第64話「彼女と私の冷たい戦争」(中編)

 桜の下、私と紗南は向き合っていた。

 風が吹き抜け、辺りは柔らかな光に包まれていた。その中で紗南は私に緩やかに言葉を放つ。

 「麻子、私のこと好き?」

 「えっ……?」

 辺りに反して、紗南の顔は少しだけ意地悪げだった。でも、こんなに綺麗な世界の中で笑う紗南の姿に、私は能天気に見惚れてしまいそうだった。

 「だって、麻子。私の気を引こうとしてるでしょ。……猫みたいに丸くて綺麗な目して、髪もふわふわして綺麗。今の麻子は、昔の麻子よりも凄く魅力的だよ」

 なんで、いきなり紗南は私の事を褒めてくれるの? 私のこと嫌いじゃないの?

 教えて紗南。あなたは……私を、

 「でも、ダメだよ」

 「……えっ」

 暗転。辺りを照らす光が、一気に真っ暗な闇に転じた。

 彼女は笑う。悪戯気に、人差し指を自分の唇に当てながら、

 「私達の関係は終わり。もう過去のものなの。さよなら、麻子」

 そう言って、紗南は去っていく。私はまた電撃に撃たれたように動けない。

 何よ。終わってるって。

 終わってなんかいない。勝手に終わらせて、私達の繋がりはこれっきりなの。

 勝手に人のこと持ち上げて、褒めて、まるで昔のみたいに私を引っ張って、

 なんて、なんて勝手な女なの……!

 「紗南ああぁぁぁぁぁっ!!!」

 怒号が響き渡る。それが、自分が現在進行形で発しているのだと気づいた時、私の意識は完全に覚醒した。

 何? 今の……もしかして、夢?

 「夢だったの……うー……」

 何だか頭が重い。そんな頭で先ほどの夢の内容を思い返してみる。

 ……何かあまりにも荒唐無稽な夢で恥ずかしくなってきた。何故桜の下? そういうのに憧れてたの私……

 あー……何だかショックだわ。夢の展開と、そもそもそんな夢を見た私自身に。かなりのダブルパンチを決めてくれた。

 「フシャー!」

 真横で飼い猫が無駄に毛深い手で抗議してくる。頬を叩く猫パンチを軽く払いつつ、私は少しだけ考えてしまう。

 紗南は本当に何を考えているの。もしかしたら、本当に内心私のことを笑ってる?

 表面では分からないけど。水面下の内に……そんなわだかまりを抱えてるとしたら。

 ___まるで冷戦状態だわ。遠い距離の中で、静かに対立し続ける、そんな……!

 「っ……! このままじゃダメだわ」

 やっぱり気持ちは言葉にしなきゃ伝わらない。

 どれだけ怖くても、一度相手と向き合わないと。

 「……よし」

 分からないのなら、はっきりさせよう。

 今日、ちゃんと話をしよう……!


 「……以上です。部長」

 そう言って、私は話を締めくくった。静まり返る教室。皆顔を真っ青にして引きつらせてる。

 前の黒板を中心に集められた席。皆が座ってる中に反して、私は立ち上がったまま黒板を背に立つ美術部部長と向かい合っていた。

 部長は皆と違ってにこやかだ。纏めたポニーテールを少し揺らし、眼鏡を指で引き上げて再度問いかける。

 「ごめん、泉さん。もう一度言ってくれないかしら?」

 「えーと……ですから、朝練無くして部活動そのものを週三までに抑えません?」

 私のモヤモヤを言ってやった。やっぱり美術部の活動は過酷過ぎる。以前の体制に戻して、部活動の日数も本来の週三回に抑えるべきなのだ。

 「ふむ……なるほどね」

 部長が何やら思案してる。部長も多分去年の体たらくを見て、肩に力が入り過ぎてたんだろう。今こそ冷静になるべきだ。その時に違いない。

 部長は優しい笑顔を浮かべながら近づいてくる。そうして、私の事を抱きしめた。

 「ありがとうね、泉さん。貴方が美術部の皆を気遣ってのことで、そういう提案をしてくれて私は嬉しいわ」

 ……ん? まぁ、何か違う気がするけどいいわ。部長もただの鬼じゃなかったみたい。こうして私を……痛い、なんかか抱きしめる力が強くなってる気が……

 「でもね。でもね、泉さん」

 「あの……部長?」

 背が高い部長のせいで、私の視界は部長の胸に埋まって見えない。しかしサーっと静まる空気と響く微かな悲鳴で、何となく今置かれてる状況が理解できた。

 「微かなヒビは大きな亀裂を生むの。去年は現にそれで総崩れだった。小さな歪みでも私は正さないといけないわけ。それが部長の務めだから……」

 ああ、やばいわ。何かがやばいわ。私は微かに鳴る警鐘を聞こえたけど、部長の両手がそれを許さない。

 後で知った事だけど、部長がかけている技は相手の胴周りを締め上げる『ベアハッグ』と言うプロレス技だったらしい。

 グラウンドでは運動部の掛け声が聞こえ、吹奏楽部の合奏が響く朝。多分私の悲鳴も相当のものだったと思う。

 「はー……」

 「なんであんなこと言ったのさ、麻子」

 机に突っ伏す私の前で、椅子に座る玲子の表情は最早呆れを通り越して哀れみに変わっていた。

 「……いいのよ。これは前哨戦みたいなもんだし」

 「前哨戦?」

 玲子が問い返すけど、私はあえて何も言わずに立ち上がった。

 「麻子? どこ行くの?」

 「ちょっと。お昼休みが終わるまでには帰ってくる」

 そう、今はお昼休み。確かこの時間は音楽室で軽音楽部が練習しているはず。

 そこには必ず紗南がいるはずだ。

 (昼休みなら時間はあるだろうし、きっと話せるはず……!)

 音楽室は校舎の最上階、五階だ。私は心なしか早歩きになって、五階に着く頃には軽く息を乱していた。

 音楽室には光があるし、楽器の振動が結構響くものだった。でも、私は思わず屋上に続く階段の影に隠れてしまった。

 (紗南……じゃないよね?)

 五階は人気が少なくて、灯りもちゃんと燈ってない。だからやけに薄暗くて、音楽室の前に立つ三人の女子の顔が一度にはっきりと見えなかった。

 三人は小声で何かを話していた。多分一年。軽音楽部の子なんだろうけど……

 「北上さん? 本気なの?」

 三人の内の一人、その子が発した名前に私は思わずビクッとした。そして隣の子が、

 「北上さん、多分同学年とは組まないよ。完全に浮いちゃってるし」

 「だから、上の学年と組むの? 流石にそれはないでしょ」

 彼女達は話を続けてる。多分紗南の話だ。北上なんて子、他にいないはずだし。

 組む……っていうのは、バンドのことかしら。

 「私らはいいけどさ。……それやっちゃうとさ。全体の空気が悪くならない? どう接していいか分からないし、正直やりづらい」

 「それに何考えてるのか分からないよね、北上さん。話しづらいし、周りから浮いてるし。ほんと、何がしたいんだろ」

 三人の口調は次第に荒くなっていった。結構本音が出てき始めてる。それを陰で聞いていた私は、壁を背に座りながら何故怒りが湧いてきた。

 ……あの子は敏感よ。それに、人を思いやることもちゃんと知ってる。

 何考えてるのか分からないって、あの子が周りの空気に気づかない子じゃ__

 「……っ!」

 ガチャッと、扉が開く音がした。三人の視線が同じ方向を向いて、私は思わず声を上げてしまいそうになる。

 (……紗南!)

 紗南がそこに立っていた。でも、結構楽器の騒音が響いているから、あの会話は聞こえてな……

 ……駄目だわ。紗南、音楽室の扉じゃなくて、離れた後ろの準備室から出てる。完全に察してるわ。

 「……」

 三人は何も喋らない。逆に、紗南にここに現れたこと自体を非難してるみたい。

 でも、紗南も何も言わなかった。三人の勝手に腹を立てることなく、そのまま横を過ぎ去っていった。なんか軽く頭を下げてるようにも見えるけど。

 (……て、やばっ)

 紗南がこちらに近づいてきて、私は心臓は一気に脈打つ。でも冷静に考えればここは階段なわけで、紗南は私に気づくことなく下へ降りていった。

 「……っ、なによ。ほんと」

 三人は苛立ちを隠すことなく、そして音楽室に入っていった。誰もいなくなった五階の廊下、私はゆっくりと顔を出す。

 勝手なことばかり言われて、でも紗南も紗南よ。

 (言い返していいじゃない。睨んで怒るぐらいしていいじゃない……)

 ジワリと、目が熱くなった。あれ、なんで私が泣きそうになってるのよ……!

 「はー……」

 熱っぽくなった息を吐いて、私は今一度深呼吸する。

 そして__一気に階段を駆け下り始める。

 (ああ、我慢ならない!)

 最初からそのつもりだったけど、紗南にガツンと言ってやる。

 頭に上った血のまま……八つ当たりみたいになってしまうけど、こうならないと話せない私も大概だわ。

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