第11話 猟師の息子

 今回は、ぼくが付いてきた所為で、随分と時間が掛かって遅れてしまった。

 ダニエレだけなら三日で帰れたのに。

 でも、それでもダニエレは遅れを気にもせず、ぼくに狩りを教えてくれる。

 獲物の探し方。狩りの仕方。血抜きや処理の仕方。

 魔獣を回避して生き残る方法。

 何よりも命の重さ。

 獲物も生き物なんだと、鹿も人も同じ命なんだと。

 無闇矢鱈むやみやたらと楽しんで殺す事のないように。

 もうすぐぼくも14歳。教会で祝福を受けたら大人だ。

 そうなれば猟師として、一人で狩りに出る事になる。


「俺の知識と経験の全てを、お前に教えるぞ。あの人に教わった事すべてを」

 ダニエレは村で唯一、たった一人残った最後の猟師だ。

 ぼくの師匠で、死んだ父さんの弟子だった人だ。

「父さんとダニエレの経験は、ぼくが受け継いで次の世代に渡すよ」

「そうだな。次の世代か……楽しみだな」

 ダニエレがにやにやしてる。

「なんだよ、その顔」

「ん~? なんでもないさ~。ネアの子は、どんな子かなぁって考えただけさ」

「なんでネアが出て来るのさ。変なやつだな」

「あ~……そっかぁ。あいつも大変だなぁ」

 なんか残念そうに首を振り、大きく溜息を吐くダニエレ。

 師として尊敬してはいるが、たまに変な人だ。


 ゆるんでいたダニエレの顔が引き締まり、身を低く立ち止まる。

 遠くを睨むダニエレ。

 あれは獲物を見つけた目だ。

「ニロ、見えるか?」

 ダニエレがぼくにささやく。

 どこだ?

 必死に獲物を探す。

 あれか? 遥か遠い木陰に何かが動いた。

 なんであんなのに気付いたんだ?

「鹿……だと思う」

「そうだ、良く見つけたな。風下から回り込んで近付くぞ」

「う、うん。分かった」


 相手に臭いが届かない風下から、草に隠れながら身を低く進む。

 ダニエレはかがんだまま、すべる様に凄まじい速さで進んでいく。

 物音も立てずに進むダニエレは、呼吸もしていないかのように静かに進む。

 目の前に居ても、気配を感じない。

 見失いそうになるダニエレの背を必死に追いかけた。


「大物だ。隣の山から来たのかもな」

「はぁ……はぁ。あんなでっかい鹿、初めて見たよ」

「ニロ、やってみろ」

 鹿を撃ったことはない。

 しかも、あんな大物をぼくに任せるなんて本気なんだろうか。

「でも……めったにない大物だよ。ぼくは初めてだし」

「誰だって初めてはあるさ。お前がやるんだ」

「わ、分かった。仕留めてみせるよ」

「あぁ、知ってる。お前なら出来るよ」


 背中のクロスボウを地面に立てる。

 隣村の猟師たちと共同開発した特別製で、ぼくらはアーバレストって呼んでる。

 隣村といっても二つ向こうの山だけど。

 立てたアーバレストの先にあるペダルに足を掛ける。

 立てると、大人でも腰の高さを越える大型クロスボウだ。

 村のマシューほどじゃないけど、ぼくも子供の中では背が高い方だ。

 それでもアーバレストは胸くらいの高さまでくる。

 足を掛けて、体全体を使って弦を引く。

 これが出来るようになってから、本当は滑車を使って弦を引くのだと聞いた。

 練習している時に、ずっとダニエレがニヤニヤしていたのが気になってはいたんだけど、まさか内緒にして、素手で引けるようになるまで放っておくなんて。

 これの所為で、ぼくの背筋はえらいことになっている。

 発達しすぎた筋肉でぼこぼこになった背中は、まだちょっと恥ずかしい。

 村の鍛冶屋かじやパオロは、なんでも出来る器用な人だ。

 彼の作った鉄の矢、クォレルをつがえる。

 静かに息を吐きアーバレストを構える。


 立派な角の鹿は、まだこちらに気付いていないようだ。

 大分近付いたが、ここらが限界だろう。

 これ以上近付いたら逃げられてしまう。

 ダニエレだけなら、もっと近づけるだろうけれど。

 30mくらいか。

 こんな距離で当てた事はないけど、任されたんだからやるしかない。

 うつぶせになりクロスボウを固定する。

 鹿は腹を撃ってはいけない。

 潰れたハラワタが、肉につくと食べられなくなるからだ。

 何故食べられないのかは分からないけど、そういう事になっているらしい。

 息を止め、鹿の頭を狙って引き金を絞る。


注) 現代のクロスボウの飛距離は100mほど、ものによっては300m先まで届くものもあったりするそうですが、的に当てる射程距離としては20m程のようです。

 発射音はそれぞれです。

 ほぼ音がしないものから、弦の音が大きく響くものまで様々でございます。

 現在所持には許可が必要です。

 朝起きたら町がゾンビだらけになっていたり、そんな時のために所持しておいた方がいいかもしれませんね。備えあればなんとやらです。

 危険なので人以外でも、生き物に向けてはいけません。

 元々生き物を撃つためのものですが、今は何用なのでしょうね。


 風を切り、ほぼ無音で放たれたクォレルが鹿を捉える。

 奇跡かと思えるほど見事に狙い通り。

 クォレルは鹿の額を貫いた。

 運が良ければ喉にでも当たるかと思っていたんだけど。

「よし。やったぞ!」

 当たった事に驚いて固まっていると、ダニエレが隣で叫ぶ。

 魔獣もいる森の中、狩りの最中に彼が叫ぶなんて初めてじゃないかな。

 ぼくよりも興奮しているようだ。

「はしゃぎすぎだよ、ダニエレ」

「うっさい! いいんだよ」

 何が嬉しいのか、ぼくの頭をくしゃくしゃに撫でまわす。


「ほら、これを使いな」

「いいの? これって、大事なナイフなんだろ?」

 仕留めた鹿の処理をするために、ダニエレがナイフを出した。

 ずっと大事にしているやつだ。

「これは、師匠から受け継いだナイフだ。今日からお前が使え」

「父さんの……分かった。僕が使うよ」

 ナイフと一緒に、なにか大事なものも渡された気がする。

 気のせいかもしれないけれど。

 父さんのナイフ。

 かなり大きく分厚い。

 熊とでも戦えそうなナイフだ。


 水でも飲みに来たのだろうか。

 都合よく、川のすぐそばで仕留める事が出来た。

 川まで運び水に浸して作業をすすめる。

 血管以外の組織を出来る限り損傷しないように、鎖骨からナイフを刺して心臓上部の頸動脈から血抜きをする。

 川の水に血を流しながら、毛皮も洗う。

 本当は内臓を取り出して肉を冷やしたいところだが、ここからならもう村が近い。

 川で血抜きがてら少し冷やしたら、急いで村まで運んだ方が良さそうだ。

 内臓を傷つけてしまったら、せっかくの肉が台無しになってしまう。

 特に尿道の処理が面倒で厄介だ。

 魔獣やら肉食の猛獣に見つかる前に村まで急ごう。


注) 特別な訓練を受けた猟師の管理下で処理しております。

 鹿はE型肝炎やライム病、日本紅斑熱、コクシエラ症などのリスクがあります。

 野生の鹿を見かけても、素人だけで捌いて食べたりしないでください。

 仕留めたら速やかに血抜きをして、内臓を取り出して肉を冷やしましょう。

 適切な処理をすれば、臭みも少なく柔らかく、美味しくいただけます。

 特に煮込みなんてお勧めです。

 柔らかく煮込んだ鹿肉は堪らないものがありますよね。

 病気に気をつけ、ルールとマナーを守って、楽しい狩猟ライフをお楽しみ下さい。


 鳥に兎、大きな鹿まで獲れた。

 大猟だ。

 鹿はダニエレが担いで村まで急ぐ。

「見えてきたよダニエレ」

「おう、運良く見つからずに辿り着けたな」

 エン爺の隣に誰かが立っている。

「あっ、出迎えだよダニエレ」

「あぁ、向こうも気付いたみたいだな。手でも振ってやれよ」

「あっ、ほらネアだよ。ははっ、肉のにおいに釣られて来たのかな」

「鹿の肉ではないだろうな」

 なんだよ。

 またダニエレが残念な子を見るような目でぼくを見る。

「ネア、エン爺、ただいまっ!」

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