第百七十九話 因果

永禄五年弥生(1562年3月)

近江国朽木谷



 こうして動き出した三好家と六角家の一大決戦。

 天王山と丹波路に抑えの兵を置き、一万五千となった六角軍は渡河を開始。南へ進路を取り、飯盛山城を目指した。


 これを早々に察知した三好軍本隊も一千を残し、川を渡る。というより、五千は南側で活動していたし、本隊に残っていた二千ほども秘かに川を渡っていた。つまり三好家は六千程度が渡河するだけたった。その分、動きは速い。


 既に渡河を終えていた三好軍七千の先遣隊は一部は飯盛山城に入り、大部分は北東側の山中へと潜んだ。六角家としては、三好軍本隊を引きずり出す作戦と考えているのだろうが、虎口に入り込んだのは六角軍と言えるだろう。


 俺は、あらましを聞いているからそう思えるだけで、当事者だったら方法はこれしか無いと思い込んでいたはずだ。


 本気で飯盛山城を落とす必要はないし、三好軍本隊と戦いやすい地で決戦に持ち込めれば良いのだから。同数同士の決戦なら、勝ち目は単純計算で五分に近い。

 座していれば負けが濃厚。そこに見える勝ち筋。掴みにいかない手は無い。


 ただし、この状況を作り出したのが相手の三好長慶さんでなければ、という言葉が付く。そうなるように仕向けた長慶さんが、勝敗を運に任せるわけもない。おそらく、先遣隊の一部と合流した飯盛山城の長慶隊、北東の山に潜んでいる先遣隊、西から来る三好軍本隊六千で鶴翼のように包囲するのだろう。


 俺なら三好軍本隊を先にぶつけ、飯盛山城から長慶隊を打って出る。一度弾き返されて、油断させたところに伏兵の先遣隊が背後から襲う。混乱したところに、もう一度長慶隊が側面から攻撃。これで三好家の完勝となるだろう。


 俺の予想は予想と言えるほどのものではない。そう動くように長慶さんが盤面を支配していたのだ。六角家は戦う段階で既に負けていることになる。

 この状況になれば、三好軍本隊の心配はいらない。


 細川・伊勢連合軍を相手取る俺たちは、飯盛山城からの狼煙を合図に仕掛ける。早めに攻撃してしまうことで、六角軍が安全策を採って退いてしまわぬように。


 細川・伊勢連合軍は千五百。梅津城に籠っている。こちらは香西さんたちを含めても千三百ほど。若干、数で負けているが、主力の細川勢は香西さんや三好兄弟がいなくなっていて経験豊富な指揮官が少ない。寄せ集めの軍隊であるから、さほど怖くない。これは、細川のおっさんが普門寺に幽閉されるきっかけとなった戦いで分かっている。その時の細川勢は、三好軍に簡単に蹴散らされていた。


 だから幕府軍の戦いも難しいものにはならないだろう。順当に進めば幕府軍が勝てる。もっと言ってしまえば、包囲しているだけでも問題はない。三好軍本隊が勝てば、細川・伊勢連合軍など物の数ではないのだから。俺らは細川のおっさんと伊勢貞孝を逃がさなければ良い。任された目的は正にそれで、城を落とすのは彼らを捕まえるためなのだから。


 仮に細川・伊勢連合軍が手強ければ、我攻めせずに包囲する予定になっている。和田さんや光秀くんの見立てでは、そんなことにはならないらしいが。



 ――――そう、長慶さんを起点とした三好軍本隊の戦いを見守っていれば問題は無いはずだったんだ。和泉戦線でも。



 当初は三好軍本隊と同じタイミングで仕掛ける予定だった三好実休軍。しかし、長慶さんの策略で無理に仕掛ける必要はなくなっていた。


 なのだけれど……、三好実休軍は、飯盛山城での決戦を前に開戦してしまった。

 後に聞いた話では、三箇城で討死した三好政成。この人物の家に連なる一族の者が仇敵を前にして我慢できずに仕掛けてしまったのだ。


 どうやら先陣の篠原長房隊に所属していたようで、無断での出撃らしい。半年以上も敵と対峙し、緊張と士気を維持してきた。そもそも本隊の動きに連動して仕掛ける予定だったのもある。それに騙し討ちのような三箇城の襲撃。長慶さんの策略が実る前に、張り詰めていた糸が切れてしまったのかもしれない。


 正直、理由を知りたいと思っても当人は既に死んでしまっているので聞けない。彼の軽率な行動で実休軍は全面決戦に突入してしまったというのに。先陣を受け持っていた篠原長房隊から飛び出た彼の軍勢は、敵第一陣の安見宗房隊に襲い掛かる。すぐに救援に動いた篠原長房隊。実休さんは彼らを見捨てることは出来なかったようだ。


 当初から数で劣っていたのも理由にあっただろう。篠原長房隊を失っては和泉戦線は崩壊する。そうなっては長慶さんの策略が完成しなかったかもしれないし、飯盛山城決戦で勝っても、救援まで持たないという判断だったのかもしれない。


 最終的に三好実休軍全体が戦へと突入していった。



 最初は先手を取った篠原長房隊が優勢だった。一刻以上も戦闘を続け、第一陣を突破。篠原長房隊は足を止めず、そのまま第二陣の遊佐信教隊に突きかかる。


 勢い頼りだった篠原長房隊。

 一刻以上も戦い続ければ、疲労困憊だ。敵陣真っ只中で足が止まる。

 篠原隊にこれ以上、突破する力は無い。そう見て取った第三陣の湯川直光隊は篠原隊の後ろに回り込もうとする。


 実休さんは、篠原隊の危機を救えとばかりに中軍だけでなく右翼、左翼にも突撃を命じた。敵の第一陣は壊滅状態だったし、第二陣も篠原隊に掛かりっきり。第三陣は篠原隊の側面を突こうと、自分の側面を晒している。

 総攻撃を仕掛ければ、敵勢を壊滅させるのは時間の問題だった。


 おそらく、そういう読みだったんだろう。本陣である後詰部隊を残して、畠山勢に総攻撃を仕掛けた。そして、その読みは当たった。三好実休軍は戦いに勝利する目前まで行ったのだ。


 実休さんの本陣は、攻め込んでいく自軍を見守っていた。どんどんと押し込む自軍。それとともに本陣との距離が遠のいていく。



 そこへ……、銃声が響き渡った。一部の根来衆が手薄になった実休さんの本陣を銃撃したのだ。弾丸は馬廻りを薙ぎ倒し、実休さんにまで届いてしまった。

 和泉戦線総大将の死。ほぼ勝ちを掴みかけていた三好実休軍は壊乱。飯盛山城方向へ逃げていった。


 ……時系列を辿っていくと和泉戦線が崩壊した時刻は、三好軍本隊が飯盛山城決戦の勝鬨を上げていた丁度その時だった。



「草カラス 霜又今日ノ日ニ消テ 因果ハ爰ニメクリ来ニケリ」

(草枯らす 霜又今朝の 日に消えて 報いのほどは 終に逃れず)


 これは実休さんの辞世の句。何の因果かこの戦いの前夜に詠んだらしい。

 辞世の句にもある因果という言葉は、かつての主君で阿波国守護 細川持隆を殺害してしまったことを指していると考えられている。


 でも俺は、火縄銃の威力を恐れ、根来衆を根切(皆殺し)にした三好家との因果もあったんじゃないかと思ってしまったんだ。



――――――――――――

 三好実休さんの辞世の句の口語訳

「草を枯らす霜ですら、朝になったら草の報いを受けたように消えてしまう。つまり自分は何人も人を殺めてきたのだから、いつか私もその報いを受けて殺されるのだろう」という意味のようです。

――――――――――――

179話時点の合戦配置図です。

https://kakuyomu.jp/users/rikouki/news/16817330665036942760

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る