花言葉

Kurosawa Satsuki

短編集

勿忘草




一章



忘れてしまった。

大切なものも、自分の事も。

最初に見たのは、女の顔だった。

見れば見る程優しく、そして安心する顔。

罪を知らない、汚れ無き者がする顔。

女は私を、“奏(かなで)”と呼んだ。

………………………………

それは、初夏のよく晴れた日の事だった。

黒髪の少女が、私を見て笑っている。

私は少女を、千夏と呼んだ。

夏川千夏という名前を知ったのは、

つい最近の事だ。

夏休みの間だけだが、

この辺にある親戚の家で泊まっているらしい。

「来て!見せたいものがあるの!」

そう言って千夏は、

長い髪を靡かせながら私の手を引く。

二人で向かった先は、

山奥にある小さな祠だった。

祠には、六束の勿忘草が添えられていた。

「勿忘草なら、家の近くにも咲いてるけど…」

「そうじゃなくて、勿忘草が、

ここで祀られている神様の好物だって、

親戚の叔母さんが言ってたの」

「神様?」

「名前は確か、カンナギ様」

「変な名前だね、カンナギって巫女のことじゃん」

「そう言われてみれば、確かに…」

カンナギ様の由来は諸説あり、

この辺りで一番よく知られているのは、

自らの血肉を村人に分け与え、

何年も続いてきた貧しい状況から、

村を救ったという話。

そのカンナギ様が、好んで食していたのが、

勿忘草をすり潰して湯がいた忘れ茶らしい。

忘れ茶は、私の住んでいる地域でも、

名産物として売られていると、千夏は説明した。

私は口にしたことはないが、

きっと、千夏の言うように美味しいものなのだろう。

「忘れ茶、今度一緒に飲もう!私が作ってあげる!」

「うん!」

私と千夏は、指切りげんまんをして、

山を降りた。

……………………………………

「ねぇ、その薬は何?」

山を降り、家の前の公園で薬を一錠飲んだ。

千夏に薬の事を聞かれるが、

飲んでる私にも分からなかった。

女の言いつけ通りに服用しているだけで、

それがなんの薬かなんて考えた事が無かった。

毒ではないらしいが、詳しい説明はされていない。

ただ、一日一錠ずつ飲むことが私の日課だった。

千夏は、私に持病があると勘違いしているようで、

泣きそうな顔で心配していた。

「ねぇ、これ上げる」

鞄から先ほど下山中に拾った勿忘草を取り出した。

「勿忘草?」

「千夏の事、忘れないように」

「ありがとう」

「私の事、忘れないでね」

そう言って私は、勿忘草を千夏に渡した。





二章


私は、特定の記憶だけを消す方法を知っている。

代償は大きいが、得るものも大きいだろう。

この薬は、imkk21と言い、

一錠飲めば、嫌な記憶だけを消去する事ができる。

失敗すれば、大事な記憶までもがリセットされる。

医学の間では、PTSD(心的外傷後ストレス障害)

の治療にも使われる。

彼女は、“月波 奏”は、これを飲んだんだ。

そうだとしたら、

あの傷も、普段の何食わぬ態度にも納得がいく。

ふと、十年前の記憶が蘇る。

彼女が何処で手に入れたのか、今でも謎だが、

決して安い物ではないし、

医学業界でも、未だに危険視されている。

それより疑問なのは、

彼女が今、何処にいるのかということ。

……………………………………

「私ね、足りないの」

いつものように、二人で山道を歩いていると、

奏が妙な事を言い出した。

「自分は、恵まれていて幸せなはずなのに、

心の奥がぽっかり抜けた感じがする。

虚無感って言うか、

とにかく、何かが物足りないの。

ねぇ、千夏ちゃん、

この空いた心を埋めるにはどうしたらいい?」

私は、彼女の問に答えなかった。

答えたかったけど、答えられなかった。

私の小さな頭では、難しい問題だ。

私だって、寂しくなる時はあるけど、

それでも、

足りないなんて、考えたことがなかった。

「ごめん、急に変な事言って…」

彼女は、俯きながら瞳から一滴の涙を流した。

「簡単だよ!もっと楽しい思い出を作ろ!

私と一緒に!」

突拍子もない言葉だと私も思った。

けれど、今の私には、それしか思いつかなかった。

それで彼女が救われる事を、誰よりも願うことにした。

「そうだね、それじゃ今日は何しよっか?」

いつも自分の要望ばかりなので、

今日は、奏のやりたい事を聞いてみる。

すると彼女は、忘れ茶が飲みたいと言う。

「じゃ、私の家に行こう!」

私は、奏を家がある街の方へ連れ出した。

家と言っても、実家ではなく親戚の家なのだが、

親戚の叔父さんと叔母さんも優しいし、

実家と同じくらい好きな場所だった。

「さぁどうぞ、千夏の手作り忘れ茶だよ」

私は、前に叔母さんから教わった通りの手順で忘れ茶を作り、奏に出した。

奏は、一口飲み込むと、

「美味しい」と呟いた。

私は、飲みなれてるせいで、

あまり美味しいとは思わないが、

奏の幸せそうな表情を見ていると、

私まで嬉しくなった。





三章


女は泣いていた。

涙の理由を聞いても、女は答えなかった。

ただ一言、

「ごめんね…」

と言い残し、

私の元から脇目も振らずに去っていった。

そして私は、スーツ姿の男に連れられ、

黒塗りの車で、知らない場所へと向かった。

それ以来、女と会うことは無かった。

無理はさせるな。

これは彼女の試練だ。

彼女にとって最も苦痛な事であり、不条理な事だ。

彼女には、愛が必要だ。

周りと同じくらいの愛が必要だ。

全ての責任は俺が担う。

お前達は、俺の指示に従ってくれ。

それでは、実験を開始する。

男は数名の部下にそう言うと、私を広い檻に入れた。

………………………………

翌日?なのかは窓も時計もないので分からないが、

檻の隣にある一室で身体検査を受け終えたら、

いつの間にか寝てしまったようだ。

これからこの檻が、私の寝床になるのだろうが、

真っ白な空間の中にあるのは、

白いベッドと決まった衣類が収納されているタンス、

文学や医学の本が敷き詰められた本棚くらいだ。

トイレとシャワーは別室にある為、

度々、呼び鈴を鳴らして監視役に外から開けてもらう必要がある。

と、そこに、監視役の男が部屋へ入ってくる。

「目覚めたか、気の毒だな」

男は、ケダモノを見るような表情で私を見下ろす。

何を考えているのかも分からない、

得体の知れないモノを見る顔。

私は、彼らにとって化け物のような存在なのだろうか?

彼に聞いても、ため息をつかれるだけだ。

「imkk21、一日三回、三錠ずつ飲め。

足りなくなったら、追加をやる」

そう言って男は、

私に錠剤の入った小さな透明のケースを放り投げた。

「今までの事は、全部忘れろ」

監視役の男は、冷たい口調で言いながら部屋を出た。

“実験道具”

私の脳裏に、その言葉が過ぎった。

……………………………

あれから何年が経ったのだろう?

私の体は、大人と言ってもいい程に成長した。

新しい監視役は、気の強い女だった。

怒ると怖いが、しっかり者で、

同性ということもあり、彼女とは直ぐに打ち解けた。

「もう、十七歳か」

大きくなったなとは言われなかった。

それでもまだ子供なんだと女に言われた。

「記憶が欲しいか?」

私は、顔を横に振った。

幼い頃に、思い出したくない出来事があったのだと、

この施設の責任者が言っていた。

それなら、わざわざ思い出す必要もないだろう。

「あともう少し…

あの薬が完成したら出してやる。

だから、あともう少しだけ頑張れ」

女は励ますように、私の頭を優しく撫でた。

「薬は、記憶を消すためのものなんだよね?

私、ここを出たらどうすればいいの?」

「私の元で暮らすんだ」

女はまた、子供のようにはにかんだ。

その表情は、

母親というより姉みたいだと私は思った。

「なぁ、カンナギ様って知ってるか?

いや、今のお前は覚えていないか」

カンナギ様、どこかで聞いたような名前。

記憶が曖昧で、今となっては、

自分がどこに住んでいたのかさえ覚えていない。

「誰かにとってお前は、カンナギ様と同じ。

少なくとも、責任者の男はそう思っている。

あの男も、善意のためにやっていると言うが、

言わずもがな、建前なのだろう」

記憶を消すというよりかは、

記憶を書き換えると言った方が正しい。

それと同時に、記憶をよみがえらせる薬も、

別の研究施設で作られているらしい。

私にはよく分からないが、

とにかく、私以外にも試験体がいるという事だ。

「安心しろ、ここを出たら思い出させてやる。

楽しい思い出だけをな」

……………………………………………

「ようやく完成した、本日をもって実験は終わる」

と、責任者の男がいつもの口調で言う。

「お疲れ様、奏」

女も、いつものように私の頭を撫でながらはにかむ。

「帰ろう、奏」

私は、監視役の女と共に研究施設を出た。

そして、久しぶりに外の空気を吸う。

「ねぇ、一つ聞いてもいい?」

「なんだ?言ってみろ」

「カンナギ様って…」

私の問に、女は俯きながら答える。

「カンナギ様は、私だ」

「どういう事?」

「月波 読(つきなみ よみ)、これが私の本当の名前だ」

目の前にいる女は、私の先祖であり、

嘗て彼女は、村人達からカンナギ様と呼ばれていた。

その理由は、伝承通りの巫女であるからだ。

村の危機を救う為という名目で、

女は村人に殺された。

女の死体は、腕、足、下半身、上半身と、

それぞれ解体され、村人達の食料になった。

彼女の他にも、五人の巫女達が犠牲になった。

カンナギ様の好物は、

勿忘草をすり潰して湯がいた忘れ茶であるのは事実で、巫女達が好んで口にしていた飲み物だった。

女は、儀式の際に忘れ茶を飲み、

そして、村人によって刃で腹を貫かれた。

と、女は説明した。

「そういう時代だったからな、仕方がない。

今も差ほど変わらないが、

人を傷つける事が娯楽だったんだ。

処刑とかな、心までもが貧しいばかりに、

悪い所探しで必死だったのだろう。

私達以外でも、別の場所で、

別の形で犠牲になった者達はいる。

それが当たり前だったんだ。

しかしまぁ、そういう時にいつも犠牲になるのは、

私達女なんだよなぁ、全く、酷い話だ。」

どうやら、今ここにいる女は、

その犠牲になった巫女の生まれ変わりらしい。

「おや、君の友達が迎えに来たようだ」

「千夏…?」

門の方を見ると、こちらへ走り寄る人影が見えた。

それが誰なのか、私は直ぐに分かった。

「よかった、覚えていてくれたんだ!」

「私、千夏だけは忘れなかったよ」

「私も、奏の事を忘れなかった」

千夏はそう言って、泣きながら私の胸に飛びついた。

私も、彼女をそっと抱き寄せた。

そうしていると、

施設での事なんか忘れてしまいそうになる。

それでも構わない。

寧ろ、どうでもいいとさえ思う。

無意味な思い出なんて捨ててしまえ。

私の記憶はこれからだ。

千夏達との思い出を作っていきたい。

私は、二人を見ながら心からそう思った。




END






枯葉



これは、俺が帰る場所を失った後の話である。

ある日の晩、いつものように仕事を終えて帰宅をした。

その日はちょうど、残業もなく早めに終わったので、

仕事場近くのケーキ屋で彼女の好きなケーキを買った。

彼女の喜ぶ顔を想像しつつ帰宅をすると、

彼女が見知らぬ男に抱かれているのを見てしまった。

男に抱かれている彼女の表情は、

とても幸せそうだった。

その笑顔を見るのは初めてだった。

裏切られる事を密かに望んでいた癖に、

それが現実になると、やはり絶望し、

今度こそ死のうと思った。

自分の人生に終止符を打つことが出来る絶好の機会だと言うのに、

内心、穏やかではいられなかった。

気づいた時には、高層ビルの屋上にいた。

そして、俺の目の前には、

見知らぬ少女が飛び降りようとしていた。

「死ぬ気か?

どうせ死ぬなら、憎い相手に復讐してからの方がいいと俺は思う」

俺は、わけもわからず口走ってしまった。

別に、止めたかった訳では無い。

「話を聞こう、理由はなんだ?」

「あなたには関係ない」

「そうだ、だからこそ知りたいのだ。

身内ですら知らぬお前の心境を知りたいと思った

これは、興味本位で聞いた迄だ」

「だったらいいじゃん」

「お前の人生に責任とってやろうか?」

「余計なお世話。

迷惑だからって素直に言えばいいじゃん。

目の前で死なれるのが怖いだけでしょ?

他人事の癖に」

「そういえば、お前は死なないのか?」

もう、自分でも何をほざいているのか分からなかった。

少女の後ろ姿は悲しかった。

止めるなと言っているような気がした。

彼女は誰かに止めて欲しい訳じゃない。

本当に終わらせたいのだ。

「薬もナイフも意味なかった。

私には、これしかないんだ…」

「俺もだ。だから俺は、ここに来た」

「じゃ、もう行くね」

「仕方がないか」

彼女は、俺の目の前で飛び降りた。

俺は、助けようともせずにそれを黙って傍観していた。

俺は、きょうが覚めて引き返した。

近場のビジネスホテルに泊まり、

コンビニの安酒を煽った。

それから大人げなく泣いた。

涙は、しばらく止まなかった。

クソったれ。

俺は、心の中でそう呟いた。

勿論、自分に対しての言葉だ。

惨めで情けない自分を呪いたくなった。

気晴らしに一本書いてみるか?

自分が不幸になる話は幾らでも書ける。

被害者意識が高いのか?

そうに違いない。

だがもう、書く気にもなれない。

飽きた。

どうせなら、今までの思い出を忘れてしまうくらいの傑作を書こうと思いついたが、

結局、一行も書かずに辞めた。

………………………………………

翌朝は雨が降っていた。

ジメジメした空気が、より一層気分を下げた。

ふと、昨晩の事を思い返す。

後悔がまた一つ増えた。

俺は、恥じなければならなかった。

それから、

身支度を済ませてビジネスホテルを出た俺は、

駅前にある大型ショッピングモールへ向かった。

そこで、ヒールやネックレスなど、

女性物の品を幾つか購入した。

彼女に、謝罪とせめてものお礼がしたかった。

全部、全部、俺が悪いのだ。

だから彼女は、他の男を選んだ。

どんなに取り繕っても、

それを良しとしていなかったのだろう。

頼りないばかりに、不満もあったはずだ。

俺は、買った物を玄関の前に置き去った。

次に向かったのは、人気の少ない公園だった。

そこでもやはり、酒を飲んだ。

酒を飲むのはこれで最後にしようと思った。

缶を空にし、公園を後にした。

路地を抜け、道路沿いに出た。

信号を青で渡ろうとした瞬間、

左側から勢いよくこちらに向かってくる車と衝突した。

俺は、頭から血を流して倒れたが、

衝突した車は、ブレーキを踏まずに去っていった。

視界が次第に薄れ、やがて気を失った。

そして、俺は笑った。

…………………………………

目が覚めた。

辺りを見回すと、そこは病室だった。

ベッドから起き上がろうとするが、

体が思うように動かない。

俺は、死に損なった。

治療費もないのに、これからどうすれば…

「体調の方はどうですか?」

しばらく白い天井を見上げていると、

顔色の悪い看護師が病室へ入って来た。

きっと仕事のせいで疲れているのだろう。

昨日から寝ていないように見える。

看護師は、用事を済ませてそそくさと病室を出ていった。

隣のベッドは空いている。

この病室には俺しかいない。

静寂の中、もう一度辺りを見回す。

先程の担当の看護師が言っていたのだが、

俺のいる病棟は、一番上の階にあり、

俺一人だけで、他の患者は下の階で治療を受けているらしい。

というのも、俺は軽傷で済んだが、

この病院には重症患者が九割を占めていて、

手術室や、緊急治療室、多くの医療機器が、

下の階にある為、そうせざるを得ないとの事だが、

俺としては寧ろ好都合だ。

窓の方を見ると、昨日とは打って変わって快晴だ。

心地のいい陽の光が病室いっぱいに降り注ぐ。

いい部屋だ。

俺は、心からそう思った。

そして、昨日までの出来事も忘れるように努めた。

それからしばらく微睡んでいると、

担当の医師が病室へ入って来た。

「様態はどうですか?おや、元気で何より」

癖のある口調で話す医師は、

白髪混じりの気さくなおじいさんだった。

「まだ三十代ですか、若いのにね、

何があったかは問いませんが、無理はいけない」

「先生、治療費は幾らしますか?」

「今は治療費の事より、

一日でも回復するように努めてください」

医師は、微笑みながらそう言った。

きっと、変な奴だと思われたに違いない。

それでもいい。

今はただ、こうして大人しくしていたいのだ。

…………………………………………

一週間も経たずに退院出来た。

仕事もクビになり、散財したせいでお金もない。

それどころか、治療費もまだ払えていない。

帰る家もない。

とりあえず、バイト先と新しい寝床を探さないと。

それまではダンボールハウスで暮らすしかない。

人気のない場所に拠点を置こう。

コンビニよりも、

アニメショップの方がいいかもしれない。

それから更に1ヶ月後。

バイト先も、新しい住居も決まり、

それなりに安定した生活を送っていた。

事故があったとされる、

家賃一万の狭い部屋を借りたのだが、

幽霊にも会わなかったし、

ポルターガイストも起きなかった。

ある日の晩、バイトの帰りにいつもとは違う道を

歩いていると、一軒の古い木造の建物を見つけた。

建物の看板には、人形屋と書いてある。

ガラス戸を開け、中へと入る。

「呪いの人形、要らんかね?」

薄暗い奥の襖から現れた、

腰の低い老婆に声をかけられた。

そして、老婆は俺に近寄り、

一体の市松人形を差し出した。

「ほれ、これが呪いの人形じゃよ。

どうじゃ?興味はあるか?千円で売ってやる」

「仕方がないか」

「毎度あり」

老婆はにこやかに頷いた。

俺は老婆に千円札を渡して、

包装もせずに人形を受け取った。

人形は紅色の着物を着ていた。

肌の塗装も部分的に剥がれていて、

片目を失っていた。

人形の名前を、火花と決めた。

俺は、自分の部屋に戻った後、

人形を枕元に置いてみた。

画材箱を前の家に置いてきてしまったので、

今すぐに塗装は出来ないが、

ちょうど持って来ていた箱に櫛があったので、

その櫛で人形のパサついた髪をといてやった。

「呪いなんて嘘だと言ってもいいんだぞ?

決めつけられているなら、

デタラメであると言った方がいい」

俺は、人形に語りかけながら、

御ままごとのように人形の世話をした。

「憎みたきゃ憎め、問題ない。

昔から嫌われてきたんだ。

呪いたいなら勝手にしろ」

俺は、灯りを消して寝床についた。

すると、金縛りにあった。

久しぶりの事であった為、解く術は知っていた。

目を開け上を見上げると、着物姿の女がいた。

女は俺にのしかかりながら何かを呟いていた。

俺は、素早く金縛りを解き、女に話しかけた。

「寂しいのは俺も同じだ。

殺したければ殺せ、泣きたいなら俺の懐に来い」

女の瞳から数滴の涙が流れた。

俺は、女を抱き寄せた。

「おいで、火花」

俺は、女の名前を呼んで眠りについた。

………………………………………

それから半年後。

俺は今日、自殺を決めた。

これ以上の人生は要らないと思った。

だが、このまま無駄死にするよりかは、

この体を誰かに提供しようと思った。

ネットで見つけた病院で、

臓器提供の募集をしていたのだ。

俺は身支度を済ませ、必要な物だけを持って、

その病院へ向かった。

人形の火花は置いていく事にした。

外へ出ると、

十二月の雪が、辺り一面に積もっていた。

「綺麗だ」

俺は一人で、素直に感想を述べた。

本当に綺麗だった。

今日は、クリスマスだが、

そんなことはどうでもよかった。

病院に着き、受付カウンターで用事を済ませ、

診察室へ案内された。

担当の医師は、俺よりも若い男だった。

「俺の臓器は誰に提供するんだ?」

「十四歳の女の子です」

「少女か、悪くない」

「そうですか、では早速、

手術の準備を始めるので、こちらへどうぞ」

俺は、別室へ案内された。

移植手術の予定は明日なので、

俺は、この病院で一晩泊まることになった。

「明日か、楽しみだ」

その晩、寝るには早い時間だったので、

ロビーで小説を読むことにした。

小説の題名は勿忘草で、

この本は、俺の書いた最後のシリーズの一作だ。

記憶を失った少女の話なのだが、

他人からしたら訳の分からない内容だと思う。

そもそも、出版すらしていない。

軈て、消灯の時間になり、病室へ戻った。

そして翌朝。

俺は少女と対面した。

その少女は、

前に高層ビルの屋上で投身自殺をした少女だった。

「俺がお前の人生に責任をとってやる」

俺は、眠っている少女にそれだけを告げ、

手術台に乗り、ゆっくり目を閉じた。




END







朝顔


幸福とはこの事か。

美しい女性だった。

容姿ではなく、心がだ。

少なくとも、俺からしたら綺麗だった。

汚れを知らないのか、彼女は俺に笑顔を向けた。

嫌われ者だからこそ、叶わない夢だからこそ、

せめてもの慰めの為に、

見えない何かに恋をしようと思った。

……………………………………

目が覚めた。

いつもの寝床に、女がいた。

瞳を閉じたまま、静かな寝息をたてている。

男は、起こさないように気を使い、

そっと身支度を済ませた。

男の仕事は、いたって単純だった。

防護服を着て、定位置に立ち、

朝から晩まで加工作業をするのだった。

つまらぬ仕事だった。

男はそれでもやるしかなかった。

自分の行いが、少しでも誰かの生活を豊かに出来る事を願いながら、ひたすら頑張った。

そう思わなければ、壊れてしまう気がした。

男は、職場でも嫌われていた。

仕事は出来るが、人との対話が苦手なせいで、

周りからよく煙たがられた。

仕方がない事だと割り切っていたものの、

時折聞こえてくる男への嫌味が、

彼の心を抉った。

それでも彼が死のうと思わないのは、

最愛の女がいるからだった。

男は、仕事を終えて帰宅した。

男が帰宅すると、女はシャワーを浴びていた。

男は、着替えを済ませると、

帰りに買って来た食材で料理を始めた。

女と自分の二人分の食事を作り、

テーブルに並べた。

軈て、シャワーを浴び終えた女がバスタオルを巻いて風呂場から出てきた。

男は女を手招きし、席に着かせた。

男が食べるよう促すが、

女は一口も料理に手をつけなかった。

「いつもの事だ」

と言いながら、男は女の分まで食べるのだった。

その晩、男は女に自身の夢を語った。

男は、アニメ制作会社を立ち上げようと試みた。

しかし、今の金銭的状況や、

技術面での不足などを理由に諦めた。

男は、小説家になりたかった。

少年時代から幾つかの短編作品を書いてきたが、

出版すら出来ずに終わった。

出版社の担当者は男に、

書くのをやめろと告げてから連絡を切った。

それから男は、書くことを辞めた。

男は次に、作曲家になりたいと思った。

自分の言葉で誰かを救いたかった。

そして、何十曲の歌詞を書き、

元々あった古いノートパソコンを使って作曲をした。

だが結局、誰一人として男の曲を聴くものはいなかった。

そもそも、まともな知識も才能もないのだから

当然の事だった。

それに、全部自己満足でしかないと気づいてしまった。

男は、作曲を辞めた。

もう、全部分かっているんだ。

本当は、隣に誰も居ないことくらい、

男にも分かっていた。

女を抱いた事も、手を繋いだこともない哀れな男は、

ひとりぼっちの部屋で、声を荒らげながら泣いた。

「ふざけるな!ふざけるな!ふざけるなー!!」

男の叫びは、虚しく部屋中に響き渡った。


END









アネモネ





私は彼女に恋をした。

彼女は、私を特別だと言ってくれた。

これ以上ない幸福だった。

女として生きてきた中で、初めての感覚だった。

イカ臭い男なんかどうでもよかった。

私は、彼女をそっと抱き寄せた。

柔らかい肌が、愛おしかった。

ずっとこのままがいいと思った。

求めていたものが、ここにあった。

……………………………………

私の名前は、月波 読(つきなみ よみ)。

高校の教師をしながら、

恋人の日高華蓮(ひだか かれん)と同棲している。

私と違ってしっかり者の華蓮は、

美容院で勤務しつつ、

ファッションモデルや、

ファッションデザイナーとしても活動している。

彼女と付き合ったきっかけは、

高校時代に、華蓮の方から告白してきたのだが、

その頃私も、元彼と別れたばっかりだったし、

話すうちに意気投合していたというのもあって、

同性でも悪くないと思ったからだ。

高校を卒業してからも、二人で同棲を決め、

そして今に至る。

家事は、いつも華蓮の帰りが遅いため、

基本的に私が行う事になっている。

休日には、二人で手を繋いで、

ショッピングを楽しんだり、遊園地に行ったり、

外で遊ぶことが多い。

「華蓮、明日は何して遊ぶ?」

私は、華蓮に抱きつきながら問う。

華蓮は、子供のように甘える私を軽くあしらう。

「ねぇ、華蓮ってば〜」

「やれやれ、読は甘えん坊さんですな〜」

「言っておくけど、華蓮以外には見せてないからね」

「分かってるよ、可愛い奴」

「そういえば華蓮、明後日くらいに新しいプロジェクトを始めるって言っていたけど、

そのプロジェクトって、何をするの?」

華蓮の言うプロジェクトとは、

全国からファッションデザイナーが集まる

大きな企画らしいのだが、

詳しい事は、まだ決まっていないらしい。

「まだ分からないけど、

そのプロジェクトが終わったら、

しばらくは時間に余裕が出来ると思う」

「そっか、じゃ、その前に何処か旅行にでも行こうよ」

「いいねそれ、温泉とか?」

温泉といえば、昨年の秋頃に二人で行った伊豆大島の温泉が素敵だったという思い出がある。

華蓮と一緒に見た海の景色や夜に見た花火は、

今でも良く覚えている。

「じゃ、箱根はどう?」

「箱根か〜」

「そういえば、前にも行ったことがあるっけ?」

「途中で地球博物館にも寄った」

「凄かったよね」

でも流石に、同じ場所を行くのは違う。

もっと自分達が知らない景色を見てみたい。

というのが私達の見解だった。

「じゃ、こんなのはどう?」

私はそう言って、雑誌の収納箱から一冊のパンフレットを取り出した。

和歌山県の美浜町という所に、

とても綺麗な景色が見える観光スポットがあると勤務先の同僚から貰った一冊だ。

「美浜町って、海が綺麗な所だよね?

私、一度行ってみたかったんだよね」

「私も丁度、そう思ってた」

「そうと決まれば、宿の予約をしないと」

私達は、パンフレットを広げてから、

各々の準備に取り掛かった。

……………………………………………

そして翌日。

私達二人は、

スーツケースに必要最低限の荷物を詰め、

東京駅へ向かった。

東京駅から乗り換えを繰り返し、

和歌山駅に着く頃には、丁度昼時だった。

昼食は、駅近くにある梅うどんを食べた。

そして、帰りはしらす丼を食べると決めた。

昼食を済ませた私達は、

目的地の海岸がある方面へ歩み始めた。

その途中で、予約をしていた旅館に荷物を置いて、

貴重品を入れたバッグだけを手にし、

再び歩みを進めた。

海沿いへ着く前に、神社でお参りをする。

そして、神社の近くにある鳥居を潜れば、

想像以上に美しい、広大な海が見えた。

「海だー!!」

「海だー!!」

私は、華蓮につられて叫んだ。

海から歓迎されているような気がした。

私達は、砂浜を駆け回った。

私の心は、

この上ない開放感と幸福に満ち溢れていた。

その様子を見ていた現地の人に、

祭りのことを教えて貰った。

私達は、

一頻り遊んだ後、夕暮れ時に旅館へ戻った。

三階の葉号室のベランダから見る夜景は、

またもや私達の心を満たした。

「読、温泉に入ろ!」

私は、華蓮に腕を引っ張られながら、

浴場へ向かった。

中へ入ると、広々としていて私達以外に、

子連れのお母さんが湯船に浸かっていた。

「娘さん、可愛いですね」

私から先に、お母さんへ声をかけた。

お母さんは、嬉し笑みを浮かべながら頷いた。

「もしかしてあなた達、ダブルデート?」

「いいえ、二人だけで来ました」

「そうなんだ、仲がいいのね」

「ありがとうございます」

私達は、会釈をしてからお湯に浸かった。

女の子は、窓の外を眺めながらぼーっとしていた。

今日出来た思い出を振り返っているのだろうか?

この二人も観光で来ているらしいので、

きっとそうだと思った。

浴場から出て、部屋に戻ると、

既に食事の用意がされていた。

私達は、旅館の女将さんの説明を聞きつつ、

豪勢な夕食を堪能した。

食後は、祭りがある場所へ向かうと決めた。

私は、旅館で浴衣を借りて外へ出た。

私の選んだのは白で、華蓮は鮮やかな紫だった。

私達は、神社の方へ向かった。

神社には、屋台が左右で立ち並び、

想像通り、地元の人達で賑わっていた。

私は華蓮の手を取り、屋台を歩き回った。

ヨーヨー釣り、きんぎょ掬い、射的など、

子供の様にはしゃぎ回った。

焼き鳥、わたあめ、りんご飴も食べた。

一休みしようと、近くのベンチに腰を掛けたところで、夜空に大きな花火が上がった。

「たーまやー」

「かーぎやー」

私達は、夜空に向かって叫んだ。

そして、酔いどれが覚めないうちに、

ちょっぴり甘いキスをした。



END








向日葵


少女は見た。

真夏の夜の出来事だった。

着物姿の色白の女性が、

向日葵畑の中で天を見上げ、

美しい音色を辺りに響かせながら歌っていた。

悲しく切ないその歌声に、少女は心を奪われた。

たった数分の出来事だったが、

気がついた時には、自室の寝床にいた。

少女は、先程見た光景が夢である事にガッカリした。

そして、自分も夢で見た女性のように美しい声で歌いたいと思った。

けれど、音痴である少女にとっては、

編み物をするよりも難しい事だった。

少女は、神様が嫌いだった。

神様が自分から声を奪ったのだと思った。

少女は、朝食の合間に夢で見た女性の話を家族に聞かせた。

しかし、家族に言っても笑われるだけだった。

少女は、もう一度あの女性に会いたいと願った。

……………………………………………

今日も夏休みで学校はないのだが、

少女は朝食を食べ終えると、

真っ先に学校へ向かった。

学校の門は、休みの日でも開いていた。

少女には、用事があった。

傍からすれば、小さな用事だった。

しかし少女は、

その用事を済ませたくてうずうずしていた。

少女は、正門を堂々と潜り、

昇降口で靴を上履きに履き替え、

音楽室へ向かった。

音楽室の中は陽の光で明るかった。

今は誰もいないが、先程まで人がいたらしく、

クーラーが付けっぱなしになっていた。

少女は、グランドピアノの前に座り、

昨晩、夢の中で聴いた歌を弾いてみた。

少女は、ピアノだけは得意であった。

歌っているよりも、

弾いている時の方が周りから褒められた。

少女は、つっかえながらもメロディーを思い出しながら一生懸命に弾き続けた。

弾き続けているうちに、

何処からか綺麗な歌声が聴こえて来た。

その歌声は、夢の中で聴いたものと似ていた。

少女は気にせず、ピアノを弾き続けた。

その歌声も、

少女のメロディーに合わせているようだった。

突然、少女の演奏が止まった。

少女の背後に人影があった。

少女は恐れて振り返るのを躊躇った。

人影は少女に近づき、

そして、背後から少女を抱きしめた。

人影の着ている着物の裾から細く綺麗な手が見え、少女はそれにそっと触れた。

「続きを」

人影が少女の耳元で囁いた。

少女もこくりと頷き、演奏を再開した。


人の子よ、儚い夜よ

愛を知らぬ者に、愛の歌を


涙の理由はないと思う

そう言った君の寂しげな顔

宝箱を開けると

宝石よりも価値のあるものが

言葉があった


明日よ、未来の友よ

眠れぬ者に、優しさを


小さくとも

鳥のように翼を広げて

永遠(とわ)のおとぎ話の様に

空を自由に羽ばたいてゆく

そんな奇跡


恐れを抱いて、人を思って

終わりの時まで

願い続けることが出来たなら

言わずもがな木漏れ日

僅かな灯火、降り注ぐ光


忘れ形見、綺麗なものだけ

この瞳に、この心に焼き付けて

過ぎてゆく時の中で

浄化されている


幼い涙の理由は

些細なことではあるが

雨の音に掻き消されてしまう

ただ一人を慈しみながら

哀れんでいる


掠れた声で人は叫ぶ

彼らは想う

休んでもいい、逃げてもいい

壊れてしまう前に

君の心に包帯を


泣きたい時には優しい詩(うた)を

涙が枯れるまで

今だけは全部忘れて

君だけの空想の世界へ

あの時のままで

傷を癒せるように

今はただ、眠りなさい”


演奏が終わると、人影は消えていた。

何時間が経ったのだろう?

ピアノから離れ、窓の方を見ると、

空がベージュ色に染まっていた。

虚しさと同時に、

懐かしい気持ちが少女を包み込んだ。

あの人影はきっと、

夢で出てきた女性なのだろう。

また会えたら、今度は面と向かって話をしよう。

少女はそう思いつつ、静寂が漂う学校を出た。



END








鬼灯



「こんな薄汚い男を愛する度胸が、

お前にはあるのか?」

俺は、目の前にいる女に冷めた声で言った。

この女は、先月付き合い始めたばかりの相手だった。

結婚を前提としての付き合いだが、

どうせこの女もすぐに自分を裏切るのだろう。

俺は、彼女の言動に疑ってかかった。

試してやろうと目論んだ。

俺のようなクソ野郎をも受け入れる度胸がなければ、付き合うのも難しいと考えていた。

彼女が自分に愛想を尽かすように、

態と冷たい態度を見せた。

それでも彼女は笑っていた。

道化を装っているに違いないと思った。

そして今日、

彼女の方から結婚話を持ちかけてきた。

俺は、断ろうと思った。

俺と結ばれて、

幸せを手に入れられると本気で思っているのか?

妻や子供を養えるだけの金もなければ、

世の女が言う理想の男像とは程遠い。

そんな俺と結婚だと?

彼女の家族や友人らが聞いたらどんな言葉が返ってくるのか?

俺は、しばらく黙り込んだ。

彼女の方は、少し不満げな表情だった。

やはり、興が覚めたようだ。

俺は、勝手にそう思うことにした。

「俺と居て幸せか?」

彼女は黙って頷いた。

どんなにキツい言葉を投げても、

じゃ、辞める?どうしてそんな事言うの?

私の事嫌いならいいよ、

とは言わないのであった。

………………………………………

怠け癖が板についた。

刻一刻と時は過ぎているというのに、

阿呆の頭では、どんな事も苦でしかない。

ほら、こうして下らぬ言葉を並べては、

暇を持て余している。

他人の言葉に惑わされ、

他人の見解に口を挟むその様は、

馬鹿でもなく、阿呆ですらなく、

ならず者と言ってもよいくらいだ。

お前の病は甘えである。

努力をせずに夢を語るとは何事か?

弱音を吐くな、不平不満を漏らすな、

他人のせいにするな、身を粉にする美徳を知れ、

そんな説教臭い言葉を聞いても、

もはや言い返す事もできないのである。

ああ、理想と夢の虚しさたるや、

残りは野良の腹の中、

汝は我の、我は汝の滅びなりけり。






END





薔薇


私は今日、入籍した。

相手は、大手企業に務めている若い人だった。

若いのにしっかり者で、人柄も良く、

なんでも気が利く人だった。

プロポーズは、海が一望できる海辺の街でされた。

無理を言わず、昔ながらの亭主関白という訳でもなく、家事も文句一つ漏らさず卒なくこなし、

私に、理想の夫像を見せてくれた。

裁縫が得意な彼は、暇さえあれば編み物をして、

出来上がる度にプレゼントしてくれた。

夫婦生活でストレスになる事はあまり無かった。

彼は、私のルールに忠実だった。

飲み会も滅多に参加しないし、煙草も吸わないし、

悪態もつかないし、浮気もしなかった。

周りからは仮面夫婦だとか、妬まれることが多かったけれど、彼のお陰でさほど気にならなかった。

そして、結婚一年目の秋に、

彼に出世したことを告げられ、

その祝いとして数万円もする綺麗なイヤリングをプレゼントしてくれた。

翌年の夏頃、子供を一人産んだ。

元気のいい女の子だった。

子供の名前は、恵美にした。

育児の事は、彼と二人で相談して、

細かく役割を分担しようと決めた。

彼も、私の意見に同意してくれた。

娘が小学校へ上がる頃、私は初めて浮気をした。

彼に不満がある訳でもないが、

相手から必要以上に迫られて断れなかった。

このことを娘が見てしまっていて、

直ぐ様、彼の耳にも入った。

彼は怒らなかった。

それどころか、殴りもせず、咎めることも無く、

全て自分のせいだと涙ながらに頭を下げた。

もう一度二人でやり直す事を決めた。

一晩経ったらまたいつもの日常に戻った。

彼との夜の営みも一段と激しくなった。

日が経つにつれ、彼の顔立ちも綺麗になった。

肌のケアや、普段の態度にも気を使っているようだった。

それから半年後。

私達家族は、温泉旅行に出かけた。

向かった先は、京都で人気の観光地だった。

私達は、和気あいあいと観光を楽しんだ。

社長に就任した彼は、いつも以上に気前が良く、

家族サービスも怠らなかった。

…………………………………

私は今日、指輪を捨てた。

彼に愛想をつかした。

彼との日々や当たり前に疲れたのだ。

足りない気持ちを埋めようとするが、

気づけば、歯止めが効かなくなっていた。

もっと、もっと刺激を欲した。

今以上の幸福を追い求め、色んな男と寝た。

彼もそれを知っていたが、何も言わなかった。

娘の子育ても面倒になった。

家事も育児も仕事も全て、彼に押し付けた。

私は、毎日彼のお金で遊び回った。

娘が中学へ上がった冬頃に、

彼と娘を置いて家を出た。

理由は、もっと価値のある男が見つかったからだ。

その男は彼よりも家柄も稼ぎも良く、私を満たした。

私自身、服装も態度も派手になっていった。

彼も、彼との間に産んだ娘の名前も忘れた頃、

新しい子供を産んだ。

男の子で、大きくなるにつれて私の好みの姿に成長した。

私は、息子を自分の理想へ近づけようと努力した。

私は、息子に恋をした。

息子が思春期を迎える頃、

私は息子の初めてを奪った。

二人目の彼も、何も言わなかった。

………………………………………

一人目の彼が病で死んだ。

そのことが、私の耳にも入った。

彼の娘は、彼の実家に引き取られた。

彼は、私と別れた後も私を想っていたらしく、

新しく結婚をしなかった。

私は、どうでもいいと吐き捨てた。

私の心に彼はいなかった。



END






私は今日、入籍した。

相手は、大手企業に務めている若い人だった。

若いのにしっかり者で、人柄も良く、

なんでも気が利く人だった。

プロポーズは、海が一望できる海辺の街でされた。

無理を言わず、昔ながらの亭主関白という訳でもなく、家事も文句一つ漏らさず卒なくこなし、

私に、理想の夫像を見せてくれた。

ことある事に、素直に褒めてくれた。

私の無理な我儘も全部受け入れてくれた。

裁縫が得意な彼は、暇さえあれば編み物をして、

出来上がる度にプレゼントしてくれた。

夫婦生活でストレスになる事はあまり無かった。

彼は、私のルールに忠実だった。

飲み会も滅多に参加しないし、煙草も吸わないし、

悪態もつかないし、浮気もしなかった。

周りからは仮面夫婦だとか、妬まれることが多かったけれど、彼のお陰でさほど気にならなかった。

そして、結婚一年目の秋に、

彼に出世したことを告げられ、

記念祝いとして数万円もする綺麗なイヤリングをプレゼントしてくれた。

翌年の夏頃、子供を一人産んだ。

元気のいい女の子だった。

子供の名前は、恵美にした。

育児の事は、彼と二人で相談して、

細かく役割を分担しようと決めた。

彼も、私の意見に同意してくれた。

彼との夜の営みも一段と激しくなった。

日が経つにつれ、彼の顔立ちも綺麗になった。

肌のケアや、普段の態度にも気を使っているようだった。

それから半年後。

私達家族は、温泉旅行に出かけた。

向かった先は、京都で人気の観光地だった。

私達は、和気あいあいと観光を楽しんだ。

社長に就任した彼は、いつも以上に気前が良く、

家族サービスも怠らなかった。

その年に行われた夏祭りにも行った。

私は、彼と娘と共に浴衣を拵えて外へ出た。

天気も良く、祭り会場も賑わいを見せていた。

彼は娘に、射的を教えた。

彼は、なんでも器用にこなすので、

娘も彼を好いていた。

空高く舞い上がる花火を見上げながら、

また三人で一緒に来ようと彼は呟いた。

……………………………

そして、私の誕生日。

私と彼は、高層ビルの最上階にある高級レストランでディナーを楽しんだ。

ディナーでは、ローストビーフを食べた。

デザートに、レアチーズケーキが出てきて、

これもまた絶品であった。

娘は、友達の家に泊まっていた。

だから、食事が終わると同時に二人でホテルへ向かった。

誕生日プレゼントとして、

レディースの腕時計を貰った。

君ともっと素敵な時間を過ごしたい。

生まれてきてくれてありがとうと、

彼は言ってくれた。

そして、夢のような一夜を過ごした。

………………………………

私達は歳を重ね、娘は大学を無事に卒業し、

彼の勤めている企業に就職した。

娘は職場の同僚と結婚し、親元を離れていった。

家では、また彼と二人きりになった。

昔に戻ろう。

彼はそう言い、私をそっと抱き寄せた。



END







椿


女の子の人間関係は複雑である。

男には理解できないほど、大変なのだ。

私がその事を知ったのは、

小学校に上がってからだ。

幼稚園の頃はまだマシだった。

他人に合わせる必要はあまりなかったから、

割と簡単に友達が出来た。

グループ内での上下関係があるのは、

小学生の頃からで、私はそれが嫌だった。

自分の身は自分で守る。

私は、そういう女の子だった。

だから、虐めにもあった。

弱い者虐めというより、強い者虐め。

だって私は、独りでも平気だったから。

相手は、三人程のグループを作り、

私を攻撃する。

勿論、何の意味もない、くだらないやり方で。

根も葉もない噂話は当たり前、

技とじゃ無いんです系の嫌がらせ、

窃盗などの陰湿な虐めも受けた。

正直私にはどうでもよかった。

子供のイタズラとしてあしらった。

それと同時に、他人を蹴落とす事が人間の本能であるのを知っていた。

仕方がないじゃないか、

それしか人生の楽しみがないのだから。

欲を満たすためには誰かの犠牲が必要だろ?

といった感じで、相手は虐めを楽しんでいた。

虐めというより、犯罪なのだけど。

……………………………

夢を見たんだ。

白馬に乗った王子様が、私を迎えに来る夢。

「迎えに来たよ、僕らの城へ行こう」

銀髪で、容姿も整っていて、

私の全てを受け止めてくれそうな、

そんな理想通りの王子様が、

今私の目の前にいる。

勿論、夢であることは百も承知だ。

それでも、夢であろうと、

私は、自分を愛してくれる存在が欲しかった。

そして、私の前に彼が現れた。

その銀髪王子様は、私を白馬に乗せて、

ゆっくり城へと向かった。

城へ着くと、

ハンサムな執事達が入口で出迎えてくれた。

私は、一旦更衣室でお姫様ドレスに着替えてから、王子様の寝室へ向かった。

「どうしたんだい?浮かない顔して」

「毎日毎日不幸ばかりでさ、人生に疲れた」

「良ければ、話を聞こう」

私は、王子様に自分の人生を語った。

虐めの事は勿論、

家では奴隷の様に使われて、

失敗すれば殴られる事、

教師に相談したら、お前が悪いと言われた事、

携帯を壊された事、バイ菌呼ばわりされた事、

誕生日に両親が喧嘩をした事、

すれ違い様に知らない人から舌打ちされた事、

唾をかけられた事、

買いたかった物が買えなかった事、

身に覚えのない罪を着せられた事、

誰にも悩みを打ち明けられず、

誰にも頑張りを認めてもらえず、

いつも一人で泣いてばかりの毎日、

言えば言うほど、涙が溢れ出た。

「引き寄せの法則って言うけどさ、

愛も知らずに育った子供とか、

幸福を知らずに大人になった人は、

ポジティブ思考になる術を知らない人達は、

外からのご縁とか、

神からの御加護とかも受けられないって事?」

「そうだね。

大丈夫じゃない状況で、

大丈夫だって思うのは難しい。

かといって、外からの助けがなきゃ、

ずっとそのまま」

「それって、酷い話じゃない?

人生不幸ばかりだと、

神から嫌われてるって思ってしまう」

「どんな状況でも幸せだって思えるほど、

人は器用じゃない」

「神は私達を幸せにしたいんじゃないの?

なのにどうしていつも酷い事ばかり起きるの?」

「物は言いよう、どんな理不尽も不条理も、

神に言わせれば全部試練でしかない。

君のいる世界は神の言葉が絶対で、

神の都合でどうにでも変えられるし、

どうにでも解釈できる。

神が人は滅ぶべきだと言えば、

それが正しいという事になる」

「もう死のうかな?」

「いいと思うよ、君が望むのなら。

だって君の体は、君の心は、君の物なのだから」

「主を間違えるなって事?」

「そういう事」

とはいえ、私に自分を殺める勇気はない。

情けない話だが、心のどこかでは生きたいと駄々を捏ねているのかもしれない。

「君が望むのなら、ずっと此処に居てもいい」

「そうしたいけど、

夢であることくらい分かってるから、

ずっと此処には居られないと思う」

「現実が嫌なんじゃないの?」

「それは、そうだけど…」

「ねぇ、代わってあげようか?」

「え?」

「本当に辛い時は、

僕が君の代わりになってあげる」

「代わるって、どうやって?」

「それは、内緒」

………………………………………

いつも通りの朝が来た。

顔を洗い、歯を磨き、身支度を済ませ、

朝食を食べずに登校する。

学校へ行けば、

いつものように虐めてくる奴らが、

私をからかい、私で遊ぶ。

反抗する気力も失った私は、

彼女達の思うがままに遊ばれる。

そう、これは遊び。

彼女達にとっては、ただのゲームだ。

積み木を壊したり、直したりする幼児と同じだ。

今日された事は、飲もうとした薬を捨てられ、

トイレから出たら唾をかけられ、

返ってきたテストの答案用紙を破られ、

給食に虫の死骸を入れられ…

もう…もう嫌だ…

もう…嫌だよ…

「本当に辛い時は、

僕が君の代わりになってあげる」

私はふと、夢で会った王子様の言葉を思い出す。

勿論、そんな事出来るはずもないことくらい、

私自身が一番よく知っている。

理想は理想でしかない。

夢は夢で終わるのだ。

虐めグループのリーダーが、私を勢いよく押し倒す。

やられる。

また、殴られる。

そう思った瞬間、私は気を失った。

そして気がついた時には、

相手が血を垂れ流して倒れていた。

私が殺したのか?

私の右手には、学校で使う血に染ったハサミがある。

ハサミを見つめていると、視界が徐々に歪んでいく。

私は、咄嗟にその場から逃げ出す。

どんな事情があれど、

世間から咎められるのは私一人。

私を苦しめた本人は、可哀想だと憐れみの言葉をかけられるのだろう。

あぁ、もう嫌だ。

もう、死にたい。

こんな、なんの面白味もないクソな世界なんて、

壊れてしまえばいい。

みんなみんな、消えてしまえばいい。

神も仏も要らない。

宇宙の誕生も、アダムもイブも、神の始まりも、

全てが無かった事に…

そうすれば、

誰も苦しむこと無く、誰も恨みを抱くことなく、

そして、こんな事にも…

私が向かった先は、人気のない森の奥。

森を抜けると、高さが数十メートルの崖がある。

私は、その崖から身を乗り出し、

海に向かって飛び降りた。

……………………………………

「おはよう、随分と魘されていたけど、

何かあったのかい?」

「私、人を殺しちゃった…」

「あの虐めっ子を殺したのは僕だよ」

「え?」

「言ったでしょ?本当に辛い時は、

代わりになってあげるって」

そうは言っても、私が殺した事には変わりない。

少なくとも、世間ではそういう事になっている。

今更、後悔しても遅いんだ。

「私、これからどうすれば…」

「ずっとここに居ていいんだよ。

何故なら此処は、君の世界なのだから」

王子様はそう言って、私の唇に甘いキスをした。

もう、現実なんてどうでもいい。

私はずっとこのままでいたい。

この世界で、目の前にいる王子様と愛を育み、

そして消えるのだ。



END




紅葉


「なんで死んだの?」


「自分に飽きたんだ。

それに、もうやる事もない。

だから、過去の自分のお望み通りに死のうと思って、ビルの最上階から飛び降りた」


「でも、成仏出来てないって事は、

まだやり残したことがあるんじゃない?」


「それなんだが、分からないんだ。

自分が何をしたいのか。

やりたい事は一通りやった筈なのに…

まぁ、女は抱いたことないけど…」


「それじゃない?」


「でも、とっくの昔に諦めてる。

それは、違う気がする」


「じゃ、他に思いつかない?」


「創作物を出版出来なかったとか…」


「それ、今からやりましょ。私が手伝ってあげる」


「すまんな。

編集部に認めて貰えなかったんだよ。

ほとんどの出版社に問い合わせて無理なら、

諦めるしかない。

才能がないのは自覚していたし」


「他には?」


「アニメ制作会社を設立したかった。

自分の書いた物語をアニメや実写で作りたかったんだ

けど、それも失敗に終わった。

金もない、経営の素質もない、人望もない、

知識や技術が足りない、

今からやっても意味が無い。

だから諦めるしか無かったんだ」


「やり残したこと、いっぱいあるね」


「全部諦めたから、大丈夫だと思ったんだがな」


「でも大丈夫じゃなかった」


「それが問題なんだ。

これからどうすりゃいいのか分からんし…」


「泣いてるの?」


「あぁ、そうだ」


「男の癖に」


「女々しくて悪かったな。

所詮、出来損ないの俺は、

泣くことしか出来ないんだよ。

だから女になりたかったんだ。

男として生きてきてろくな事がなかった」


「出来損ないなら、そこら中にいる」


「俺は、その内の一匹に過ぎない」


「そんなんじゃ嫌われるよ?

今は幽霊だけどさ」


「問題ない、嫌われる事には慣れている。

生まれてから死ぬまで、

ずっと人から嫌われてばかりだった」


「本当は?」


「そりゃ、好かれたいさ。

愛されたい。

誰かの特別になりたかったんだ。

けど、仕方がない。

嫌われないように取り繕っても、

気持ち悪いって言われちまう。

どうしようもないんだよ」


「可哀想な人」


「そうだな、

親からしたら幸せ者に見えていたらしいが」


「自分の気持ちは自分にしか分からない」


「だから、自分のご機嫌は自分でとる。

それでも足りなかったが」


「綺麗なのは見た目だけ」


「それが人間だ」


END







百合


お別れの時期がやって来た。

自分の年齢すらも覚えていないが、

周りからは、

おばあさんと呼ばれるようになった。

今まで書いた物語を読み返すが、

あの頃の気持ちが分からなくなっていた。

私は今まで何を成し遂げたのだろう?

多分、何も無い。

名誉も勲章も、財産もない。

残ったものは、

今まで書いた自己満足の言葉と、この体だけ。

このちっぽけな命を悲しむ者はいない。

叱る者も笑う者もいない。

誰かを憎むのも、自分の正しさを振り回すのも、

過去に執着するのも、

理想を追い求めるのも飽きてしまった。

数え切れない程の罪を犯した。

贖罪しようにも、しきれない程に、

愚かな人生だった。

騙し騙されながら、多くのものを失った。

後悔や失敗ばかりしてきた。

馬鹿をやって、恥もかいた。

出来損ないだと馬鹿にされたし、否定もされた。

嫌われ者である事を自覚しながら生きてきた。

裏切りもあった、大切な人も傷つけた。

愛が足りなかった。

誰かの特別な存在になりたかった。

差し伸べられた手を拒んだ。

自分が出来ないことを、

当たり前に出来る周りを見て妬んで、

言い訳ばかりを探す日々。

とにかく、劣等感の塊だった。

自分の弱さを認めず、努力から逃げ、

成長を諦めた。

自分が自分じゃなくなる気がして怖かった。

そう、過去の自分が言っていた。

成功と言える程の立派な偉業を成し遂げたわけでも、誰もが思う当たり前を生きてきた訳でもない。

今まで自分が嫌いだったが、

今になって思えば悪くは無い。

誇れるものは何一つないが、

自分の中でそう思えた。

………………………………………

三〇二号室の毬栗さんが言っていた。

人生とは、料理みたいなもの。

作り上げるまでは一苦労。

なのに、食べるのはあっという間だ。

私もその通りだと思った。

二〇三号室の水谷さんは、面白い人だった。

夢に見た出来事や、誰かから聞いた噂、

不思議な体験をする度、

私にそれを話してくれた。

その中でも特によかったのは、

死ぬ間際に蝶々を見ると、

来世に行けるという話だった。

嘘か本当かは分からないけど、

私は、その言葉を信じてみることにした。

私のいる病室に、担当の医師が入って来た。

容態のチェックを終えると、

直ぐに部屋を出ていった。

相変わらず、隣のベッドは空いていた。

時折、

幼い少女が寂しげな表情で私を見つめていた。

「体調の方は大丈夫ですか?」

ベッドの上で微睡んでいると、

若い看護師が病室に入って来た。

どうやら彼女は、点滴の交換に来たらしい。

看護師が一つ尋ねてきた。

「蝶々は見れましたか?」

私は黙ったまま首を横に振った。

どうやら看護師も、水谷さんから聞いたらしい。

私は、にこやかな表情で、

会えたら報せるとだけ言っておいた。

看護師は用を済ませると、

誰かに呼ばれたらしく、足早に病室を去った。

私はまた一人になった。

見舞いに来る者は一人もいなかった。

私は再び、窓の外を眺めることにした。

結局、この世界はなんなのか、自分は何者なのか、自分が納得出来る答えは得られなかったが、

今更、何を考えようと手遅れだ。

泣きたいが、涙は枯れてしまった。

隣にいるのは、愛する者ではなく、幼い頃の私。

そして、百合の花が添えられた花瓶の縁には、

青く綺麗な蝶々が止まっていた。

静かな空間、木漏れ日を浴びながら、

晴天の空を見上げる。

孤独な女は、自分自身に別れを告げ、

ゆっくりと目を閉じた。



END

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花言葉 Kurosawa Satsuki @Kurosawa45030

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