真実のキスよ 君に届け

碧月 葉

1 エバーアフターは叶わない

『いつまでも幸せに』じゃなかったの?


 ジブリールは唇を噛んだ。

 血の味が口に広がる。

 涙はとうに枯れてしまった。


 親友ルーナは、もう二度と目を覚さない。

 かつての面影なく痩せ細ってしまった体を隠すように、私たちは棺に白百合を敷き詰めていく。

 立ち昇ってくる優雅で甘い香りは、かつて彼女が好んでつけていた香水と似ていて、胸が痛んだ。


 彼女の幼い息子テールが手を伸ばし、胸の上にそっと花を添えた。

 王子らしく毅然と振る舞っているが、よく見てみるとその目が赤い。

 

 こんなに愛らしい子を残して、何故ルーナは儚く逝ってしまったのだろう。

 眠りの呪いが解けたお姫様は素敵な王子様といつまでも幸せ暮らすと思っていたのに。

 

 どうしてこんなことになったの?


 ……きっと、私は、私たちは大きく何かを間違ったんだ。


 

***



 ルーナはこの国の王女。

 長らく子に恵まれなかった国王夫妻の待望の跡継ぎだった。

 けれど、生まれて間もなく魔女の呪いを受けたルーナは、18歳の誕生日に深い眠りに落ち、塔に囚われてしまった。

 ドラゴンが守る塔を攻略出来る者はおらず国中が悲しみに沈む中、噂を聞きつけた隣国の王子ソレイユがやってきてドラゴンを破り、魔法のキスでその呪いを解いたのだった。


 感謝した王はルーナとソレイユの結婚を認め、国は益々栄えた。


 しかしハッピーエンドとはならなかった。

 ソレイユは王となった時に側妃を迎えたのだ。

 そして野心家の側妃は正妃であるルーナを消そうと暗躍した。


 耐えかねた私はある日、ソレイユに訴えた。

 

「陛下、どうしてルーナ様をもっと気にかけてくれないのです」


「……ルーナが私を満足させてくれないのだから仕方ない」


 冷たい声で王は応えた。


「しかし陛下、ルーナ様も王子様も刺客や毒に怯える毎日を送っております。このままではあまりにも……」


「王族ならば暗殺は日常だ。その程度で死ぬならそれまでの奴ということ」


 いつからソレイユはこのような暗く冷たい瞳をする様になったのだろう。


「…… 愛してらしたのではないのですか? 我が姫君を」


 呪いを解いたという事はそういう事だ。 

 だから私はずっと理解できないでいる。

 しかしソレイユは一瞬陰鬱な表情を浮かべた後感情を消した。


「お前に愛の何が分かる。では、お前が代わりに与えてくれるのか? そうだな……もしお前が私が満足させてくれるというなら、ルーナの事、王子の事、少しは考えてやっても良い」


 王のこの悍ましい提案を私は呑んでしまった。

 そして私は親友の夫の密かな愛人となった。

 いや、「愛」なんてものは存在しない暴力的で尊厳を傷つけるだけの体の関係。


「お前は本当に愚かだな。そして…… 」


 行為の後は、彼はいつもそんなような言葉と侮蔑的な視線を投げかけながら私を追い払った。


 それでも、ソレイユは約束は守った。

 だから「私はルーナを守りたい」その一心であの男の上で下で揺らされる時間に耐えたのだ。


 

 しかしある時、私とソレイユの関係がルーナに知られてしまった。


「ジル、ねぇどうして。どうして……そんな事をしてしまったの」

 

 エメラルドのような彼女瞳から、大粒の涙が溢れ落ちた。

 どんな理由があろうと、彼女にとって私は愛する夫を寝取った裏切り者。

 例え彼女に嫌われたとしても、ルーナの平穏のためならそれでも良いと思ったから私はその道を選んだ。


 けれどあの日を境にルーナは生きる気力を失ってしまった。

 そのうち病を得てあっという間に天に召された。


 

 葬送を終えた夜、私は幼い頃ルーナとよく遊んだ湖に来ていた。


 ごめんねルーナ。

 貴女を救うどころか傷つけて。

 いくら謝っても足りないわ。

 貴女の息子を守りたいと思うけれど、私の魂は貴女と一緒に行ってしまったようで…… もう何も出来そうにないの。


 湖にゆっくりこの身を浸していく。

 早春の水は冷たく、つま先から痺れるように麻痺していく。

 

「だめだよ、ジル。そっちには行かせない」


 凛とした声が響いた。

 湖のほとりに彼女の息子テールがいた。


「どうして……」


「誰も僕のことなんか気にしていないからね。それに僕はとても魔力が強いんだ。抜け出すなんて本当は簡単なんだよ」


 彼は、私の手を引いて湖から引っ張り出した。


「ジル。僕はこれから禁術を使う。色々考えたけれどこれしかないんだ」


「何をする気ですか? そんな危険なこと止めてください」


 私は慌てた。

 禁術は理を曲げる術が多い。そして術者は命を懸けることからも禁じられている。

 

「時間が無いんだ。父上に気付かれる前にやらなくては。ジル、お願い行って。そして母上と……父上を助けて。あなたならきっとできるから」


 可愛い王子様は彼女を同じ目で優しく微笑んだ。

 どういうこと?

 訳も分からないうちに光の粒が私にまとわりつきだした。


 ダメ、やめてよ、魔法なんて、禁術なんて。

 目の前が霞んでいく……だめだ、意識が途切れる。


 そして私は最後にテールの「さよなら」という声を聞いた。



***



 目が覚めた。

 見慣れぬ天井……いや、これは見慣れていた天井だ。


 セシル侯爵家の私の部屋。


 状況を確かめようにも上手く体が動かない。

 声を出そうとしたけれど


「あうー」

「おぉー」


 という意味のない音しか出せない。

 思い切って大声を出そうとしたら、何故か泣き声になってしまった。


「おや、私たちの可愛い天使はご機嫌斜めかな?」


「きっとお腹が空いたのよ」

 

 懐かしい声とともに誰かが私を抱き上げた。


 嘘。


 とても若い両親が私を覗き込んでいる。


「よしよしいい子。ジブリール、直ぐにミルクを準備しますからね」


 あやされながら、私は手を伸ばした。

 それは小さな小さな手のひらだ。

 赤ちゃんの手だ。


 時が戻っている。

 

『お願い行って。そして母上と……父上を助けて』


 テールの言葉が蘇った。


 やり直せる?

 ソレイユは正直どうでも良いが、今からならばルーナを助けることが出来るかも知れない。


 ジブリール・セシル二度目の人生。

 今度こそ彼女を守ってみせる。

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