第1話【多重人格】

         2025/01/22


『1日書くのをサボってしまった。バイトもあったし、しょうがないか。書きたいことは色々あるんだが、今日は何について書こうかな』


 男言葉の似合わない少女――晃は今日も日記を書く。

 圧倒的虚無を心臓に隠し、黙々と言葉を紡いでいく。


 死にたい。生きたい。俺を見てくれ。

 ……俺の心に触れてくれ。

 

 空っぽになった心の内には、今日も叫ぶ言葉がある。


 それこそが彼を繋ぎ止める、たった一つの鎖である。


 男の人格の1人である晃は、今日も絶望した心の内を、手元の日記に書き表していた。


『ああ、そうだ、あれを書こう。俺が自殺願望を肯定した後の、親友とのメッセージでの会話。』


 晃はふわりと脳裏をかすめた、あの日の記憶を想起していた。


『たぶん、あの会話の本質は、俺と親友との違いだった。……いや、もっと言うなら、多重人格か否かの違いだった。』


 ♤♤♤


 俺は、あの日に死のうと思った。


 5階の教室からベランダに出て、ぴょんっと飛び降りて死ぬはずだった。


 でも、その日はバイトがあった。

 だから、結局死ななかった。


 その日の夜、親友に「死のうとしてるなら考え直してほしい」と言われ、そして俺は踏みとどまった。


 メッセージで親友はこう言った。


「生きるのが辛いから死にたいの?」


 俺は、表現に困り言い淀んだ。


「まあ、そうとも言える」


 そして一言、

 

「生きる理由も無いからな」


と答えた。


 俺には生きる理由がない。明日を生きるエネルギーが。毎日を生きたいという生の欲求。希望や欲望、やりたいこと。


 いや本当は、無いわけじゃない。そんなこと俺が1番よくわかっている。


 美味しいものを食べたい。綺麗な景色を見たい。好きな人がほしい……。そんな、ありふれた生きる希望。


 俺は、きっともっとたくさんの願いを持っている。いつかこれを実現したいと、希望を寄せて生きていた。


 でも、それは突然奪われてしまった。

 自分自身。それでいて他人な、この身体の他の人格たちに。


 俺は絶望や理不尽に耐えかねて、それから逃げようと自殺を考えた。


 親友は暫く経ってから、こう言った。


「晃だけが死にたいんなら、晃が消えればいいんじゃない?」


心臓がざわりと撫でられる。

 

「お前は多重人格で、1人消えても大丈夫なんだから」


♤♤♤


 晃はペンを動かすのをやめ、疲れたような顔を見せた。疲れたと言うにはひどく残酷な、悲しみを抱えた表情だ。

 晃の手元にある日記には、書きかけの言葉が残されていた。


『親友は俺にそう言った。俺も、その通りだと思った。確かに俺だけが消えればいい。この体さえ生きていれば、他の人格が代わりに生きていくから。でも、』


 その文の続きを書くことを、晃は少し躊躇っていた。


 別に、書かなくても良いような一言。

 自分の暗い部分に踏み入る一言。


 それでも、晃の本質を語るにはベストな言葉だ。


 晃はとても迷っていた。


「……」


 10秒ほど経った頃。

 生気の無い死んだ表情に、少しの決意が入り交じった。


「……まあ、いいか」


「体さえあれば、他の人格がその体で生きていく」、そんな内容が書かれた文を一瞥すると、晃は黙ってペンを取った。


 晃は「でも」という言葉の後に、


『俺を裏切ったあいつらを、どうして生かさなきゃいけないんだ?』


 彼の指に、あるいは体には、もうほとんど力は入っていなかった。


 迷いを表したかのような弱々しい文字で、ノートには悲しみの記録が残された。


「っ……うっ、あ……っ……!」


 晃は今日も1人で泣いた。


♤♤♤


 1月某日。コンビニエンスストア内。


 あ、やばい、泣く。こらえないと。


「うっ……あ……あ……!」


 あれ……?


「っあ……」


 何だこれ。涙が止まらねえ。

 あ、親友がこっち見てる。泣き止まないと。迷惑かける。あ、どうしよう。親友こっち来る。どうしよう。


 そうだ、下向いて隠せば……


「あ……ああ……!!」


 ……あれ?


「うあああっ……!」


 なんで?


「あ、あああああ! はあッ、はあッ、はあッ!」


 立ってられない。体に力が入らない。息が吸えない。涙止まらない。


 死ぬ。死ぬ。死ぬ。


 誰か、助けて。


「はあッ、うああ、はあッ、はあッ、はあッ!!」

「大丈夫? 立てる……無理か。一旦外でよ? よし、行くよ?」

「はあッ、はあッ、はあッ!」


 ああ、もう、俺はダメなのか。

 親友に連れられてコンビニから出る。


 何が起きたか全然わからない。


 ……ああ。うん、そうか。

 俺ついに気が狂っちまったんだな。






 

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