第24話「光の雨の中」
雨の音がする。
耳に触る、断続的なノイズのような音。
それに意識を向けると、他の全てを忘れられる。周りも、自分のことも。
雨の音に耳を澄ませる。呼吸すら意識の外に向けてしまうほどに。
「泣いているのですか?」
ふと、雨の音に少女の声が混ざった。
私は目を開ける。視界に映ったのは、栗色の髪の女の子だった。その子はニッコリと笑って、
「変なの。晴れてるのに、傘なんかさして」
そう言われ、私は空を見上げる。
雨は降ってない。ただ無表情な青空がある。私ははたと気づいて、傘を畳んだ。
「そうだね。気づかなかった」
そういう自分の声はどこか言い訳めいていた。
別に雨に憂いていたわけじゃない。ただ、昔のことを思い出していただけだ。
私が気まずそうに視線を逸らすと、女の子はその辺をウロウロしていた。私のことなんてどこ吹く風だ。完全に興味を失っている。
「……何してるの?」
私が聞く。女の子は、ピクっと顔を上げて、
「別に何もしてませんが?」
「……」
「家に帰る前の、寄り道」
ニコーっと笑って、そんなことを言う。笑顔は普通の女の子、だけど時々混じる敬語に少し違和感。
「柊子さんは何をしてるのですか?」
今度は私に質問がきた。
別に何かしてたわけでもないし、何をするでもない。ただ、
「私、もうすぐ引っ越しするんだ」
「ほほう?」
「だから、今のうち歩いて覚えておこうと思って。大人になっても思い出せるように。ちゃんとね」
そういうと、女の子はさらに目を輝かせて近づいてきた。
「じゃあ、思い出づくりってわけですね」
「……寂しくないの?」
「寂しくないですよ。……って、あれ。ここは寂しいって言う所だった」
うっかり失言してしまったことに気づき、女の子はポカンと口を開ける。とりあえず心からそう思っていないことは分かった。
「私は寂しいよ。お別れするのが」
今まで過ごしてきた場所。過ごしてきた人。それが大切なものなら、尚更。
「昔ね……お婆ちゃんが亡くなった時もここに来た。
どうしようもなく泣きたくて、でも私は泣けなかった。一人になれば思う存分泣けるんじゃないかって思ったけど、それも違った」
そしてあの時、私は不思議な光景を目にした。
今立っているこの場所。家に帰るまでの山道で。
狐を見たのだ。離れた岩肌に立つその姿は、まるで森の守り神みたいで……私と目が合うと、ヒョイヒョイと目の前に降りてきたのだ。
咄嗟の出来事に私は動けなかった。噛まれる、とか怖い想像もしてしまう。
でも、その狐は私に危害を加えなかった。ただ目を閉じて、頭を下げる。もしかしてと思いながら、私は下げた頭に手を引き寄せられた。
暖かな、狐の体温。手のひらから広がって、私はその全てに集中させられた。
そうして、不思議と。
泣きたい気分は消えていた。ちゃんと悲しい気持ちは無くなっていないのに、心はどこまでも落ち着いていた。
私が小さい頃の話だ。だけど、時折それを思い出してここに来る。
狐が慰めてくれた、不思議な体験。そして今に意識を戻すと、女の子はまたニコニコしていた。
「やっと笑ってくれましたね」
「笑った? 私が……?」
「ええ。とってもいい思い出だったみたい」
そうして、彼女はクルリと踵を返して、
「私は満足しました。だから、これで思い残すことなく、お別れできそうですね」
「えっ?」
「柊子さんもお別れですが、私もお別れも言いに来たのです」
女の子はいとも簡単に、平然とそんなことを言う。
「私もここから遠いところに行くんです。だから、柊子さんにさよならできてよかった」
あまりにも淡々と、普通の出来事のように。
女の子は言ったのだ。本当に、よかったという顔で。
「柊子さんは、私のことを思い出してくれますか」
「……そりゃ」
「よかった。では、またどこかで」
そして、彼女はそのまま何処かへ走っていった。
私は一人で立ち尽くす。まるで、さっきの時間が嘘みたいだ。
また、一人ぼっちだ。
「あ……」
私の頭に何かが落ちる。触れてみれば、雨粒だ。
パラパラと、雨が降り始める。私は傘を広げようとするけど、その手を止める。
見上げた空は、雲一つない青空だった。
ただの天気雨だろう。そのうち止むのかもしれない。
私は雨に身を委ねながら、ただ目を閉じる。
それに、晴れているのに傘をさすこともないだろう。そう、思ったのだ。
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