第28話「櫛」です
王妃様からの手紙を何度読めど、書いてある内容は変わらない。
ソレイユ様の方へとゆっくり目を移すと、気だるそうに頭を掻いていた。
「ソレイユ様、龍穴というのは危険な場所なんですか?」
「ま、王国から一歩でも出れば安全な場所とは言えないな。昨日だって、王国の近くにあんな魔物が出たばっかだし」
それも、そうだ。
あれだけ危険な思いをしてすぐに、安全ではない場所に向かわせるなんて。
ソレイユ様に至っては、病み上がりだというのに。
ひょっとすると病み上がってもないかも知れない。
「しかしどんなに不合理で理不尽でも、王妃として下された命は断れねぇ」
「こ、こんなの、どうやって達成するんですか?」
「そりゃ、やるしかないな。やる前から出来ないとは言えない、そんなもんだろ」
そう答えるソレイユ様は腕を組んで、目線を伏せる。
「おかしいですよこんなの、二人で断りましょう」
「あー、そりゃ断りたいのは山々だけど」
「王妃様が死ねと言ったら、ソレイユ様は死ぬんですか?」
私が詰め寄ると、ソレイユ様は鼻で笑う。
「王妃があたしや他の聖女候補生に死ねなんて言う訳、ねぇっての」
にやけたソレイユ様の本意は分からない。
「ま、あたしからすりゃ他の候補生なんてどこでのたれ死んでも関係ないけどな」
「そ、そういうことは言っちゃだめです」
でも、強大な相手に立ち向かえなどという命を出されてしまっては、死ねと言われているのと同じようなものだ。
それとも、私が勘違いしているだけでソレイユ様からしてみれば大した命でもないのだろうか。
「ゴトゴト言ってる暇があるならさっさと支度しろ」
「は、はい、もう出れます」
ケープコートを着たまま寝てしまっていたので、ポシェットを携えれば準備完了。
「冗談よせよ」
と思っていたのに。
訝しげな顔をしたソレイユ様が私にゆっくりと近付いて、その右手が私の髪先を包み込むように持ち上げた。
「えっ!?」
「女だろ、髪ぐらい梳かせっての」
「あ、ひゃい!」
私は顔を赤くした。
身だしなみのことを指摘されると、とても恥ずかしい。
どうしてこれって、こんなに恥ずかしいんだろう。
でも言い訳させて貰うと、ソレイユ様が急かすから鏡を見る暇なんてなかったのです。
この部屋には化粧台が備えられていたはず。私は飛び込むように、化粧台の丸椅子へと着席した。
櫛、櫛、どこにあるんだろう? もしかして持参前提?
わたわたと慌てているのを見かねてか、ソレイユ様が近寄って来たので私はパッと振り返る。
「ごめんなさい、櫛が見つからなくて」
「前見ろ」
「は、はい!」
言われるがまま前を向いて見渡しても、櫛は設置されていない。
しかしながらソレイユ様は、前に櫛があるから前を見ろと言った訳ではなかった。
私が鏡に映ったソレイユ様をちらりと確認した次の瞬間。
ソレイユ様が羽織っていたフードケープの内ポケットから取り出した櫛で、私の髪に櫛を通し始める。
何が何だか分からない。
私の口はぱくぱくと言葉にならない声をあげる。
「あ、あ、え」
「櫛ぐらい持っとけよな」
櫛が髪の間を滑っていく微かな音が、私にはとても大きく聞こえた。
誰かに髪を梳かしてもらう経験なんてなくて、どんどん心臓が高鳴る。
その音がソレイユ様に聞こえてしまわないか不安で、もじもじと太ももでスカートを擦らせながら、ちらっと鏡に映るソレイユ様を見た。
無骨なフードケープを羽織っているはずなのに、どうしてそんなに綺麗なシルエットに見えてしまうのだろう。
緋色の髪や愛くるしい長いまつ毛がそれを演出しているのだろうか。
もはや羨ましくもある。独り言のように、私の口から言葉が漏れる。
「私、ソレイユ様みたいな綺麗な髪色に生まれたかったです」
この白色の髪を、私は好きになれなかった。
年老いた髪色みたいで、誰かに笑われたことだってあった。
「あー。あんたのも悪くない色だろ、珍しいし」
その言葉が本当に思って口に出したのかどうかは分からない。
それでも、自分の髪の毛を褒められた経験なんてなくて、心臓が更に高鳴る。
「いえ、私なんか。ソレイユ様は髪型も可愛くて、お肌も綺麗で、羨ましいです」
誤魔化す訳ではないけど、ソレイユ様についての感想を並べた。
すると、ソレイユ様は櫛を梳く手を止めて、私の頭の後ろで疑問を含んだような声を出す。
「なんつーか、そう言うこと平気で言えるのってソンケーするわ」
「どういう意味、ですか?」
「あたしには人に可愛いとか綺麗とか言うなんて、小っ恥ずかしくて出来ねぇ」
恥ずかしい? って、どういうことだろう?
私の持っている感覚とは全く違う『恥ずかしい』という感情に、共感出来ない自分が居て。
櫛の動きを止めてソレイユ様は自分の結っている髪型の先を、持ち上げるように触っていた。
鏡越しに私と目が合って、ソレイユ様が表情を変えずに言う。
「この髪型、あんたにもやってやろうか」
「え、え、え!? いえ、私、似合う自信ないし、いいです!」
「あっそ」
意外にもあっさりと拒否を受け入れて、ソレイユ様が櫛を持った手を再び動かし始める。
いい加減、耐えられない。間がもたない。
「あ、あの、ソレイユさま、自分でやりま、す」
もはや身体自体が揺れているような心臓の動きは、もう誤魔化せそうにもない。
だから、そう申し出たのだけれど。
「あたしに髪触られるの、嫌?」
「嫌とかじゃないですけど、その」
「じゃあ、黙っとけ」
そう言われたらもう、何も言えないのです。
髪を梳かしてもらっているのだから、下を俯く事も出来ないのです。
すっ、すっ、と一定のリズムで櫛が髪を梳いていく音が部屋に伸びていく。
この部屋に窓がなくって良かった。
部屋を照らすランプの照明は少しだけ、暖かそうな赤みを帯びているから、誤魔化せたのではないかな。
――今は心臓の音より顔の赤さを悟られる方が、恥ずかしいから。
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