15話『デートと呼ぶ』



 頬が赤く染まっていくのが分かる。

 自分で口に出しておいて、恥ずかしさしかない。

 でも、仕方が無いのだ。仕方が無いと心に言い聞かせる。


 この女は出会った最初の頃から、着けていなかったのだ。

 僅かな硬さも無い、柔らかい感触の正体はどう考えても原因はコレしかない。

 

 だと言うのに、シーアは恥も無く抱き付いてくる。

 胸を当たり前に押し付けてくる。


 それがどれだけ羞恥と言う苦痛にさいなまれたか。

 思春期の少年には、中々に辛い物があった。

 恥を押し殺して、アドニスはシーアを睨む。


 「ほら、さっさと買いに行け!」


 急かすように声を少し荒げた。

 腕で顔を隠しながら、子猫でも追いやる様に「しっ、しっ」と。


 それでも、シーアは動かない。

 ニヤツきまくった顔で。

 面白くて仕方が無いと言う様に、玩具を前にして口元を吊り上げる。


 「本当にいいの?」

 「いい。そもそも、形が――……ま、まわりにバレバレだぞ……!」


 声を抑えたまま言う。

 しかし、アドニスの言葉は本当だ。

 先ほどからずっと、街を行く男達の視線がシーアに、特に上半身にくぎ付けになっている。

 恥ずかしくないのか。


 「別にいいさ。見させておけば良い。私に見惚れるのは仕方が無い事さ。知っているから恥も無い」


 アドニスの言葉をシーアは当たり前に否定した。

 それどころか、背筋を伸ばし胸元に右手を当てると、長い足を見せびらかすように僅かに前に。残った手を細い腰に置いて。

 美しいポージングを取ると、彼女は至極当たり前に艶やかに笑った。


 「見ての通り、私は美しい」

 「はあ!?」


 自信満々なんてレベルじゃない。心の底から。

 まるで当たり前の出来事を口にするかのように放つ。


 腹立たしいが、確かにその姿は美しいなんてレベルじゃない。

 言い表せないほどに。息が止まるほどに見入ってしまう。


 周りも同じ。男女関係ない。

 誰もが、彼女をぼんやりとした様子で見入っている。


 「私が美しいのは、仕方が無いさ。なんたって『神様』だからね。そういう風に作られたのだ。美しいのは当たり前。人間が私に敵う筈も無い」


 シーアは周りの視線など物ともせずに続ける。

 あまりの言葉だが、納得できてしまう。受け入れる事が出来てしまうのは何故か。


 「そんな私は、胸を守らずとも、垂れさがる事も形が変わる事も。傷つくことも無い。永遠にこの姿を保ち続ける。形も良いので、ほら御覧の通り。――……むしろ付けない方が美しさを強調できる」


 当たり前に、世の中の女性が聞けば憤怒しそうな事を平然と口にする。

 腹立たしいだろうが、これまた納得出来てしまう。

 それほどまでに、彼女のボディラインは完璧だ。


 だから、と言わんばかりにシーアはアドニスに詰め寄る。

 胸に手をおいて、見せつけるように。


 「――……ほら、ブラジャーなんて必要かな?」


 細長い手を、またアドニスの首に絡ませて。

 その柔らかな弾力のある胸を、当たり前に押し付けて。

 

 「君だって、損をするわけじゃないのに。――……なんで、君が私にそんな助言を零すのかな?」


 そう、にたぁり……心の底から笑って。

 アドニスは口籠る。顔を真っ赤にして。つい、その胸に目が行ってしまう。

 手は汗ばみ、頬が火照る様に熱くて、熱くて。


 この行動こそが、アドニスに一番のダメージを負わせているのに。

 どんなにやめろと言っても、彼女はアドニスの側にいる限り、この行為は続けるのだ。当たり前に胸を押し付ける、この破廉恥極まりない行動を。


 損はない、だと?損しかない。恥ずかしくて、意識し過ぎて支障しかない。

 なんで助言をするか?

 そんなの、勿論自分の為だ。もう逃げ出したいほどに、熱くてたまらないのだから。


 ――……だが、口が裂けても事実は言えない。

 言えば。彼女の、揶揄いの種となり更に行動が酷くなるに違いない。

 だから本心なんて言う気も無いし。「抱き着く」と言う行為には関しては正直、実は既に諦めがついてしまっている所があるのだが。


 でも、だからこそ。

 せめて、「せめて」でいい。下着は着けて貰いたいのだ。それだけでいい。


 もう全部受け入れる覚悟は付いたから、それだけはして欲しい。

 でも、その場合、今、此処で、彼女に何と言うべきか。


 真っ白になった頭で必死に考えて、口を開く。

 感情を押し殺して、冷静を装って、思い切り眉を顰めたまま……。



 「――損も何も……貧乳に抱き付かれても嬉しくない」


 ――と、引き攣った笑みで答えた。


 ◇


 シーアは動きを止める。

 アドニスの言葉の意味が、理解できていないと言わんばかりの表情を一つ。


 絡めていた腕を離し、おずおずと下を見る。

 目に入るのは、自分の胸部。色白で、張りがある。美しくて当たり前の場所。


 ――……貧、乳だと……?


 彼女が困惑するのは仕方が無い。

 小さくはない。小さくは無い筈だ。

 そりゃ、確かに大きくも無いが。

 小さすぎも無く、大きすぎでも無い。それがシーアの胸の筈だ。


 思わず、顔を上げる。道を歩く女を見た。

 何人も、何人も。

 どう見ても自分より小さい人物を見て、心を撫で下ろすが。

 直ぐにドーンと大きな胸を強調する、メイクばっちりの女がちらほら。むしろ多い。

 

 自分と比べる。

 比べれば、一目瞭然なほどに。大きさが違う。違う気がするのは何故だ。


 ちがう、ちがう。

 あれだ、彼女達は、ブラジャーで胸を補強しているから。パットでも詰めているんだ。

 形だけで言えば、絶対に自分の方が綺麗である。

 なんて、失礼にも程がある事を考えながらも無表情。


 ――……比べても、形は、さほど変わりないように見えるのは、それもきっと下着のせいだ。


 「もういい!!」


 何処までも通りそうな声が、響いた。

 道の端にいたと言うのに、今まで以上にまわりの視線が一斉に此方に送られる。

 珍しく眉を吊り上げたシーアが顔を上げる。

 不服と言わんばかりの表情を浮かべて、一度返した財布をアドニスから奪い取った。


 きつく財布を握りしめて。

 彼女はアドニスに背を向け、店へ――。

 一度だけ「びしっ」とアドニスに向けて、指を差すと。


 「――……仕方が無い。見ていろ?私だって、ブラジャーの一つぐらい付けてやるさ!!ふん!私の胸は丁度いい大きさなのだからな!」


 それはもう心の底から。苛立った様子で、負け惜しみのように叫びながら。

 ショップへ駆けて行くのであった。


   ◇


 ここで胸を撫で下ろしたのはアドニスだ。

 むしろ口元に笑みが浮かぶ。

 誰も居ないのなら、ガッツポーズをしたい。


 だって、ほら、たった今。

 出会って大よそ5日目。

 アドニスはシーアに、ある意味勝利したのだから。


 必死になって考えた、負け惜しみから出た言葉であったが。様子を見るに、どうやら突き刺さったらしい。

 正直、実際は街行く女性達とシーアの胸の大きさなんて大して変わりは無いのだが。あそこ迄ムキになるとは……。彼女には胸部に対して、コンプレックスでもあるのか。


 なんにせよ、と笑う。

 ――……コレは使えると、顎に手を置いて。

 口元を僅かに吊り上げるのは、まあ、仕方が無い事だろう。


 ついでに、シーアがこの先抱き着いてくるのも止めさせる事が出来たなら、なんて考えながら。一息。勝利の余韻に浸っている訳である。

 最後に「コーヒーでも飲んで待とうかな」なんて、小さく、小さく零して。


 ――……ただ残念。シーアがこんなに簡単に終わる筈がない。

 その余韻は余りにもあっさりとした幕切れが待っていた。


 「しょうねーん!」


 シーアがランジェリーショップに入って行って、暫く。

 長い髪を揺らしながら、彼女が何かを握りしめて走って出て来たのは直ぐの事。


 「少年!見て見ろ!」


 なんて嬉しそうに笑いながら。

 何故か見たことも無い無邪気な笑顔を浮かべながら。


 ――……手に、真っ赤で黒のレースの艶やかな下着を握りしめて、此方に駆け寄ってくるのだ。


 後ろからの「お客様!」なんて店員の声と共に、思わずアドニスは咳込む。

 その様子は姿のである。

 アドニスだけじゃない。きっと周りも同じだったに違いない。


 だがシーア気にすることも無い。

 当たり前に、アドニスの前に立ち止まり。下着を胸元へ、笑う。


 「どうどう?似合ってる?」

 「ごほっ!!ごっほっ!!お、おま、え!!!!」

 「こんなのが沢山あるんだよ?」

 「ば、ばかじゃ――……!!」

 「君も来なよ!君の好みの下着を選べばいい!!私はそれが良い!!!!」


 それはもう大きな声で。

 周り中の視線が痛い。でも、アドニスもそれ処じゃない。

 腕で赤面を覆い、一言。


 「――……ふざけるな!!俺を巻き込むな!!ひ、貧乳になんて興味ないんだよ……!」


 後で思い返して、思い悩むほどの言葉を大声で口にした。


 ――……少しして。


 周りから、女性のくすくす笑いが聞こえ始めた。

 誰のものかなんて分からないが、「必死」「かわいい」なんて言葉。


 これが大人だったら、本当に不味かっただろうが。アドニスはまだ子供だ。

 どうやら、可愛らしい子供の喧嘩とでも見られたらしい。でもラッキーではない。むしろ最悪だ。気が付く。


 女だけじゃない。男だって、まるで仕方が無いモノを見るような目で此方を見ているではないか。「うんうん、男だもんな」。と言わんばかりの視線。


 こんなもの「恥ずかしい」なんて言葉怒りは、通り過ぎる。


 「ねえ少年!下着の他にも洋服も買って良い?私のドレス。下着着けられないんだよ。贈り物とでも思ってね?」


 そんなアドニスをガン無視に、シーアは甘えるようにすり寄った。

 どうやら、気を良くしたらしい。恋人でもなく、唯の居候のくせに、洋服の催促。

 ただ、冷静に考えれば、それも必要出費なのだが。羞恥と怒りに染まりあがったアドニスには「もう関係ない」の一言でしかなく。


 真っ赤に染め上がった顔で、怒りにゆがめ切った顔で、怒鳴りつけるのだ。


 「ふざけるな!!誰がお前なんかに贈り物なんてするか!!」

 「ええ!」

 「ええ、じゃない!」


 もうヤケである。アドニスはシーアの肩を掴むと、追って来た店の店員にシーアを引き渡す。もごもご文句を零すシーアに無視し、苛立った様子で店の反対側に身体を向けた。


 とりあえず。彼女の顔が見えない場所に、何処でも良いから、いち早く離れたい。

 どうせ、シーアの方が此方を見つけて追ってくるのだからと、腹立たしくも言い聞かせて。

 アドニスは、大通りから路地裏へと姿を隠すのであった。


 ◇


 「全く、あの女は!」

 

 路地裏。ある建物の出入り口の前でアドニスは先程の出来事を思い出して悪態をついていた。

 まだ顔が熱い。自分らしくない行動をまた犯してしまった事と、シーアを思い出しては頭から離れない。


 顔を俯かせたまま、何度も舌打ちを繰り出すしかなかった。

 なにか、このうっ憤を晴らす、出来事は無いか。――そんな考えが、頭をよぎった時だ。


 ポケットの中から、携帯端末のバイブが響く。


 一気に頭が冷静になる。

 連絡なんて『組織』からしかあり得ないからだ。

 そして『組織』は、仕事の事でしか電話はしない。

 今までの赤面が嘘のように無表情の物となり、アドニスは端末を取り出す。


 「――……はい」


 連絡を入れて来たのは上司であるマリオだ。

 アドニスは無言のまま、彼の言葉を聞く。表情が曇ったのは直ぐの事。


 「――え?皇帝から伝言が?」


 それは、一刻も争う様なメッセージ。

 『皇帝からの伝言があったのに、お前はいま、何処にいる』と言う。上司からの怒りの電話。

 アドニスは、小さく息を付いた。


 「――……分かりました」

 一言。


 「直ぐに参ります」

 酷く冷たい目で呟いて。

 アドニスは端末の通話を切り、足早に路地裏を後にした――……。



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