第30話 首輪と手綱
突き当たったコンクリートの壁。しかしそこには、見えない境界で区切られたように生活の跡があった。
キャンプ用の折り畳み椅子、テーブル。電気ランプ。飲み終わったペットボトルや酒の瓶、スナック菓子の空き袋などなど。
エアベッドまである。男は呑気にもその上に寝転び漫画を読んでいて、現れ続けた化け物が二体、立ちはだかる。
だがそろそろ数も限界のはず。ゴタゴタで士車は刀を二本棄てざるを得なくなり、菊入もバックアップに腰に差してあった消音拳銃に装備を切り替えた。メインウェポンが弾切れだ。
そろそろ決着をつけないとマズイ。
「え...マジで?」
「大マジです。少々手こずりましたが、もう袋の鼠。最終警告です。」
「大人しく投降してください。」
「はぁ...しゃーない。」
「わかった....よっ!」
両手を上げるフリ、男はゆるい袖口から二つなにかを投げて地面に落下させた。木でできた、得体の知れない偶像を象った彫刻だ。
表面には固まった血液が付着している。そして男はなにかをブツブツと唱え始めた。
すると最後に残った二体の化け物はだらりと上体を垂らし、うつむく。さらに肉体が不気味な変質を遂げた。
「痛っつ...これで殺れなきゃ後がねェー...頼むから避けないでくれよ。」
背丈は縮小したが、ゴム質の真っ黒な肌が全身を覆い、黄色かった目は肥大して赤く。飛び跳ねるため逆に曲がった関節も人間のそれと同様に変わった。
ぱっくりと裂けたような幅の拾い口には鋭く尖ったギザギザの歯がびっしりと生えている。それだけならまだよかった。この変質は、単なる衣替えじゃない。
化け物の姿が、空間に溶け込む。徐々に身体が透明になっていって、奥でパシパシと掌で自身の額を軽く叩く男の輪郭が透け、顔が透け、服の模様が透けて見えてしまった。
「透明化...厄介な。」
「名厨君、少し下がって救援を呼んでください。今から繋ぎます。」
菊入が取り出したスマホ。誰かに発信中のそれを僕に投げ渡す。慌てて受け取るが、かけている相手の名前に見覚えはない。
「ウシミツ...ヒツジ?」
「
「一言伝えればすぐに援護してくれます。君が歩いて呼びに行く必要はない、早く行ってください。」
「でも二人は...!」
「食い止めるよ。ナメんな。」
「そういうことです。たかが伝達、それくらいの時間は稼げますよ。」
「....わかりましたッ!」
背後で響く銃声、化け物の鉤爪と刀がぶつかり合う音を聞きながら、不安と共に踵を返してダッシュ。早く加勢に戻りたい気持ちを抑えて曲がり角に身を隠す。
今のところいいとこ無しだ。だからせめて、使いっ走りくらいには役に立ってみせる。
暗闇の中で視線を落としたスマホの画面には既に通話中の文字が出ていた。急いで耳に当て、ダルそうに響いている声を聴く。
『もしもーし。あ?もしもーーし。』
『もしもーーーし。チッ、呼ぶんなら早くしろよ....あと三秒ォ。さーん。』
「待っ、待ってください!救援を!救援をお願いします!」
『ん?菊入じゃねぇのか。あーあー、もしかしてあの459人殺しの高校生?』
「それ今言わなくてもいいでしょ...!?とにかく早くお願いしますよ...!」
「二人が今、見えない化け物を必死で押さえてくれているんです!アンタと話してる時間なんてないんだ!!」
『...大丈夫。救援ならもう送ったから。それと、二人に避けるよう言っとけ。』
『巻き込まれるぜ。』
「送った...?」
ここまで進んできた道程、その遥か後方からやってくる風を切る音。速度を落とさず接近したそれは、スマホを手にしたまま固まっている僕の目の前でいきなり静止した。
懐中電灯は手放してきてしまった。スマホのライトを起動し、目の前にあるそれを照らす。
銀色をした、先の丸い円錐形の小さな粒々。銃弾の弾頭部分だけが宙に浮かんでいた。
『俺のこと、不破から聞いてねぇの...?』
『まあいいや、通話繋げっぱにしとけ。お前の指示が通ったらこっから発射するから。』
「これは...これもクロム魔術...!?」
『早く行けよ...二人が危ねぇっつったのテメーの方だろが。』
スマホと刀を握ったまま、二人の元へ走って戻る。見えてくるランプの光に照らされた狭い空間で、不可視の敵に何とか食らいつき防戦を展開する二人。
僕はトンネルの壁に背中をくっつけて、二人の隣へ到着する前に声の限り叫んだ。
「伏せてくださいッ!!」
「弾が飛んでくるッ!!」
二人は同時に離脱し、膝を曲げて姿勢を低くした。依然二体の化け物は目に見えず、追い詰めようとヒタヒタ迫る足音だけが聞こえる。
そこへすっ飛んでくる、六つの銃弾。その軌道は曲がる、いや、それどころじゃない。
メチャクチャな方向に動き回りながら、透明な化け物がいる空間を撹拌するかの如く飛びまくる。翻弄、蹂躙。噴き出す鮮血によって、徐々に隠れていた姿が露わになった。
それでも丑三の攻撃は止まない。弾丸は威力を失わないまま、蜂のように飛び回り化け物の身体を何度も、何度も貫き続けている。
かすかな呻き声すらも消え失せ、透明化もあっさり解除。ついに肉の塊と化したその中空で、血を纏い回り続ける弾丸。
『おい、名厨 隼斗。菊入に電話代われ。』
「は、はい!」
『ソイツ、どうする?』
「生かしておいてください。この男には聞きたいことが山程ある。」
『了解。もう帰っていいか?』
「どうぞ。」
電話が切られると、弾は元来た道を飛んで戻っていった。そして、菊入は膝をつき落胆している男の拘束を始める。
無用の長物となった刀を融かし取り込んでいると、爽やかな笑顔を浮かべる士車が近づいてくる。
何をしてくるかと思えば、パーに広げた片手を挙げてこちらに向けた。
「え...?なに?」
「ハイタッチ。お疲れ。」
「あ...」
「...うん!」
「お疲れ様です。では、そろそろ行きましょう。私は帰って報告書を書き上げないといけないので。」
「二人はゆっくり休んでください。」
それに応え、手を打ち合わせる。男の腕を縛り上げ連行している菊入は、僕達に早く出るよう促した。
ただでさえ居心地の悪い場所、加えてここまでの激闘、情報量の多さ。終わったという実感と共にどっと疲れがやってくる。
しかし先程までにはない、謎の充足感が重くも妙に軽やかな足取りに宿った。
あれは、役に立てたと言っていいのだろうか。ただ呼び出しを代行して、一言警告しただけだった。
けど、それでも。二人はそんな僕に労う言葉をかけてくれた。素直に嬉しかった。
なにかを背負って、気負って、抱え込んで戦うために、自らを卑下する気持ちや雑念は邪魔物なんだ。
持っているネガティブを力に昇華すること。それが僕にはできていない。痛みや暴走する感情を除いては。
もっと誰かのために戦いたい。協力して、自他のために普通を勝ち取りたい。
僕は、強くならないといけない。半端な気持ちで来てろくに動けなかった、今回のようなことがないように。
「センセ~。飯食って帰ろ。」
「奢りませんよ。」
「わかってる。名厨も来い。」
「お腹は空いてるけど...食欲はないなぁ...」
「あんなの見ちゃったら...」
「いいから。初任務成功を祝いたい。」
「行こう。センセーも。」
「...仕方ないですね。ただ、この犯人を本部へ届けてからです。」
男を引っ張り上げながらマンホールから出た僕達は、本部への引き渡しを終えてからささやかな祝勝会へと向かった。
場所は中華料理屋。士車はいろいろ注文して黙々と食べていたが、僕はエビチリを少し食べたところで先刻の光景を思い出し、箸が進まなくなってしまった。
やっぱり、まだまだだ。殺人ショーをやってた頃とまるで変わってない。
誰かをバラバラにした後で、肉料理くらい平らげられるようにならないと。自己中心的な倫理を持って、守りたい人間を守る。
それができなければ、課員なんてものはきっと務まらない。
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