第2話 鼻くそ屋

 目覚めた鈴木はまず自分の陰茎を調べた。特に異常はなく、相変わらずの異臭を放っていた。


「こんな臭い物をぶら下げて綾子にはとても会えないな。」


 そう呟きながらシャワーを浴び、何気なくコーヒーを飲んだ。コーヒーがうんこの出汁に思えた。鈴木は全ての物をうんこなど汚い物と結びつけて考える癖がある。全てが汚物、唯一可愛い女の子以外は。


 綾子と会う飲み会の時間まではまだ随分時間があった。19時から鼻くそ屋という品のかけらもない名前の居酒屋で飲む予定である。鼻くそ屋の自慢は鼻くそのように丸めたミートボールや何かよくわからん小麦粉を練った食べ物などであった。もちろん、通常の料理も配される、というかむしろほとんどの客はそちらを食べるので、鼻くそのような物を食べるのは一部の常連客に限られていており、「鼻くそ」は特に名物ではなかった。


 この鼻くそ屋は鈴木の親戚が経営しており、鈴木も常連である。内輪での飲み会にはよく利用しているが、綾子が出席する飲み会で鼻くそ屋を使うのは初めてであった。


「綾子を笑わせてやろう。」


 鈴木にはこのような魂胆があった。冷静に考えて、こんな物で喜ぶ女性などいるはずがないのだが、鈴木には理解できないようであった。むしろ心配事は他にあった。


「綾子は鼻くそを見たことがあるんだろうか。」


 鈴木の疑問は一見ズレているようで的確であった。綾子ほどの美女の鼻から鼻くそなどというものが出るはずがない。綾子は生まれてから鼻くそを一度も見たことがない可能性がある。小学生の頃、悪ガキに鼻くそをつけられたとか、そういった嫌な思い出を伴う記憶はあるかもしれないが、「自分の鼻くそ」などという一人称を伴った鼻くそは理解できないのではなかろうか。鈴木は少し後悔をしたが、すぐに前向きに考えることにした。


「鼻くそ屋の料理を見て綾子がどんな反応を示すのか、見たい。」


 つまりはこういうことである。綾子が自分の鼻くそを見たことがない。そもそも鼻くそなど排出しない体であるならば、もちろん鼻くそが何かはわからない。意外と美味しいと思いながら食べるかもしれない。他人に鼻くそをつけられた経験があるならば、嫌な顔を浮かべるだろう。どちらにせよ、「綾子の鼻くそ」というものがこの世に存在しない以上はどのようにでも解釈可能であるが、鈴木はそこに美を見出すつもりでいた。


 鼻くそを排出しない美。


 美というより当然であろう。鼻くそなど出ない。だから美なのだ。因果が逆である。鈴木がそのことに気づいているのかは定かではないが、女性の美を限りなく神格化している鈴木ならば、何もかもが美なのだ。


 鈴木は楽しみで仕方がなかった。綾子に会えることだけでなく、鼻くそ料理を見た綾子の反応まで観察することができる。飲み会は学生時代の同期での集まりで、鈴木、綾子以外にもあと2人来る。2人とも男だ。そして、その2人も綾子を狙っている。しかし、その2人は綾子に対して何のアプローチもせずにダラダラと日常を送っている。彼らは単純に綾子が可愛いから好きなだけなのだ。鈴木のように神がかった物を感じている訳ではない。しかし、鈴木はそこまで察知していなかった。皆が綾子を女神であると信じていると思い込んでいた。


 鈴木は朝食を食べて、家を出た。その後、一日中、街をあてもなくふらふら歩き回り、ヒトカラや本屋で立ち読みなどをして時間を潰していた。18:30になり、飲み会の一応の幹事である鈴木は鼻くそ屋の前で待っていた。やがて2人の男の一人、加藤がやって来た。


「綾子はまだなのか?」


 加藤も綾子のことしか考えていないようであった。やがてもう一人の男、柳瀬がやってきたが綾子は来なかった。19時となり、仕方なく男3人で鼻くそ屋に入ることになった。


「綾子はまだだけど、とりあえず乾杯するか。」


 幹事である鈴木が声をかけ、生ビールで乾杯した。


「綾子、まだ来てないし名物の鼻くそ料理を食おうぜ。」


と加藤が言った。鈴木には加藤の言った意味がよくわからなかったが、とにかく鼻くそ料理をまず一通り注文することになった。鼻くそ料理はAからCまでコースがあってAが特上、Bが普通、Cが激安メニューとなっていた。


「どうせなら鼻くそAコースにしよう。」


 鈴木はそう言い、店員を呼び注文した。注文は間も無くやってきた。


「こちら、鼻くそたこ焼きとなります。」


 まず出てきたのは巨大な鼻くそ形のたこ焼きだった。鈴木も加藤も柳瀬も、とりあえずこれを食べないと気が済まないという表情で食べ始めた。この鼻くそたこ焼きは見た目こそちょっとグロテスクな半熟鼻くそのようであるがタコが大きく、味も旨い。3人はもう貪るように食べていた。そして、鈴木がふとその横に人の気配を感じた。綾子であった。


「何を食べてるの?あら、たこ焼き?見た目がちょっと変だけど美味しそうね。」


 綾子の反応は普通すぎるくらい普通であった。鈴木は説明した。


「これは鼻くそたこ焼きと言って、鼻くその形を模しているのが特徴なんだ。でも旨いんだぜ。」


「じゃあ、早速ひとついただこうかしら。」


 綾子は爪楊枝を一本とり、鼻くそたこ焼きに突き刺した。


「爪楊枝で食べられるかな。箸で食べた方がいいんじゃない?」


 綾子は柳瀬の忠告も聞かず爪楊枝で鼻くそたこ焼きを食べた。


「あぁ、美味しい!」


 鈴木は綾子のあまりにも普通な反応に対して戸惑っていた。綾子にはこれが鼻くそに見えないのか?見えるのか?見えるなら何故あのように平然と食べることができるのか?鈴木は若干混乱していたが、鼻くそAコースはまだまだこんな物ではない。次々と鼻くそを模した料理が出てくるはずだ。


 鈴木は次なる料理の綾子の反応を期待した。

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