死にたい俺の生存日記

宮瀬優樹

プロローグ【俺が日記を書こうと思ったわけ】

       2025年1月20日


『今日から日記を書こうと思う。誰に宛てるわけでもない、ただの日記だ。毎日書ける自信も無いし、書く気力も湧かないかもしれない』


 シャッ、シャッ、シャッ。

 はっ、はっ、はっ。


 荒々しくペンを走らす音。

 それとは対照的な震えた吐息。


 何かに苛立つようなペンの音に、少女の怒りを僅かに感じる。

 生気が失せた儚い吐息に、少女の絶望を垣間見る。


 誰もいない彼女の部屋に、二つの音が反響していた。

 

 黒みがかかった茶色い髪。

 淡雪のような純白の肌。

 人形のような華奢な肢体。


 少女は日記を書いていた。


 心を震わせ息を震わせ、少女は何かを叫んでいた。


 はっ、はっ、はっ。

 シャッ、シャッ、シャッ。


 弱く、低い彼女の吐息。

 しかし、けしてペンは止めない。


『書けない日だって、あるかもしれない。でも、できるだけちゃんと書きたい』


 綺麗な茶髪が顔にかかる。

 苦しげな目付きで日記を見つめる。


 シャッ、シャッ、シャッ。

 はっ、はっ、はっ。


 彼女? ……いや、この声は――


『文章を書く。その行為は、が唯一愛するものだから。』


 はっ、はっ、はっ。

 はっ、はっ、はっ。


 日記が一段落したのだろうか、弱った吐息に言葉が乗った。


「っ、はあ。あーあ、死にたいなあ……。誰か殺してくれないかなあ」


 ドスの効いた低音ボイス。


 少女が放った絶望の声は、どちらかといえば男性のそれだった。


 少女にしか見えない彼は、ペンを持ち少し書き添えた。

 

『いつか、俺が死にたい理由が、それが無くなったら嬉しく思う』


 少女は再びペンを置くと、やっと、息を整えた。



 ♤♤♤



「『一ノ瀬。勘違いだったら恥ずかしいんだけど、死のうとしてるなら考え直してほしい』」


 多重人格である俺、晃が日記を書こうと思ったきっかけは、元・親友のこんな一言だった。


「『自分、まだお前に恩を返せてない。それで終わりになっちゃうのは、あまりに不甲斐なさすぎる。損得勘定とか関係なく、一ノ瀬には生きていてほしい』」


 急に送られてきたメッセージ。

 ストレートに綴られた、たくさんの文章。

 必死に自殺を止める言葉の数々。


 ……なんだよ、これ。


 最初に持った感想はそれだった。


 俺は既に人間不信だったから、親友の言葉に裏を感じてしまったんだ。


 いや、感じたはずだったんだ。

 

 ……まるで、今でも親友みたいじゃねえか。

 お前、俺のことまだ好きなの?


 俺と親友と人格の話は、こんな歪んだ最底辺で始まる。


「…………」


 メッセージアプリに表示された言葉。

 最初の文章をリプライする。


『別に勘違いじゃない』


 俺は親友にそう返した。


『勘違いじゃ、ないよ』


 理由も明かさずに、ただそれだけ。


 それ以上は、どう言えばいいかわからなかった。




 俺の親はいわゆる毒親で、束縛や過干渉が酷かった。


 寝る時間、服装、交友関係。俺の将来に人生のこと。


 ありとあらゆるものに口を出し、上手くいかなければヒステリックを起こした。


 ああ、自分ってお人形さんなんだなって思ったのは中3の頃だった。


「ああ、本当に可愛いね」

「ああ、本当にいい子だね」


 確かに自分は華奢である。肌も白くて、髪は茶色で。欲しい人からすれば羨ましいほど、女の子っぽいものがよく似合う。

 確かに自分は真面目な方だ。成績も首位争いをするくらいだから。


 確かに自分は。確かに自分は……?


 ……だから、期待されてもしょうがない?

 ……だから束縛はしょうがない?


 いつか、ふとそう思った時、俺は親の狂愛に気づいてしまった。

 

 すごく、すごく苦しくなった。




 喧嘩で決別した親友は、きっと、すごく寂しがり屋だった。


 俺と居るのが楽しくて、攻撃的な性質を出してしまっただけだ。


「やめろってー! 痛いっつーのー!」

「えー、これで痛いとか雑魚すぎやろー!」

「親にも殴られたことないのによー!」

「「あはははは!!」」


 そう。


「痛い痛い、ちょ、足踏むなって」

「んー? へへ、何のことー?」

「なんのことって、あのなぁ……」

「自分はちょっと体重かけてるだけよ」

「全員ちょっとどころじゃねえなあ」

「バレた?」


 一緒にいると楽しい。


「うっ……痛い痛い痛い!! やめ、っ、ああっ!!」

「あー、反応おもろいなあ」

「お前……ガチでふざけんなよ」

「いやー、でも面白くてやっちゃうんだもん」

「……はあ? ヤバいやつじゃん……。あ、これ親が好きなやつだ。買って行ってあげよっと」


 楽しいから。


「一ノ瀬ー!」

「っ……」

「え、なにー? どうかしたん」

「あ……、何でもない……。てか今日親の誕生日なんだよ。なんかプレゼントあげたいんだよね」

「へえ……」


 おかしい。


「でさー」

「っ!!」

「……は? え、殴られると思ったの? だるー!」

「……ごめん」

「ガチでクソ雑魚やなー」


 おかしい。


 いつからだろう。親友にまさか殴られると思って、身構えるようになったのは。


 すごく何気ないただの動作に、怯えるようになったのは。


 そして。


「一ノ瀬。自分、お前とはもう親友じゃ居られない」

「……え?」

「お前が多重人格かも疑ってる。親が毒親でー、とか、多重人格でー、とか、1年自分のこと騙してたんだろ? 結局親のことが大好きで、依存してるだけのくせに。てか、もし多重人格が本当だとしても、心が弱いから多重人格になったんだろ? ふっ、それってお前のせいじゃん。多重人格大変だわー、とかさ、何被害者ヅラしてんの? 自分が家族関係で苦しんでるの知っててさ、自分も同じだよって言ってたのにさ。それもこれも嘘だったんだ? もう、お前信用できない」


 何もできずに日常が壊れた。


「ちが、俺はそんなつもりじゃ……。お前だって暴力振るってきたりしただろ、俺も信用できないって……!」

「まあ、それはそうだわ。そこはゴメン。まあ、お前のこと疑い出すにつれて、そういう扱いになってったんだろうなあ……」

「……結局、俺が悪いのかよ……?」


 俺は、親友を失った。

 もう、俺の友達は、他の人格しかいなくなった。


 自分が生きてるか死んでるのかさえ、だんだんわからなくなってきた。


 

 この身体に住む他の人格には、やっと再生した親友との友情を壊された。


「なんでそのことアイツに言っちゃったの? あーもう絶対言いふらされるじゃん。学校に居場所なくなるんだけど……。え、自分言うなって言ったよね?」

「……ごめん。『颯』がやっちゃって」

「……誰がとか関係ない。もうお前らの信用マイナスだわ」

「……っ」


 俺は情報漏洩で信用を失った。


 正確には俺じゃない他の人格によって、信用をマイナスまで下げられた。


 喧嘩を経てやり直した友情は、ついに、完全に壊された。


 俺には訳がわからなかった。


 理不尽すぎて、もう無理だった。


 他の人格を信用していいのか。

 俺1人で生きていくべきじゃないか。


 親も、親友も、自分自身他の人格も、もう、何も信じられない。


 ああ、これって俺のせいか?


 俺の思考力は落ちに落ちた。



 俺たち人格は、1つの身体をシェアして生きる。

 だから、周りから見れば同一人物だ。

 

 しかし、1人の人格である俺からすれば、「他人のせいで自分の人生を壊された」、という感覚にしかならなかった。


 ああ、自分の中に危険な人間が住んでいるというのが恐ろしい。


 いつか、またこいつらに人生を壊されるんじゃないのか。


 また、全部奪われるんじゃないか。


 信用してきたものを全て失い、俺は、ふと思ってしまった。


「……ああ、死にたいなあ」



 俺は、1月のある日に自殺しようとした。


 

 俺は、きっと本当は、自殺を止めて欲しかった。親友か、先生か、誰でもいい。誰かに構ってほしかったんだ。


 でもそれを言うことはできなくて、その日、学校から飛ぼうと思った。


 迷って、迷って、結局やめた。


 バイトに行かないと。そう思った。


 そして、今、親友からメッセージが送られている。


 きっと、親友に自殺しようとしたのを見られていたんだろう。


 親友に構ってほしかったから、学校で飛び降りようとしたのかもしれない。


「『生きていてほしい』」


 親友はそう言った。


 その一言が。

 君の想いが


 俺の胸には、強く響いた。


 どれだけ裏切っても優しくしてくれる親友が。

 人格の1人であるあきらを唯一見てくれている親友が。


 その存在が暖かくて、嬉しくて、もう訳が分からないくらいたまらなかった。


 静かに泣いて、泣き続けて、ああ、死んじゃいけないかもなと思った。


 俺を求めてくれる人がいるなら、まだ、死んじゃいけないかも、と。


 でも俺はいつでも死にたがりだ。

 どう頑張っても死を望んでしまう。


 だから、俺は生きる理由がほしくなった。


 そこで、思いついたんだ。


 そうだ、いつか、日記を書こう。

 

 死にたくなった時も大丈夫な、希望を持てる幸せな日記を。

 楽しい思い出を振り返るような、過去と未来の思い出日記を。


 そうすればきっと、毎日生きたいと思えるはずだ。

 

 今は、少し休憩しよう。

 俺は、生きていたいから。


 何日かしたら始めよう。

「生きたい」を支える素敵な日記を。


「……ははっ」


 俺は笑った。

 

 いや、そんなん無理だろうな。


 希望を毎日綴ってくほど、俺は元気な人間じゃない。

 せいぜい書けても2,3行。空元気の文字が浮かぶだけだ。


 じゃあ、暗い感情を書き連ねるか?

 

「……まあ、それでもいいか」 


 これは、どうしようもなく死にたい俺の、ゴミを吐き出す日記になるだろう。

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