第48話 黒葉鶫と白上羽衣

 心映しの宝玉。

 それは、ワタシが生まれながらに持っていた魔臓。

 その力は、『相手の感情を炎の形として視る』こと。

 炎の色や大きさ、揺れ方によって、その感情の種類や強さがわかる。

 そして、ワタシはこれまでの経験や、おばあちゃんからの助言によって、炎と感情の相関をおおよそ理解している。

 例えば、もしも炎の色が赤色で、大きく燃えさかっていれば、その人はすごく怒っている。

 仮に青色の炎が灯っていれば、その人は悲しんでいるといった具合だ。

 この眼は、これまでワタシの人生をずいぶんと過酷なモノにしてくれた。

 なにせ、魔法使いであるワタシは嫌われやすいというのに、道行く人がどんな感情を持っているかわかるのだ。

 たくさんの人間の悪感情がワタシに向けられるのを視てきた。

 嫌悪、恐怖、嘲笑、侮蔑。

 バスで隣に座った少女から、プリントを渡すために前の席から振り返った同級生から、そして、実の親からも。

 魔法使いではあるが、ワタシも一応年頃の女だから、欲情を向けられることもあった。

 ワタシに向けられたものでなくとも、すぐ隣の人が顔は笑ってるのにドス黒い炎を灯しているときは、人間というモノに恐怖した。

 人間とは、いつも仮面を被り、醜悪な中身を隠している生き物なのだと。

 そして自分は、強制的にその中身を見なければならないのだと理解してしまった。

 この呪われた眼をえぐり取ってしまいたいと思ったことは一度や二度ではない。

 おばあちゃんの残した手記で儀式の存在を知ったとき、もしも叶うのならばこの眼を普通の眼にして欲しいと思ったものだ。

 それだけ、ワタシはこの眼に苦しめられてきた。

 けれど、それはそれだけこの眼を信頼しているということでもある。

 だからこそ、ワタシは初めて死神さんに、伊坂くんに会ったときに彼を信じることができた。

 それはこの眼を持って、初めて感謝した時でもあった。

 でも、じゃあ、今のワタシの眼に映るモノはなんだ?


「え?」


 伊坂くんの胸に見える濃い朱色。

 それは、恋い焦がれる者の胸にのみ灯る色。

 その炎は、まっすぐ、ドアの近くにいる白上さんに向かって伸びているように見える。


「白上さんっ!!」

「え?」


 おかしい。

 今の声は誰のモノだろう?

 今までに、あんな声をワタシは聞いたことがないからわからない。

 あんなに嬉しそうな声を今この場で出す人はいない。

 ここにいるのは、ワタシ、伊坂くん、白上さんの3人だけ。

 ワタシは声なんか出していないし、たった今、一世一代のお誘いをしようとしたのを邪魔されたばかりで、とても嬉しい声なんか出す気にならない。

 白上さんも違う。

 ワタシの目の前にいる彼女はさっきワタシたちに挨拶をしてから口を開いていない。

 ならば、消去法で伊坂くんということになる。

 だが、それはあり得ない。

 なぜなら、伊坂くんは白上さんを警戒しているから。

 昨日のお昼を伊坂くんの家族とご一緒したとき、確かに伊坂くんは白上さんに含むところがあった。

 だから、伊坂くんが今この場で嬉しそうな声を出すなどあり得ない。

 あり得てはいけない。

 なのに。


「待ってたよ、白上さん!!」

「あはは、ごめんね待たせちゃって。オカ研にも興味はあったんだけど、友達と他の所をまわってたらこんな時間になっちゃったんだ」

「え?」

 


--待ってた?伊坂くんが、白上さんコイツを?


 

 立ちすくむワタシの隣に、伊坂くんが歩いてきていた。

 その口から飛び出した言葉は、さっきの嬉しそうな声音と同じようにワタシの耳に届いて。

 でも、その意味が分からなかった。

 言っている言葉の一つ一つの意味は分かる。

 『待っていた』とは、ここで誰かを待っていたということ。

 けど、その後に『白上さん』が続くことで、まるで支離滅裂なものになるのだ。

 

(・・・眩しい)


 さっきから目に入ってくる朱色の光が眩しくて鬱陶しい。

 二方向から飛んでくる輝きで目がくらみ、思考が鈍る。

 けれど、そんな風にまだ事情が飲み込めていないワタシを置き去りにして、事態は進んでいく。


「あ、そういえば黒葉さんは白上さんに直接会うの初めてだっけ?」

「そうじゃないかな?私は初めて見るし・・・そうだ!!」


 ワタシのすぐ傍まで、白上さんが歩いてきた。

 嫌でも、その姿が眼に入ってくる。

 外国の血が入っているのか、白みがかった艶やかな髪。

 まるで人形のように整った顔立ちは、それだけなら見る人に冷たい印象を持たせるのだろうが、ニコニコと笑うその表情が温もりを伝えてくる。

 近くに立たれると、ずいぶんと身長が高い。

 伊坂くんには届かないが、女子の平均よりは上だろう。

 自然、ワタシは見下ろされる形になる。

 だが、それよりも目を引くモノがあった。


(なに、コレ・・・?)


 未だに頭がうまく回っていないが、だからこそ下手になにか考えるよりも目の前のモノが気になった。

 白上さんは伊坂くんが警戒していたようにプレイヤーである可能性が高い。

 前々から、伊坂くんの灯りが見えにくいのはプレイヤーだからか、あるいは伊坂くん本人の特性なのか疑問だったが、白上さんの灯りも大きな違和感があった。

 通常、炎というものは常に揺らめいている。

 これは灯りが見えにくい伊坂くんも同じで、その揺れ方に特に規則性はない。

 しかし。


(まるで、炎を撮影した動画を無理矢理貼り付けたみたい)


 白上さんに灯る朱色の灯りは、妙にきれいすぎるのだ。

 炎が揺らめいている動画を撮影し、その中から適当に選んだ1秒か2秒のシーンだけを投影し続けているような。

 生まれて初めて見るモノに、ワタシの頭はさらに混乱を深めていくが、白上さんはそんなワタシのことを知ってか知らずか、その綺麗な唇を開いた。

 

「まずは自己紹介だね!!私は白上羽衣。君のことも教えて欲しいな?」

「え、あ・・・く、黒葉鶫、です」


 名前を名乗られ、つい反射的にワタシも名乗り返していた。

 

「黒葉さんだね!!よろしく!!」

「・・・よ、よろしく」


 自然な動きで手を取られ、気が付けば握手を交わしていた。

 だけれども、ワタシは気を許すつもりには到底なれなかった。

 伊坂くんのことだけじゃなく、白上さんの胸に灯る灯りだ。

 なにせ、にこやかな顔でワタシと握手をしながらも、依然として不自然なループを繰り返しているのだ。

 その朱色の光は不気味な動きを続けるだけで、色も揺らぎ方も変わらない。

 それは、白上羽衣という人間にとって、黒葉鶫という存在にはプラスの感情どころかマイナスの感情を抱く価値もないと決めつけているのと変わらないのだから。

 伊坂くんのことを置いておいたとしても異常だ。

 正直言って今でも頭がちゃんと回っている気はしないが、白上羽衣この女が危険だということだけは分かる。


(絶対に、気を許しちゃダメ)


「・・・・・」

「あ、ごめんね?いつまでも握っちゃってて」

「いえ・・・」


 心の中で警戒を強めつつ、手を離す。

 そうだ、しっかりせねば。

 昨日、伊坂くんが白上さんを警戒していたのは間違いないのだ。

 白上さんが人間のプレイヤーであることも十中八九本当。

 そうだ。もしかすれば・・・


(伊坂くんがおかしいのも、この人が原因!?)


 そうだ。そうとしか考えられない。

 これまで、ワタシはずっと、文字通りずっと伊坂くんの傍にいたが、あんなに鮮やかな朱色の灯りなど見たことがない。

 伊坂くんはなんというか、ちょっとデリカシーがないというか、恋愛感情的に疎いところがあるのをワタシはよく知っている。

 だから、これまでいつものワタシにも、魔女のワタシに対しても、頻繁に朱色の灯りを見せてこなかったのだろう。

 けれども、あの皇帝や女教皇と戦った後、ワタシは確かに伊坂くんの胸に朱色の光が宿るのを見ている。

 すなわち、伊坂くんが好きなのは魔女ワタシであって、目の前のただの人間白上羽衣ではない。

 だというのに、あんな鬱陶しいくらいに眩い光を出すなんて、明らかにおかしい。間違っている。

 白上さんは伊坂くんが警戒していた相手だし、ワタシがこれまで見たことがない不気味な灯りを灯している。

 ありえないことを引き起こした原因として、これほど疑わしい存在はいない。


「私もオカ研は興味あったんだけど、忙しくて来れなかったんだよね~・・・でも、うちのクラスにも噂は届いてたよ!すごく可愛い看板娘がいて大繁盛だったって!!」

「・・・それはどうも。でも、オカ研が盛り上がったのはワタシだけじゃなくて伊坂くんもいたからです。伊坂くんが、ずっとワタシの傍で支えてくれたから、ワタシも頑張れたんです」

「うんうん、そうだよね!!開会式のときの伊坂くん、すごくかっこよかったし!!伊坂くんも評判良かったよ!!運動部の人たちがスカウトしたがってたし・・・あ、陸上部と掛け持ちしてくれてもいいんだよ?」

「あ~、それは・・・」

「伊坂くんはオカ研で忙しいので、申し訳ありませんがオカ研部長として許可できません。うちは部員も少ないから、兼部でも引き抜きは困ります」

「あ、そうだったね。今年はすごく人数少ないんだっけ。ごめんね?伊坂くんも」

「い、いや、オレは別に・・・まあ、朝は最近用事もあるしね」

「そういえば、伊坂君、最近は前よりちょっと早いもんね」

「・・・・・」


 伊坂くんが申し訳なさそうな声で白上さんに弁解する。

 だが、結局は白上さんの申し出を断って、朝のワタシの護衛を優先したのは間違いない。

 どうやら、強力な洗脳効果がある魔法を使えるというわけではないようだ。

 白上さんに気を遣ったような反応にちょっと苛ついたが、少し溜飲が下がった。

 しかし、それで少し疑問が浮かんできた。本来なら最初から考えておくべきだったのだろうが・・・


(この人は、何しに来たんだろう?)


 白上さんが今、このタイミングでここに来た目的についてだ。

 伊坂くんの様子がおかしいことから、伊坂くんに用があるのか。

 あるいは、ワタシを守ってくれている伊坂くんに何かしているうちにワタシを倒すつもりなのか。

 そもそも、白上さんはワタシたちがプレイヤーだと気付いているのだろうか?

 カマをかけているだけという可能性もあるが、白上さんの灯りのせいで正確な意図がまるでわからない。

 気が付いたのが昨日とはいえ、少しの間だけでもアカバに監視させるべきだったか。

 いや、昨日といえば・・・


(昨日、白上さんはやけに伊坂くんに馴れ馴れしかった・・・まさか!!)


 そして、ワタシが白上さんの目的に思い当たるのと同時に。


「っと、もう結構時間が経っちゃったね。それじゃあ、ちょっと名残惜しいけど・・・そろそろ行こっか?伊坂君」


 白上さんが、伊坂くんに向かって手を伸ばした。


「え?あ、う、うん、わかっ・・・」

「ど、どこに行くんですか!?」


 ワタシは身体全体を使って伊坂くんと白上さんの間に割り込んだ。

 

(間違いない!!コイツの狙いは伊坂くんだ!!)


 白上さん・・・いや、もうコイツに『さん』を付ける必要なんてない。

 白上の目的は、伊坂くんを懐柔することだ。

 

「どこにって、そんなの、この時間に来るんだから決まってるよ・・・ねぇ、伊坂君?」

「え?ああ」

「・・・伊坂くん?」


 急に間に入ったワタシに驚いて動きが止まっていた伊坂くんが、白上の言葉に頷いた。

 その瞬間、ワタシの眼に映るのは、伊坂くんの緋色の灯りに混ざる眩いばかりの橙色。

 それは喜びを意味する色であり、黄金と見紛うばかりの輝きは、その大きさを物語っていた。

 唐突に、猛烈な悪寒が走る。


(嫌だ。何か、すごく嫌だ)


 止めなくてはいけない。

 伊坂くんが何か言うのを妨げなくてはならない。

 伊坂くんがこれから口にする言葉を聞いてはいけない。

 もしも耳にしてしまえば、取り返しの付かないことになる。

 根拠などないのに、なぜかワタシにはそれが分かった。

 けれども、それは遅すぎた。


「行こう、白上さん。後夜祭へ」

「うん!!」

「・・・え?」


 今、伊坂くんはなんと言った?

 呆然とするワタシの隣を伊坂くんが通り過ぎ、白上の方へ歩いて行く。

 そのまま、白上の伸ばす手を握ろうとして、その寸前で振り返った。

 

「黒葉さん。今日はありがとう。こんなに楽しく舞札祭を楽しめるなんて、ちょっと前まで思いもしなかったよ。黒葉さんのおかげだ。本当にありがとう」


 ワタシに向かって、満面の笑みでそう言う伊坂くん。

 その胸に灯る光は、ワタシがよく目にする優しい桃色。

 ついさっきまでワタシに向けられていたものと同じモノ。

 いつもなら、見ていて安心する、いつまでも見ていたいモノなのに、今はそれが恐ろしいモノに思えてしょうがなかった。


(何を、何を言ってるの?伊坂くん)


 思考がまとまらない。

 頭の中を無数の疑問符が埋め尽くしていく。

 だが、時は止まってくれない。

 ワタシが止まったままなのに、伊坂くんは踵を返そうとする。

 そんな伊坂くんの向かう先には、伊坂くんの背中を見つめながら微笑む白上がいる。

 このまま伊坂くんが振り返ってしまったら。

 その先を思い浮かべるのを拒絶するように、言葉は勝手にワタシの口から飛び出した。


「約束」

「え?」

「約束を、破るの?」


 主語もなにもない、支離滅裂な問いかけ。

 それでも、伊坂くんは立ち止まった。

 

「・・・約束?伊坂君、なにか黒葉さんと約束してたの?」


 立ち止まる伊坂くんに、白上が話かける。

 うるさい。

 今はワタシと伊坂くんが話しているんだ。

 人間あなたなんかが入ってくるな。

 ・・・一瞬、白上に灯る無機質な炎がドス黒く染まった気がしたが、瞬きをしたら元に戻っていた。

 いや、今はそんなことはどうでもいい。


「・・・ああ、そういえば確かにまだ黒葉さんとの約束は続いてるのか」


 ほんの少し間を開けて、伊坂くんは応えてくれた。

 その言葉に、何が何だか分からなくなっていた思考が落ち着いてくる。

 心が安定する。


(よかった・・・そうだよね。伊坂くんがワタシとの約束を破るワケないもんね。前にお昼休みに遅れてきたときだって、遅れはしたけど来てくれたもの。でも、そう。そうだよ。伊坂くんがワタシとの約束を忘れかけるなんてやっぱりおかしい。最近物忘れもひどいみたいだし、それもこれも全部!!)


 さきほどの反動のように頭が回る。

 今は勿論、ここ最近の伊坂くんがおかしかった時のことも、そのすべての原因に思い当たる。


(この女がっ!!)


 衝動のままに、ワタシは伊坂くんに近づいた。

 その腕を取って、少しでも諸悪の根源から引き離そうと・・・


「うん。白上さん。悪いんだけど、もう少し待ってもらっていい?オレ、閉会式までは黒葉さんと一緒にいるって約束してるからさ」

「・・・え?」

「・・・ふぅん?」


 突然、伊坂くんがワタシに背中を向けた。

 またも、動きが止まる。


「・・・ねぇ、伊坂君と黒葉さんがどんな約束をしてたのか、聞いてもいい?教えてくれたら、伊坂君の言うとおりに待つよ」

「そうだね。これは確かに白上さんにも説明しとかないといけないか」


 伊坂くんに近づいたから、ワタシの視界は伊坂くんの大きな背中で埋まっている。

 どうしてか、動けないまま固まってしまったワタシに、伊坂くんの向こうにいる白上の姿は見えなくなってしまった。

 けれども、その声がさっきまでと違って冷たく、毒気を帯びているように聞こえた。


「約束って言っても、オレが舞札祭の間、黒葉さんのボディーガードをするってだけだよ。いつもやってることだけどね」

「いつもやってる?・・・まあ、いいや。舞札祭が終わるまで、それに閉会式ね・・・ああ、なるほど」

「・・・っ!?」


 何事かを考え込むように小さく呟く白上だったが、すぐに何かに合点がいったようだ。

 その何かがなんなのか、ワタシにはわからない。

 だが、さっきから感じていたぞっとする毒気が、一気に強まったのがわかった。

 それを裏付けるように。


「ねぇ、黒葉さん」

「っ!?」


 伊坂くんの影から、ゆっくりと現われた白上の顔には笑みが浮かんでいた。

 見る人が見れば、天使のようだと褒め称えそうなくらい美しく、清らかなで邪気の一つもない笑顔。

 だが、さっきまで変化のなかった胸に灯る光が、切れかけの電灯のようにドス黒く明滅していた。

 けれど、それに反応する前に、白上は口を開く。

 

「私もね。伊坂君と一つ約束してるんだ。舞札祭が始まるより前、連休の頭にね」


 連休の頭。

 というと、舞札神社での伊坂くんの様子が上の空だったときのことか。

 勉強会のときに、白上を含むクラスメイトたちとショッピングモールに遊びに行った日。


「それが一体・・・」

「さっきも伊坂君が言ったでしょ?これから、私と伊坂君で後夜祭に行くって。その約束」

「だからっ!!伊坂くんはワタシと一緒に・・・」

「うん。そうだね。舞札祭が終わるまで。閉会式までね・・・そうでしょ?伊坂君?」


 白上が何を言おうが、伊坂くんはワタシと一緒にいてくれる。

 それは絶対であり、変わることはない。

 そのはずなのに。

 

「うん。そうだけど・・・」

「・・・え?」


 伊坂くんの胸の光が、緑色の点滅へと変わっていた。

 それは、困惑を表わす光。

 いや、光だけではない。

 伊坂くんの顔も、ワタシの方を見ながら不思議そうな表情を作っていた。


「やっぱり。伊坂君は嘘をつくような人じゃないし、かといって約束を破る人でもないし・・・黒葉さんの勘違いだったね」

「ど、どういうことですかっ!?」

「・・・私が説明するより、伊坂君から言ってもらった方がいいんじゃない?ほら伊坂君。ちゃんと教えてあげた方がいいよ」

「あ、ああ・・・って言ってもな。黒葉さんもそのつもりだと思ってたんだけど。ほら、舞札祭の終わりって」

「そ、そうですっ!!舞札祭の終わりまで一緒にいるって・・・」

「うん。だから、それって閉会式まで、オカ研のお店が終わるまでってことだよね?舞札祭は閉会式で終わりで、それから後夜祭が始まるって流れだし」

「へ?」

「・・・黒葉さん、オカ研の部長なんだし舞札祭のプログラムは持ってるよね?一度見てみるといいよ。後夜祭のことは書いてないから」

「あ、ちょうどあったよ。はい」

「・・・・・」


 伊坂くんが近くにあった舞札祭のしおりをワタシに手渡してくる。

 ワタシは反射的にそれを受け取って、白上の言うようにプログラムを確認した。


「・・・閉会式で終わってる」

「後夜祭って、実は非公式イベントなんだよね。だから、舞札祭は閉会式で終わりなんだよ。これ、確かにそんなに知られてないけどさ。私も先輩から聞いて知ったもん」

「オレもクラスで聞くまでは知らなかったな・・・去年は後夜祭なんて縁がなかったから興味もなかったし」

「まあ、つまり、伊坂君は舞札祭の終わりって言ったら閉会式のことって知ってて、黒葉さんは後夜祭までって思ってたこと。だから・・・」


 そこで、白上は一歩下がって、伊坂くんの隣に立った。

 そして。


「伊坂君と後夜祭に行くのは、私だよ」

「うおっ!?白上さんっ!?」

「っ!?」


 伊坂くんの腕を取って、自分の腕と絡めた。

 ワタシの目の前で。


「だ、ダメっ!!」

「のわっ!?」


 ワタシは叫んだ。

 叫んで、伊坂くんの腕を取り返そうとした。

 けれども、白上はまるでダンスでも踊るように、伊坂くんと腕を絡めたままステップを踏んで、ヒラリと逃れる。

 

「ダメって言われてもね。これは約束していた私の正当な権利だよ。なによりさ・・・」


 そうして、白上は告げる。


「こういうのに一番大事なのは、本人の意志じゃない?ねぇ?伊坂君?」

「お、オレ?」


 胸に灯る光などみなくても分かるくらい、この場の状況に混乱している伊坂君が、突然水を向けられて素っ頓狂な声を上げる。

 そんな伊坂君に。


「ねぇ伊坂君」

「は、はい」

「伊坂君はさ、私と後夜祭に行きたいから、私と約束してくれたんだよね?」

「っ!?」


 白上は、核心を突く問いを口にした。


(伊坂くん・・・!!ワタシ、信じてるから)


 大丈夫だ。

 伊坂くんは、これまでずっとワタシを守ってくれた。

 そうだ、それに伊坂くんは白上を警戒していたはずではないか。

 さっきからどうにも様子がおかしいが、昨日この『眼』で見た限りでは、間違いなく白上をワタシから遠ざけようとしていた。

 だから、だから大丈・・・


「あ、ああ!!オレも、白上さんと後夜祭に行きたいってずっと思ってた!!」



 ああ、一体いつの間にワタシは耳の病気にかかってしまったのだろうか。

 万病をはね除ける黒葉の魔女だというのに情けない。

 今、幻聴が聞こえた。

 ああそうだ。それは幻聴でしかあり得ない。

 伊坂くんが。ワタシの伊坂くんが、ワタシ以外と後夜祭に行きたいだなんて。

 ワタシ以外と、恋人になりたいだなんて。

 今すぐ病院に行かなければ。

 病院に行くなんて人生で初めてだ。

 怖いから、伊坂くんに付いてきてもらおう。

 ワタシはそう思った。

 そう、思ったけれども。


「・・・ね?伊坂君もこう言ってる。それでも伊坂君を縛ろうとするなら、それは黒葉さんのワガママだよ」


 目の前の人間白上が、ワタシを逃がしてくれない。

 言葉は蛆のように、ワタシの頭の中で這いずり回る。


「わが、まま?」

「うん。あんまりそういう言い方はしたくないけどね。けど、現実として、伊坂君はこう言ってる。なら、伊坂君の『本当の気持ち』を尊重してあげるべきじゃないかな?」

「・・・『本当の気持ち』?」


 フッと、その言葉が聞こえた瞬間、ワタシの脳裏によぎるモノがあった。



--オレは、キミみたいな子は好きだよ。嫌いな奴を守ろうと思うほど人間できてないし

 


 それは、皇帝の最後の悪あがきを受けて伊坂くんが傷ついてしまったとき。

 確かにそう言ってくれたのだ。

 そして、ワタシはこの呪われた瞳で見ている。

 そのときの伊坂くんの胸に灯った朱色の光を。

 唐突に思考が元に戻る。

 そうだ、何を忘れていたのだ、ワタシは。


「違う」

「・・・?黒葉さん?」


 本当は、これから先の後夜祭で見せたかった。

 2人で踊る直前に伝えたかった。

 だが、この人間白上にたぶらかされそうになっているというのなら、その目を覚まさせてあげる必要があるというのなら、仕方がない。


「ふ、2人とも?さっきから何が何だか・・・」

「伊坂くん」

「え?」


 ワタシと白上の話合いに割って入る勇気が出たのか、伊坂くんが声を上げるも、それを遮るようにワタシは話かける。

 そうしながら、ワタシはポケットに指を入れ、カードを手に取った。


「っ!!お前何を・・・」


 視界の隅で白上が身構えたが、そんなことはどうでもいい。

 

「黒葉さん、それは・・・」


 ワタシが取り出したカードを見て、伊坂くんの顔が驚愕に変わる。

 

「伊坂くん。ずっと黙っていてごめんなさい。ここで、約束を果たしますね」


 

--はい・・・あと二日経ったら、ワタシも正体を教えます。だから、今はまだ

 


 それは、一昨日の舞札神社でのこと。

 自分から正体を教えてくれようとした伊坂くんを遮って、ワタシが言い出したこと。

 少しだけ早いけど、ここで伝える。

 ワタシは、カードに魔力を込めた。

 ワタシの身体が一瞬蜃気楼のように霞むも、すぐに元に戻る。


「ワタシは、黒葉鶫は、『魔術師』なんです」


 膝までを覆う紺色のローブに、つばの広いとがった帽子。

 手には古めかしい木でできた、長い杖。

 ここまでは、さっきまでのコスプレとそう変わらない。

 けれど、ワタシの腰まで伸びる亜麻色の髪は、天然ではあり得ないような紅色を帯びていた。


「・・・薄々、そうじゃないかとは思ってたんだ。でも、なんでかわかんないけど聞けなかった」


 未だに驚きは残っているが、胸には緑の光。

 伊坂くんは、落ち着いた口調で続ける。


「やっぱり、キミが魔じょ・・・魔術師だったんだね」

「・・・はいっ!!」

「・・・なんだと?」

 

 一瞬変などもり方をしたが、伊坂くんはまっすぐワタシを見つめて優しく微笑んでくれた。

 ああ、やっぱりだ。

 ワタシの判断は間違っていなかった。

 今ここで、ワタシの正体を明かしてよかった。

 でも、まだ足りない。


(伊坂くんはワタシを見てくれてる。でも、まだなんだね)


 なぜなら、ワタシの眼に映る光に、燃え上がるような朱色は混ざっていないから。

 強い魔力を持つ伊坂くんは、精神系の魔法に高い耐性を持っている。

 そんな伊坂くんをたぶらかすような相手だ。

 ただワタシの正体を明かすだけでは足りないのもしょうがない。

 ならば、直接ワタシが目を覚まさせてあげなければいけない。


「・・・でも黒葉さん、なんで今」

「伊坂くん。その人から離れてください。危険です」

「え?」

「・・・・・」


 白上は、ワタシがカードを取り出した時点で伊坂くんの腕を放し、身構えている。

 だが、未だに伊坂くんの近くにいる。

 その距離は危険だ。


「伊坂くんも知っていると思いますが、その人間はプレイヤーです。でも伊坂くんは、騙されてるんです」


 ワタシは、白上に杖を突き付けながらそう言った。



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 何が何だか分からない。

 一言で言ってしまえば、それが今のオレのすべてだ。

 オカ研に白上さんが来たのはわかる。

 もうすぐ後夜祭だし、閉会式に行く前に合流するのがスムーズだからだ。

 なんなら、黒葉さんと友達になってもらうためにちょうどいいと思ったくらいだ。

 だが、なぜかそこから雲行きが怪しくなった。

 白上さんがオレを連れていこうとして、オレもそのつもりになったのだが、なぜだか黒葉さんが白上さんに対して異様にトゲトゲしい。

 オレと白上さんの間に割って入ろうとするし、なんだか情緒不安定になるし。

 しかも、あの天使のような白上さんも、なんとなく、どことなくいつもと雰囲気が違うというか、剣呑な感じがする。

 他にも、なぜだか黒葉さんがオレとした約束の内容を勘違いしていて、それを白上さんに咎められたり、あげくに突然魔女っ子であるとカミングアウトしてきた。

 どうしてこのタイミングでバラしてきたのかは皆目見当付かないが、それだけならまだよかった。

 前にも考えたことがあったが、黒葉さんも魔女っ子もオレが守るべき存在であるし、2人が同一人物だというのなら、オレも守りやすくなる。

 けど。


「オレが、騙されてる?」

「はい」


 一体全体どうして、オレが白上さんに騙されているということになるのか。

 というか、黒葉さんも白上さんがプレイヤーだと知っていたのか。

 だからそんなにピリピリしてるのかもしれない。

 いや、ちょっと待て。


「し、白上さん!!確かにオレは白上さんがプレイヤーだと知ってたけど、黙ってたのは騙そうとしたとかじゃなくて!!」

「・・・知ってたよ」

「へ?」

「伊坂くんがプレイヤーなのは、私も知ってた。というか、そうじゃないかな?って思ってた。死神と戦ったときに近くにいた気がしたの。遠かったし瓦礫もあったから顔は見えなかったけど、伊坂君って遠くてもわかりやすいし」

「き、気付いてたのっ!?」

「うん。でも、私は別に気にしてないよ。この儀式では、プレイヤーどうしが敵対することもある。そう考えたら、気付いていないフリをするのは普通の判断だと思う。私もそうだしね。本当はもうちょっと早くに私の方から声をかけようとか思ってたんだけど、やっぱり確証がなかったから」

「白上さん・・・」


 オレはほっと安堵の息をついた。

 白上さんがプレイヤーだと知っていたことがバレたのだ。

 黙っていたのは後ろめたい理由があるのでは?と疑われてもしょうがないが、そこはさすがの白上さん。

 オレを責める気はないようだ。

 だがまさか、白上さんもオレがプレイヤーであることに気付いていたとは思わなかった。

 オレがプレイヤーであることを知っているのは、魔女っ子と・・・

 

「っ・・・?」


 一瞬、頭の中にノイズが走る。

 白上さんが、いや、『白上さんによく似た誰か』の顔が浮かびかけるが・・・


「・・・いや」


 ・・・いや、そうだ。

 オレがプレイヤーであることを知っているのは、魔女っ子、いや、黒葉さんだけだ。

 っていうか、黒葉さんにはもう1人のプレイヤーに会ったことは最初に出会ったときに言ったけど、白上さんであることを知っていたことは言っていなかった。


「まただ。また色が急に変わった・・・やっぱり」

「あ、黒葉さん。白上さんも言ってたけど、オレが白上さんのことを黙ってたのは・・・」

「大丈夫です。今ので確信しました・・・あなた、伊坂くんに精神干渉の魔法を使ってますね?」

「え!?」

「・・・・・」


 オレの弁解を遮って、黒葉さんが白上さんに言い募る。

 その顔はオレが見たこともないくらいに険しい。

 あの皇帝の本体にトドメを刺したときを思い起こさせた。


「最近、不思議に思ってたんです。伊坂くんが、会話の途中でいきなり黙って、話そうとしたことを忘れたようになっていることが何度かありました」

「えっ!?そうなの!?」

「やっぱり自覚がなかったんですね・・・いや、忘れさせてる?ともかく、白上さん。あなたが伊坂くんに何かをしてることは明確です。そんな人の傍に伊坂くんを近づけるわけにはいかない」

「し、白上さん・・・?」


 黒葉さんの言うことは本当なのか。

 オレを孤独から救ってくれた白上さんが、オレに何かよくわからない魔法を使っているというのか。

 黒葉さんは嘘をつくような人じゃない。だが、白上さんがよからぬことを企むなどあり得ない。

 けど、本当だったら。

 オレは、恐る恐る白上さんに問いかけた。

 白上さんは・・・


「ね、ねぇ伊坂君。黒葉さん、その、妄想癖とかあるの?」

「え?」

「なっ!?」


 理解できない存在を見るかのように、ちょっとヤバそうな人と関わり合いになりたくないといった、引き気味な感じでオレに聞き返してきた。

 その返しに、オレも黒葉さんも唖然としてしまう。

 だが、白上さんはなおも続けた。


「だって、伊坂君ってすごく強いでしょ?なんかすごいオーラというか魔力を感じるし。そんな人を操る魔法なんて使えないし」


 前に大アルカナの対策を話し合っているときに魔女っ子、否、黒葉さんから聞いたが、自分より格上を精神系の魔法で操るというのはほぼ不可能らしい。

 一応、かなり弱っているときなどは別だが、オレがそこまで追い詰められたのは『オレが覚えている限りでは』皇帝と戦ったときくらいで、そのときも黒葉さんが近くにいた。

 不意打ちでオレに魔法をかけ、『オレの意志を無視して』一方的に操ることなど、人間のプレイヤーどころか魔法使いのプレイヤーでもできないだろう。

 そして、このことは魔法に縁のなかった人間のプレイヤーであっても、その系統の魔法が使えるのなら知らないはずがないことだ。


「で、でも!!伊坂くんが何かの魔法をかけられていることは確かです!!」

「それはそうかもしれないけど・・・でも、私がプレイヤーとして伊坂君と話すのは今日が初めてなんだよ?伊坂君が戦ってるところも見たことないし」


 そもそも、プレイヤーになってからのオレは学校での授業以外、大半を黒葉さんと過ごしていたのだ。

 変身した姿を見せたのも、黒葉さん以外ではいない・・・はずだ。


「そもそもさ」


 白上さんは、そこでさらに根本から聞いてきた。


「伊坂君を操ってどうするの?こんな状況になってから聞くのはアレだけど・・・伊坂君、私とこれから協力して戦うのはOK?」

「全然平気だよ。むしろ大歓迎」

「伊坂くんっ!?」

「いや、黒葉さんも言ってたじゃない。『人間のプレイヤーはオレたちに嫌悪感を持ってるだろうから共闘はしない方がいい』って。そんな様子がないなら、3人で協力した方が安全じゃない?」


 あれは女帝と戦った後だったか。

 オレが人間のプレイヤーと協力することを提案したとき、黒葉さんがえらく反対していた。

 その理由は、人間のプレイヤーが人外を嫌うだろうから協力するどころではないというものだったが、白上さんにそんな雰囲気はない。

 もしかしたら、オレの両親のように人外に耐性があるのかもしれない。

 まあ、オレが変身していないというのもあるかもしれないが。


「・・・聞いての通り、伊坂君の力が欲しいのなら、普通に頼むよ。教室で一緒にいて、伊坂君がいい人なのは知ってるし。もし他人を操れる魔法が使えても、まずはそれを使わないでどうにかできないかジャブを打ってみるくらいはするかな。あ、一応言っておくけど、私の願いは『この儀式に周りの人が巻き込まれないようにすること』だよ。だから、伊坂君たちに叶えたい願いがあるならそっちを優先してくれていいよ」


 『周りの人を守るため』とは、なんとも白上さんらしい願いである。

 そして、白上さんが言うとおり、他人を操る魔法が使えたとしても、失敗する可能性の方が高いというなら、魔法なしで協力が得られないかカマをかけながら探るのは白上さんのコミュ力なら簡単だ。

 その成功率が高いことも、白上さんがわからないはずがない。


「ねぇ黒葉さん。白上さんもああ言ってるし、協力していいんじゃない?白上さんがオレを操るメリットだってないし」

「・・・・・」


 今までの話をまとめると、


① オレになんらかの精神系の魔法がかかってる疑惑がある。

② 黒葉さんはそのことで白上さんを疑ってる。

③ けど、白上さんがオレを操るのは現実的じゃない。そもそもあまりメリットがない。

④ 白上さんがオレたち人外を避けている様子はないし、協力した方がいいんじゃ?というか、個人的には是非という感じ。

 

 とまあ、こんな感じだ。

 オレに魔法がかかってる云々は黒葉さんが言うのならそうなのだろうが、少なくとも白上さんが犯人という線はない。

 なら、オレの個人的な希望を抜きにしても、いがみ合うより協力した方がいいに決まっている。

 まあ、人間不信の黒葉さんはすでにだいぶマイナスイメージが溜まっているようだから、ここから仲良くというのは難しいかもしれないけど。

 と、ここまで考えて黒葉さんに提案してみる。

 頭のいい黒葉さんのことだ。

 全面協力とまではいかないが、最低でも敵対するなんて選択肢は選ぶまい・・・


「やっぱり・・・」

「黒葉さん?」


 いつの間にか俯いていた黒葉さんが、ボソリと呟いた。

 よく聞こえなかったので、オレは聞き返そうとしたが。


「やっぱりおかしいよ!!伊坂くんは、ワタシと白上さんのどっちの味方なのっ!?」

「ええっ!?」


 突然、黒葉さんが叫んだ。


「おかしい!!おかしいよ!!おかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいなんでなんでナンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデなんで朱色にならないのこんなのおかしいワタシにも朱色の光を向けてよこんなの間違ってるやっぱりアイツが」

「く、黒葉さん・・・?」


 様子がおかしいなんてレベルじゃない。

 さっき、黒葉さんはオレに魔法がかかっていると言ったが、本当は黒葉さんに精神をかき乱す魔法がかかっているんじゃないかと思えるほどだ。

 そのあまりの凄まじさに、オレは思わず後ずさり・・・


「使わないよ」

「・・・・・っ!!」

「・・・白上さん?」


 今度は、白上さんが話し始めた。

 その言葉を聞き漏らすまいとしたのか、黒葉さんの独り言が止まる。

 正直さっきからのあれこれでキャパオーバーを迎えそうなオレは、黙って白上さんを見ることしかできなかった。


「例え、私に伊坂君を操る魔法を使えたとしても、その魔法を使うことがあったとしても」

「・・・・・」


 白上さんは、黒葉さんの眼を真っ直ぐ見ながら言った。


「誠二の・・・伊坂君の心を操るのにだけは使わない。絶対に」

「・・・・・」


 不思議な迫力があった。

 まるで、長年生きて様々なことを経験してきた威厳のある老人のような。

 その圧に押されたのか、黒葉さんは押し黙ってしまった。

 けれど。


「もしも、もしも私が伊坂君の心を操っているように見えるのなら・・・それはさっきの約束と同じ、キミの勘違いだよ。キミが見たい『色』が見えないのは、私のせいじゃなくて、『キミ』が原因だよ」

「っ!?」


 その言葉は一体どのくらいの衝撃を与えたのか。

 黒葉さんの眼が、大きく見開かれた。

 

「伊坂君。答えを教えてよ」

「へ?答え?」


 またも唐突に、オレにお鉢が回ってきて、マヌケな声が出る。

 答えとは、一体何のことだろう?


「伊坂君。キミは、私に騙されてると思う?正直に言ってみてよ」

「・・・オレは」


 黒葉さんが言った『オレは騙されている』という台詞。

 それを聞いて、その上でここまでの応酬を経て、オレは何を思ったか。

 オレは、チラリと黒葉さんを見た。


「伊坂くん・・・」


 その縋るような視線。

 あの女帝を倒した後、オレ以外の人間を信じられないと言ったあのときと同じ眼。


「・・・・・」


 黒葉さんを傷つけないようにするのなら、黒葉さんの味方であるべきだ。

 けれど。


「オレは・・・」


 けれど、オレは、オレを救ってくれた恩人で、オレの好きな人のことで。


「オレは、白上さんを信じたい。いや、白上さんになら騙されてもいい。白上さんがそんなことをするのなら、よほどの理由があるはずだから」


 オレは嘘をつきたくなかった。


「っ!!!!!!!!」

「く、黒葉さんっ!?」


 あっという間だった。

 昨日グラウンドで見せたときのように、全力で黒葉さんはオレの隣を走り抜けていった。

 バンッと扉を開け、そのまま廊下に飛び出していく。

 差し込む夕日に照らされて、宙に浮かぶ雫がキラキラと輝いた。


「黒葉さんっ!!」

「そっとしておいてあげなよ」

「白上さんっ!?」


 どう見ても尋常な様子ではない黒葉さんだ。

 もしかしたら、最悪のケースも考えられる。

 慌てて追いかけようとしたオレだったが、白上さんの声に立ち止まる。


「追いかけてどうするの?さっきの言葉は伊坂君の本心だよね?じゃあ、追いかけても意味がないよ。むしろ追い詰めるだけだと思う」

「それは・・・」


 そうだ。

 オレはさっき、白上さんのことで嘘をつきたくなかった。

 アレは紛うことなきオレの本心だ。

 オレの本心から飛び出した言葉が黒葉さんを傷つけたとしたら、そのオレが追いかけて一体なんの意味がある?

 オレは、白上さんの勧めるがままに立ちすくむことしか出来なかった。



-----


(クフフ・・・)


 白上羽衣の深層心理の中。

 そこに私はいた。

 そこにいる私に身体はない。

 しかし。


(クフフ、クハハハ・・・・アっハっハっハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハっ!!!!!!!!!)


 愉快だった。

 記憶はないが、生前を含めてここまで爽快な気分になったことはないだろう。

 口もないはずなのに、大声で笑えているという矛盾した感覚。

 それがどうしようもなく心地よかった。


(まさか、まさかここまでうまくいくとはなぁっ!!)


 この深層心理の中ではなにをしようが誠二にバレることはない。

 なにせ、誠二は契約で私が白上羽衣の意識の表層に出てこない限り私のことを思い出せないのだから。

 だが、今の白上羽衣はこの深層心理にいる私の思考をそっくりそのまま反映できるようになっている。

 つまり、私は誠二にいっさいバレることなく、白上羽衣に私の言葉を喋らせることができるのだ。


(『正義』の逆位置と『恋人』の逆位置・・・これが手に入ったのはこれ以上ない幸運だった!!)


 そのタネは、私が誠二とともに討伐した2体の大アルカナの権能だ。

 本来、私は誠二と結んだ契約により、白上羽衣に精神崩壊の懸念があるような過度の精神操作はできない。

 それは、仮に契約がなかったとしても同じこと。

 誠二に強い嫌悪を抱く白上羽衣に、無理矢理誠二に対してスキンシップを取らせようものなら、ショックで心が壊れかねない。

 だが、この2枚があれば可能なのだ。


(正義の逆位置は『不正』の象徴。これにより、契約違反であろうと私を止めることはできなくなる。そして、恋人の逆位置の意味である『誘惑に流される心』。これで、白上羽衣を非常に強力な催眠状態にできる)


 誠二と結んだ契約による縛りを不正ですり抜け、白上羽衣の誠二に対する嫌悪を、私に対する誘惑で上書きし、私の言うことに対して一切の疑問を抱かせず従わせる。

 まさしく悪魔のコンボと言えるだろう。


(まあ、リスクもあるがな。これで私がこれまでのように意識の表層に出れば、白上羽衣に契約を無視して何かしらの魔法を使ったと疑われる可能性もある・・・誠二には、私がどうにか嫌悪を宥めて一般人と同程度の反応ができるくらいにしているとは言っているから、今回くらいなら誤魔化せるだろう)


 バレるリスクは勿論あるが、今回白上羽衣に取らせた行動はそこまで誠二に対して好意的というほどでもない。

 このくらいなら、『白上羽衣の素の性格』と言えば納得させることはできるだろう。

 だが、今回のことはリスクを払ってでもやる価値はあった。

 想定外の危険もあったが。


(黒葉め。今代もあの女と同じ眼を持っているとはな)


 あのチビは、やけにしぶとかった。

 元々の予定では、誠二が白上羽衣と後夜祭に行くことに了承した時点で心が折れているはずだった。

 だが、誠二の反応や、白上羽衣の様子に違和感を覚えたのだろう。

 一時、正体をバラしてまで変身した上に誠二と結んだ契約の効果に気付かれたときは焦ったが、そのときに私もまた気付いたのだ。

 コイツも、あの女と同じ魔臓を持っていると。

 それが分かれば、逆手に取ることもできた。

 誠二が懸想しているのは白上羽衣。断じてあのチビが望む感情を浮かべることはないのだから。

 おかげで、最高の顔をみることができた。

 あの眼を持っているせいで、最後の誠二の言葉が真実であると、否応ナシに理解できてしまっていたに違いない。

 まさしくあのチビは墓穴を掘ったのだ。


(最後のあの泣き顔・・・クフフフフフフっ!!あれは、放っておけば確実に自害するだろうなぁっ!!)


 唯一心許せる王子様が、他の女に騙されてもいいと思えるほどに惚れ込んでいるという事実。

 それを直視してしまった以上、あのチビにもう心のより所はない。

 絶望に染まり、惨めに、無様に涙を流しながら逃げ去った先で選ぶのは、まず間違いなくこの世界そのものからの逃避だ。

 あの女の末裔にして、誠二に粉をかけようとしたチビを己の策で追い詰め、想い人である誠二にとどめを刺させた。

 そうして、この世から消えていく。

 それが、愉快で愉快で仕方がなかった。

 まあ・・・


(不満もあるがな。誠二は、あのチビが魔法使いであることは知らなかったようだが、魔法使いとしての姿とはずっと接触していた。そしてそれを私に報告しなかった。誠二が白上羽衣を選んでとどめを刺したようなものだからまだいいが・・・そこは気に入らん)


 誠二は、どうやらしばらく前からあのチビが変身した姿の護衛をしていたようだ。

 どういう意図があってそうしていたのかは、後でじっくりと問い詰めねばなるまい。

 まあ、あのチビは消えるのだから、それに免じて加減はしてやるか。


 あのチビを追いかけようとして、しかし己こそが傷つけた張本人であるとの自覚からただ立ちすくむことしかできない誠二を見つつ、独りごちる。

 しかし、これからどうするか。


(・・・そうだな、折角だ。どうせダンスの心得など何もないに違いない誠二に本場欧州仕込みのステップを教えてやるのもいいだろう。このまま後夜祭に行くとするか)


 これまで身体を借りた魔法使いの記憶から、ダンスの知識は豊富に持っている。

 ここまで来たのなら、将来の白上羽衣との恋路のためにも一手教授してやるのもいい。

 元々そう約束していたのだ。それで今の私の状態がバレることもないだろう。

 そう思った私は、誠二に話かけようとする。


「おい・・・コホンっ!!ねぇ、伊坂君。黒葉さんのことは残念だけど、ひとまず閉会式に・・・」


 そのときだった。



--オオオオオオオオオオオオオオオオッ!!



「っ!?」

「なっ!?」


 唐突に、世界が紅く染まった。

 それと同時に、今回の儀式で感じたことがないほどの強力な魔力も。

 いや、私はこれを知っている。


「まさか、『塔』だと・・・」


 この力の大きさは間違いない。

 そして、それならば私、いや私たちが取るべき行動は明らかだ。


「誠・・・伊坂君!!ひとまず隠れよう!!様子を伺って、奇襲を・・・」


 誠二と協力し、私の権能を使っての奇襲。

 それしか勝ち筋はない。

 なにせ、この『塔』は権能を解放していたとしても『死神』との相性は最悪だ。

 白上羽衣を選んだ誠二ならば、他ならぬ想い人を守るためにもそれを選ぶことしかあり得ない。

 だと言うのに。


『黒葉さんっ!!』

「え?」


 黒い鎧が、オカ研の部室を飛び出していった。

 さっき、無様に逃げ去ったあのチビのように。

 

「誠二・・・?」


 想い人であるはずの、白上羽衣を置いて。

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