第18話 仏舎利と善信尼

 日本書紀によれば、仏教公伝は欽明13年、西暦552年とされます。この時期の朝鮮半島は百済と新羅が緊張関係にあり、百済は大和王朝に対して軍事的な出兵を依頼しています。つまり、仏教は軍事的な支援の対価として扱われていたとみることが出来ます。欽明天皇は、経文の内容よりも仏像の美しさに感動したようですが、それ以後、仏教に関しての目立った記述はありません。


 敏達10年、西暦581年に中国に300年ぶりに統一国家が誕生しました。隋です。この隋の誕生が、朝鮮半島や日本に影響を与えます。高句麗や百済は、こぞって隋に朝貢しましたが、新羅は朝貢しません。大和王朝は、当時の国際情勢の変化について対応を迫られました。


 敏達12年、西暦583年、大和王朝は日羅を、百済から呼び寄せます。日羅は元々は倭国の人間でありながら、百済の高官に上り詰めた人物なのです。百済は警戒しました。日羅が、百済の味方なるのか敵になるのかが分からないからです。


 当時の大和王朝には一つの悲願がありました。任那の復興です。朝鮮半島の南にある任那には日本府が置かれ、もともと倭国の支配地域だったのです。ところが継体天皇の時代に、任那を百済に割譲してしまいました。そうした時代背景がある中、日羅が倭国に帰ってきて敏達天皇に提案します。富国強兵と百済の支配下政策です。日羅に同行していた百済の役人たちは、日羅の謀反を察知して彼を殺害しました。この様な日羅殺害事件が起こった翌年に、蘇我馬子が行動を起こします。


 敏達13年、西暦584年、百済から仏像が送られてきます。崇仏派の馬子は、この仏像をもらい受け、更には国内にいた高句麗の僧である恵便を担ぎ出し、嶋という女の子を出家させました。法名は善信尼。聖徳太子と同い年です。仏像と僧と尼がそろったら、次は場所が必要です。


 敏達14年、西暦585年2月、飛鳥にある大野丘に蘇我馬子は仏塔を建てました。日本で最初の仏教建築物になります。仏塔とは、釈迦の遺体、もしくは遺骨を安置した場所になります。つまり、仏塔には釈迦の遺骨が納められる必要があるのです。その釈迦の遺骨のことを仏舎利と言います。


 仏舎利の歴史は深く、インドのアショーカ大王は釈迦の遺骨を掘り出し、細かく粉砕して、8万余の寺院に配布したとされます。仏舎利はインドだけでなく中国にもやって来て広く分布しました。その一つが、倭国にもやって来るのです。日本書紀には、その仏舎利についての記述があります。


「馬子宿禰、試みに舎利を以て、鉄の質の中に置きて、鉄の槌を振ひて打つ。其の質と槌と、悉く砕壊れぬ。しかれども舎利をば砕きやぶらず」


 つまり、仏舎利を鉄の槌で叩いたら、鉄の槌の方が砕けたそうなのです。


 ――尊いとされる仏舎利を槌で叩く行為そのものが、仏教を敬っている立場からしてどうなんだ?


 というツッコミもありますが、鉄で叩いて砕けない仏舎利そのものには更に疑問が沸きます。仏教の世界では、昔からこの仏舎利は大切にされてきたようです。キリスト教に十字架がある様に、敬虔な仏教信者にとっては釈迦の遺骨は重要でしょう。しかし、本物の釈迦の骨であったとしても、鉄で叩いて壊れないどころか、鉄の槌そのものが壊れてしまうなんて考えられません。仏舎利って、何ですか?


 現存する日本最古の仏塔は、奈良県斑鳩にある法隆寺の五重塔になります。あの人間が生活するにはたいへん不便そうな建物は、実は仏舎利を納めている仏塔だったのです。その五重塔が、解体調査されたことがありました。その基底部には、確かに仏舎利が納められていました。その正体は、なんとダイヤモンドだったそうです。


 仏舎利が、どの様な経緯でダイヤモンドに変わってしまったのか分かりませんが、ダイヤモンドなら日本書紀の記述は理解が出来ます。当時の日本にはダイヤモンドはありませんから、仏舎利と説明されたら素直に信じたでしょう。また、そうしたダイヤモンドの硬さは、奇跡と感じたのかもしれません。馬子の仏教に対する信仰も更に深まったでしょう。


 大野丘に建てられた仏塔は、ひと月後に物部守屋によって焼かれてしまいます。丁度この頃に天然痘が大流行するのですが、この天然痘の原因が仏教だとされたからです。守屋の仏教弾圧は激しく、善信尼をはじめとする三人の尼僧が捕まりました。海石榴市という市場の真ん中で袈裟を剥がされ裸にされたうえ、大衆の目の前で尻を打ち付けられるのです。しかし、この様な弾圧を繰り返したところで天然痘が収まることはありません。さらに拡大していきました。この天然痘の拡大は仏教を弾圧したからだと、馬子は反対に守屋を断じます。この年の8月に、敏達天皇は天然痘によって崩御されました。ここから、蘇我馬子と物部守屋の対立が、より激化していくのです。


 この辺りのドラマは、聖徳太子の物語を書く上での前半の盛り上がりになります。特に、渦中の善信尼と聖徳太子が同い年というのが面白い。まだ12歳です。聖徳太子は、幼い頃から仏教を勉強していますし、馬子が保護している善信尼とも交流があったに違いありません。善信尼はその後、中国に渡航し更に仏教を学んでいきます。善信尼に関する資料は少ないですが、物語を書く上では重要なヒロインの一角になります。


 とまー、そんな事をつらつらと考えています。

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