますが、そこにはよく似た社会構造があります。神を中心とする封建的な社会と、変化を見つめようとするフラットな視点。仏教的な思想についてはここでは語りませんが、そうした時代の狭間にあって、聖徳太子はかなり悩んだと思います。今回は、直接的には飛鳥時代の話ではありませんでしたが、ダーウィンが生きた時代はとても参考になりました。

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