第19話「恥を承知で申し上げます」です
そのままソレイユ様に手を引かれて。
医務室から出て右に曲がって、左に曲がって、大きな階段を上がって。
昼間に私が連れ込まれた謁見の間の横から、廊下をいくらか歩いて、とある部屋の前まであっという間に辿り着いた。
大きな階段の前にも、もちろん謁見の間の近くにも、この部屋の扉の横にも見張りの兵士が居たのだけれど、ソレイユ様の顔を見て兵士は誰もが通路を阻むことはなかった。
聖女候補生様がそれほどに権力を持つ者だと知って、私は改めて事の重大さを噛み締めることとなる。
どんな語り口で王妃様へと推薦を取り下げて貰おうかとしっかり考える予定だったのに、ソレイユ様はこちらに目配せすることもなく、無言で乗り込んだ。
その女性は黒いドレスの上にケープを被り、目元はケープから垂れたレースで覆われて視認する事が出来ない。
それでも、何故だか分からないが私はその人が間違いなく王妃様だと認識出来る。
私の腕を掴んだまま、部屋の中に一人佇む女性にソレイユ様が声を掛けた。
「あー、邪魔するわ」
私は状況を整理出来ずに、無礼にも部屋の中をきょろきょろと見渡していた。
重厚な赤い絨毯が敷かれ、真っ白な壁と天井のその部屋には、天蓋付きのベッドと小さなテーブルセットだけが設置されている。
照明が薄暗いのも相まって、王妃様が過ごす部屋としては少し味気なく感じた。
絨毯やベッドは高級感を漂わせてはいるが、豪華な宝石や食器を飾る棚だとか、賑やかな化粧台なんてものが並んでいる様子はない。
それについて感想を述べるより前に、私の手を離してソレイユ様が王妃様へと物申す。
「おい王妃、こいつを聖女候補生にさせるってのは本当か」
ソレイユ様が「おい」と呼び掛けることに対して、私は身体を強張らせる。
なにせ、相手はこの国の王妃様で、教会で一番偉いとされている大聖女様なのだから。
「ええ、私はそのように彼女を、ブランノワールさんを評価しましたよ」
王妃様は私の心配をよそに、普段通りと言わんばかりにソレイユ様へと笑い掛けながら述べる。
「それに対してご不満でもお有りですか?」
「あぁ、お有りもお有り、大有りだわ」
小気味良いリズムで、ソレイユ様が王妃様に言葉を返す。
「魔法の使い方の天才と言われたあたしにすら段階を踏ませたよな。なのに何でこいつが聖女候補生なんだよ」
矢継ぎ早に、ソレイユ様は王妃様に詰め寄る。
包帯が巻かれた手の先に力が入っているように見えた。
「大聖女として言うならば、ブランノワールさんの魔法と存在が我が国に必要だと考えたからですよ」
「本気か? たかが火を灯すだけの魔法に?」
ソレイユ様が鼻で笑いを飛ばしながら、理解出来ないと両手を広げた。
それは、ごもっともである。ソレイユ様の前で使った魔法はただ一つだけだ。
しかし王妃様の前で使った魔法もまた、同様に一つのはずである。
「それとも、こいつの聖書が二桁後半もあるって話が本当だとでも言うのか?」
ソレイユ様の言葉に、私はぎくっと身体を跳ねさせる。
「その件については、ブランノワールさんは嘘を吐いているように思いますね」
王妃様の言葉に、私はぎくぎくっと身体を跳び上がらせる。
「あぁ、そうだろうな。だったら尚更、あんたの考えが理解出来ねぇよ」
この場から逃げ出したかった。嘘を吐いた事を責められているからではない。
ただただ居た堪れなくて、自分の力を過剰に評価されていることにも、その評価がおかしいと言われていることにも、ただ何も言えなくて。
「なぁ王妃、何でこいつを候補生に推薦したんだ」
私は握りしめた指の爪が、手の平に跡を残す事にも気付かないままでいる。
苛立ちを隠さないソレイユ様に王妃様は、笑みを緩めずに言葉を返す。
「ブランノワールさんは『貴方達候補生』に足りない物を持っているからですよ」
「足りないものって何だよ! 今日の事を言ってんなら、キラーグリフォンだって全力だったら勝てた――」
王妃様の顔から笑みが抜けたかと思うと、ソレイユ様の訴えを中断させる。
「そういうところですよ、ソレイユさん」
「あ?」
王妃様が「王妃として言うならば」と前置きして、すらりとした指を立てて言葉を重ねる。
「なぜソレイユさんは、今日の魔物に勝てなかったのです?」
「いや、だから、こいつにあたしの力を見せてやろうと思って、幼体の方に魔力を使いすぎて」
「候補生たるもの、安易に力を見せつけるなといつも言っていますよね?」
「こ、今回は違うだろ? 力の差がどれだけあるって分かんないと、諦めもつかねぇかなって……」
王妃様の質問に、ソレイユ様が緋色の髪の毛をいじりながら言葉を返す。
しおしおと音が聞こえて来るほどに、いつもの威勢の良さが失われていくのが、横で聞いているだけの私にも伝わってくる。
「ではなぜ魔力をいたずらに使った状態で、新たな魔物が二体現れた際に貴方は戦いを中断しなかったのです?」
「助けようとした奴を置いて逃げ出すなんて、格好悪ぃだろ」
「新たな敵が現れる可能性を考慮せず魔力の温存と警戒を怠り、自分の力を認めさせたい者が居たからという理由で命を放棄するかのような無駄な戦闘をした、ということでよろしいですか?」
ソレイユ様が小さな声で、「それは」と零したが、王妃様には届いていないようだった。
上からさらに押さえるが如く、王妃様が言葉を連ねる。
「候補生たるもの、些細なプライドの為に命を散らそうとする行為をしてはなりません」
そうして詰め寄るように、王妃様が淡々と質問を繰り返す。
「兵や一般市民の命と、候補生である貴方の命は等価ではない事は理解していますか?」
「そりゃ、分かってる。分かってるけど、なんかこいつ見てたら、その」
「騎士団長兼、聖女候補生という立場の貴方がいなくなったら、誰が大聖女の私を守るというのですか、ソレイユさん?」
「あー、んーと……」
私に、胸にふつふつと沸くような感情が芽生えている事に気付いた。
恥ずかしい時に似た、顔が熱くなるような、そんな感情が。
「貴方を候補生へ推薦した時に命じましたよね、私と国を守る盾になれと。その言葉の意味をここまでわかりやすく言わなければ理解出来ませんか?」
冷たい言の葉を紡ぐ王妃様の口元は緩んで笑っているように見えた。
ソレイユ様の口元は、それに相反するようにきゅっと縛るように結ばれている。
私も同様に、口を一文字に結んで言葉を発する事は出来ない。
「それを守れずして、聖女を目指すなんて戯言と同じことですよ。ねぇ、ソレイユさん?」
「戯言って、あたしは……」
ソレイユ様の口がそれ以上動く事はなかった。
この居心地の悪さをどう言い表したら良いのか、分からない。
この状況で、私が言葉を挟む権利は無い。
「は、恥を承知で申し上げます」
私はずっと唇を噛んでいた口を開いて、王妃様を見つめた。
「王妃様は、間違っています」
どうして、私の口はこんな言葉を発するのだろう。
「王妃様が考えているより、ソレイユ様はずっと、聖女様に相応しい人です」
――声や身体は震えていなかったかな。
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