第3話 奴隷戦車と呼びますね

 四方八方から銅鑼ドラが響く。合間に大勢の声、馬のいななき、金属の衝撃音。溢れ出す。まるで騒音のパレードだ。

 暗闇に落ちていた意識を取り戻して、慌てて立ち上がった。僕は坂の途中に居た。周囲は草原のようだが、黒煙が立ち込めていて視界はあまり良くない。鼻がツンとして焦げ臭かった。

 ――ここはどこだ?

 何かに巻き込まれたという実感だけはある。そしてこの場所が僕の安全な子供部屋テリトリーではなく、一年三ヶ月ぶりの外の世界なんだということも。

 

 すぐに不安が脳を支配して、心臓が締め付けられる思いがした。駄目だ、周りの喧騒につられて取り乱しそうだ。次に何が起こるのか予測できない。現状の把握が圧倒的に足りていない。とてつもない不幸が降りかかりそうで怖い。

 ――嫌だ。嫌だ。嫌だ。ママ助けて!

 普通に高校生活を送れていれば、こんな目にも合わなかった筈だ。僕の十数年という人生は、振り返れば後悔する事がとても多い。今回も、誰にも知らさず知られずに、とんでもない所に来てしまった可能性がある。


「誰かいませんか? 誰か――! 助けて――!」


 叫んではみたものの、あまり意味があるように感じられなかった。僕の祈りのような助けを呼ぶ声は、色々な音に邪魔をされて、たいした距離を稼げない。

 部屋着のままで、僕は、見慣れない風景の中に放置されていた。

 

 暫くすると、どす黒い煙の中から、それは勢いよく飛びだしてきた。すぐに認識できたのは、女性を一名含む横一列に並んだ三人組だという事だった。荷車のような物を必死の形相で引っ張っている。僕は、かれそうになってしまい、後ろに大きく跳んで尻餅をついた。


 ――うわ、危なかった! 

 荷車は少し離れた後、黒い煙を散り散りに引き裂いて止まった。横滑りを伴う急停止をしたせいで、地面に大きな車輪が食い込んでいる。

 荷台にあたる部分に騎士の姿をした女性が居た。信じられないけど、トンネルの中で手招きしていた人物だ。相変わらず長い髪が邪魔をして表情が分かりにくいが、僕を見る目が鋭く光っていた。

 ――たしか……名前はカティア。何とか書記のカティアだ。これって、夢じゃなかったのか!

 カティアは荷台から軽やかに飛び降りた。鎧の重みなど無いような身のこなしだ。

 

「イッヒッヒ! バースの大地へようこそ! おい、こら! どこへ逃げる気や!」

「ええ!? 逃げてない逃げてない! そもそも訳が分かってない!」


 カティアが向かってくる。視界が悪そうなのに確かな足取りで――。なのに僕は身構えず、妙に冷静になって、頭の隅から古い情報を引き出した。

 飛び降りた荷車が放置されている。映画で観たことがある形だった。青カビが生えたような金属の質感がしていて、車輪の軸から三角錐の突起が飛び出している。どうしてあれを、荷車だと思ったのか。あれは、戦場を走る戦車ではないのか?

 戦車は動力として馬を何頭か連結させるはずだが、代わりに人間が鎖で繋がれている。

 ――奴隷だ。

 僕は唾を飲み込んだ。戦車を引っ張る三人の奴隷が、次の被害者をあわれむ目で見ている。僕はもう、逃げれないと思った。


 カティアは、鎧の上に青い外套を羽織っている。相当な値段がするだろうということは、色艶を見ていたら何となくわかる。その外套の隙間に手をやると、カティアは一枚の黄ばんだ紙を取り出した。


「ほれ、お前の契約書や。よく読んで」


 鼻先に出された契約書なる物は、近すぎて読むことが出来ない。きっと僕は、物凄い寄り目になっていると思う。

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